日大の守備選手による悪質タックルで負傷してから、約2年半が過ぎた。翌日に日大が関東代表となり、再戦は決まった。
2年生だった18年5月、社会を巻き込む騒動の渦中に立たされた。過熱する取材を「怖い」と感じたこともあった。両親には「もう(アメフトを)やめたい」ともらした。
だが、治療のために競技から離れて気づいた。「アメフトをしていない自分が想像できなかった」。小学1年から続けてきたフットボールへの思いを再確認した。
復帰へ向かいつつも、精神的には落ち込んだ。そんなとき、あることわざに出会った。「人間万事塞翁(さいおう)が馬」。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないことを意味する言葉を知り、「何があっても変わらず、自分のやることをやっておいたらいい。やるべきことをぶれずにやり抜くしかない」と、前を向けるようになった。
「先輩を含めて、色んな人に支えてもらった。元気な姿でアメフトをやっていることが恩返しになる」。練習に打ち込み、半年後の冬には、甲子園ボウル優勝に貢献。年間最優秀選手に贈られるミルズ杯を獲得した。
そして、最上級生となり、不動…
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