【RCサクセション】No.1を決めよう! あなたが一番好きな楽曲はどれ?★3 [ゴン太のん太猫★]
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カリスマ的シンガーの故・忌野清志郎さんがボーカル兼ギターを務めた伝説のバンド、RCサクセション。1970年に「宝くじは買わない」でデビュー以来、日本の音楽シーンに数々の革命を起こしました。日本語によるロック音楽を普及させ、多くのアーティストに大きな影響を与えました。今なおRCサクセションの魅力やエピソードは語り継がれています。
【画像:ランキング42位〜1位を見る】
今回は「COMPLETE EPLP 〜ALL TIME SINGLE COLLECTION〜」に収録されている全42曲から、3曲を抜粋して紹介します。
●ぼくの好きな先生
1972年2月にリリースされた3枚目のシングル。ファーストアルバム「初期のRCサクセション」からリカットされた楽曲であり、RCサクセションとしては初のスマッシュヒットを記録。フォークトリオだった黎明期の名曲ですね。
「ぼくの好きな先生」は、都立日野高等学校にて清志郎さんの担任だった美術の先生をモデルにして作られた楽曲。ギターに夢中な息子を心配する清志郎さんの母親を説得してくれたというエピソードが有名です。
●雨上がりの夜空に
1980年1月にリリースされたシングルであり、RCサクセションの代表曲。印象的なサビでは大合唱が巻き起こることもあり、ライブでは終盤で披露されるのが定番でした。
ジャパニーズロックのスタンダード・ナンバーとなったこの曲は、泉谷しげるさん、桑田佳祐さん、トータス松本さんなど多くのアーティストにもカバーされています。自動車が女性の比喩となっているセクシーな歌詞もインパクト絶大!
●サマータイム・ブルース
さまざまな洋楽を日本語で再解釈したカバーアルバム「COVERS」に収録された「サマータイム・ブルース」。オリジナルはアメリカのロック・ギタリストであるエディ・コクランです。RCのカバー版には三浦友和さん、高井麻巳子さん、泉谷しげるさんがゲストとして参加しています。
本楽曲でつづられている原子力発電所を批判する歌詞が物議を醸し、一時は発売中止に。しかし、ファンの強い要望によって1988年8月15日に発売されるとオリコンチャート1位を獲得するほどの大ヒットを記録しました。現代にも通じる強いメッセージ性をもつ楽曲です。
RCサクセションが発表してきた楽曲から、3曲を抜粋して紹介しました。この他にも、思春期の頃の思い出がよみがえる「トランジスタ・ラジオ」や珠玉のラブソング「スローバラード」など多くの楽曲を発表してきた彼ら。日本のロックシーンにおいて、いつまでもその存在は色褪せることはないでしょう。あなたの一番好きな楽曲はどれですか?
2/25(木) 21:35配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e76c42bf6fa10f6b049c6b7a9ca011544bd7f7e1
https://i.imgur.com/zLXubdQ.jpg
【RCサクセション】No.1を決めよう! あなたが一番好きな楽曲はどれ?★2 [フォーエバー★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1614352098/ >>1
名曲じゃないのはわかってるけど
「oh!YA!」は傑作だと思う 日本人はカス民族。世界で尊敬される日本人は大嘘。
日本人は正体がバレないのを良い事にネット上で好き放題書く卑怯な民族。
ゲームの新作動画は日本人だけコメント欄公式オフ。日本人だけマナーが悪いのが理由。
日本人の職場はパワハラやセクハラ大好き。日本人はイジメが大好き。
同じ日本人やアジア人には厳しく白人には甘い情け無い民族。
日本人は中国人や朝鮮人に対する差別を正当化する。差別を正義だと思ってる。
日本人は絶対的な正義で(幼稚な)弱者や個人を叩く(飯塚さんを集団でイジメる民族)
日本の芸能人は人の悪口で笑いを取る。視聴者もそれで笑う民族性。
日本人はコロナ感染者を一方的に差別し叩く。感染する奴が悪い主義の民族。
日本人は犯罪者の死刑拷問大好きだがネットに書くだけで実行は他人任せ前提。
日本人は己の手は汚さない(というか何も権力無い奴が喚いてるだけ)
日本人は鯨やイルカを殺戮して何が悪いと開き直るが猫や犬には虐待する事すら許さない動物差別主義的民族。日本人はカス民族。 Marvyからの曲がなかなか出てこないな。Shelter of love〜ツル・ツルからのNaughty Boyへの流れなんてかなりグッとくるんだが。 暗黒時代の高校生活、授業をサボって自転車で山ん中に逃亡して昼寝してた
そんな時に流行ってたトランジスタラジオ >>12
夢中にさせてがアルバムとTVCMとでバージョンが違うのではないかと当時思ったまま未だに答えが出てない スローバラード
ヒッピーに捧ぐ
多摩蘭坂
なんかしんみり系チョイスになってしまったスマン トランジスタラジオって30歳くらいで出した歌だろ
よくあんな高校生の気持ちそのまんまの歌書けるな
昔作ったのかな? 清志郎もチャボもラジオ好きだよね
チャボの「ラジオ関東から流れた、あの栄光のサウンド達!」っていう文章好き いいともの友達の輪に出た時のようこそが忘れられないわ
ギターのゾウさん弾きながら出てきて「ようこそー!」
もうスタジオが急にライブハウスになったかのような サウンドストリートで渋谷陽一がRCを絶賛する中、
ピーターバラカンは理解を示しつつも「僕はだめです」って言ってたなあ 空がまた暗くなる
これしかないだろ、この曲は本当に清志郎が作ったんか?ってくらい突き抜けて名曲 >>28
当時誰なんだよこのクソ評論家はと思ったw 大学の文化祭でやった
創価学会!6億円!♪の歌やろw
ロッカー気取りのカス共清志郎みたいにやってみろヘタレw バイクをとばしても
何処へも帰れない
バイクをとばしても
帰り続けるだけの
僕らは寄り道をしてるんだ 清志郎リスペクトとか言いながらタブーには突っ込めない自称ロッカーw
お前らも所詮メディアの犬やとことを言う自覚しろ いい事ばかりはありゃしないが好き
金が欲しくて働いて眠るだけ
この歌詞聴くと身につまされるわ サマーツアー
つきあいたい
ベイビー逃げるんだ
すべてはalright あれだけ放射能はいらねえと歌ってたのに、
ガンになったら放射線治療はちょっとかっこ悪かったよね チャボがボーカルの「グローリーデイ」。
何の前知識も無しに聴くと、男女の別離を歌ってるようにも思えるけど、
当時チャボがRCの活動に煮詰まったことを考えると(当時夜ヒットとか
にもRCではなく、清志郎は梅津バンドを従えて出演してた)、清志郎に
対する思いを歌ってるようにも感じる。
チャボの歌の中では、ソロも含めて一番好き。 スカイパイロット
サマーツアー
ダーリンミシン
よーこそ 辛辣なのは清志郎がチャボの事を臭わせたノーティーボーイだろう この頃はもう解散の匂いがしたね
離ればなれの心は
二度ともとには戻りそうもない
イタズラッ子だったアイツも
俺がしかけたワナを鼻であしらう
言い争ったり やたらツッパッたり
爆弾が落ちたみたいに大騒ぎしてた
イタズラッ子だった HEY! NAUGHTY BOYS
モメゴトばかりだから疲れたんだろ
いずれ誰もが年老いて
二度ともとには戻れやしない
気ママな奴だった HEY! NAUGHTY BOY
普段の君は今じゃただのオヤジさ >>66
へー。ノーティーボーイってチャボのことを歌った曲だったのか >>66
アルバム「MARVY」を出した時のインタビューで、インタビュアーの
渋谷陽一が清志郎に「このアルバムにはチャボのボーカル曲が3曲も
入ってますが、今回チャボは沢山曲を書いてきたんですか?」って
訊いたら「彼は3曲も作ってきました」って答えて、続けて「チャボの
電気という曲は、歌詞の内容に深い意味があるんでしょうか?」っていう
質問に「あの歌詞に意味があるんだとしたら深いんでしょうね」って
相変わらずとぼけた回答を返してたけど、実はバンド内は深刻な状況
だったのだろうか。 チャボの最近の話では、清志郎以外のメンバー全員が
RCにたいしてモチベーション失くしてたらしいんだよな
ただ当時のチャボはいまから振り返ってもなにをしたかったのかよくわからないし
本人もわかってなかったのかもしれない
89年に絵のレコーディングをやったあたりで
ようやく方向性見えてきたってことなんだろうか ただ清志郎はニイダコウゾウが抜けたのは意外だったと言っていたな、 >>8
あれは年喰ってから聞くと実に沁みる
今俺の心に沁みまくりだ みんなやる気失くしてるのに、自分からやめようという能動性もなくて
だからG2はやめさせられた
こーちゃんはハチの振る舞いと言い種にキレてやめて
チャボは三人になって一年近くやって
さすがにもう無理ってなったんだとおもう G2がやめた時は清志郎少しふてくされてなかったか?
g2がやめた?音楽性の違いってやつでしょwハイハイどうぞどうぞご自由に!!
みたいな >>1
雨あがりの夜空に、はパクリ
Mott The Hoople - Drivin' Sister (Live)
https://youtu.be/SjdPRuJN818?t=72
>自動車が女性の比喩となっているセクシーな歌詞もインパクト絶大!
とあるがこれも、Drivin' Sisterというタイトルから着想を得たもの
↓完璧パクリ曲なのにこんなリフはどうだとか、恥ずかしくないのか
雨あがりの夜空に
https://youtu.be/lJCvgDr2AeI >>76
もういいからそれw
何回も言われててあきたw >>70
昔読んだインタビュー記事で清志郎が
「一生一バンドって考えてたのは俺だけで、他のメンバーは必ずしもそうじゃなかったんだなってわかっちゃって。まぁ言いづらいけど(笑)」
みたいなこと言ってたけどバンド内は色々問題あったのかね?
RCに疎い俺には当時、それを読んでもピンとこなかったけど
詳しい人たちならわかるのかな >>77
アンチってマジのキチガイだから
同じことを何千回でも繰り返すんだよな
本当に気持ち悪い
>>78
去年の末にチャボがラジオで、ハートのエースだかMARVYの頃
少なくとも間違いなくtears of clownの頃には
バンドの雰囲気がかなり辛かったって話してた
実際86年の秋の清志郎ソロレコーディングは
メンバーがロンドン行きを拒否したからだし
翌年清志郎が出したアイデア=COVERSは発禁喰らったことで
怒る清志郎と更にやる気が失せるほかのメンバーとの温度差が拡がって
それがタイマーズに繋がっていってた RCが活動休止に入った後、清志郎もチャボも作品が弾けたって言うか麗蘭は素晴らしかったし、ニーサンズは演奏はともく曲がはっちゃけてる 1980〜82年はめちゃ人気急上昇だったな
83〜85年はちと停滞期かな
86年からぐんぐん評価上がって
88年カバーズで突き抜けすぎて
90年で活動停止
曲がり角のところでオイラずっと見てたんだぜ >>30
なんかボロクソに言ったとかで森川欣信(現オフィスオーガスタ最高顧問)が事務所に電話でクレームかけたって言ってたな w
今では許されないような人種差別的な言葉使って飯田アラカンのこと貶してた w >>75
いや、何かのインタビューで忌野さんは俺がクビにしたった言ってたよ
G2が自転車に入れ込んでバンド活動が疎かになったからって
後に忌野さんがやっぱり自転車にのめり込んでからはツーリングとかしてたみたいだけど 清志郎がクビにした、というより
清志郎がクビを告げたってのが正解のはず
バンドを疎かにしたのでとりわけこーちゃんがかなり怒ってたんじゃなかったかな 窓の外は雪
NEWSを知りたい
清志郎好きだけど中でもこの2つは至高 daydreambeliever…はtimersか >>84
83年は確か体壊して大変だった時期じゃなかったかな
ハワイで『OK』作ってた時点から大変で完成後、事務所社長に交渉して
ライブの本数減らしてもらう代わりにライブ盤『KING OF LIVE』を出す事と
三菱自動車のCMタイアップを受ける事で話をつけたって時期だったと思う
で同じ頃に事務所がブレークしたRCでどれだけ儲けて、なのに自分らには
屋根裏時代とさほど変わらない給料しか出してない事を知り
事務所に対する疑心暗鬼が深まって85年の『FEEL SO BAD』になったと言う経緯だったはず >>66
>>68
破廉ケンチの事を唄った曲だったはず >>86
自転車は『シングルマン』の後だったと思う
それでRCのツアー(と言うか陽水の前座だけど)について行けなくなり
音大の同級生だったセクシー佐山を紹介したと言う経緯だった気がする
何かに凝るとそれだけにのめり込んじゃう人なんだろうね >>69
電気はビル・ネルソン&レッドノイズのカバーでしょ >>12
マーヴィーは曲数絞って1枚組にしたら傑作だったのでは
と何かで読んでなるほどと思った覚えが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています