【小宮山】二浪して早大でエースに プロでも通算117勝マークした「頭脳派右腕」は/六大学野球 [征夷大将軍★]
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ベースボールオンライン2021年1月23日(土) 11:02
昨年の六大学野球秋季リーグは、「早慶戦」で勝ったほうが優勝という大一番だった。早大がライバル・慶大に対し、9回に試合をひっくり返す劇的な逆転勝利。10シーズン(5年)ぶりのリーグ優勝を飾った。普段は冷静沈着な小宮山悟監督も感情が高ぶる。勝利監督インタビューで恩師・石井連藏氏の野球殿堂入りと同じ年に優勝できたことについて問われると、「石井さんの墓前にいい報告ができるのでホッとしています」と涙を流した。
抜群の制球力で「投げる精密機械」と呼ばれ、プロ通算117勝をマークした小宮山監督は決して野球エリートではない。芝浦工大柏高ではエースを務めたが甲子園出場はならず。テレビで観た東京六大学野球にあこがれ、高校の教員から「早稲田大学向き」だと言われたことで同校を志望する。高校卒業、予備校に通って二浪した後に早大教育学部に入学。野球部に入部すると1年からベンチ入りし、2年秋からエースになる。3年時に監督となった石井氏と出会い、自分自身を見つめ直す大きなきっかけになった。
早大時代の小宮山のピッチング
リーグ優勝を目指すのは当然だが、「早慶戦」は絶対に負けられない戦いだった。年齢は小宮山監督が2歳上だが、同学年の大森剛(元巨人)が慶大の四番として立ちはだかった。3年秋の早慶戦では勝利優先のため、9回に大森を敬遠して勝利する。4年生のためにも絶対に勝つと誓ったマウンドで小宮山は敬遠をするつもりだったが、4年生たちが勝負を求めてくれたことに感極まり涙を流した。大学4年間でリーグ通算52試合登板、20勝10敗、防御率1.85。小宮山監督は週刊ベースボールの取材で、「俺は(いつでも、どこでも)ほうれますよ、と。強い気持ちは誰にも負けなかった。それは、石井(連藏)監督から鍛えられたこと。置かれた環境で、知らず知らずのうちに身に付けた」と当時を振り返っている。プロの世界で44歳までプレーしたが、早大で過ごした濃厚な4年間が野球人生の礎になっている。
メジャー流の考えを取り入れて
ドラフト1位でロッテに入団すると、1年目から4年連続投球回数170イニング以上、防御率3点台とエース格として稼働する。2年目は10勝16敗、3年目は8勝15敗とリーグ最多敗戦を喫したが、チームが下位に低迷して打線の援護に恵まれなかった試合が多かったことを差し引かなければいけない。この当時は直球が140キロ後半を計測し、制球力に長けた投球スタイルではなく、荒々しく力でねじ伏せていた。
プロの世界で生き抜くために制球の重要性を考えた結果、小宮山は制球、緩急を使って打者を翻弄する投球術にモデルチェンジする。ボビー・バレンタイン監督が就任した95年はメジャー流の考え方、調整法を取り入れたことも功を奏して11勝4敗、防御率2.60。97年は11勝9敗、防御率2.49で最優秀防御率のタイトルを獲得する。
同僚だった剛送球右腕・伊良部秀輝とのダブルエースだったが、その投球スタイルは対照的だった。伊良部は150キロ後半の直球を投げ込むのに対し、小宮山の直球は140キロにも達しない。だが、抜群の制球力とスライダー、カーブ、スプリッター、チェンジアップ、カットボール、シンカー、シュートと質の高い多彩な変化球を駆使して打者を手玉に取る。
NPBでは横浜にも在籍した
横浜(現DeNA)、メジャー・リーグ挑戦を経てロッテに復帰すると、05年に新魔球「シェイク」を開発したことでも話題になった。ボールを人差し指と中指の2本の指ではさみ、球を押し出すようなフォームで投げる。80キロ台の超遅球は独特の変化をするため、相手打者はバランスを崩して空振りしていた。
探求心旺盛な性格で「研究者」のイメージが強いが、チームに貢献したいという献身的な姿勢で首脳陣、ナインの人望が厚かった。長年エースを務めていたが、05年は自ら敗戦処理を買って出て31年ぶりとなるリーグ優勝、日本一に貢献。現役最終登板は09年10月6日の楽天戦。代打・セギノールを1球で右飛に打ち取り、当時の史上最年長記録(44歳21日)となるセーブを挙げ、日米20年間のプロ生活を締めくくった。
19年から母校・早大の監督に就任して注目度は高かった。3季連続3位と悔しい思いを経験し、昨秋に主将でエースの早川隆久(楽天)を擁してリーグ優勝。学生を育てながら勝つ。小宮山監督の戦いはこれからも続く。 >>1
イチローが「一番打ち辛い」と評価した人じゃなかったっけ? 小宮山の名前見るために
ほぼ同時期に横浜に入団した
小桧山の気持ち悪い投球フォーム思い出してしまう、 >>4
85年に早稲田教育学部入学なら相当頭いいぞ。今なら大したことないが シェイクとかいうスローボールはあんま意味なかったよな 早稲田大学に学力試験で入学した後のプロ野球選手
・小宮山悟
・石井浩朗 現役中にも1年浪人しているので、通算3年も浪人した 小宮山自身は「自分のスライダーは大したことはない」と思ってるのに
周りが『小宮山はスライダーピッチャー』と認識してるのを有効活用してた 頭の良い人というのは
情報量が多くて
その情報の分析力に長けてる
トレバーバウアーなんてその典型で
ポンポン他の選手の名前や
昔の古い選手などの球種の特徴や
その時代のトレンドの話なんかも出てくる
小宮山は解説の時に「自分は」が多すぎるし
情報量も多くなく、新しい情報も特段仕入れてる感じはなかった。
あの偏屈な喋り方で
頭の悪い人に「小宮山って頭いいよね」って印象を与えていえるだけだと思う >>16
あの時代は結構レベル高いぞ
今の時代なら二浪して地方国立の医学部行けるか、ってレベル >>16
二浪はしたけど受かる知力は身に付けたってことだから頭が悪いわけじゃないな >>25
とりあえず早稲田に合格してプロで100勝したらそういうこと言ってくれ >>29
和田毅「せやで」
有原「せやで」
てょ「せやで」 明和電機さんの「オタマトーン」がオペラを高らかに歌い上げる動画がめ
ちゃおもろい!スペインの番組でバカウケ「買い占めあるな」
http://jsoc.ufgqgrid.org/dSJF/805172654 普通に偉いよな
推薦で入って卒業しないやつも多い
そういうやつは早稲田卒じゃなくて早稲田出身と表記される 共通一次時代の私大は今より難関だったし
子供の数も多かったから倍率も半端なかった
今の早稲田2浪と比べたらあかん 野茂ドラフトの時やろ大森以外のドラ1はなんやかんや一軍戦力なった時あるやん名球会4人ぐらいでたんちゃうんか 「よくあんな不人気球団へ行くなんて・奇特な人だ」
と思った
川崎時代のロッテだし >>11
お客さんへのサービスボールで投げると喜ぶ
160キロとか投げられればそれが一番喜ぶんだろうけど
特別三振とれるわけでもなく華もない投手が淡々と投げられても球場で見てて面白くない >>16
普通の公立中学だと学年2〜3位で入れるかどうか
1位でも厳しい位の時代だけどな 打者が手も足も出ないと言ったら
そんなボール投げてない
打てそうで打てないだろと
逆ギレしてたな 教育学部ってのが人間性を物語ってる
人と関わり寄り添う人格が十代で備わってたんだね あの頃貧弱のロッテ打線に相手はいつもエース級だったから
他のチームならもっと勝ってたと思う >>1
阪神の岡田監督は一般入試じゃなくてセレクションで入ったけど
中退して阪神 天皇杯ここが持ってるんだよな
これ問題があると思うがな 何浪しても受からないのは受からない
ボーダーの2,3点で決まるのが私大文系入試
運不運もあるし 和製マダックスのことは誰も言わないであげて下さいね 昔のパワプロで小宮山はうちのエースだったわ
シュートがえぐかった 斎藤佑樹「二浪しないと早稲田教育入れないなんて大したことないですよね」 >>49
いや、所沢体育大がなかった頃は教育学部体育専修がスポーツ推薦の受け入れ先だったということ。
小見山は試験にパスして入ったけど。 お勉強出来ない(自ら集中する事が出来ない、勉強時間を取ることが出来ない、
もしくは普通に頭が悪い)奴は何浪しても受からない。
一応、合格レベルに持ってくるまで勉強して一応の結果は出してるし、
早慶で二浪はギリギリだがセーフだと思う。 昔もいまも頭脳派で売ってるが意外に力任せで
コントロールもいいときはズバズバ決まるが悪いときは平気であさっての方向へボールが行く
たまたま見た試合で絶不調だったのか全くストライクが入らなくてすぐ降板した シェイクは風がないと変化しなくて結構打たれてたような記憶。 >>16
プロの人たちがガチの一般入試で受けたらほぼみんな落ちるぞ >>25
学力だけで早稲田入って日米通算117勝してるから頭脳派右腕って書いてるのも理解できんの? 初芝が後輩だと思って小宮山をパシリに使ったら、1個上だったと言ってたな。 プロ野球の現役やOBにかかわらず
99パーセントは小宮山さんより
バカだろ。 ハンカチは早実にスポーツ推薦。
早実から教育への内部進学は底辺。 小宮山
伊良部
ヒルマン
黒木
あの時代のロッテの投手陣ローテーションは異常
あれで優勝できないなんて・・・ シェイクってメジャーから都落ちした後に投げてたけど、俺の記憶が定かなら、中継ぎで出て来て、1試合に1球投げるかどうかでストライクも入らんし、ましてや空振りなんて取ってた記憶ないぞ ワールドスポーツMLBで真面目そうな人柄がすごく伝わった。同担当の田口もすごく実直な人だと思った。共にマイナー落ちしたムネリンについて話すときこみ上げるものがあった 小宮山と江尻は努力の人って感じで好き
推薦組とはモノが違う 早稲田教育学部の受験者数が30000人オーバー次代だな。小宮山は教育体育 うちの中学で一番頭のいい奴が東葛飾受けて落ちて芝工柏行ってたな >>86
シェイクはオープン戦で古田が空振りした映像の印象が強過ぎる 広さはカプセルホテルくらいだけど、独立した個室になってる京都の新しいスタイルのホテルが良さそう「特筆すべきはこの値段」
http://jsoc.ufgqgrid.org/nfQc/735218419 >>91
芝浦工大柏は格下には横綱相撲の東海市原望洋の3番手Pの高山にコールド濃厚も雨天ノーゲームで
次の日は島とダブルエースの2年生の金久保君投入されて、遂にコールド負けして2度コールド負けした感じの最期の夏があった
中学で一番頭の良い方が東葛受けて落ちて芝工柏ってのは悲しいですよね >>16
俺も小宮山の少し下の年代くらいで田舎の普通の公立校から一浪早稲田の口だが同級生で自分より成績とか地頭良さそうな奴は何人もいた
ただ自分は子供の頃から本読むのが好きで暗記ものとかも得意だったんで文系科目に徹底的に絞って勉強して早稲田合格できた
早稲田慶應あたりは浪人がかなり有利な受験だし現役合格の中には東大クラスもいるけど自分でもそれほど頭いいとは思っていない >>1
この頃はまだ推薦、AOがなかったから、
六大学のどこの大学にも、
一浪、二浪の部員が当たり前のようにゴロゴロいたね。
文武両道がギリギリ守られてた時代よねw 息子が早実から早稲田大学で野球を続けてたんだっけ
その息子が卒業してから監督に就任したっぽいな 小宮山の自伝みたいの昔読んだが一浪の時に1年間あればそんなに勉強勉強でなくても受かるだろうって適当に過ごしてたら案の定落ちたって言ってたな
これはヤバいと思い2年目必死に勉強したって言ってた
ああそういうタイプの人間だったんだなとその時思った
まあ二浪だからそんなもんか 小宮山のコントロールの凄さは数字にも表れてる
9回あたり四球数-リーグ平均
ロッテ1期 横浜 ロッテ2期
90年 3.3-3.6 00年 2.1-3.0 04年 2.3-3.6
91年 3.4-3.5 01年 1.8-3.4 05年 1.1-2.9
92年 3.3-3.4 ーーーーーー 06年 1.5-2.8
93年 3.1 -3.5 ーーーーーー 07年 1.9-2.6
94年 3.0-3.5 ーーーーーー 08年 2.1-2.8
95年 2.6-3.3 ーーーーーー 09年 0.7-3.1
96年 2.3-3.3
97年 1.4-3.5(リーグ1位)
98年 1.2-3.7 (リーグ1位)
99年 1.0-3.6 (リーグ1位)
横浜時代までは94年のみ規定未満
ロッテ2期は全て規定未満
97年、98年、99年は四球率リーグ1位 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています