野球殿堂博物館は、1959年、「野球体育博物館」として、文京区後楽の後楽園スタジアムの隣で開館しました。1988年、東京ドーム完成に伴い、東京ドーム21ゲート右の場所に移転。2013年には、名称を「野球殿堂博物館」に改称し現在に至っており、開館以来、文京区内の施設として、文京区とともに歩んできました。

本企画展では、文京区と野球について、学童野球、高校野球、一高・東大、後楽園・東京ドームなど、様々な視点から紹介します。

2021年は、東京高等師範学校附属中学校の1946年夏のベスト4から75年、一高創立から135年、東大野球部の「赤門旋風」から40年、株式会社後楽園スタヂアム(現・株式会社東京ドーム)設立から85年になります。そこで、知られざる文京区と野球のつながりを、文京区民をはじめ、皆様にご紹介します。また、長嶋茂雄選手が、後楽園スタジアムの天覧試合で打ったホームランバットも特別に展示いたします。ぜひご覧ください。

文京区と学童野球
文京区内には現在、約20の学童野球、少年野球のチームがあり、多くの子どもたちが野球に親しんでいます。そこで、文京区少年軟式野球連盟にご協力をいただき、チームや近年の大会結果をご紹介します。

文京区と高校野球
文京区内の学校は過去に2回、全国大会に出場しています。

1回目は、1946年夏の東京高等師範学校附属中学校(東京高師附中。現在の筑波大附)で、「第28回全国中等学校優勝野球大会」に出場。戦後最初の夏の大会に出場した東京高師附中は、初出場ながらベスト4に進出しました(この年、甲子園球場はアメリカ軍に接収されていたため、西宮球場で開催)。

2回目は、2000年夏の日本大学豊山高等学校(日大豊山)で、東東京大会で優勝し、「第82回全国高校野球選手権大会」に出場。桑原義行選手(のち横浜ベイスターズ)らの活躍で、ベスト16に進出しました。

そこで、2校の全国大会での戦いぶりを振り返るとともに、現在、東京都高等学校野球連盟加盟校で硬式野球部のある、郁文館、京華、京華商、駒込、昭和第一、獨協、筑波大附、日大豊山の文京区内の8校と、野球殿堂入りしたOBの方を紹介します。

一高・東大野球部の軌跡
1872年の野球伝来から9年後の1881年、本郷区(現在の文京区)向丘に、第一高等学校(一高)が創立され、1886年にはベースボールチームが誕生しました。1896年には横浜の外国人チームを29-4で破り、それが新聞でも紹介され、野球への関心が全国的に高まるなど、1890年代には、一高野球部の黄金時代を迎えました。また、1894年には、一高の中馬庚が「ベースボール」を「野球」と訳しました。

一方、東京大学(当時は東京帝国大学)野球部は、1919年に創部しました。1925年には東京五大学野球連盟に加盟し、東京六大学野球連盟が発足。1937年には、現在の文京区弥生に東大球場が完成し、戦後直後の1946年春には4勝1敗で2位となりました。1981年春には6勝を挙げ4位となり「赤門旋風」が話題になるなど、歴史ある野球部として現在に至っています。

そこで、一高・東大野球部の歴史を、出来事や活躍した選手を紹介し、振り返ります。

後楽園・東京ドームの歴史
現在のプロ野球は1936年に始まりました。同年12月、職業野球専用の球場を建設すべく、株式会社後楽園スタヂアムが設立され、翌年9月に開場しました。1952年のフランチャイズ制導入後は、多くの球団の本拠地となり、1964年以降は、巨人と東映(のち日拓、日本ハム)の2球団の本拠地となりました(1964年の東映は、後楽園スタジアムと神宮球場の併用)。1981年には、巨人と日本ハムによる、史上唯一の全試合同一球場での日本シリーズも実現しています。

しかし、施設の老朽化などにより、1987年シーズンをもって閉鎖され、翌88年、隣に東京ドームがオープンしました。東京ドームは、日本初の全天候型多目的スタジアムとして開場。巨人と日本ハム(〜2003年)が本拠地として使用し、現在に至っています。

後楽園スタジアム、東京ドームでは、長嶋茂雄選手がサヨナラ本塁打を放った1959年の天覧試合、王貞治選手の世界新記録となる756号本塁打、2000年日本シリーズでの王貞治監督、長嶋茂雄監督によるON対決など、数々の名勝負、名シーンが展開されました。そこで、後楽園スタジアム、東京ドームを舞台に活躍した選手たちを中心に、後楽園スタジアム、東京ドームの歩みをご紹介します。