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2021/02/13(土) 17:53:46.31ID:CAP_USER9国民的童謡は意外なシチュエーションで作られた
2021年02月12日NEW
国民的童謡のひとつ、『手のひらを太陽に』は1961年に発表され、今年で60年目を迎えた。60年代に紅白歌合戦で歌唱され、今では小学生の音楽教科書にも掲載されている。
作詩は『それいけ!アンパンマン』生みの親、やなせたかし氏(2013年逝去・享年94)、作曲は「見上げてごらん夜の星を」など1万5000曲以上を世に送り出した、いずみたく氏(1992年逝去・享年62歳)で、この2人が初めてコンビ組んだ楽曲だった。誕生に至る秘話を聞けばきっと、コロナ禍の苦しい状況下で、踏ん張り続ける人達に向けた応援歌にも聞こえてくるだろう。
漫画家として「食えない時期」にできた
「♪ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ」
すんなり入ってくる詩と、アップテンポなリズムは耳から離れない。多くの歌手がカバーしている歌としても有名だ。いずみ氏に師事をした作曲家・編曲家で、プロデューサーとしても活躍する近藤浩章氏は、作詞家やなせ氏と作曲家いずみ氏のコンビを1976年からそばで見続けてきた。
「でも今では、誰が作詩をして、作曲は誰か。知らない方も多いのではないでしょうか。私も初めて聞いた時はそうでした。40年近くお二人のそばで仕事させてもらってきましたが、お二人はお互いを尊敬していました。
やなせ先生は、歌のイメージとは全く違い、苦しみの真っただ中で書かれた詩だと聞いています。いずみは子供だけではない、大人も歌える歌にしようとして書いた曲です。いろんな背景が結びついて命を持った歌だと思います。誰が作ったか、多くの方はわからないけれどもみんなが歌っている。それこそ、歌のそのものの力です」
「♪手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮…」
歌だけ聞いたら、希望を感じさせるイメージしか出てこないが、実際はやなせ氏自身が『食えない時代に作った詩』だという。
「やなせ先生はオファーが来た仕事を断らない性格でしたので、舞台の構成からジャケットのデザイン、ありとあらゆるお仕事をされていましたが、ご本人は漫画家一本で生きていきたかった。でも漫画家としての仕事がなかった。その頃、ご自分は元気がなくて、暇で、いつも寂しくて‥夜中に懐中電灯を手に当てたりしていると涙が出そうになったと言っておられましたね」(近藤氏)
その当時、9歳年下の手塚治虫が台頭。漫画家としての代表作がなかったやなせ氏はますます肩身の狭い思いをした。仕事はなくても徹夜で詩を書いたりしていないと取り残された気持ちになる日々だった。
「♪ミミズだって オケラだって アメンボだって
みんなみんな 生きているんだ トモダチなんだ」
ミミズ、オケラ、アメンボ…ほかの生物に比べると目立つ存在ではない。それを詩に書きこんだことは、日の当たらない生物を当時の自分に重ね合わせていたのだとも受け取れる。近藤氏が振り返る。
「『コンちゃん、ある夜にね、仕事の合間に、手のひらに懐中電灯を透かしてみたら、血管がものすごく元気に流れていたんだよ。自分の心は沈んでいても血は元気だ!血の流れを見て『生きているんだ!』とつくづく思った。
だからこの曲は『手のひらを太陽に』ではなく『手のひらを懐中電灯になんだ』と、笑わせてくれました。ミミズ、オケラといった生物に目がいくのはやなせ先生の優しさだし、間違いなく、辛かった時の自分を励ます意味で書かれたはずです」
「あまり気に入らなかった」曲がブレイクした理由
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://friday.kodansha.co.jp/article/162043