>>1
信孝の孤児って胡散臭いな…

生母の坂氏は、一度目の降伏の後、人質として秀吉の元にいたが、信孝が再び挙兵した為、磔にされた[注釈 37]。このとき同じく人質であった重臣で傅役の幸田孝之の母も処刑されている。その後、坂氏の妹、娘、男子某などは、織田信雄により尽く処刑された[7]。

『系図纂要』によれば娘1人があり、甥の織田信衡の室となり、信直を産んだという[8]。信衡は庶兄・織田信正の子とされるが、これは村井重勝(見性軒)と同一人物ともされる。

他にも信孝の子孫を称する家系は各地にあるという。明治25年(1892年)11月24日付の「読売新聞」に、大阪府の平民が宮内大臣に系図などを添えて、信孝の嫡流、10世の子孫と称し、名乗りでたという記事を掲載している。