【アニメ】実現しなかった『エヴァンゲリオン』幻の完全新作劇場版は『進撃の巨人』に似ていた [muffin★]
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https://bunshun.jp/articles/-/42777 抜粋 TV版『エヴァ』の最終二話では物語全体が回収し切れていないことは、製作者側にも分かっていた。放送後もファンの関心が持続していることを受けて、放送終了後一ヶ月の1996年4月に、最終二話を当初の脚本に沿ってリメイクすると発表された。さらに、そのリメイク版とは別に、完全新作で全ストーリイを描く「劇場版」の製作・公開も発表された。 このふたつの企画は並行して進められ、96年11月には、97年春にTV版の総集編とリメイクした第二五話・第二六話をセットにした完結編『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』を、さらに同年夏に完全新作の「劇場版」を公開すると発表されている。 しかし予定の期日に間に合わず(今となっては「例によって」なのだが)、97年2月14日に緊急記者会見を開いて、庵野監督が謝罪。その際、春にはTV版第壱話〜第弐拾四話に一部新映像を交えて再編成した『DEATH』編と製作途中の『REBIRTH』編の一部を公開し、夏には完全版『REBIRTH』編たる『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を公開すると告知された。 こうして97年3月15日に公開されたのが『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』だった。『DEATH』編は単純な総集編ではなく、時系列によらない独特な詩的センスで編集されており、TV版の筋を把握していなければ理解不能だった。 「劇場版」の製作が期日に間に合わないこと自体、プロの仕事としては問題だが、出来上がった作品も尋常ではなかった。ふつう、こういう作品をプロは作らない。また庵野監督の姿勢は“芸術家”のそれとも違っていた。それはきわめて趣味的・オタク的な、独りよがりを貫いた表現だった。趣味に命をかける人生もあるのである。 実現しなかった「完全新作版」は、どんなものになるはずだったのだろう。これは2時間映画として『エヴァ』を作り直すという企画だったが、21世紀に入ってから公開された「新劇場版」とはまた別のプロットだった。その基本設定は、後の『進撃の巨人』にそっくりなものだったという。 その世界では、街はA.T.フィールドに守られており、外界とは大きな橋一本だけでつながっている。そこに使徒が襲ってくる。しかもその使徒は人を食うのだ。 庵野は、人にとってのいちばんの恐怖を考えた際、「食われる」ことだと考えたという。これは『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』や『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』の記憶と結びついている(2014年のイベント『庵野秀明の世界』でのトーク)。 ギャオスは『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967)と『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95)のどちらでも人を食う。付け足すとギャオスに先行する『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』(66)でも、バルゴンは長い舌を伸ばして人を飲み込んでいた(ゴジラも人を食う設定だ)。 人間を食う怪獣のイメージは強烈で、トム・クルーズもあるインタビューで、子ども時代に日本製『ガルガンチュア』(『サンダ対ガイラ』の海外題名『The War of the Gargantuas』)で、飛行場で巨人が女性を捕まえてクチャクチャ食べてしまうシーンに衝撃を受け、映画はすごいと思ったと語っている(日本版では地面に散る赤い花束で女性の死が暗示されていたが、海外版では食いちぎられた服がはっきり映されていた)。 EVAには母の魂が溶け込んでいる。パイロットはエントリープラグに入り、そのなかをLCLという羊水様の液体で満たして戦う。 これは明らかに母と胎児のアナロジーだが、幻の「完全新作版」では、パイロットはエントリープラグを使わずに、EVAの子宮に直接入って一体化するという表現を考えていたという。そして出るときは摘出手術。タイムリミットがあって間に合わないと取り込まれて「人としては死んでしまう」設定だったという。庵野秀明は、メジャーな商業アニメの現場では忌避されるような過激な表現もタブーとしない。ストーリイといい、製作態度や発表方法といい、斬新さをねらってというより、自分の思いを優先させるアマチュア的真摯さが感じられる。 全文はソースをご覧ください 大友押井を押しのけてまさか庵野が現役で頑張ってるとはなあ 進撃って序盤と終盤がおもろいよね 中盤が中だるみすぎてみんな去っていったけど サイバーコップっていう特撮にちょっと似てる 街のいたる所に武器が隠してあったり 主人公が意識を失うと暴走して強くなったり 昨日YouTubeがファンタスティックプラネットってアニメ勧めてきたんだけど、 50年近く前にフランスじゃもう進撃やってたんだな 進撃はマヴラブよりガンパレだよ 丸パクリと言ってもいい ミカサは完全に舞だし、ループだし、幻獣共生派とかモロ 昔の映像化されてないようなSF小説にも似たような設定はたくさんあるでしょ >>16 アッカーマン=芝村すぎるんだよなぁ >>17 あまり知名度は高くないけど、「地球へ…」に影響されたSFものはかなり多いと思う ガンダムもそう 実現しなったことだから、どうとでも言えるなw 詐欺師のやり口だよw >>13 人間vs巨人なんて神話のころから使い回される話だろ それよりもQを作る前の 破の続きのストーリーを教えてくれ >>30 こっちはまどマギに似てたとか後出しで言っていたような そんな独創的なもの抱えながら世に出した作品がQとか逆に悲しすぎだろよ・・・ 鈴木駿と同じなんだよ、そのままじゃ到底完成しないオナニー作品だから回りの優秀で、変態な自分を慕ってくれるスタッフが丸めてくれる。 エヴァ、週ジャンで連載して 7週で打ち切られて欲しい 進撃の巨人も作者が子供の時に観たサンダ対ガイラがトラウマで それに影響されて描いたのだったろ 劇中30分の新作鬼滅流せば結構な興行収入いくんじゃね? 子供の頃は、そこまで深く考えなかったけど、 誰かと一緒にいるときや、仲良くなりたいと思っても、 自分のことを相手はからどう思っているのか、 相手は今何を考えているのか、自分の言動は相手に 嫌われてしまうような事になってないか いつも考えてしまって、「自分なんか…」って気持ちなり、相手のして欲しいことわ言って欲しいことを できているのか、期待に応えられてない事で嫌われてしまうかもしれない、それが怖い 置いてかないで欲しい、次は頑張るから! …って事を繰り返していたら、人から嫌われるのが怖い、人の期待に応えられない自分なんかいない方がいいんだ 誰かと一緒に居たいと思う気持ちが強くなると、嫌われてしまうのが怖くなり、結局は「一緒にいたい」 はずが、「誰とも関わりたく無い」と、なってしまう 相手から嫌われる恐怖、「孤独」になりたく無い気持ちで、孤独が怖くて、「みんないなくなればいいのに!」と、思う それを叶えるには、自分と相手の境界線をなくし、 「僕は君、君は僕」と言う状態になる でも、世の中の人がみなひとつの状態に溶け合うと、 気づけばそれは、「この世界は時間も空間もない世界」になる 人との境界線を取り払うことで、みんな一緒になったはずなのに、気づけばそれは、自分でも他人でもない「無」の世界だった 自分の望みは「無」だったのか?と考えたら 「あれ?自分、って何だ?『みんな』って何?」 人は、生まれてきてから、「自分」と言う存在に 気づいた時に、ここまでが自分で、ここからは他人、と言う境界線がうまれる 「自分」を自覚したその時から、他人が何を考えているのか、自分の気持ちは伝わったか、という永遠に答えがわからない問いと生き、模索し続ける 結局、境界線を取り払いみなひとつになっても、それはそこに、自分だけしかいないのと同じなんだよ 俺も落書きとかで同時期に制作してる作品のイメージがどっかから降ってきてることよくあるわ 今はどっかで、木が螺旋状に伸びってって空全体を覆ってく作品作ってるわ 一時代築いたけどねえ 脚本がもっと良ければ今も残った >>42 1にもトムクルーズが影響受けたとあるしかなりインパクトある映画なんだな >>34 完結はするだろうけど ガンダムだって宇宙世紀じゃないのあるわけだし なんぼでも出せるだろ >>50 個性豊かな各国代表が戦うエヴァファイトか 一番の恐怖が食われることねえ… もっと怖い事腐るほどあるだろ 幻の劇場版を見てみたかった思いはあるけど 当時映画館で春エヴァを見てて、そのラスト 「エヴァシリーズ完成していたの…?」 ♪わ〜た〜し〜にか〜え〜り〜な〜さ〜い♪ この部分が未だに印象的な場面として自分の中に残ってるのに 劇場版が予定通り作られていたら、この体験も出来なかった事になるなあ >>1 サボってる間に進撃に先を越されたか 進撃見て「あーこれいいじゃん」て苦し紛れにこんな事言ってんのか どっちにしてもやっちまったな ウルトラマンや特撮好きのおっさんが、120%自分の推したいように作れば ウルトラマンに限りなく近くなるだろうし、進撃の巨人のようにもなるだろう >>1 こじらせおっさんどものコンテンツなんてもう時代遅れの産物だわ 若者は興味ないよ 似てると思う 主人公の善からの暴走で世界が壊れるとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる