間もなく激動の2020年も大晦日。新型コロナウイルスの影響でさまざまなことが例年どおりにはいかなかった今年だが、日本の競馬界に限って言えば牡馬のコントレイル、牝馬のデアリングタクトと無敗の三冠馬が同時に誕生し、しかも秋のジャパンカップでは先輩三冠馬のアーモンドアイと三つ巴のレースが実現するという歴史的な年でもあった。

 さて、競馬で年末といえばやはり有馬記念だろう。ここ数年は有力馬、特にジャパンカップを目標とする東京競馬場が得意な馬(というよりも紛れやすい中山競馬場を嫌う陣営)や開催時期が微妙にかぶる香港国際競争を目指す馬たちが出走してこなかったり、2017年からは「年内最後のG1」という看板すらも2歳G1のホープフルステークス(今年は有馬記念の前日に開催)に奪われたりと、「オールスターによる総決算」的な意味合いは薄れつつあるが、それでもやはり有馬記念に特別感を抱くファンは多いのではないだろうか。

 有馬記念は以前に好走した馬が再び好走する、いわゆる「リピーター」が多いG1としても知られる。実際に昨年までの64回で連覇を達成した馬は4頭(スピードシンボリ、シンボリルドルフ、グラスワンダー、シンボリクリスエス)、通算2勝の馬が2頭(オグリキャップ、オルフェーヴル)もいる。3年連続3着のナイスネイチャなど続けて上位に来る馬たちも多く、彼らの再好走を見て1年の終わりを実感した、という経験をした方もいるだろう。

 第14回(1969年)と第15回(1970年)に史上初めて有馬記念を連覇したスピードシンボリは、5年連続で有馬記念に出走している。菊花賞2着から初挑戦した66年はコレヒデの3着で、アメリカ遠征帰りだった翌年はカブトシローの4着。68年もリュウズキの3着とあと一歩が届かないレースが続いたが、7歳(旧馬齢表記)となった69年は凱旋門賞10着完敗から巻き返し、アカネテンリュウをハナ差で抑えて勝利した。翌70年もアカネテンリュウとの激戦となり、クビ差の先着で連覇達成となった。

 そのスピードシンボリを祖父(母の父)に持つシンボリルドルフは、無敗の三冠達成直後に出走したジャパンカップでカツラギエースの3着に敗れて初黒星を喫した後、名誉挽回をかけて84年の有馬記念へ。今度は逃げたカツラギエースをしっかりとらえて雪辱を果たした。翌年の有馬記念では1歳年下の二冠馬ミホシンザンを4馬身も突き放す圧勝。これによりルドルフは「七冠馬」の称号で呼ばれることになった。

 上記2頭と比べても劇的な有馬記念連覇だったのがグラスワンダーだ。デビューから無敗で朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を制したが故障で長期離脱。翌年秋の復帰後は毎日王冠でサイレンススズカの5着と敗れ、次戦のアルゼンチン共和国杯も6着どまり。そのため有馬記念では二冠馬セイウンスカイやエアグルーヴ、メジロブライトらに次ぐ対抗馬の一角扱いでしかなかったが、グラスワンダーは直線で逃げたセイウンスカイをとらえて先頭に立つと、メジロブライトの追撃も封じ込んで復活勝利。これは外国産馬初の有馬記念制覇でもあった。

 翌年は宝塚記念で同い年のダービー馬スペシャルウィークに快勝したものの、秋は毎日王冠が辛勝でジャパンカップは体調不良で回避。またも順調さを欠いて有馬記念に臨むことになった。しかしレースでは直線でスペシャルウィークと激しく競り合いながらゴール。鞍上の的場均騎手も負けを覚悟した大接戦だったが、ハナ差で勝利を収めたのはグラスワンダーだった。ちなみに宝塚記念を挟んでの「グランプリ三連覇」はスピードシンボリ以来で史上2頭目の快挙となった。

 そんなグラスワンダーとは逆に衝撃の圧勝で有馬記念を連覇したのがシンボリクリスエス。2002年の初勝利時は、当時はまだ伏兵扱いだったタップダンスシチーをゴール寸前でとらえての優勝。翌年は史上初めて天皇賞(秋)の連覇を達成するもジャパンカップではタップダンスシチーらに先着を許して3着からの有馬出走だった。

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