0001征夷大将軍 ★
2021/02/11(木) 09:41:23.71ID:CAP_USER9https://www.sankei.com/west/news/210211/wst2102110002-n1.html
フランスの芸術勲章を受章し、描いた作品が欧州各国の合作で映画化されるなど海外で高い評価を受けている漫画家、谷口ジロー(本名・治郎)が69歳で亡くなって丸4年となる2月、画業50周年原画展が出身の鳥取県で開かれている。21日まで。ハードボイルドや格闘、山岳、動物、文芸など幅広いジャンルの作品を描き、古里や家族を題材とする文学的な作品も発表した谷口。展覧会では、漫画家としての軌跡とともに、郷土とのかかわりにもスポットをあて、人気の秘密に迫っている。
◆漫画界の小津安二郎
原画展は鳥取、米子両市で開催され、谷口が高校を卒業するまで過ごした鳥取市では古里を舞台とした作品、米子市ではそれ以外の作品の原画計約250点を展示。このうち鳥取会場では、テレビドラマになった「孤独のグルメ」(1994〜2015年、原作・久住昌之氏)などとともに「遥(はる)かな町へ」(1998年)も展示された。この作品は2010年、舞台を鳥取県倉吉市からフランスに置き換え、フランス、ドイツなどの共同制作により映画化された。
原作は、東京に住む48歳の会社員が出張のついでに古里の倉吉市に帰郷。母の墓前で気を失い、中学生時代にタイムスリップするというストーリー。
細密なタッチで描かれた街並みは、白壁土蔵の倉吉をほうふつさせ、原画展に訪れた人たちが目を見張る。この作品は2003年フランス「アングレーム国際漫画祭」最優秀脚本賞を受賞。その2年後には「神々の山嶺(いただき)」(2000〜03年、原作・夢枕獏氏)で同祭の最優秀美術賞を獲得し、谷口はストーリーテラーとして、デザイナーとして、ともに高い評価を得る漫画家としての地位を確立した。その作風から巨匠映画監督になぞらえ「漫画界の小津安二郎」とも評されるようになっていた。
◆フランス芸術勲章受章
昭和22年、鳥取市中心部で生まれた谷口は、同県立高校を卒業後に京都で就職したが、「自分は漫画以外に何も興味がない」ことに気づき、8カ月後に上京。漫画家の石川球太氏、上村一夫氏らのアシスタントを経て、45年にデビューした。その後、のちにテレビドラマ化された「事件屋稼業」(1979〜94年、共作・関川夏央氏)などで注目され、自身も転機になったと認める「『坊っちゃん』の時代」(1987〜96年、原作・同)では、劇画タッチの絵から、1本の線でしっかり描く明るい雰囲気の画風に転換した。
海外で注目されるようになったのは、日仏の出版社の交流の一環で、1995年に「歩くひと」(1990〜91年)のフランス語訳が出版されたことだった。
イタリアで美術史・油絵を専攻し、映画化もされた作品「テルマエ・ロマエ」で知られる漫画家のヤマザキマリ氏は「日本の多くの漫画作品がスペクタクルなハリウッド映画だとすれば、(谷口作品は)ベルリンやカンヌなど欧州の映画祭で選ばれるタイプの知性派向き」(双葉社「描くひと」)と評する。
一方、谷口は自身の欧州での人気について「フランスに行って本屋などを見た人は私の本がたくさん積まれているのを見て驚きますね」と、同書の中で、バンド・デシネ(フランスのコミック、BD)原作者のインタビューに答えている。
「遥かな町へ」のフランス版の販売冊数は日本版の2倍に上り、2011年にはフランスの芸術勲章シュヴァリエを受章。谷口の死去に際して、仏紙ルモンドはまるまる1ページを割いてその業績を伝えた。
◆まんが王国とっとり
谷口は「遥かな町へ」のほかに「父の暦」(1994年)、「魔法の山」(2006年)などで出身の鳥取県の風景、人を描いている。
子供のころから、鳥取を出ることだけが重要で、自由になりたいと思っていたという谷口が帰郷したのは、上京してから十数年後のことだった。先のインタビューで谷口はこのときのことを振り返り、「田舎ってこんなにいいところだったんだと、ようやく気がついたのです」と語る。子供のころ遊んでいた公園に行き、市街地を見下ろして、「自分はここで生まれて、ここがなければ自分はこんなことになっていなかった。鳥取を漫画の舞台にしてみたい」と思ったのだという。
鳥取県は谷口のほかに、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる氏、「名探偵コナン」の青山剛昌氏らを輩出していることから、漫画を観光の起爆剤にと、県は平成24年に「まんが王国とっとり」を掲げた。谷口ジロー展は今回で3年連続の開催となる。
谷口ジローの作品は、フランスだけでなく欧州各国や中国、韓国などでも翻訳し出版されている。県まんが王国官房課長補佐の野村芳幸さんは「水木、青山の両先生には常設の展示館が県内にある。
(以下リンク先で)