明菜はツッパリイメージを求められたが…

【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

 中森明菜にとってデビュー2年目の1983年6月1日に発売された『トワイライト〜夕暮れ便り〜』は、周囲の期待とは裏腹にオリコン初登場2位(6月13日付)という結果となった。

 ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で明菜の担当となった田中良明(現在は「沢里裕二」名義の作家で活動)は「タイミングの問題が大きかった」と振り返る。

 タイミングが悪かったとは…。当時を知る音楽関係者がいう。

 「明菜の注目度が高かったのは確かですが、薬師丸ひろ子のパワーをやや甘く見ていた。『探偵物語』は薬師丸の2枚目のシングルでしたが、角川春樹の制作した主演映画(共演は松田優作)の主題歌とあって当時、異常なプロモーション展開でした。盛り上がりは予想を上回り、50万枚を超える予約が殺到し爆発的な大ヒットとなったんです。さすがに上昇ムードにあった明菜もかないませんでした」

 薬師丸の『探偵物語』は、映画の興行収入は50億円を超え、シングルも7週連続で1位を独走した。結果、明菜は2位止まりとなり、1位を逃す苦い結果となった。

 ちなみに、7週連続1位は、この年6週連続1位となった明菜の『1/2の神話』を1週上回る記録だった。その後、工藤静香の『黄砂に吹かれて』(89年)が、やはり6週にわたって1位となっただけで、薬師丸の7週連続の記録は女性ソロアーティストではいまだに破られていない。それだけに田中には「この時に1位を取れていたら…」との気持ちが残る。

 「私自身、明菜のプロモートを単独で担当して初めてのシングルだったので、悔やむ気持ちは持ち続けていますね」(田中)

 もっとも『ザ・ベストテン』(TBS系)では初登場で9位だった(6月16日放送)が、その2週後から2週にわたって1位を獲得。司会の黒柳徹子から作品について尋ねられた明菜は「(新曲として決まったときは)難しくて、とてもとてもと言ってきたのですが…」と前置きした上で「私は声が低いので、高いところから入るのがとても不安でした。でもとても感情がこもりやすい曲です。私は落ち着いた曲が好きだったので、とても気に入っています」と心情を吐露した。

 田中の前任で、デビュー前から明菜のプロモートを担当していた富岡信夫(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は冷静に分析する。

 「来生(えつことたかお)コンビの“バラード3部作”では一番の名曲だと今でも思っています。ただ明菜には、ちょっと背伸びし過ぎたことが結果的に伸び悩んだ原因かもしれません。当時、『少女A』が100万枚、『セカンド・ラブ』が120万枚、そして『1/2の神話』が100万枚だったと記憶していますが、それが『トワイライト』は40万〜50万枚ぐらいに落ちてしまった。要するに作品としては優れていても、ユーザーの求める明菜の作品とは、ややかけ離れてしまっていたのかもしれません」

 そんな意見のある中、明菜の心情について田中はいう。

 「マスコミもファンも圧倒的に『少女A』や『1/2の神話』が“明菜像”だったように思います。そういった意味もあって“第二の(山口)百恵”の最右翼となったのかもしれませんが、当時の明菜が来生コンビの路線を気に入っていたことは確かです。明菜はその半面、売野雅勇の生み出した『少女A』パターンが、自分そのもの人格と誤解されていることを快く思っていなかった。ところがマスコミは逆に同化させようとしたので、宣伝マンとしては正直『ちょっとヤバいかな』っていう思いも抱いていました」(敬称略、芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、55歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE−情熱−』などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

https://news.yahoo.co.jp/articles/26552e30dc96cc9d7489078a02368acad87ed188
12/23(水) 16:56配信

https://www.youtube.com/watch?v=FzTrYITo5ek
中森明菜 トワイライト