0001Re鬼畜の和洸 ★
2021/01/06(水) 14:53:07.10ID:CAP_USER9この大会は、北海道で開催されており、軍人皇族の秩父宮を賛美する形態で行われている大会である。
さらにこの大会には、秋篠宮を除く各宮家(複数の皇族)が参加し、宮号を冠するスキー競技を行っている大会である。(三笠宮杯・常陸宮杯・高円宮杯・等々)
226事件と軍人皇族の秩父宮の関連性は、軍人皇族の仁和寺宮(小松宮彰仁親王-伏見宮)と蝦夷地開拓(北海道)の公文書(開拓使日誌)-《明治維新》を閲覧して頂くと、その重大なる意味と関連性を御理解して頂ける事と思う。
(軍人皇族の小松宮の死去や埋葬日関連が2月26日である。等々)
即ち、北海道開拓の主導者は、『初代近衛師団長・日本赤十字社初代総裁である皇族の小松宮彰仁親王』であり、死亡関連日が2月26日でもある。
また、北海道に初めて行った天皇が明治天皇である事も、上述してきた事柄を裏付ける動きとなる。
さらに、張作霖爆殺事件の昭和2年(1928年)に軍人である秩父宮は北海道の盤渓や朝里へ行っている。
226事件-秩父宮-小松宮-これらと北海道を繋ぐ秩父宮賛美の宮様スキー大会≠ニなるのである。
よって、大会運営の札幌スキー連盟は秩父宮がはじめたといっても過言ではない。
そのうえで、札幌スキー連盟のホームページには秩父宮を賛美する文言がしっかりと明記されている。
そのうえ、第二次世界大戦に関する三笠宮ェ仁親王の思想と合致するのが秩父宮の動きでもあるのだ。
札幌オリンピックに深く関わった皇族が三笠宮ェ仁親王である事からも、私が記述している事を明確に裏付ける事ができる。
即ち、小松宮が明治元年に主導していた蝦夷地開拓の軍略的構想を、『北進論』という形で具現化する為の牽引役として秩父宮が引き継ぎ、
結果として地政学的に必要不可欠な北海道を、張作霖爆殺事件が生じている1928年に訪れているという事となるのである。
したがって、豪雪地帯かつ起伏が多い北海道の地に於いて、スキーを軍事目的で発展させるに至っているのである。
これが宮様スキー大会の起点である。
よって、『ロシア外交官』だった小和田恒の娘≠ナある雅子様を皇室へ入れ、その御印に、北海道に因む『ハマナス』を付けた事が明確となるのである。
このようにスポーツ≠利用した政治的主張と秩父宮殿下の正当化を謀っている現実があるのだ。
はたして秩父宮は・・・(以下略)
https://i.imgur.com/SL4JrCG.jpg
※詳細は記事元で御覧下さい。
【記事元:JPAR】
https://www.tedawakou.com/37