コロナ禍でJクラブへの練習参加も思うようにできず、ようやく勝ち取った入団内定

 サッカー経験者であるガーナ人の父とバレーボールが得意だった日本人の母から受け継いだ身体能力に、192センチという規格外の高さ、機動力、足もとの柔らかさ。将来性豊かなストライカーが徳島から世界を目指す。


 1月4日に徳島ヴォルティスへの加入が発表された日大藤沢の鈴木輪太朗イブラヒーム(3年)が8日に入団内定会見を行なった。

 コロナ禍でJクラブへの練習参加が思うようにできなかった異例のシーズンを経て、勝ち取った入団内定。ここに来るまでの道のりは簡単ではなかった。

 2年次は身体の成長や精神面の成長を促すべく、ジョーカーとして起用される場面が多かった鈴木。ただ、ポテンシャルは高く評価され、最終学年を迎えたタイミングで複数のクラブから興味を示されることが予想されていた。

 しかし――。新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、3月から学校が休校となって部活動は活動自粛に。さらに関東大会やインターハイが中止となり、9月に開幕延期となったリーグ戦も試合数が減った。また、プロ入りをアピールする場がなくなっただけではなく、感染予防の観点からJクラブへの練習参加も叶わなかった。

 そうした状況に鈴木は高卒でのプロ入りを諦めかけ、大学への進学を視野に入れるようになる。夏休みには複数の大学から誘いを受けていたこともあってセレクションに参加。将来を見越した進学を両親も好意的に受け止めていたという。ただ、本人はギリギリまで進路を悩み、大学への返事は8月5日までに行なわなければいけない。その中で鈴木は直前まで考え続け、佐藤輝勝監督にプロ入りの意思を伝えたのは日付が変わる24時手前だった。

 悩み抜いて出した答え。覚悟は決まった。そこからはプロ入りを実現するために、佐藤監督と二人三脚でJ入りを目指していく。自身を売り込むべく、指揮官にプレー集を作成してもらうなど、可能性を広げるために動いた。そんななかで動向を追ってくれたのが、早い段階からリストアップをしていた徳島だ。強化部の高本詞史スカウトは初めて見た時の印象をこう話す。

「夏休みの練習試合で、初めて生で見た時に一際目立つサイズ感に加え、身長があるのに動きに硬さがなかった。しなやかさもあったので、そこもストロングポイント。最初の印象でこれは良いと思いました」

「最初に話をもらった時は、自分がここでプレーできるのかなと」

選手権予選は突破できなかったが、インパクトのあるプレーを見せた鈴木。徳島でさらなる飛躍を期す。写真:松尾祐希

 徳島側は、Jクラブへの練習参加が可能になる10月のタイミングで手元に呼んでプレーを見る考えを持ってくれた。だが、怪我の影響で参加できず、以降も公式戦の関係で思うように事が運ばない。他クラブも獲得に向けてオファーを出す中で徳島の練習に参加できたのは、ベスト4で敗退した選手権予選後の12月上旬だった。

 この練習参加で上々のプレーを見せると、リカルド・ロドリゲス監督(現・浦和)から高い評価を受ける。本人も手応えを掴み、徳島でプレーしたいと強く願うようになった。その理由について、鈴木はこう話す。

「最初に話をもらった時は、自分がここでプレーできるのかなと(不安に)思ったんです。でも、自分が求められている部分を聞いているうちに、自分がやりたいプレーと重なった。つなぐ中でも高さという武器を持つ部分、背後に抜けたりする動き、ただボールを保持するだけではなく最後の4分の1に入った時の強み。そこの話を聞いて、自分も勝負できると感じました」

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1/9(土) 15:05配信