【野球】内川聖一が明かす現役続行を決断した要因。自身のキャリアを振り返る [砂漠のマスカレード★]
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【独占】内川聖一インタビュー@前編
セ・パ両リーグで首位打者を獲得し、2018年には2000本安打も達成したレジェンド級のバットマンである。しかし、球史にその名を刻む安打製造機にとって、プロ20年目の2020年は不遇のシーズンとなってしまった。
「結果的に自分が一軍の舞台に立てなかったのは、個人的には残念だと思います。日本一になったチームにおいて、一軍に呼ばれるのが絶対に内川じゃなければいけない。そういった状況を作れなかったことを踏まえれば、もっと自分のパフォーマンスを出す必要があったと思います」
内川聖一は苦しんだ2020年を、淡々と振り返った。
パフォーマンスをうまく出せなかった原因は、自分でもわかっている。
「スタートで失敗したのが大きかったですね。キャンプの時点で左ひざ痛が出て、キャンプの3分の2くらいは別メニューでした。(コロナ禍による)自粛期間を経て、そこからもう1回というところでも、練習試合で結果が出なかった。そのふたつに尽きると思います。そこでうまくスタートできていれば、全然違うシーズンになったのかなと思います」
2011年に横浜ベイスターズから福岡ソフトバンクホークスに移籍して以降、内川は主砲としてチームを牽引してきた。2017年、2018年はケガもあって規定打席に到達できなかったが、年齢的な衰えも見られるなかで迎えた2019年はファーストの定位置を確保し、137試合に出場。自身初となるゴールデングラブ賞も獲得している。
もっとも、復活を印象づけたそのシーズンも、決して満足いくものではなかったという。
「ゴールデングラブは取りましたけど、打率は2割5分そこそこ。自分は打って立場を確立してきた人間なので、バッティングで結果が出ないと自分の立ち位置は確保できないと思っていました。だから、2020年はバッティングの部分で結果を求めていたのですが、そこがうまく行かなかったことが、ああいう状況を招いてしまったんだと思います」
二軍での生活を余儀なくされるなか、内川は本来いる場所に戻るために、コンスタントに結果を出し続けた。格の違いを見せつけ、一軍昇格の声も日増しに高まった。だが、ペナントレースを快走する一軍から、なかなか声はかからなかった。
「そこは僕がコントロールできるものではないのでね。僕自身が行ける感覚を持っていたとしても、一軍の監督やコーチはそうは思わなかったということ。上げようと思わせるためには、結果を出すしかなかった。そのなかで『内川が必要』という状況を作れるほどの、結果を残せなかったのかなと」
二軍生活が長く続くなか、内川は次第にその状況を受け入れられるようになっていたという。
「二軍だからといって、やることは変わらないというか......。この後の野球人生をどうしていくか。なにをしなければいけないのか。そういうことをゆっくりと考えられる時間もありました。前向きかどうかはわからないですけど、二軍での生活のなかで自分ができることをやっていこうと。自分のなかでベテランだとか、年を取って来たなぁという意識もあったので、若い選手と一緒にやることで、若い頃の気持ちが呼び戻された感覚もありました」
決してモチベーションが落ちたわけではなかった。一軍だろうが、二軍だろうが、野球をやることに変わりはない。二軍という環境で、できることを100%の力で取り組むだけ。内川は、その日が来ることを信じて、ただひたすらにバットを振り続けた。
結局、内川は一度も一軍に上がれないまま、2020シーズンを終えている。ただ、残念な気持ちはあっても、悔しい想いはない。日本一となったチームのことも、むしろ客観的に見られたという。
「今まで日本一になった時は、戦力として貢献できましたし、それは当たり前の感覚でした。でも今回、僕がまったく関われないなかで日本一になったのを見て思ったのは、『やっぱりホークスは強いな』ということ。こんな強いチームでやらせてもらえていたんだなと思うと、逆にありがたい気持ちになったほどです。外から見て感じることもありました。寂しさもなく、悔しさもなく、ただただ、すごいなあと。何とも形容しがたい、不思議な感覚でしたね」
https://youtu.be/RbAgxfT37jE
応援歌
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bc710fbd68795e9bc554ab8bcd81307eb1f5630
1/29(金) 16:45配信
https://hochi.news/images/2020/12/11/20201211-OHT1I50328-T.jpg
https://hochi.news/images/2020/10/28/20201028-OHT1I50017-T.jpg ホークスでの10年間は、栄光の日々だった。2020年こそ直接的に優勝に貢献できなかったとはいえ、10年間で7度の日本一を達成。自身も首位打者、MVP、ベストナインなど多くの個人タイトルを獲得している。
10年間で印象的な出来事はふたつある。ひとつは、移籍1年目の2011年。首位打者とMVPを獲得し、日本一に貢献したことだ。そしてもうひとつは、2013年のこと。秋山幸二監督の気概に、内川は救われたという。
「WBCで失敗して(※準決勝のプエルトリコ戦で自身の走塁ミスが響き日本は敗戦)チームに帰って来たんですが、当然、僕自身は大きなミスを犯した立場だったので、ショックを引きずっていましたし、野球から逃げ出したい気持ちも正直ありました。
でも、秋山さんは『もう過去のことなんだから、そんなもの引きずってもしょうがない。今からがんばれ』って、帰ってきた次の日から、すぐに試合に出させてもらったんです。あの時、秋山さんが使ってくれたから、ミスを断ち切ることができた。もし、あの時に時間が空いていたら、そのまま沈んでいっていたかもしれないし、今の自分はないかもしれないですね」
秋山監督から工藤公康監督に代わると、ホークスはさらに常勝軍団への道をたどることとなる。そのなかで内川自身は、2015年にキャプテンに任命され、文字どおりチームの牽引者となった。もっとも内川自身は「キャプテンとしてチームを引っ張ったという感覚よりも、周りの選手ががんばっているものに乗せてもらったという印象が強い。キャプテンとしての仕事はしていない」と振り返る。
ただ、キャプテンとしての責任感が、内川の打棒を次第に狂わせることになる。
「すべてで自分が一番じゃないといけないというか、キャプテンとして結果を示さないといけないという想いが強すぎましたね。あの時は4番も任されたんですが、3番にはトリプルスリーを達成した柳田(悠岐)がいて、5番にイ・デホ、6番に松田(宣浩)と、楽勝で30本超えるホームランを打つ選手が揃っていた。そのなかで4番の僕が十何本というのが恥ずかしくて。 ちょうどその年に、ヤフオクドーム(当時)にホームランテラスができたのもあって、安易に打球に角度をつければホームランが増えるだろうと思っちゃったんですね。たとえ打率が下がろうと、4番らしい仕事をしなくては、という方向に走ってしまった。
そこに関しては後悔しているところ。バッティングの狂いが、そこから続いてしまったところは正直あります。周りから受ける刺激に対して結果がうまくついていかなかった。そこは悩みましたし、考えさせられたシーズンでした」
◆プロ野球もったいない選手たち2021。才能開花でレギュラー奪取なるか>>
酸いも甘いも噛み分けたホークスでの10年間。多くの栄光の一方で、常勝軍団に身を置くことの苦悩も味わった。そして10年目の昨季、二軍生活を送るなかで湧いてきたのは、「まだまだ野球がやりたい」という想いだった。
「もちろん野球選手としては、試合に出るのが大前提としてあります。38歳の年で1試合も出られないとなると、当然、引退も視野入っていました。でも、引退をする踏ん切りが自分でもつかなかったし、辞めるという決心もつかなかった。先を考えた時に、自分のなかでまだやりたいという想いが一番に来たんです」
その想いに至った要因は、自身のキャリアにあると、内川は言う。
「鳴り物入りでプロの世界に入って、すぐにレギュラーを取って、華々しく活躍して、パッと散っていく。そんな選手だったら、ここで一区切りつけてもよかったかもしれない。
でも、僕の場合はレギュラーを取るまで長い時間がかかりましたし、何とかやり続けて、気づいたら20年も経っていた。そんなタイプなので、あっさりやめようという気持ちにはならなかったんですね。とことんやってみようと。必要としてくれるチームがあるなら、続けようと。それがなければ、引退しようと思っていました」
続けたい気持ちがある一方で、必要とされなければ野球を続けることができない。現役続行か、引退か。そんな内川の力を認め、求めてくれたのが、ベイスターズ時代の師が在籍する東京ヤクルトスワローズだった。 10年間在籍した福岡ソフトバンクホークスを離れ、内川聖一が新天地に選んだのは、東京ヤクルトスワローズである。他球団からもオファーがあったが、スワローズ入りの決め手になったのは、横浜ベイスターズ時代の恩師の存在だという。
「2008年に首位打者を獲った時に、杉村(繁)コーチから多くのことを学びました。そのコーチともう一度、一緒にやりたいというのが大きかったですね。杉村さんとは本当に濃い時間を過ごした。そういう人がいてくれるというのが、選ぶうえでの材料になりました」
若い頃に師事したコーチから再び打撃向上のヒントを得たいという想いもある。だが、内川が杉村コーチから学びたいのは、将来を見越したものでもある。
「僕が結果を出すためにバッティングを教わるというよりも、技術を伝える側の立場に興味があるんです。杉さんは、こういう状況の時にどういうアドバイスをしてくれるのかなって。そういう部分を感じることで、僕が現役を辞めて伝える側になった時に、役立つことがいっぱいあるんじゃないかなと。そこが自分にとって一番大きかったです」
もちろん、恩師の存在だけが移籍の決め手になったわけではない。スワローズという球団に対する好印象もある。なかでも、打撃に特長がある選手が多いのは、内川のバットマンとしての想いを刺激した。
「右バッターで言えば山田哲人がいて、左だと村上(宗隆)くんや青木(宣親)さんもいる。そういった選手たちとチームメイトになることで、刺激をもらえると思いますし、彼らがどんな練習をしてきて、進化してきたのか。そこは興味がありますし、聞いてみたいですね」 高津臣吾監督とも、すでにコミュニケーションを取ったという。
「入団が決まった時にお話させてもらいました。『頼むぞ』という感じで言ってくれたので、純粋にうれしかったですね。これから話す機会も増えると思うので、そのなかでチームにとってどういう役割をすればいいのか。そこを確立させたうえで、レギュラーシーズンに臨んでいきたいです」
背番号は7に決まった。数字にはとくにこだわりはなかったというが、この番号を紡いできた先駆者たちへのリスペクトは忘れていない。
「背番号って、いろんな方によって引き継がれているもので、球団の歴史でもあると思います。その番号に恥じないようにやっていかないといけない。
僕の前にヤクルトの7番をつけていたのは田中浩康。彼とは同級生で、それぞれヤクルト、横浜で切磋琢磨しながらやってきた間柄でもある。彼が着けてきた番号なので、より大事にしなければいけない気持ちでいますし、彼が培ってきたものを僕が崩すわけにはいかない。それくらいの責任感を持ってこの番号を着けさせていただきたいと思っています」
セ・リーグの球団への移籍によって、古巣・ベイスターズとの対戦機会も増える。チームメイトでもあった三浦大輔監督が就任した古巣との対戦は、ファンにとっても今季の注目のひとつだろう。
「自分たちが現役の時にやっていた方が次々に監督になっていくのは、不思議な感覚ですよね。自分がそんな年齢になったんだなと、あらためて実感する材料でもあります。
三浦さんは僕が首位打者を獲った時に記念の時計をいただきましたし、仁志(敏久)さんも二軍監督にいらっしゃる。石井琢朗さんもジャイアンツのコーチですし、WBCで一緒に戦った原(辰徳)さんもそう。いろんなところで接点を持った方々が対戦相手にいるので、『あいつ、まだがんばっているな』と思われるような結果を残したいですね」
また、内川自身が楽しみにしているのは、ホークスとの交流戦だ。予定どおりに開催されれば、元チームメイトと対戦することになる。 タイトルとる勢いで頑張って、日本シリーズ目指して欲しい。 「和田(毅)さんとやりたいですね。2011年にホークスに入った時から仲良くさせていただいていますし、なにより年齢が上の選手が少なくなってきましたからね。年上の選手がバリバリやっているのは励みになる。ホークスには高谷(裕亮)も現役でやっているので、和田さんと高谷さんのバッテリーで、僕が打席に立つ。そんなシーンを想像すると、ちょっとワクワクしますね」
新天地で迎える新たなシーズンには、楽しみがある一方で、不安もあるという。
「そうですね。両方の感情があります。新たな野球人生が始まるという感覚で楽しみにしているところも当然ありますけど、チームがどんな雰囲気かなとか、知らない人がいっぱいいるなかでやるのはどんな感じなのかなとか。社交的に見えて、僕、けっこう難しい人間なんですよ。若い子からすれば、どんな感じに見えるのかな。怖くはないとは思うんですけどね(笑)」
短いシーズンオフを終え、内川は1月に入り、宮崎と地元の大分で自主トレを行なった。どのようなテーマをもって新たなシーズンに臨んでいくのだろうか。今年8月には39歳となる。なにより重要となるのは、コンディション面だ。
「身体の強さに関しては、継続的にやって来たものを今年もやっていこうと思っています。この年になると、ケガが一番怖いので。自主トレでもまずはそこを意識して、コントロールしながらやっています」
一方で、より意識しているのは、やはりバッティング面だ。内川は今年のテーマについて「我慢」というキーワードをあげた。 アマチュア時代が長く過ごしてからホークスでの活躍したけどプロ生活初めての移籍で不安があるんだろうな 「気持ちよくホームランを打ちたい欲求が、2015年に4番を打ってからどんどん強くなっているのは否めません。でも、今年は一瞬の快感を求めるよりも、そこを我慢しながら、センター、バックスクリーンを中心に、カーンと強い打球を打つんだという意識ですね。あらためて、内川聖一のバッティングを作ってやろうという想いでいます」
原点回帰ですか? そう尋ねると、内川は首を横に振った。
「打球の質としては原点回帰ですけど、そこに行きつくプロセスは違います。形を元に戻すというよりも、新たなものを作って、打球の質を戻すという感覚ですね」
超一流のバットマンはアラフォーになっても、いまだ進化を止めようとはしていない。
新天地では結果もさることながら、自身の経験値を還元する役割も求められるだろう。内川自身も、「球団からも言われたので、若い選手を見ることも多くなると思う」と理解している。
もっとも選手である以上、まずは自らの立場を確立することが最優先事項となる。
「今の段階ではケガをせず、1年間試合に出られる状態を作りたい。そのなかでホークスの時のように、自分でコントロールできない部分も出てくると思う。そこはキャンプやオープン戦をこなすにつれて、だんだん自分の立ち位置がわかってくるはず。
レギュラーなのか、代打なのか、いろんな役割が出てくるなかで、自分がどこに一番必要されているのか。若手のことを考えるのは、そこがはっきりとしてからになると思います」
やはり、内川にあるのはプロ野球選手としての抑えきれない欲求だ。
「やっぱり、レギュラーとして試合に出たい。試合に出ないとプラスもマイナスもないので。僕はこれまで試合に出るなかで、打てた喜びだったり、打てなかった悔しさを常に考えながらやってきました。ケガをしている時もそうですけど、試合に出られなければ、プラスもなければマイナスもない。それじゃあ、つまらないじゃないですか。プラスもマイナスも感じられる状況に身を置き続けることが、一番重要なのかなと思います」 ヤクルトは昨シーズン右の代打に難があり、一塁手も左打者ばっかだったのでベテラン右打者獲得は良い補強なんでね 20年に渡る現役生活において、内川はすでに多くのものを手にしてきた。日本一、世界一、首位打者、MVP、2000本安打と、取れるものはすべて掴んだと言えるだろう。にもかかわらず、環境を変えてまで、現役にこだわり続ける理由は何か。
「よくばりなんですよ(笑)。今まで取ってきたものを振り返ったりすることはあまりないですね。何かを取ったからといって、モチベーションがなくなるということはない。常に100%でいたいという想いだけ。そこは若い頃から何も変わっていないですね」
自身を律し、心も体も鍛え続けるのもつらいんじゃないですか? ちょっぴり意地悪な質問をぶつけると、内川は笑って答えた。
「楽しいですよ。この年齢になってくると、自分の身体や思考と対話できるようになってくるんです。若い頃は、これだけやっていればいいとか、これを極めたいという感じで、追い詰めながらとことんやっていました。だけど、ここまでくると体力的な変化も出てくるので、頭をクリアにして、考えながらやっていかないと、そこにはたどり着けないんです。
ただひたすらに、前だけを見てガンガン行くのではなく、時には一歩引いてみたり、違う角度からアプローチしてみたり。冷静に物事を判断しながら、目的に向かって行く作業というのは、本当に楽しいですね」
自主トレを終えれば、2月1日にいよいよキャンプインする。本格的にシーズンがスタートするなか、内川は新天地で迎える2021年をどのように思い描いているのだろうか。
「新たなチームに行く期待と不安が半々なので、まずは1日でも早くチームに合流して、野球をしたいなというのが一番ですね。ゼロからのスタートとなるなか、自分はどういう貢献ができるか。どういう部分を必要とされているのか。それを理解したうえで役割を全うし、シーズンが終わった時にチームメイト全員で喜び合えれば最高ですね」 プロ野球もったいない選手たち2021。才能開花でレギュラー奪取なるか>>
最後に、失礼ながら聞いてみた。いつまで現役を続けるのですか、と。すると内川は、間髪入れずにこう答えた。
「今は、長くやりたくなりましたね。若い頃は、内川聖一ってあっさり引退しちゃうタイプなんだろうなって、自分で自分を分析していたんですけど、今は極端にやめる理由もないし、やめられない。極端にやめられる理由は何なのか。自分のなかでやめなければいけないなという理由が出てくるまでは、やり続けたいですね。
だから、サッカーのカズさんはすごいなあと。今年で54歳でしょ。ああいう人たちががんばっている姿に刺激をもらいますし、僕自身も『内川、まだやってるのか』と言われるくらい、がんばりたいですね」
【profile】内川聖一(うちかわ・せいいち)1982年8月4日生まれ、大分県大分市出身。2000年ドラフト1位で大分工高から横浜ベイスターズに入団。10年間プレーしたのち、2011年に福岡ソフトバンクホークスにFA移籍する。2008年、2011年と両リーグで首位打者に輝くなど、球界を代表するアベレージヒッター。2018年にNPB史上51人目の通算2000安打を達成した。今季より東京ヤクルトスワローズに所属。185cm、93kg。右投右打。 54歳まであと15年か
セリーグで頑張ってくれ
ホークスを強くしてくれたことは感謝してる 内川を四番で使ったのが間違いだったな
あれで打撃がおかしくなった
安打製造機に四番という役割は不適だった 全文読んだやついるの
何でも長文書けばいいみたいな典型的な駄目なやつ ウッチーが秋の風物詩を破壊してくれた事を始め感謝しかない
セ・リーグの結果を追う楽しみも出来たし頑張ってほしい 奥さんもちょっとアゴ出てんだよな
子供に遺伝するのかな? >>1
社交的に見えて、僕、けっこう難しい人間なんですよ。
え?別に社交的に見えないし、難しい人間なのもイメージ通りなんですけど(´・ω・`) そらわざわざ内川と個別でインタビューしてあっさり短文で終わらせるわけいかんだろ 札幌でCSファイナルの最終戦になる試合前にドーム外設置の球蹴り用芝生でホークスの他の選手と共に内川が出てきてやたら元気に声かけて練習してたのを見てたのはいい思い出
やる気になればなんでもできる
と当時の内川が猪木口調で語ってた口癖を思わずわいが言うと内川から
できないこともあるんだよ
と答えられて絶句した
やはりキャプテンとしてのプレッシャーが大きかったのかもしれないとあとあとで考えさせられた 性格面倒くさそうな奴だけど
まだそこそこいけると思う
鳥谷、能見(なんか阪神のやつばっかり)とかより遥かにマシ
これはこれでいいんじゃない まあ全盛期のことを思うと2軍で終わりたくなかった気持ちはわかるぞ
引退目前たろうし納得できるように頑張れや まあ成績は近年衰えの目立ってただけにやってみないとわからんけど
10年近くチャンピオンを常に争うチームにいた経験はぬるま湯体質のヤクルトで役立つやろ >>29
ほんとにな
ファン目線で社交的だと思ってるやつ皆無だろ 「制服で ホレられ私服で 即フラれ」サラリーマン川柳の防衛省部門がとても味わい深くて「変なお笑いより面白い」「制服は卑怯」
http://vdsyi.envitreat.biz/ONUc/237510344 ダウンタウン松本にいじられたのがピークでしたね
ヒョットコみたいな顔、日本昔話に出てそう、とww ホークスのファンも内川は打てなくなったらすぐにベンチで不貞腐れると言ってたな
そういう行動の方がよほどイメージ通りだ 苦虫を噛み潰したような顔してる癖にどのアゴが社交的とほざく? >>42
松中はロッテの臨時コーチ決まったからなあ
なんだかんだで内川にバッティング指導して欲しいチームは出てきそうだ 「僕自身は(横浜を)出ていく喜びを感じられますけど」 山田の不調時や凡退時の不貞腐れてベンチでの腫れ物感を見て内川がどう思うだろう 昭和40年代半ばのお母さん達のPTAに着ていく服を紹介した当時の記事が情報量多いわ顔ぶれがすごいわで驚く「時代を感じる」
http://vdsyi.envitreat.biz/KeEC/821130141 内川ってちょっと打率が高いだけなんだよな、それだけでも十分かもしれんけど
それほど長打力もないし、守備も特別うまいわけでもなく足も遅いからなぁ
レジェンドというにはなんか物足りない >>8
>
>「右バッターで言えば山田哲人がいて、左だと村上(宗隆)くんや青木(宣親)さんもいる。そういった選手たちとチームメ
呼び捨て、くん、に、さん。全部敬称替えるの大変だな。
呼び捨て=同級生
くん=年下
さん=年上
それとも、同じ高校とか大学とかもあるのかな。 ベイが採用して使ってくれなきゃ、長野翼など嫁に迎えられる顔じゃない なんだ、内川ってホークス生え抜きじゃあなかったのか あのまま引退してたら将来はソフバンの指導者枠だったのに 「和田(毅)さんとやりたいですね。」
って、TDNのライバルだなアッー! 取り敢えずこいつのお陰で、プロ野球で
金を落とすことが馬鹿らしくなって、
スタジアムへは行かなくなった。
他のスポーツへ行く機会が多くなり改めて
野球の試合の長さを感じることが出来た。
ありがとう。
拘束される時間の長さに解放された喜び。 >>58
SBはどこで辞めようとがOBに差はない
だから因果を含めて引退飲ませることもしない 楽天であのGMに恨み節を話した平石がソフトバンクにきて今度はその平石や工藤といった首脳陣に内川が恨み節か。人間関係の嫌な面の連鎖だな。プロ野球見てもシンプルに楽しめなくなってきたな。井口らのロッテも大地らの件から人間関係になんだかんだありそうだし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています