【芸能】妻に先立たれた萩本欽一の別れの作法「僕は妻に線香をあげない」 [爆笑ゴリラ★]
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2/7(日) 7:05
NEWSポストセブン
妻に先立たれた萩本欽一の別れの作法「僕は妻に線香をあげない」
萩本欽一が妻のお葬式で手を合わせず、お線香も上げない真意とは
かつて3つの冠番組の視聴率を足すと100%を超えたことから、「視聴率100%男」と呼ばれ、コメディアンとして芸能界の頂点に上りつめた萩本欽一(79)。しかし、半世紀にわたって連れ添い、彼を支え続けた妻の存在は知られていない。その最愛のパートナー・澄子さんが、半年前にがんで亡くなった。欽ちゃんは、妻の病、そして死にどう向き合ったのか──コラムニストの石原壮一郎氏が聞いた。
* * *
ここ何年かは、スミちゃん(澄子さん)は骨折で何回か入院してたんだけど。お見舞いに行こうとすると「すぐ退院するから、来なくていい」って言うんだよね。
「もう東名に乗っちゃったよ。お見舞いの品を置いたら帰るよ」って言って強引に向かった。そしたら、近所に住んでて最後まで面倒を見てくれた義妹に、「すぐ来い」って連絡したみたい。なんだろうと思って駆けつけたら、「眉を描いてほしい」だって。入院するときは、まずお化粧道具を準備してたらしい。
昔から、ぼくが家に帰ったときには、いつもお化粧してて、オシャレなんだなと思ってた。亡くなってから義妹が「義兄さんに会うために決まってるじゃない」って。ぼくの前ではお酒は一滴も飲まなかったけど、実際は好きだった。ぜんぜん知らなかったな。
家にみんなが集まったときに、息子が「お父さんのどこが好きだったの?」って聞いたら、
「うーん、『好き』って思ったことはないわね」
なんて言うから、ぼくが「じゃあ、なんで結婚してくれたんだよ」って問い詰めた。そしたら、ちょっと考えて、
「ファンだったのよ。今もずっとファンなの」
そう言ってくれた。あれは嬉しかったな。
「ありがとうね」
スミちゃんから初めて「ありがとう」って言葉を聞いたのも、4年前にがんがわかってからだった。
ある日、ぼくが見舞いに行ったら、帰り際に「ありがとうね」って言ってくれた。ぼくは思わず大きな声で、
「スミちゃんから『ありがとう』って言ってもらっちゃった! 今日はとっても嬉しい日だなあ。バンザーイ!」
そう言って、本当に両手をあげてバンザイしたんだよね。
人間って、死を意識すると、素直になれるのかもしれない。「一生懸命」って言葉があるじゃない。命を懸けて一生を振り返って、初めて「ありがとう」って言葉が出てきたのかな。そう考えると、なおさら嬉しいな。
本当に「ありがとう」を言わなきゃいけないのは、ぼくのほうだよね。でも、あらたまって言ったら、「私、もう長くないのかしら」なんて思わせちゃう。だから、なかなか言えなかった。
>>2続く
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210207-00000004-pseven-000-3-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/ba355dac12e5ee75223a004464fe566f7f6cfce1
やっと言えたのは、彼女が亡くなる数日前だった。もう話せないし、意識があるかどうかもわからない。布団の中で手を握って、「スミちゃん、たいへんだったね」って言ったら、ギュッと握り返してきた。その次に、
「子どもたち、あいつらみんないい子だね。いい子に育ててくれて、ありがとうね」
そう言ったら、さっきの何倍も強く握り返されて、目もちょっと滲んでるみたいに見えた。
近くにいた義妹を呼んで「ほら、涙出てるよね」って聞いてみた。彼女も「そうね、泣いてるわね」って合わせてくれればいいのに、「うーん、出てると言えば出てるかなあ」なんて、冷静に言われちゃって。
それが、ぼくとスミちゃんとの最後の会話です。ぼくの「ありがとう」は間に合ったのかな。きっと間に合ったよね。
死に顔は見ていない
スミちゃんは、こうして旅立った。でも、最初に話したみたいに、ぼくはスミちゃんが「死んだ」という実感はまだない。
葬儀は、身内だけのこぢんまりとしたものだった。ぼくは、火葬場でも祭壇のスミちゃんの写真にも、一度も手を合わせなかった。家にある仏壇にだって、一度もお線香をあげたことがない。だって、そんなことしたら、まるで死んじゃったみたいじゃない。
恩人が亡くなったときも大切な仕事仲間が亡くなったときも、お葬式では手を合わせないことにしてる。「顔を見てやってください」って言われるけど、全部断わってきた。元気なときの顔だけ覚えておきたいからね。もちろん、スミちゃんの死に顔も見てません。まだ別れを言っていないんだから、ぼくの中では、スミちゃんは生きてます。
スミちゃんについては、まだまだ知らないことだらけ。3人の子どもたちとも、それぞれ物語があるはずだし、義妹からも近所の友達からも、スミちゃんはどういう人だったのか、どんな毎日を過ごしていたのかを教えてもらいたい。
今は、もう一回あらためてスミちゃんと出会ったみたいな気持ちになってる。未知の部分を知るのが楽しみ。「遺される」っていうと寂しい響きだけど、思いがけない特典が付いてきちゃった。
【インタビュー・構成】
石原壮一郎(いしはら・そういちろう)/1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」「恥をかかない コミュマスター養成ドリル」など著書多数。
※週刊ポスト2021年2月12日号 自分には全く理解できないが、欽ちゃんらしくていいな 高齢未婚だが、ちょっと見習いたい気がした
死んだ父親の話を母から聞くと、知らない事ばかりで、気持ちが新たになる >>1
>葬儀は、身内だけのこぢんまりとしたものだった。
かくありたい こいつ引退したチャップリンが高齢でしかも健忘症でスイスの別荘で介護暮らしてる時にノーアポで押し掛けて、
「日本からわざわざ来たのに会ってくれないのは傲慢だ」って騒いで以来、大っ嫌い!
しかもチャップリンは結局会ってくれたのに、「直ぐ会ってくれず3日目にようやく会ったのは実に不愉快」とトンでもないことまで言ってた。
ホントこいつ何者なんだ?
キムチの腐った在日バカチョンか?? お見舞いは本人や家族が少しでも躊躇っていたら絶対に行ってはいけないよ >>12
本音と建前があるじゃん
本当は病が辛かったり、死を意識して寂しかったりするかも知れないよ 糟糠の妻と言われてた奥さん、亡くなったのか・・・
結婚までの馴れ初めもドラマチックだけど欽ちゃんは奥さん一筋だったのが偉い そうかそうか
ごり押しいつまでするの?
日本テレビ社長
くびに
そうかが電波私物化禁止に 自分も家族が亡くなった時は死んだと認めたくなくて葬儀も適当に参加したし線香も周りの空気でどうしてもあげなきゃいけない時しか
あげなかった
でも認め続けないのもしんどい、死んだのは事実だから
だからある時ちゃんと受け止めてちゃんと哀しんで、今は定期的に線香あげて墓参りに行ってる
その方が認めない時よりストレスが軽くなったよ
死んでからの付き合い方っていうものがあるね
でもまぁ80過ぎた欽ちゃんは好きにしたらいいと思う >>11
天才は凡人に理解できない思考回路なんだよ 死んだと認めたくないから
手も合わさないし、線香もあげないと
まあ、筋は通ってる >>16
そのドラマティックな結婚までの馴れ初め
くあしくおねげえしますだ
こいつ引退したチャップリンが高齢でしかも健忘症でスイスの別荘でひっそりと介護暮らしてる時にノーアポで押し掛けた揚げ句、
「日本からわざわざ来たのに会わないのは傲慢だ」って当時の変態新聞で騒いで以来、大っ嫌い!
しかもチャップリンは結局会ってくれたのに、「直ぐ会ってくれず3日も待たせたのが実に不快」とトンでもない捨てゼリフまでほざいてた。
ホントこいつ何者なんだ?
キムチの腐った在日バカチョンか??(怒り)
クリスチャンは線香をあげる文化ないだろ
仏教徒だけだろ
そもそもクリスマスだのハロウィンだのお前らは何教だよ >>31
神社が初詣だの豆まきだの御朱印だのやってる時代だぞ
大目にみろよ 真屋順子さんだいぶ前に亡くなったろうが?線香くらいあげろよ >>2
泣けてきた
だからいきなり仮装大賞終わりって感じだったのか
欽ちゃん… 一般人でも嫁に先立たれると受け入れられずに一気に老け込むというか気力無くす人は多いらしいな。 >>29
簡単に
欽ちゃんは浅草芸人時代、とあるストリッパーのヒモだった
欽ちゃんがコント55号でブレイクしたら、自分の様な存在はスキャンダルになると身を引いて浅草から消えた
欽ちゃんは必死になってストリッパーを探し出しプロポーズした
それが今回亡くなられた奥さん >>39
樹木希林が亡くなった後、ほどなく内田裕也が亡くなったのは驚いた
なんだかんだ言っても好きだったんだろうなあ 売れない時代を支えてくれて消えた奥さんを探し出して、
なんでもいいから願い事を言ってくれと言ったら、
結婚はしないでいい、1人で育てるから子供が欲しいと奥さんは言った
欽ちゃんは同意して、子供が生まれた後、突然会見をして
奥さんと子供がいることを発表した
人気者に隠し子がいたなんてかなり非難されると思ったので、
引退も覚悟して仕事もある程度整理してから会見したらしい イイハナシダナー
欽ちゃんが売れたときに身を引いて
欽ちゃんが探し出して結婚した人だよね 女にはゴミクズ対応の連中が多い芸能界で
いい話やな 別れの作法っていうか別れてないんだね
歳が近くて好きだから可能な心構えだろうな
現実的に亡くなる時期が近いかどうかはともかく
すぐ会えると思ってるんでしょう >>1
欽ちゃんの奥さんは元ストリッパー
人気絶頂の時に記者会見して結婚を発表した >>47
会見の席では「結婚していて子供もいます」と語ったけれど、正式には入籍はまだで
実はこの会見を奥さんへのプロポーズにしようとしたみたいね
テレビを見ていた奥さんは驚いて「せっかく有名になれたのにどうしてそんなことを…」
と、欽ちゃんに後で怒ったとか >>9
葬式は平気だったけど火葬は本当にキツかった
死んだのを無理矢理受入れさせられた感じ >>53
何度も経験してるけど焼かれたら一区切りつくよ
欽ちゃんやめないよ そういうこと言いたいだけ 絶対辞めません 昭和の夫婦って感じなのかな
でもお互いを思いやってる温かさが溢れてて
自分にはマネ出来ないけどカッコイイ関係だなーって思う >>2
泣けた。大学を突然辞めた理由も、奥様の側に居たかったからと知り、また泣けた。 【東京創価小学校】
萩本欽一の弟の萩本悦久が開校した当初から教諭を経て2003年まで校長を担当していた。
主な卒業生に、長井秀和(漫談師)、石原さとみ(女優)がいる。 残された側の心の持ち用とかあるから好きにしていいでしょうよ 萩本欽一は、「欽ちゃん、球団のオーナーになりたい!」と、社会人硬式野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」のオーナー兼監督になり、野球に夢を持つ球児達とともに、山本圭一(現・山本圭壱)も所属することとなった。
山本が野球遠征中、未成年者と淫らな関係をしていたことが報じられると(後に相手が年齢を偽っていたことがわかり示談・不起訴となる)即刻球団を解散し、報道人を前に「山本〜!お前のせいで球団なくなっちゃったよ〜!野球が出来なっちゃったよ〜!」と叫んだ。
後に「欽ちゃん勉強する!」と駒沢大学に社会人入学するも、話題乏しく中退した。 >>9
小学生の子どもを亡くした人は、
子の代わりに親が卒業式に出席して卒業証書を受け取ったりしてるね >>58
いやこの夫婦はかなり特殊
萩本欽一からすると「萩本欽一の息子の母親」
という関係だった
こいつ「今後の運試し」と称して、
引退したチャップリンが高齢でしかも健忘症でスイスの別荘でひっそりと介護暮らしてる時にノーアポで押しかけた揚げ句、
帰国して変態新聞の特集記事で
「日本からわざわざ来たのに会わなかったのは傲慢だ」って激白して以来、糞大っ嫌い!
しかもチャップリンは結局会ってくれたのに、「直ぐ会ってくれず3日も待たせたのが実に不快」とトンでもないワガママまでほざいてた。
ホントこいつって一体全体何様のつもりなんだ?
キムチの腐った在日バカチョンか??(怒り)
>>16
本当に!
「糟糠の妻は捨てられる」って言われるほどなのに
こういうところにいい人柄が出るね 昭和でピークだった亡霊がよく今日まで生きてたよ
早く奥さんの元に行ってあげてくれ >>74
朝お仏飯を供えて、夕飯時にそれを下げる代わり線香をあげてから食事するというのを
何も考えずにやってたけど、そういう意味だったのね 桂文枝も先日奥さん亡くしたけど、愛人作りまくっていたな。
欽ちゃんは結婚してから奥さん一筋だった。
こいつ「今後の運試し」と称して、
引退したチャップリンが高齢と健忘症でスイスの別荘でひっそりと介護暮らしてる時にノーアポで押しかけた揚げ句、
帰国して変態新聞の特集記事で
「日本からわざわざ来たのに会わなかったのは傲慢だ」って激白して以来、糞大っ嫌い!
しかもチャップリンは結局会ってくれたのに、「直ぐ会ってくれず3日も待たせたのが実に不快」とトンでもないワガママまでほざいてた。
ホントこいつって一体全体何様のつもりなんだ?
キムチの腐った在日バカチョンか??(怒り)
萩本欽一って「今後の運試し」と称して、
引退した高齢のチャップリンがスイスの別荘でひっそりと介護暮らしてる時にノーアポで押しかけた揚げ句、
帰国して変態新聞の特集記事で
「日本からわざわざ来たのに会わなかったのは傲慢だ」って激白して以来、糞大っ嫌い!
しかもチャップリンは結局会ってくれたのに、「直ぐ会ってくれず3日も待たせたのが実に不快」とトンデモないワガママまでほざいてた。
ホントこいつって一体全体何様のつもりなんだ?
キムチの腐った在日バカチョンか??(怒り)
>>11
芸能界で成功して天狗状態だったんだろうね
周りはイエスマンだらけだろうし 一生懸命、そんな言葉は無い。一所懸命の間違いから転じた言葉。何が視聴率100%の男だよ。そんなん足したなら大体なるじゃねーか!老害め! 逸見アナの嫁は借金だけ残されたので
仏壇に手を合わせなかったって言ってたな 欽ちゃん全然家に帰らなかったんだろ
変人は変人だよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています