NFLのカレンダー上では正式に停滞期間に突入した。
スーパーボウルから、NFLのドラフトとフリーエージェント(FA)に向けた動きが活発になるまでの数週間は、これといったニュースや話題のない不毛な時間となる。

その空白を埋めようとこの時期にはいつも多くの“たられば”話が流れる。
近年最大の“たられば”の1つは、NBAのレブロン・ジェームズがマイケル・ジョーダンのように競技を試しに変更していたら、今ごろスポーツ界はどのような勢力図になっていただろうか、というものだ。

2011年のNBAのロックアウト期間中、当時26歳だったジェームズにはダラス・カウボーイズからトライアウトのオファーがあった。
『The Athletic(ジ・アスレチック)』との最近のインタビューでは、シアトル・シーホークスからもジャージが送られ、ワークアウトに誘われていたことをジェームズは明かしている。

可能性としてあるフットボールのキャリアについて「いつもそのことは考えている」とジェームズは話した。
2011年のロックアウトはNBAファイナルで6試合の末にジェームズ率いるマイアミ・ヒートがダラス・マーベリックスに敗れた直後に起きた。
スター選手のジェームズは敗北の責任を問われ、ロックアウトの不安が追い打ちとなってフットボールに転身することを考える。

ジェームズは「どこかのチームには入れたと思う」と振り返る。「トライアウトにさえ参加していればどこかに入れた。目標に向けて努力は惜しまないたちだから、カウボーイズかシーホークスに挑戦する、あるいはそのままクリーブランドの自宅に戻る、という選択肢しかなかったら前者を選んでいた。
そしてどっちかに入っていたよ。フットボールのフィールドで何ができるかは俺が一番良く分かっている。当時の年齢を考えればなおさらだ」

それが実現していたらという妄想にしばし浸ってみるとする。
身長約206cmのジェームズがフルタイムでフットボール選手に転じていたら、NFL屈指のタイトエンド(TE)になっていたかもしれない。彼ほどの体格と身体能力を兼ね備えた選手はどの競技でも珍しい。
身長の高い選手にはケガの心配がつきまとうが、強化された選手に対するプロテクションによってその点は克服できただろう。フィールドのエッジを走り抜けられるほどの直線スピードが仮になくても、その才能との組み合わせによってパスキャッチャーとして試合を大きく左右する存在になっていた可能性は高い。

ジェームズは高校の3年目以来フットボールをプレーしていない。
卒業後にNBAでプレーすることははっきりしていたが、それでもオハイオ州立大学やノートルダム、ミシガン、フロリダといった名だたる大学は諦めずにジェームズをレシーバーとしてスカウトしていた。

ジェームズはこれまでに4度のNBAチャンピオンに輝いているが、フットボールへの愛は変わらないと言う。

ジェームズは「NBAチームのオーナーになるという願望を抱く前は、高校のフットボールコーチになれたらかっこいいだろうなっていつも話していた」とコメント。
「ヘッドコーチでも攻撃コーディネーターでもどっちでもいい。とにかくアンディ・リードみたいなコーチになって、クレイジーなプレーをコールするんだ。
フットボールが大好きなんだよ。いつも見ている。俺の一部だと言っていい。フットボールとともに育ったんだ」
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引用元:NFL JAPAN