【訃報】「ひょうきん族」ディレクター佐藤義和さん死去72歳 [首都圏の虎★]
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タモリ(75)ビートたけし(73)明石家さんま(65)らをテレビの人気者にした元フジテレビのプロデューサー、佐藤義和さんが先月、移住先の沖縄で亡くなっていたことが1日、分かった。72歳だった。肝臓を悪くしており、病死とみられる。
佐藤さんは宮城県塩釜市出身。東北学院大を卒業後、71年にフジテレビの子会社「フジポニー」にアルバイトを経て入社。80年にフジテレビに移籍後は、11年に亡くなった横沢彪さん(享年73)の下でディレクター、プロデューサーとしてバラエティー番組で活躍。「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに、フジテレビが80年代に業界トップに躍り出る原動力の1人だった。
「オレたちひょうきん族」(81〜89年)では「ひょうきんディレクターズ」の一員として、ビビンバ荻野、三宅デタガリ恵介などと画面にも登場。シングル「ひょうきんパラダイス」をリリースしている。頭髪が薄かったことから“ゲーハー佐藤”と呼ばれていた。
酒好きで知られた。ディレクター、プロデューサーを務めた「笑っていいとも」(82〜14年)では、司会のタモリが「サトちゃん」と呼び、「タモリさん、そうだかだー」と酒の席でタバコを吸いながら打ち合わせをする佐藤さんのまねをして笑わせた。
プロデューサーになってからもウッチャンナンチャン、ダウンタウンらの番組を担当して、後に続く若い芸人を育てた。タレントのみならず、ディレクター、プロデューサー、放送作家など数々のバラエティーの作り手も育てた。05年に早期退職して、フリーとして活動。近年は沖縄に移住していた。
今年3月に沖縄で佐藤さんと会って話したというお笑い関係者は「また、一緒に面白いものを作りたいねと話していたのに。80年代以降のフジテレビのバラエティーの礎を築いたすごい人でした」としのんだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/21e00863f120ef07edd75be7ee84610e149384e1
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201202-22011011-nksports-000-2-view.jpg 偉大なる大学の先輩。OB面接行ったらフジはやめろ、他所の局の方がいいって言われて今は東京放送社員です。 自分の親父より年下かー
≫東北学院大を卒業後、71年にフジテレビの子会社「フジポニー」にアルバイトを経て入社
今じゃありえないな 昔からテレビ局は優秀なやつは中途採用で新卒は無能なコネ入社か ひょうきん族からごっつウンナンまでフジの全盛期に活躍してた人だな
合掌 さと死んでるかもしれないー
って本当に死んじゃったさとちゃん ひょうきん族の内容全然覚えてない
ブラックデビルと邦ちゃんの絵描き歌くらい >>1
さんまのいうところの「愛するマリちゃんへ」の人だ
マリちゃんにファックスを送った先が中央競馬会で
中央競馬会からのクレームで大恥をかいた人 みんなコロナ関連なんやろなぁ…
高齢と基礎疾患持ちには容赦が無い 漫才ブームに始まり、BIG3を世に送り出したひょうきん族・いいともの中核にいた人
ダウンタウンのごっつええ感じのプロデューサーでもあった >>23
さんまさんがフリートークするだけが
最高視聴率
全盛期のさんまさんは凄かった 横澤がずっとフジテレビの役員幹部として残らないでうっかり吉本に行って経営幹部
になったが策略で潰されたので、派閥後輩の佐藤などがフジで出世できなかった
少数のとんねるず派閥の石田港のほうがフジでの役職は出世した サトちゃん体弱いのってよくタモリがモノマネしてたな >>5 >>10
秋元康とか高校生の頃からハガキ投稿で才能買われてラジオ局出入りして
ほとんど勉強しないで中央大受かったけどラジオの仕事のが忙しくて大学は中退
そのままとんとん拍子に出世とかそんなんだっけ
昔の方が才能あるヤツがスッと出やすかったのな 電波少年ディレクターの〆谷さんはまっちゃんのオールナイトで有名です ダウンタウンのコント「兄貴」でも名前がちょろっと出てきた方かな?
ご冥福をお祈りいたします。 >>36
横澤は最初からフジに入社したんじゃなくて関連会社が合併吸収されてフジの社員になったからこれ以上出世はないと思って吉本に行ったんだよ 東北の人が沖縄住んでたのかそりゃ見えないストレス多そう >>46
はぁ?好きで移住してるのに
アホは気持ち悪いw >>47
どこに住んでる人?日光量とか明らかに違うけど >>36
小室哲哉もそうだけど、吉本に鳴り物入りで招聘とかロクなことにならない。 タモリがさとちゃんの物真似するとき裏声使ってたひとだ ケバい女とデートしてんの見たことある
ハゲオヤジのくせにやっぱモテるよね >>55
後列左端のビビンパ荻野氏の扮装は今やったらポリコレだーという視聴者でるだろうなあ テレフォンカードになってたな
http://www.asahi-net.or.jp/~JB5Y-KKFD/tel63.gif >>39
東北学院大なんてFラン卒で中途の成り上がりだからどのみちそんな上まで行けんかったろ >>39
そりゃ若者の人数が違うからだろ
視聴者も若者だしテレビもラジオも新しいことをどんどんやろうとしてた
若者にウケる事を考えられる人間が重宝された
んで自分らより上の世代は層が薄いんだからやりたい放題だろうな
今はこいつらが上で蓋してんだけど >>63
視聴者プレゼントしようとして
えらい騒ぎになったのはこの時だっけ? ゲーハー佐藤懐かしい
肝臓が悪いって酒の飲み過ぎだな >>4
TBSホールディングス
TBSテレビ
TBSラジオ
の、どれに在籍中? ひょうきん族みてた筈なのに
覚えてるのが懺悔室のシーンだけ。 当時『ひょうきん族』内では業界のノリ、業界人しか分からないようなネタをよくギャグにしてたな
たけしが「ナベプロの社長のモノマネ」をなんかをやって、さんまや他の出演者たちが腹を抱えて笑ってるの見てガキのオレらもゲラゲラ笑ってたんだけど、
今から考えたら「ナベプロの社長」なんて見たこともないし、何が面白かったのかさっぱり分からない
自分だけでなく、視聴者の大半はナベプロ社長なんて知らないわけだし、そんな視聴者をおいてけぼりにするような番組でもちゃんと視聴率を稼いでたんだよね
まあそういう勢いみたいなので番組を作ってたんだから、そりゃあ楽しかったと思うよ >>1
>三宅デタガリ恵介
OKAMOTOSの父ちゃん
一人目の父ちゃんはプライベ >>36
創業家と日枝が派閥争いしてて横澤は創業家派で石田は日枝派だったけど
色々あって日枝がその争いに勝利したんじゃなかったっけ
その余波で横澤は吉本に逃げたんだと当時思ったけど 60代後半〜70代前半、この辺りが人生最大の鬼門だよなぁ。 >>5
テレビ制作の世界も肉体労働だからトヨタの期間工みたいな正社員登用制度があっても不思議じゃないし、今もあると思うよ。 >>1
いかにも「ギョーカイ人」てな経歴の人かなあ?とか思ってたけど、
意外と叩き上げの職人タイプだったんだね。
合掌 >>43
元々若い時に組合運動とか
やりすぎて、経営陣に嫌われていたってのも
あるかも? 当時は痩せてて飄々とした感じの人だったな
フジの時代をつくった仕事ができて、いい人生だったかな だからタモさんは宮城でヨットの大会開こうとしたのか
嵐のイベントのせいで中止になったけど >>75
たけしがよくやってたのは太田プロの太田泰子副社長だろ てか横澤P死んでたのか知らなかった
そっちのがショックだわ
懺悔で神父役してた人よな ゲーハー佐藤72歳とか若いよ
ひょうきん族面白かった
つ菊 どんどん、自分が若いとき全盛期だった人が死んでいくな。
歳を取るとはこういうことか。
ミュージシャンのBIGネームもこれから順番で死んでいくね。 >>75
キッズが綿密に作り上げて行く基本台本通りなドリフに飽きかけてたとこに上手くハマったな
俺はたけちゃんマンがあんまり好きでなくて、後半のさんまが色んな着ぐるみ着て出てくる時間だけ見てた ごっつで外国人の伝言ゲームをやったときの言葉が「佐藤さんはハゲです」だった >>65
今の方が表現の手段が沢山あるのに蓋なんてされてしまう若い奴に才能がない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています