ヨルシカ「CDのないCD」を実店舗で発売する理由
1/28(木) 21:11 TOKYO FM+
https://news.yahoo.co.jp/articles/ff270d3404712c9549763098bc88140b17b660f1
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210128-00010011-tokyofm-000-1-view.jpg


ヨルシカが1月25日(月)から28日(木)までの4日間にわたって、TOKYO FM「SCHOOL OF LOCK!」に登場。(※中略)3日目(27日)の放送では、この日リリースの新作EP『創作』について、そのコンセプトや込められた思いを語りました。前編では、“CDが入っている”Type Aと、デザインや歌詞カードなどのパッケージが全く同じで“CDが入っていない”Type Bの2形態を発売した理由を伝えた部分を紹介します。
――中身が空のCDを発売する理由

suis:今回のコンセプトですけど、「CDのないCD」。

n-buna:本当に陳腐な禅問答ですけど。言ってみれば、こういう陳腐な禅問答っていうのは、音楽に限らずいろんな創作物の中でやられてきている事なんですね。絵画、写真、新聞を切り取るなんていうのも、その一つだと思いますけど。ガラスを破壊したり、ダダイズムに近いものがある。そういう流れでいろいろなことが……既存のメディアに対する破壊というのがやられてきましたけど。「CDのないCD」というコンセプトってそれの延長だから、実はさして革新的でもないんですよ。

suis:そうなんだ。

n-buna:CDのないCDを、実際に実店舗で発売するということをやった人っていうのは、確かにあまりいないかもしれないんですけど。いろんな形で姿を変えて、創作物、自己批評性のある行為っていうのは、世の中のいろんな所で創作が続けられていて。

suis:ふんふん。

n-buna:そういう中で、こういうコンセプトでCDを出そうって思ったのは……そもそも僕自身の満足のためっていうのが根底にあるんですね。CDが入っていないCDを店舗で買っている人の姿を、僕はこの時代に見たかったんですね。ダウンロード全盛期、そういう実メディアが死に絶えようとしている瞬間に、わざわざ「CDが入っていないCD」っていうことを認識した人たちが、わざわざ実店舗に「CDが入っていないCD」を買いに行くっていう。その姿を作りたかったし、その姿を写真に撮りたかった。

suis:うんうん。

n-buna:だから僕は、写真を撮りに行くんだけど……自分で消費するためにね。

suis:はい。

n-buna:その写真っていうのは、僕がおじいちゃんになった時にね、世の中に本当に実メディアが消えてしまった、死に絶えた世界で、数十年前にこういうものを作って……分かりやすい皮肉として出したものを、みんなが買い求めて店舗に行った写真っていう。それはきっと、僕にとってすごく美しいものになるから。そういう自分のための作品を作りたくて、このコンセプトをやろうと思ったんだよね。

suis:うん。CDのないCDを店舗で売るよ、って最初聞いたときは、なんか「へ〜」っていうか、n-buna君の好きそうなことだなって思って。たいして何か感情があった訳じゃなかったんだけど……実際に今日、CDが入っているType Aの『創作』と、CDの入っていないType Bの『創作』を並べて見たときに、言い表せないんだけど……ちょっとゾッとしたというか。

n-buna:変な感じしたでしょ?

suis:興奮したよ、すごい。これは自分のCDとかじゃなくて、思っていたよりずっとパワーのある画だったし、怖いっていうのとは違うけど、ちょっとゾッとしたね。

n-buna:生きてる人間と死んでる人間の違い、みたいなもんだよね。物理的には心臓が動いているか止まっているかだけで、物体的には両方、何も変わらない訳じゃん。

suis:そうだね。

n-buna:それこそ、死んだら81gだっけ? 肉体が軽くなるって、そんな話ありましたけど……それに近いよね。CDが入っているか入っていないかの違いなんだけど、情報としての事実がね、そこに何かしらの感情を覚えさせるというか。穴の開いたCDケースだけが、そこにあって。でも僕はそれをCDと言えると思っていて。CDケースを僕はCDとして売って、僕はそれをCDと言えると思っていて。それを開いて何も無かった時の感覚っていうか……僕はそれこそが、この『創作』というCDに宿ってる価値なんだろうなと。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)