【プロ野球トレード収支の大検証:第3回】三冠王・落合の中日放出と引き換えに、投手力強化を目指したロッテの目論見は大失敗 [砂漠のマスカレード★]
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1987年
落合博満(ロッテ)⇔牛島和彦、平沼定晴、桑田茂、上川誠二(中日)
中日 +257.0/ロッテ −274.4
落合博満 中日 打率.298、268本塁打、905打点 276.1
牛島和彦 ロッテ 20勝25敗49S、防御率3.49 19.1
平沼定晴 ロッテ 17勝19敗5S、防御率4.44 −28.4
桑田茂 ロッテ 0勝0敗0S、防御率6.35 −1.6
上川誠二 ロッテ 打率.271、29本塁打、136打点 −1.9
1986年、4位に終わったロッテは稲尾和久監督を解任し、後任に有藤通世を据える。これに対し。稲尾を信奉する主砲の落合は「稲尾さんのいないロッテに自分はいる必要はない」と反発した。打率.360、50本塁打、116打点で2年連続3度目の三冠王となったばかりの落合は、年俸が日本人選手初の1億円を超えることも確実視されていた。財政事情が厳しいロッテにとってこの巨額年俸は重荷であり、先の発言もあってトレードの動きが本格化した。
移籍先には、以前から噂のあった巨人が有力視されていた。しかし、ロッテが交換相手として、当時の主軸である原辰徳、中畑清を要求したのに対し、巨人が提示したのは松本匡史や角三男だったために交渉は難航。ここで、中日の新監督に就任した星野仙一が、巨人に落合を渡すのを阻止するため、エースの小松辰雄すらも放出する構えで動き出す。リリーフの欲しいロッテは抑えの切り札だった牛島を指名し、これに正二塁手の上川、若手投手の桑田、平沼を合わせた4人で合意を見た。
牛島は中日での7年間で4度の2ケタPVを記録し、通算では47.4だった。上川は入団2年目の83年以降、毎年規定打席に到達し、86年は打率.295でリーグ8位に入っているが、通算PVは−5.2とそれほど良くはなかった。平沼はトレードまでは3年間で1勝3敗、防御率5.90、PV−26.4と実績に乏しかったが、21歳と若く、今後の成長に期待しての獲得。桑田は4年間で80試合に登板して6勝12敗、PV−11.4を記録していた。
<中日>セ・リーグでも打ちまくった落合
中日で史上初の1億円プレーヤーとなった落合は、セ・リーグでも球界最高級の打者であり続けた。この頃の中日は、かつて首位打者も獲得した谷沢健一が86年限りで引退。中軸の大島康徳は35歳となり、強打の遊撃手・宇野勝も86年に打率.211、10本塁打の大不振に陥っていた。中軸を任せられる打者が欲しかったところに、落合というこれ以上ない存在が手に入ったのだ。
87年は打率.331、28本塁打、85打点で無冠ながら、PV51.6はリーグ2位。88年は打率.293で、規定打席到達で初めて3割を下回ったものの、32本塁打、95打点でPV37.9は1位。特に終盤戦は決勝打を連発し、優勝に大きく貢献した。その後も89年に40本塁打、リーグ最多の116打点でPV57.2は2年連続トップ。91年も打率.340、37本塁打でPV57.6はまたしても1位、中日移籍後で最高の数字だった。94年にFAで巨人に移籍するまで、7年間の合計PVは276.1。トレードで移籍した選手では、真弓明信の248.0を上回る最高値となっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/74327e9b00076bf4e721b93827db999374f409a2
1/2(土) 15:10配信
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https://www.youtube.com/watch?v=E1s46sP1GEQ
ロッテオリオンズ 上川誠二 ホームラン 牛島の抜けた抑えには、先発から郭源治が転向。87年は26セーブ、翌88年はセ・リーグ新記録の37セーブでMVPを受賞と、配置転換はスムースに行われた。上川に代わる二塁には仁村徹が入り、88年からは3年続けてプラスPVを記録。落合が入っただけでも莫大なプラスだったのに加え、牛島と上川の損失も補填することができ、中日にとって100%満足できるトレードとなった。
<ロッテ>牛島だけでは埋められなかった損失
ロッテは落合の後釜として、86年に打率.265、7本塁打だった愛甲猛を外野から一塁へ回したが、打率.260、8本塁打でPV−6.8。その後も94年までレギュラーを務めたものの、PVがプラスだったのは88年(2.3)の一度だけだった。
交換要員の目玉だった牛島は87年に24セーブ、防御率1.29、PV15.3と期待通りの成績。だが、翌88年は25セーブを挙げたものの、防御率は4.47で、PVも−3.7と大きく後退してしまった。先発に転向した89年は12勝、防御率3.63、PV9.9と盛り返したが、90〜91年はヒジ痛でほとんど投げられなかった。93年を最後に32歳で引退し、ロッテでの通算PVは19.1だった。平沼はロッテに在籍した9年間、主に中継ぎで261試合に投げたものの、合計PV−28.4と期待ほど伸びなかった。桑田は3年間で6試合の登板に終わった。
上川は前年36盗塁でタイトルを取っていた西村徳文を三塁に追いやり、正二塁手となったが打率.256、PV−4.0。89年に打率.285、12本塁打でPV5.3だったのが最高で、移籍後は一度も規定打席に到達せず、7年間の合計はPV−1.9だった。4人合わせてもPVは落合の10分の1にも満たず、ロッテは主砲放出後、8年連続5位以下の長期低迷期に突入してしまった。
交換要員のうち、野手が上川だけだったのがロッテにとっては失敗だった。落合ほどの強打者を手放すなら、軽量級の上川ではなく、同じスラッガータイプの選手を補充すべきだった。中日はどうしても落合が欲しい事情があったのだから、巨人と競わせて条件を吊り上げることもできたはず。強気で交渉していたら、宇野か大島、悪くても川又米利あたりが取れていた可能性はあった。
そうせずにあっさりトレードを決めてしまったのは、ロッテ側にも扱いの難しい落合をさっさと追い出したいという思いがあったからだろう。結果的に、86年はリーグ3位の622得点だった打線は、87年は518得点と100点以上も減らし、5位まで転落している。
とは言うものの、大島や川又を取っていたところで落合の巨大な穴は埋められなかった。三度も三冠王になった打者の代わりなど、簡単に見つかるわけもない。そう考えれば、交換要員として投手をメインとしていたことも、あながち間違いではなかった。ロッテの誤算は牛島が故障したことと、平沼が期待通りに成長しなかったこと。2人がもう少し活躍できていれば、ここまでの大失敗にはならなかったかもしれない。 平沼って清原にジャンピングニーくらった人としか覚えてない。 建前「稲尾さんのいないロッテに自分はいる必要はない」
本音「仲の悪い有藤の下でなんか働きたくない」 逃した魚はデカかったな
77年阪神は落合をドラフト指名を約束するも指名漏れ78年は江川騒動で巨人が指名するはずだったが指名出来ず 牛島なんか抑えで活躍しなかったか?
他3人はともかく。 むかしロッテの選手のバット貰ったけどロッテだしいらねえやとその辺りに置いといたら
後で中日にきた。ということが実際にあった。 >>11
その後の活躍も含めたら物足りなかったという記事 数字だけで見たらそもそもリリーフの勝利貢献度は低いから 落合は43歳までタイトル争いに絡んでたんだからスゲーわ。 牛島はかなり強力な戦力になっただろ
なんといっても立浪以上のリアルや○ざだったからw 今中、山本昌、落合がバリバリに活躍してても優勝できなかったな 当時の落合なら小松、牛島、宇野の3人じゃなきゃ釣り合わないわ ロッテは疫病神を厄介払いするのが目的だったんだから大収穫だろう
中日は疫病神のおかげで現在も人気低迷に苦しんでいる >>8
落合は道上洋三の関西のラジオに出たときに
ロッテから指名される前の年(77年)に阪神スカウトから
指名打診があって喜んで行きますと言ったのに
阪神は他の社会人内野手とったという話
でも、77年の阪神ドラフトだと社会人内野手の指名はなし
落合WIKIのソースも道場のラジオで、「77年」としてるから、
WIKIのほうが年数勘違いか落合の記憶違いか しよせん当時のパの三冠成績だし
格はバースより下だと思う 中日といえば稲葉と島谷を阪急にトレード。交代要員として戸田と森本を獲得という地獄があった(´・ω・`) 谷と長田・鴨志田も不釣り合いなトレードだった
なお伊藤光ry >>8
長島は落合を獲れと1人で騒いだらしいが
巨人フロントはアホがまたなんか言ってるぞと相手にしなかったそうだ >>26
昔の阪急って自分たちだけ得するトレードばかり 落合獲っても中日は優勝できなかったが
バースの阪神は日本一になった 中畑はともかく原はそこでロッテに放出されてたら巨人の監督にもなってなかっただろうしひいては菅野も巨人に来なかったかもしれんし色々野球史が変わってたな 実際には「小松以外なら誰でも出す」と言ってロッテの返答を待ったらしいが
本当に小松出してもいいなら指名されてるでしょ >>31
落合獲得2年目の1988年に優勝はしたぞ >>32
当時の原なんて出すわけがないw
良くも悪くもスーパースターだったんだから。 >>36
ロッテも落合の扱いに困ってたんだよ
落合の成績はチーム成績に結び付かない、客は入らない、
でも落合は好成績だからどんどん高い年俸を要求する
これ以上は払いたくない、しかも落合は信頼する稲尾監督のいないロッテにもう未練は無い
ロッテからまず巨人に落合いらないかと話を持って行った 当時の落合なんて実際に見たことあるやつなんかほとんどいなくて
ファミスタで世に知られたようなもの >>43
江川と西本で見たけど、篠塚ってあのツラで超武闘派だったんだな 結局星野が巨人の邪魔をしたかっただけ
だったしな。
落合が予定通り巨人に入ってたら…
王巨人は黄金時代を迎え2年後監督を
クビになる事もなく今も重鎮OBとして
巨人に君臨していた→よって福岡行きもなくホークスも今のオリのような微妙な
球団のまま→よってパ高セ低という現在の
勢力図も全く違うものに…
今のセリーグの惨状はこのトレードが
遠縁だな。 長嶋はイチロー欲しがったけど三本柱要求されて断念と 中日は落合が入っても優勝は無理で西武から来た小野が一年だけ大活躍したおかげで優勝 >>32
中畑は水面下で打診されたんじゃないの?
ワン公発言とかしてたのに良く放出しなかったな >>18
牛を巨人は打てなかった 小松も
大洋 遠藤 平松 髭斎藤明夫 ポンセはマリオ似
中日 小松 鈴木孝正 牛島
広島 北別府 大野 川口 長富 金石 津田
阪神 小林繁 山本和 真弓 バース 掛布 岡田 佐野
ヤクルト 尾花 荒木 八重樫が気持ち悪い打ち方だった
杉浦亨は成績は平凡も豪快な打撃だった
小さな大打者若松 >>45
例の流出リストにも実名出てたような…
立浪さんも一目置く存在だろう 当時はセ>>>パくらい実力差があって
パのタイトルホルダーなんぞ相手にされてなかった
日本の球史で不世出の天才打者がパワ・リーグから巨人に移籍したけどさっぱりだったし
だからその後、山田も福本も鈴木啓示にも全くオファー来なかったんだよ 当時はプロ野球なんてものがまだあってな
家族で一喜一憂して観たもんだよ >>53
この頃は西武の黄金時代で人気のセ実力のパと言われたろ >>53
人気のセ実力のパとか言われてた当時も
実際にはパでは西武が飛び抜けてただけだったよな 清原の1年目が初代ファミスタ
おちあいの打率が364でバースが354 >>1
落合とのトレード要員は牛島以外はカスだけだったって事だよね。
そして自軍の穴埋め要因の愛甲もカスだったって事。 人気も実力もセな
滅多に全国放送に映る事ないパが
オールスター戦でお祭り気分で試合するセに本気で勝ったり
みっともない事してその称号を得ただけだぞ 落合が連日メディアに出ては放出要求してたのをなかったことにしようとしてるな。
ロッテはもう出さざるを得なかったけど、巨人に出すと落合の希望通りになりロッテのメンツ丸つぶれだから、巨人以外に出したかったんだろう。 >>61
落合の汚いところはこれだよな
自分がロッテ退団をぶち上げたのをなかったことにしてる
有藤なんか振り回されただけなのに「有藤の意向で放出された」と吹聴してる >>60
人気のあるセに嫉妬してて、オールスター全国中継もあって名前と顔憶えてもらうチャンスだし
試合もお祭り気分でやってるセに負けてたまるかと本気だった
って話は当時のパ選手がよく言うなw 原はロッテが欲しがったけど、巨人が拒否したってだけだろ
中畑or篠塚と誰か1人あたりが巨人の考え >>59
上川を当時の首脳陣の誰かがすげー高く評価してたらしいね 落合はなんだかんだ銭闘力は評価してあげないと
今日の高年俸があるのはほとんど落合のお陰だぞ
巨人時代の落合の年俸とか誰も納得してなかったが
あれがあるから今がある どこぞの馬の骨だった落合と
高校時代からスターで当時は大正義巨人の4番の原とは格が違いすぎた
パ・リーグの主力なんて三冠取ろうが当時そんな扱いだったし >>67
落合関係ない
FA制度導入のおかげ
落合はそれに乗っかっただけ 落合と有藤って、何で仲悪かったの?
日本人と朝鮮人だから? 落合とか門田とか体大きくないのに打てるなんてすごい 夢がある
現在は大型でしか通年活躍できないし悲しい 門田は170しかなかったからな
掛布もそんなに大きくなかった >>70
落合が首位打者取って契約更改
球団は一年だけ働いてもそんなに上げられないって
で次の年に三冠王
で契約更改
球団はうちには有藤って看板がいるからそれよりは上げられない
ってやりとりがあったらしいな 肘を手術して完投能力が衰えた村田兆治が、抑えの牛島を交換要員にするようにロッテ球団にお願いしたらしい ロッテ監督になった有藤が落合やレロン・リーと折り合いが悪くて、
追い出したかったというのもあった。落合の代わりの主砲候補としては古川慎一もいた。 >>69
選手会が必死で勝ち取った権利を選手会を脱退してた落合が、いの一番に行使するって今でも納得いかないだろうな 当時のパは今でいう独立リーグくらいのレベルと知名度だったし
そこの三冠王落合って聞いてもほとんどが
は?誰だった >>72
落合は神主打法で腕のテイクバックが大きくして、門田は一本足打法で前足のステップを大きくして、体の小ささをカバーして打球飛ばしてた >>4
千葉商大に行ってた学生の友人に付属高にいた平沼の話を聞いたことがある。
高1の時点でほぼ全球団のスカウトが観に来ていたそうだ。
それぐらいの逸材でもプロだとこんなもん。
プロで活躍するっていかに大変か?だよ 江川のオールスター戦で8連続三振の中に落合がいたらしいが全く覚えてないわ
ブーマーは覚えてるけどな 巨人の交換要員は
中畑+西本+若手投手(斎藤雅など)
篠塚+西本+若手投手(斎藤雅など) >>85
福本、簑田、ブーマー、栗橋、落合、石毛、伊東、クルーズ
9人目が大石大二郎 >>80
選手会で一番頑張ってたのが落合だったんだけどな この無断転載された記事だけ見ると
PVの根拠が分からんからシンドいなw >>72
両方とも年代でみると大きい方だよ
落合なんか平均身長の10センチ以上大きい どのスポーツでも最近は妙な指標を創作するのが流行ってるみたいだな >>25
バースがパに行ってたら指名打者だろうし
どうなってたかな
落合は唯一のセパで2冠王に輝いたわけだし
やっぱり凄い打者だったよ >>35
スポニチの回顧録だと以下の感じになってるよ
https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0712/kiji/K20101201Z00003350.html
>一方、中日の動きは具体的だった。まず12月12日に「落合放出の際には声をかけてほしい」とロッテに連絡。その1週間後にはトレード要員リストまで用意。
>投手8人野手2人の計10人で、そこにはトレードになった4選手のほかに、前年の85年に17勝を挙げ最多勝、沢村賞に輝いた小松辰雄投手、若手の成長株・川又米利外野手らの名前まであった。
>「名球会」のハワイ旅行で不在の有藤監督に代わり、実質的に人選の中心となったのがヘッドコーチ格の高木公男総合コーチだった。ロッテは86年、ストッパー不在のため先発の核だった荘勝雄投手を抑えに回していたため、荘を先発に戻すためにまずリリーフ経験豊富な牛島獲得が第1希望となった。
>続いて高木コーチは上川の堅実な守備と86年セ・リーグ打撃成績8位の打率(2割9分5厘)に魅力を感じ獲得を要請。左腕桑田は8年でわずか通算6勝もこの年初の完投勝利を収め、速球が魅力の平沼も同年プロ初勝利を挙げ、これからの飛躍が十分期待できたことから選出した >>81
それはない。
シーズン中に久米宏のニュースステーションにスタジオ生出演、「三冠獲ります」を名言して実際に獲った。
セカンド時代に首位打者も獲ってるし既に有名プロ野球選手の仲間入りを果たしてた。 >>42
あの時代の川崎球場の寂しさは
プロ野球ニュースによって全国に知られていたw 江川の8連続三振の時に大石の打席でキャッチャーは絶対バットに当たらないからとストレートのサインを出したが江川が拒否してカーブを投げたら当てられたという話を真偽は分からんが聞いたことがある >>81
田舎の小学生だった俺でも落合の存在知ってたのにw
要は当時のパを認めたくないってことか
今じゃセ・リーグが全く歯が立たなくなったけどな PV=Player's Value=選手の価値という意味だと思うが結局その計算式が分からん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています