【訃報】綿引勝彦さん膵臓がんで死去「天までとどけ」75歳 [ばーど★]
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TBS系ドラマ「天までとどけ」シリーズなどに出演した俳優綿引勝彦さんが、膵臓(すいぞう)がんのため昨年12月30日に亡くなっていたことが13日、分かった。綿引さんの所属事務所が発表した。75歳だった。
葬儀は近親者のみで執り行い、喪主は妻で女優の樫山文枝が務めたという。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202101130000379.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nikkansports_ogp 結構最近まで普通に仕事してなかったっけ?
膵臓がん怖すぎる まじか
ついさっき何故か大滝の五郎蔵が頭に思い浮かんでたんだが・・・ えええええ
まじかよ
貫禄あっていい俳優さんだったよな お昼から面白いドラマなんて今考えると贅沢だったよ
テレビ離れが進むとゴールデンもつまらない番組ばかりで希望がないね 強面の役も父親の役もできる素晴らしい俳優だったご冥福を 「かっこいいとはこういうことさ」は
森山周一郎なのかこの人なのか悩んだことがある マジすか、岡江さんのあとを追うように。主題歌の川越さんも亡くなってるし、なんとも
残念 >>1
ブルース・ウィリス「先に逝くんじゃねえよ」 顔みてこの俳優さんだったのかと驚き
ご冥福をお祈りします いい俳優さんだったなあ・・
岡江さんの元へ旅だったか。。合掌 膵臓がんは見つかった時は手遅れな時あるね
膵臓がんから生還した人をあまり見たり聞いたりしたことがない 鬼平の出演者も、亡くなられた役者さんのほうが多くなるんだろうな。悲しいな。 クライマーズ・ハイの販売局長役は凄い恫喝が怖くてハマり役だった
佐藤浩市とか岸部一徳なんかと渡り合っても遜色無い俳優さんでした 五郎蔵さん、、、あんたも逝っちまったかい(o;ω;o) >>74
118歳の田中カ子さんが膵臓がんから生還した1人
しかも戦後すぐの劣悪な医療で 中学の教科書だと
胃と小腸の間の十二指腸に連結して膵臓が描いてあるけど
実際は分かりづらい所にあって
ガンが発見されたときにはもう手遅れなんだろ
ジョブスも膵臓癌だったそうだがあれでも延命できたほうだと >>54
知り合いも癌発見されて10ヶ月やったわ
まだ六十代だったのになぁ 今頃、天国の五鉄で軍鶏鍋を肴に鬼平と酒を酌み交わしてるかな 天までとどけの出演者にとっては1年経たずで辛いだろうな、ご冥福をお祈りします 膵臓はヤバい気付きにくい
お前らも食事の脂分は控えろよ! ホント、すい臓がんは怖いな
発見しにくい上に、進行が強烈に速い ウィキ見たけどドラマとは違って実生活では子宝に恵まれなかったんだな 年末ということは岡江さんと同じ年に亡くなったのか… >>102
やっぱり脂はあかんのかねぇ
亡くなった知り合いも焼肉よく食べてたわ >>102
油がだめなのか?
俺、大豆油、ごま油、魚油、飽和脂肪酸と油脂を摂りまくってるわ あああああ天までとどけの父ちゃん母ちゃん2人とも8か月くらいの間で亡くなってしまったか
綿引勝彦さんご冥福をお祈りします >>77
確かに凄みがあったね
ドラマで初出演シーンは佐藤浩市が呼び止められて
伊藤販売局長
って説明チックに返すシーンがクスッときた 【テレビ】昼ドラ「天までとどけ」 父役・綿引勝彦、共演した子どもたちとの思い出を語る
2014/02/23(日)
劇団民芸出身で、ヤクザや刑事など怖い印象の役が多かった俳優の綿引勝彦氏は、
1990年代にドラマ『天までとどけ』で大家族の父親役を演じたことで、親しみやすいイメージを獲得した。
みんなのお父さんとなった綿引氏が「天までとどけ」で多くの子役たちと共演した思い出について
語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一がつづる。
綿引勝彦は1980年代までの強面のイメージから一転、1990年代にはテレビゲーム
「ポケットモンスター」のCMやバラエティ番組の出演などで柔和な雰囲気を多く見せるようになっている。
大きな転機となったのは1991年にスタートした昼の連続ドラマ『天までとどけ』(TBS)だろう。
足かけ十年続いた本作で、綿引はアットホームな大家族の父親役を演じている。
シリーズ開始時点での夫婦には、上は高校生から下は赤ん坊までの十二人の子供がいる設定だった。
そのため、多くの子役たちと共演することになる。
「最初は大変でしたよ。小さな子供たちばかりだったから、本番で僕たちがセリフを言っている間も勝手に
喋り出したりしてね。最初は『喋っちゃいけない』って言ってたけど、これも一つの家族の雰囲気だと思って。
それで『喋りたいなら気にするな。ほどほどならオッケー』と言うようになっていきました。
『撮影が始まる前に家族の輪を作ろう』というプロデューサーの発案で、南伊豆の下賀茂に三泊の合宿に行ったんです。
台本の読み合わせもしましたが、ほとんどはみんなで泳いだりして遊んで。それで非常にいい雰囲気が作れました。
黙って見ていると、段々と子供の縦関係が出来ていくんですよ。
大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんが、僕たちが何も言わなくていいくらいに注意するようになっていきました。
しかも役名で呼び合うんです。『五郎、そんなことをしたらダメだぞ』ってこのプロデューサー、いいことするなあ、と思いましたね。
「僕がこういう役をやったことには周囲は驚いていました。僕自身としても、これで『今までの俺と違う世界ができる』
と思えて、本当に嬉しかった。毎年八月に撮影していましたが、十年もやっていると子供たちの成長が如実に分かります。
立ち振る舞いが大人になって、最後の方は子供たちで芝居を作っていました。
ですから、毎年夏に子供たちに会うのが楽しみでした。これも一つのいい出会いだったと思います」 若いなあ
極道ヅラだけど岡江久美子と夫婦役でバランス良かったな
ご冥福をお祈りいたします またいぶし銀が消えてしまう
オンワード樫山が嫁さんなのははじめて知った
御愁傷様です ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています