【東野幸治】今でも緊張するダウンタウンとの共演「師匠と弟子ではないけど」 [爆笑ゴリラ★]
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11/23(月) 14:13配信
スポニチアネックス
お笑いタレントの東野幸治
お笑いタレントの東野幸治(53)が21日、テレビ朝日「伯山カレンの反省だ!!」(土曜深夜0・10)にゲスト出演し、お笑いコンビ「ダウンタウン」について語る一幕があった。
1985年に吉本興業の新人オーディションを受けたことがきっかけでお笑いの道へ。当時の事務所は、ダウンタウンを中心に新しい世代の芸人によるムーブメントを起そうとしていたため、東野も主要メンバーの1人として若手時代を過ごした。
ダウンタウンとは30年以上の長い付き合いだが、今でも共演時は気が張るという。「緊張します。そこは何か勝手に…師匠と弟子ではないけど、お世話になった先輩というのがあるから、その時に戻りますよね」。
大阪で爆発的な人気となったダウンタウンが東京進出したのは80年代後半。特に松本人志(57)は今の温和なイメージとは異なり、かなりとがっていたという。MCで講談師の神田伯山(37)から「(松本は)今も怖いままのイメージなんですか?」と問われ、東野は「僕とか同世代の芸人がたまにしゃべるのは、『ダウンタウンDX』に若手芸人が出たとき、こんなに笑ってたっけ?みたいな。昔は笑ってなかったような気するよね?みたいな話はしますよ」と東野。
大阪時代からダウンタウンのことをよく知る者として、しみじみ感じるところがあるという。「ああそうか…丸くなってんなあと。でも僕も意外と笑わなかったほうやけど、年齢重ねていくと笑っているから結局、年齢とか立場とかあんのかなあと思ったりしますけど」と打ち明けていた。
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201123-00000172-spnannex-000-3-view.jpg?w=480&h=640&q=90&exp=10800&pri=l
https://news.yahoo.co.jp/articles/8f62fae8ff26d359437580fd13b264f634620174 熱々のあんかけを頭に掛けられたトラウマじゃないのかな ノブコブ徳井が真似しようとしてるけど
「つまらないから廃業したら?」って言ってやれよ ダウンタウンのおかげで
東野今田ほんこん板尾は世にでられたんだからな >>6
部活に打ち込む熱血スポーツマンじゃなかったっけ 東野はダウンタウンにはそうだけど他では宮迫みたいに尊大さが増してる
旅猿は特に酷い いじりとわがままを面白いと履き違えてる
今田は変わらないなと思う 今の松本はほんま丸くなりすぎ
やっぱり娘出来たんがあかんかった >>12
食物粗末にしたからこいつら最期に痛い目にあいそう 若き大崎とダウンタウンが仕掛け人の解散ドッキリ見てみ
全員が凍りついてるからね。あのドッキリが語ってる
あとハマタが女性陣にマジギレドッキリもすごい
両方ごっつええ感じのドッキリ 昔の松本はすごかった。
遺書読めば分かる。
今はなんか違う。 ごっつええ感じを初回くらいから見てた人なら分かるはず
今田と東野はトラウマレベルの扱い
今田は今でも浜田にキレられたら泣くだろw 東野は赤塚不二夫さんに認められただけあって、テレビは向いてる 松本の才能は黒髪に宿っていた
坊主になってつまらなくなり
金髪になって丸くなった YouTubeでリーゼント時代のheyheyheyとか見ると普通に笑ってるけどな
丸くなったかどうかは坊主にした辺りからイメージ変わってる >>24
年齢重ねてるんだから仕方ない、あの年齢で当時みたいな考えなら人としておかしい ごっつの時はイキのいい空気が読めない大学生って感じやったな
何やられてもめげないのが印象として残ってる
今田は無茶苦茶やるダウンタウンに常にビビってて特に河童の父ちゃん役が面白かった記憶 東野や今田や木村や
山崎やほんこんなどは
当時はダウンタウンの
腰巾着だと思っていたが、
今ではそれぞれ成功
しているから、
腰巾着作戦は大成功だった。
とはいえ、ダウンタウンが
なぜそこまで人気があったのか
当時も今も全然分からない。
たまたま東京のとんねるずの
おにゃんこ番組に対抗した
大阪の人気番組5時ですよー
のMCやってうまく
当たっただけなのかな。 松本「今田は伸び代ないけど、東野はまだまだ伸びる」 ビートたけしも松っちゃんも、若い頃は尖りまくってたろ
ビートたけしの襲撃復帰会見とかサイコパスとしか思えない怖さ >>14
何回か宝塚のスポーツ兄弟は聞いたことあるけどトビウオ兄弟は初耳
でもググるとトビウオ兄弟もあるね やりにげコージーの藤井隆回でジオラマを自由に作って心理を教授に診断してもらう企画があって
今田と藤井はマトモだったのに東野だけ異常性剥き出しで教授が興味津々だったの最高に面白かった
自分の娘を殺したい欲求があるとか診断されてたし 今田にとって浜田は日生学園のNo.2だからな
そら緊張するわ 大阪の番組で東野がダウンタウンに
俺たちライバルやないか って言ったら
浜田が お前みたいなカス、ライバルのわけあるか
っ言ってたのは見たことある
お笑い番組なのに異様な緊張感あったわ 若い頃の松ちゃんって何考えてるのかわからない雰囲気あった クソ野郎共よ死に絶えろ★ゴミクズ知恵遅れ芸NOジン 買ったばっかの革ジャンを松本に車の窓から投げ捨てられて泣いたからな東野
しかも高速道路走行中に 90年代半ばに
ナイナイ率いる若手チーム VS ダウンタウンチームって構図でダウンタウンとナイナイが久しぶりに共演した時
珍しい共演に緊張しまくるナイナイに対して
「今日は俺はこっち(ダウンタウンチーム)側屋からなんも助けへんぞ」
と突き放した東野さんは流石だわ
案の定ナイナイは滑りまくりその後アカン警察まで共演は無かったという 久々に唐沢から回り〜♪思い出したwあの時東野がこんな売れるとは思いもしなかったw 松本は才能枯れるの早かったけど東野は年齢を重ねるごとに面白くなったわ 芸もないのに2丁目劇場からよく出てきた
東京にも金魚の糞でついてきて 若手のころは今田も東野も板尾も木村も全部松本のほうを慕ってたな
松本にひっついて浜田だけがなんか仲間外れみたいな感すらあった >>6
松本が相手でもにらんでた頃懐かしい
何するか分からんキャラみたいな 東野は松本の発想に加えて行列で紳助の司会をずっと近くで見てこられたのも今に活きてそう
紳助関連の仕事はほとんど今田に取られたけどw >>52
そうかな
今田は実は浜田派だと思うわ
遅刻した時に先輩の前でボコボコにして
先輩がいなくなった後に「これでお前ら大丈夫強く当たられる事はない」みたいなエピソード尊敬してると思う。
今田は松本の事怖がってるけど変わり者みたいに思ってそう 昔から今田と東野は宮迫が松本さんの頭を平気でどついて松本さんがヘラヘラ笑ってるのは俺らじゃ考えられへんって言ってたな >>55
東野は紳助のおかげで一歩引いて全体を回すやり方を学んだんだろうな 単品ならまだいいが二人揃うと未だにビビるもんがある >>56
今田にとって浜田は芸人として先輩な上に刑務所みたいな高校の先輩だから二重に怖いだろうな >>49
浜田に付箋が一枚もないのちょっと笑えるわ アンガールズは東野幸治が好きで芸人になったんだっけな >>52
あの頃の松本は偉大すぎたからな
ハマタも言ってることだが とんがっていた松本をいじれたのは安室だけじゃなかった? ダウンタウンに東京進出の際置いていかれたけどその事の恨みなんかは一度も口にしてないからな
東野はサイコパスだが明るいサイコパスだからまあ受け入れられたんだろうな >>65
それも途中から
最初は安室奈美恵にもボロクソだった
猿扱いしてたし >>17
度猿スタートする時の岡村との扱いの違いの話し知らないの? >>55
紳助が引退する直前では今田より東野の方が東京でのレギュラーが多かったんだよな。
それが紳助が電撃的に引退したからスケジュールに余裕があった今田の方に
たくさんの紳助MC仕事が雪崩れ込んだ。 >>56
昔ダウンタウンがいる前で今田に
「松本と浜田が海で溺れてるとして
どちらかしか助けれないとしたらどちらを助ける?」
って質問したら今田は
「浜田さんすいません!」って謝ってたわ なんで芸歴も年齢も下のウンナンはダウンタウンにハマったんだろうな?
尖りまくってた若手のダウンタウンがウンナンとお互いにちゃん付けで呼び合って笑顔で会話してたんだからな
ウンナンと同期の今田は嫉妬からウンナンと距離置いたけど
同じくウンナンと同期の東野は内村さん南原さんと呼んで上手く取り入ったんだよな
ダウンタウンは芸歴下の出川に対しても昔からテッチャンと呼んで同期扱いしてんだよな >>66
当時の松本の寵愛は明らかに東野より今田に偏ってたからな。
今は今田が意図的にダウンタウンから距離を置くようになったから
東野との共演の方が多くなったけど。 東野にそんな感情無いやろ。
こいつは昔から自分大好きの自己中やぞ。 >>17
逆
旅猿初期は気難しさが全面に出てたぞ
夕食の招待を拒否するとか >>10
ダウンタウンと東京行ってから、
新喜劇やったり、
ラジオしかレギュラーないくらいだったのに? >>73
あれは東京のテレビ局から言われて仕方無く一緒に番組やっただけ。
当時のダウンタウンは東京での実績がまだ無かったから
「ウンナンとの共演なんて嫌だ」とは言えなかったし。
裏では凄いバチバチだったらしい。 >>27
面白いので松本のTwitterにコメントしてみてw >>12
何やっても
「芸人にとってはオイシイんや!」
の言い訳を広めた ワイドナショー見てる限り、東野は筋肉金髪芸人と化した松本をなめくさってくるように見えるが >>71
そう答えられるって事は浜ちゃんに
心許して好きなんちゃうの?
浜田なら怒らない
松本はグチグチ根に持ってしつこそう >>83
今田が意図的に離れたとか裏ではバチバチだったとかなんでそんなこと知ってんの?
お前妄想ばっかり書いてんな 誰と交代でごっつ入ったんだっけ
吉田ヒロ?山田花子? ワイドナショーの仕切りはあくまで松本の要求を察しながら進めてる >>90
松雪泰子ともう1人の女(弥生姉やんやない方) >>17
旅猿なんて東野いないと成立しない番組じゃん
岡村はほとんど何も喋らんし
東野とスタッフはあれ昔からの仲良しスタッフだからああいう対応してるだけだし >>27
丸くなるのも才能よな
CMでバカ真面目キャラやるようになるとはな
松本時代を読んで変わります
裏松本みたい気もするけど友達とか近い人しかもう見れないだろうな >>82
ごっつ終了が大きな転換点になったな。
それまで松本派閥以外の仕事が無く「松本の金魚のフン」と言われてたのが
大きなレギュラーが急に無くなった事で、他の仕事を勝ち取るべく頑張って
今田東野は「松本の金魚のフン」から脱却出来た。
ホンコンはイマイチな結果になって、今や「今田東野の金魚のフン」状態だけどw >>42
出てきた時は漫才版中島らもみたいな感じやったな >>52
4時ですの頃からな
孤独なハマタは結婚
東京出たけど陰気な松本人気出ず
ハマタはドラマ主演するぼど人気者 >>31
こう言うやつって成功してる人は全部運とかたまたまとか言ってそう
で自分もその立場なら成功するって思ってる
とりあえず外でた方がいいぞw >>72
あれは東野のものすごい気遣いとスキルのおかげで楽しくなってた
本人は負担すごかったと思うわ 昔はSMAPのこと、エスエムエーピー言ってたのに
今や中居くんが親友 松本は見るからにコンプレックスの塊だからな。
学生の時もいじめられっ子から「こいつ、おもろい」と評価を得てカーストを上げていった経験から
自分を守るためについいじめ側に加担する的なことをラジオで言ってた様な気もする。
今田東野世代は叩いておかないと取って代わられる
その下の世代はもう松本を追い落とすこともないし、逆に自分が本気で干したら芸能界から消してしまうという恐ろしさに気づいた感も見える。 今は今田と東野なら東野の方がMCテクは上だわ
今田は15〜20年前は次MCで天下取りよるかな思ったけど 今田東野はド新人のころからダントツでおもしろかったらしい
ただこの2人でコンビ組んでるわけじゃないから売れることもなく
才能知ってるダウンタウンが東京に呼んだ >>102
SMAPとTOKIOへも紅白出場決まるたびに出場者ボード見ながら馬鹿にしてたよね
どんなに今仲良くなっても本音はこれだと思ってる 「4時ですよ〜だ」で、「ダウンタウンの野望」というコーナーだっけ
素人同然の東のりが毎日出て来て、「○○な人募集」とか
告知してた。
ダウンタウンにさんざんいじられながら必死で頑張ってたわ
「ごっつ」でもかなり後からメンバーに加わったけど
その後は欠かせない存在になったな
「キャリー東野」「子づれ狼」「パイマン」「放課後電磁波倶楽部」とか >>82
ダウンタウンについてなければ、
いまの地位はないだろ 東野は金魚のフンではなかったと思う
今田と比べるとちょっとはみごにされていた >>82
その時期に松本が東野と共演した時に
「お前みたいなゴミ芸人と一緒にいるとこ見られるの嫌や〜」
って笑いながら言ってたよな
その後くすぶってた東野をごっつに呼んで花開かせた >>71
その質問を松本が安室にしたら即答で浜ちゃんと答えた。
浜田の嬉しそうな顔w >>103
社交辞令言うような人間じゃなかった
……と思ってたけど東野の実家に行った時の松ちゃんたちのエピソード聞くと
松ちゃんと出会った事により一時期病んでた説もありそう 第七世代と松本や爆笑太田は相性が良いからな。お爺ちゃんと孫みたいになに言っても怒らないしニコニコしてる。松本や太田と中堅芸人絡むと緊張感がある。第七世代と中堅芸人はギスギスしてる。 >>6
輩ってなんやねん?
族(やから)の間違えか? >>83
若手のダウンタウンが楽屋でもウンナンと仲良く笑顔で喋ってて
大阪に来たウンナンがダウンタウンと飯食いに行くのも今田や清水圭が運転手やらされて
食事の席でもダウンタウンとウンナンはお互いちゃん付けで呼び合ってて
隣の席で今田東野清水圭が羨ましそうに見てたって今田が言ってたぞ
プライベートでもウンナンだけは苦労を共にしたから特別なんだって松本から言われて
同期のウンナンと一緒にダウンタウンの横に並べなくて悔しかったと今田は言ってた >>74
今は東野りに対して全面的な信頼を出してるな
昨年の吉本闇営業での中でそのような類のコメントをワイドナショーで言ってたし
今田はさんまに付いたから、本人にしてみればダウンタウンから離れたつもりがなくてもさんまは拘束が割と強い >>118
昔の欽ちゃんとダウンタウン
そんな感じなのかな >>116
どっちが怖い?で
松本の方すぐに見てたもんな
浜ちゃんは裏では優しいSPEEDとかも言ってた…それなのに島袋寛子w
松ちゃん来るものは拒まずとか言ってたから相手から来るんだろうなええなー >>102
実際に接したら根っこは似ていたから気が合ったっぽい
但し他の元SMAPに対しては思い入れはなさそう
キムタクに至っては中居から色々と聞いてて、内心バカにしてそう ごぶごぶの東野は面白かったけど、目の奥が恐怖で死んでいたから長くないなぁと思っていたら案の定スケジュールを言い訳に降板したなぁ >>116
うたばんでも石橋貴明の前で
浜ちゃんのツッコミが好きって言ってたもんな >>120
デラックスで女芸能人がウンナンの悪口言ってダウンタウンを持ち上げようとしたら2人にウンナンのこと悪く言われたら俺ら何も言われへんと言って微妙な空気になったことあったよな >>1
ほんこんよりマシだろw
ほんこんはいつもビンタw 今の松本もおもしろいけどゴッツの頃は次元がちょっと違うかったな
今の千鳥とかも相当おもしろいけどやっぱ別格やわ >>125
キムタクのプロ意識についてはラジオで称賛してたけどね >>66
一回ハマタにガキのレギュラー外されたんだけっけ?
それでもまた這い上がってくるあたりはなかなかですわな めー
メーロンーおむすびークーッキーイー
食ーべてー食べられー
ムチムチぼでぃーいー 松本は吉本の社長とズブズブだから
吉本芸人以外にはさほどリスペクトされてない松本
それがタケシやサンマとの決定的な違い >>94
旅猿は岡村と吉本を繋ぐためにできた番組
東野と仲良いスタッフはもう退いてる >>139
>吉本芸人以外にはさほどリスペクトされてない松本
無理矢理すぎんだろ
どんだけ芸人で松本に憧れてた奴いるんだよ
こいつの世間知らずっぷりには笑うしかないわ 吉田ヒロがいつの間にかごっつのレギュラーから消えてた >>139
ズブズブというかダウンタウンが今の吉本を築いた訳で
社長や役員が年収1億以上あるそうだ
ダウンタウンは役員報酬みたいなものもらってないのかな
テレビの出演料だけじゃ少なく、それの2倍増し3倍増し貰えるような契約してないかな ネットにも動画がアップされているけど、昔、生前の赤塚不二夫がダウンタウンとその取り巻きの番組に出演したとき、この取り巻きの中で誰が一番売れそうか?という問いに、東野と答えていたな。 >>2
受験するとかいって吉本辞めてたよな
この人 9 名前:名無しさん@恐縮です [sage] :2019/05/18(土) 12:10:13.75 ID:MDOw7n9O0
ヘラヘラ桑子とか酒飲んでやらせてくれそうだもんな
22 名前:名無しさん@恐縮です [sage] :2019/05/18(土) 12:26:14.06 ID:dYxLolgn0
桑子はオリンピックを最短で閉幕させた伝説のアナウンサー。
82 名前:名無しさん@恐縮です [sage] :2019/05/18(土) 14:10:36.30 ID:fwRR3TaB0
桑子は生放送でやらかすのに評価高いんだな
86 名前:名無しさん@恐縮です [sage] :2019/05/18(土) 14:21:00.75 ID:jSX2TYRO0
桑子さんはタモリさんと仲良くしてて好感度上がったけど、要職になってからはすぐ離婚するわ、紅組優勝とか サンドイッチマンをバナナマンと呼ぶわでかなり失態を
988 名無しさんといっしょ 2019/07/08(月) 21:17:24.09 ID:xAz3iwSt
気象庁が遺体を調べると言ってしまう、桑子のアホw
まさかコレ、本当に言ってるとは思わなんだww
NW9では珍しくフロアディレクターが声だして焦っててワロタw 若い頃のダウンタウンは
他人のネタではクスッともしないスタイル
それで自分の漫才ではいままで無かったようなボケを連発で客席ドカンドカン
終わると怖い顔のまま舞台袖へはけていく
憧れて芸人になった世代はみんなこれを真似したので目をギラギラさせてやってた
みんなkinkiの剛くんみたいな感じだった
そして芸人たちは漏れなく夢破れ芸風を変えていった ダウンタウンは加齢とともに丸くなった 今日のご褒美はケツの穴を女の子に見てもらえるとか言われて
その場でフルチン四つん這いさせられた上にスタジオ観覧してた女の子全部
あつめてケツの穴鑑賞されてたな 名古屋の本能Zも終わってWコウジの番組は完全に無くなってしまった 放課後電磁波倶楽部は最高だった。よくあんなもん日曜8時に放映できたもんだ。 ガキ使の出前館回の最後みたいなの好きだ東野じゃなかったけど あのドッキリって今思うと凄いな
あの時代にあんなすかしをやるなんて
今だったら脱力タイムズとかがよくやるけど >>144
今の吉本築いたのはサンマと紳助、三枝だ
ダウンタウンみたいな低視聴率番組ばかりではなく
高視聴率のレギュラー番組を何本も持っていた
サンマもドラマに出れば高視聴率、カラクリTVも30分近い視聴率を取っていた
そして、ダウンタウンの若い頃よりもウッチャンナンチャンの若い頃のほうが遥かに面白かった ごっつヒエラルキー最下位の東野が
ここまで売れるとは予想しなかった。
>>158
捉え方色々あるけど
全国区になった意味でいってるわけよ
さんま三枝の時代はやくざ事務所の雰囲気あったと思うよ 一本いくらで終わるさんまと違ってビデオやDVDで大きく稼いだのがダウンタウン
吉本に上げた利益だと桁が違うのでは 吉本興業が東京で「弱小」だった頃
「テレビ局の人間に吉本の名刺を見せただけで、プッと吹き出されてしまう。東京のテレビ局全体がそんな空気だった」。
同社がこの数十年で急成長したことが挙げられる。
今ではテレビ界、芸能界の本流にいるかのように見える吉本興業だが、東京進出は決してそう昔の話ではない。
漫才ブームで関西のお笑いが日本中を席巻していた頃には、まだ吉本興業は東京に拠点すら持っていなかった。
現在の東京本部の源流となる事務所が設立されたのは、1980年、漫才ブームが始まった年だ。
1980年のある日、入社3年目の大崎氏は、上司に呼び出されてこう聞かれた。
「おまえ、東京、行くか?」
わけもわからぬまま「はい! ありがとうございます」と即答。
あまりの即答に上司は驚きつつ、こんな説明を加えた。
「実はな、今度、吉本が東京に事務所を作るらしい。その責任者として俺が東京に行くことになった。ついては、おまえを連れて行こうと思うんだが」
この上司は、やすし・きよしらのマネジャーとして有名な木村政雄氏。この誘いに大崎氏は、再度、
「はい! 分かりました!」
数日後、上京の準備をしている大崎氏に先輩社員が話しかけてきた。
「オマエも災難やなあ」
「えっ、何のことですか?」
「東京や、東京。島流しもいいとこやないか」
その先輩によれば、左遷に近い人事なのだという。大崎氏はこう述懐している。
「当時の吉本の考え方をひとことで言えば『劇場主義』だ。70年代の演芸ブームがそうだったように、
『芸人はテレビやラジオで名前と顔を売って、劇場にお客さんを集めるもの。
仕事になるなら東京でもどこでも行くが、あくまで稼ぎの本筋は大阪の劇場だ』という考えだ」
たしかに漫才はブームとなっており、その震源地は東京のテレビ局だった。
しかしこのブームがどのくらいのものか、いつまで続くかはわからない。
そのため、東京にできた拠点の正式名称は「東京連絡所」。
つまり単なる窓口であって、事務所ですらないという位置づけだったのだ。
大崎氏らの出発前に、当時の制作部長はこうクギを刺した。
「おまえら2人を東京に行かせるけど、あくまで連絡係として駐在させるんやから、ゆめゆめ自分たちで仕事をしたり、
東京の放送局を開拓したりしようと思うなよ。芸人に花月の出番を休ませて東京に仕事に行かせることもならん。絶対許さへん」
事務所も大崎氏が個人の実印を押して保証人に
大崎氏が後で知ったところによれば、東京進出には上層部のほとんどが反対しており、
賛成したのはこの制作部長らごく限られた人だったという。そのためか、赤坂のワンルーム事務所も、
当初は会社ではなく大崎氏が個人の実印を押して保証人になったほどだったのだ。
しかしブームはことのほか拡大し、芸人たちの仕事は増える一方。当然、大崎氏の仕事も急増していく。
問題は、彼らのフォローをすべき大崎氏自身、東京の地理すら把握していないようなレベルだったことだろう。
テレビ局やスタジオの場所すらわからない。今と違ってネットで調べることもできない。頼れる仲間もいない。
そのうえ怖い上司の木村氏からは「よそ様に弱みは絶対に見せるな」と厳しく教えられていたので、同業者に聞くこともできない。 当時の雰囲気を大崎氏はこう振り返っている。
「テレビ局の楽屋でも僕一人だけが浮いていた。東京のマネージャーさんたちはみんなスーツに派手なネクタイで
ビシッとキメている。対する僕はヨレヨレのセーターにGジャン、おたふくソースのシミがついたようなチノパン姿。
慢性の寝不足で顔はむくれあがり、髪もぼさぼさだ。(略)周囲にいる他社のマネージャーや局の関係者、
番組に出演するアイドル歌手まで、みんながクスクス笑っている気がした」
東京の放送局では大阪弁を聞くこともほとんどなかった時代だ。
庶務の女性と軽口を叩くのがささやかな楽しみだったが、東京在住の彼女たちにとっても大阪や吉本のイメージはろくなものではなかった。
「大阪弁って、なんか怖いんですよね」
「そんなことあらへん。みんな優しいんやで」
「でも、先輩が言ってたんですけど、吉本って、やっぱりみんなヤクザなんですかぁ?」
テレビ局の人間に吉本の名刺を見せただけで、プッと吹き出されてしまう。「東京のテレビ局全体がそんな空気だった」という。
この80年は、漫才ブームのきっかけとなった「花王名人劇場」「THE MANZAI」の他、同じフジテレビで「笑ってる場合ですよ!」、
日本テレビでは「お笑いスター誕生!!」が始まった年でもある。
翌81年にはあの「オレたちひょうきん族」がスタートし、芸人らの東京での人気はさらに勢いを増す。
この勢いを受けてようやくこの年、東京連絡所は「東京事務所」へと格上げされるのだが
、大崎氏自身は社内の事情や力学などで、82年、不本意な形で大阪に戻ることとなる。
失意を抱えた彼が大阪で出会ったのが「ひときわ汚くて目つきの悪いコンビ」、のちのダウンタウンだった――。 >>120
今田が大阪で養成所入って芸人になる一歩踏み出した頃にウンナンはお笑いスター誕生で全国区だからな
そもそもウンナンと今田は同期というのは無理がある >>24
お前が歳とっても
成長出来なかっただけじゃね?
もはや老害 >>169
でも今田東野の方がウッチャンナンチャンとの共演はダウンタウンよりも早かったみたいだよ >>29
>>113
今でも松本信者やってる幼稚な輩って必ずこう言って見苦しい擁護する 東野はダウンタウンのどっちともよく絡むけど
今田はさっぱりだよな
相性悪いのかな? >>174
全く信者じゃねーのに勝手に信者認定するキチガイ(笑) >>169
というか今田がウンナン鶴瓶の特番出た時に芸歴確認してる
初舞台はウンナンが85年、今田が86年
だから今田が後輩
そもそも養成所を芸歴に含めるのは吉本ぐらいのもんだからw 一番興味深かったのが鶴瓶さんが聞いた「現在の今田耕司を作ったのは誰なのか?」って話です
「ダウンタウンに鍛えられたのか?」と鶴瓶さんが尋ねたところ
今田「ダウンタウンさんというよりもアレですねぇ・・・大崎さんですね〜(今の吉本の)社長の〜」
鶴瓶「あぁ、そう」
今田「社長が 『ラジオのシチュエーション』 『アドリブ芝居』 全部を鍛えられて。月〜金でイベントがあったんですけど全部を新ネタとか作って・・・」
鶴瓶「ほぉ〜ん、やっぱりスゴイんか、大崎さんは・・・
今田「あの人はスゴイですね〜」
鶴瓶「ほぉ〜ん、そうなん」
今田「怒られ倒しましたからね〜もう怒鳴られて番組中も来て『なんでそんな順番で話を聞くんじゃあ!!』って言われて
鶴瓶「うそ〜そんなんまで言うの?」
今田「はい、『審査員から聞くもんやろ!!』って怒られて・・・今でも緊張しますね会うと」
鶴瓶「師匠がいない分そうやな」
今田「僕らダウンタウンさんと一緒に仕事をすることが多かったんでラジオのヤンタン(ヤングタウン)とか終わったらそのままファミレス行って
大崎さんに『今日 おまえ何秒しゃべったかわかるか? 俺は数えてたけど20秒・・・2時間の生放送で20秒しか喋ってない』
鶴瓶「アッハッハッハ」
今田「そんなデビューして1年くらいで2人の(松本さん&浜田さん)フリートークで成立してんのに どうやって入れいうねん・・・みたいな
『はい、今日は30秒』 『今日は40秒』みたいな・・・」 >>144
そんなことしないでも、抜く割合を減らせばいいだけだろ 吉本興業元プロデューサーが明かす 「カネになり才能溢れる商品」にした大崎会長 竹中 功
2人の素質は、やはり高かった。明石家さんま、オール巨人、島田紳助の3人がNSC寄席を見に来てくれたとき、
「1組だけすごいのがおるな」と意見が一致していた。
ただし、NSCを卒業したあとは、ダウンタウンよりトミーズが評価され、賞レースでも結果を出していった。
どうして逆転現象が起きたのかといえば、トミーズの漫才は万人受けするものだったのに、ダウンタウンの漫才は
客を選ぶタイプのものだったからだ。それでも、2人は一般ウケを狙って迎合はしなかった。
独自の路線を貫いていたことが、現在の地位につながっている。
大ア現会長は、NSCの中でダウンタウンが頭角をあらわしだした頃、東京から大阪に戻りNSCを担当するようになり、
2人の面倒をよく見ていた。ダウンタウンを生み出したのはNSCであっても“カネになり才能溢れる商品”にしていったのは大アだったといえる。
そこには純粋な「ファミリー」があった
吉本にとって、1期生の存在は大きかった。彼らもまた、あの時代を大切にしてくれているようだ。
2008年(平成20年)9月、冨井が定年退職で吉本を離れることになったときには、1期生が自発的に集合をかけて
「冨井さんを送る会」を開いてくれた。芸人にはならず、一般社会で働いていたNSC同期の人間も含めて30人くらいが集まった。
伝説の1期生が集まるとなれば、それぞれのマネージャーをはじめ、吉本のスタッフは、誰もが参加したがったのだが、シャットアウトした。
芸人ではない吉本の人間で参加したのは冨井と私だけだ。2期生からは小間使い的な意味で2人ほど参加して、あとは1期生ばかり。
「仕事で行けない」と言っていた松本も、途中で顔を出していた。
あのときのあの居酒屋には、ヘキサゴンファミリーにも似た純粋な意味での「ファミリー」があった気がする。
なつかしく、幸せな時間があったのだ。 東野は正義のミカタが始まるまでは長年ごぶごぶで浜田と
今はワイドなで松本ととダウンタウンとずっと共演してるイメージ
今田は全然しないな(´・ω・`) 今田さんは創業家出身で戦前から1991年の死去まで吉本興業に君臨した故・林正之助会長と現経営陣を比較。
現経営陣のコミュニケーション能力の低さを指摘し、お笑いに携わる会社の経営者として資質に欠けるのではないかと問題提起した。
“ファミリー”とか“親”やと思てるとかは林正之助さんとかの流れですよ。それはずっとありましたけど、林正之助はほんまに親でした。
だから厳しい言葉も言いますけど、そこに独特のユーモアがあって、そこに独特の愛情があって、ほんまにこっち呼んで、飴あげる
みたいに”頑張れよ”とネクタイもらったりとか、ほんまそうゆう人やから(厳しいこと)言われてもそれを愛情やしギャグやとわかるんですよ。
だけど今はそれがわからへん。形だけマネしても絶対今の芸人さん、ましてや東京で活躍してるテレビに出てる(芸人以外の)芸能人の
みんなには絶対そこは伝わらない。
大崎、岡本っていう主流、ダウンタウンさんのマネージャーをやってましたよ。だから我々はそこの、もう若い時から、“オギャー”って
芸人なった時からお世話になってる人たちですよ。そういう人たちと一緒にやってきた我々はファミリーかもしれませんけど。
それは僕たちには伝わってますけど。でもやっぱり下の子らにはこれはファミリーやってゆうたかて態度でしめさないと。
頑固親父が全然会話もしない、しゃべらへん、なに考えてんのかわからへんって人が急に“俺ら家族やんけ”ってゆうたかて、
それは子供には伝わらないよ。それは亮もああなるし宮迫もああなるでしょう。
大崎洋っていう人は僕は恩人ですし、ずっと面倒を見てもらいましたし、見つけていただいた方なんで。片隅におった人間を。
恩人であることには変わりないですよ。“僕は若い時からこんな夢がある。芸人がみんな食っていけるように。”とかいろんな話を聞いてて、
実現できたらいいな、やれればいいな(と思った)。そのために会社も大きくしてるって今もどこか信じたいです。今もそうやっ
て信念は変わらずにやってくれてるはずやと信じたいですけど、これは僕の世代やからです。僕より下の子らと話したら“ここまで誤差があるんだ”って。
日、品川(祐)と会って話したんですけど“あの世代の人たち、東京の人たちとはここまで会社に対しての気持ちが違うんだ”ってのはあります。
それは”信頼できない”ってことです。 今田がダウンタウンのラジオやった後だと
他の現場が止まって見えた、と言って事が
凄く印象的 今田は仕事オフの時には今も松本とは接点あるでしょ
逆に東野は打ち上げ以外は仕事オフは全く接点ない感じ ダウンタウンで今田と東野は10億円以上は儲けたからな
師匠は大事
クリームの弟子のザキヤマはまだ2億円ぐらいしか儲けてない 東野がごっつのオリジナルメンバーに選ばれなかったのって何でなんだ
あの新喜劇のつまらんやつ要らんかったろ >>195
二丁目時代の東野は面白くなく松本にボロクソ言われてて
吉田ヒロは松本のお気に入りだった 深夜枠で大喜利やってた時にボケ度みたいな感じで序列作ってたよな
うろ覚えだけど、松本100板尾70木村65今田50ほんこん35東野15山崎0くらい 空気読めない奴って空気読んだ上で行動してるから東野はMCがそつなく上手い(´・ω・`)
世界のポリコレの潮流的なものも踏まえて発言してるよね(´・ω・`)
だから尊敬してる松本やさんまの昭和の男の考え方にに少し苛立ってるのが見てとれるね(´・ω・`)
ワイドナとかよく松本にイライラしてると顔に出てるね(´・ω・`)
ダブルコージの新番組やんねぇかな(´・ω・`) >>195
当時、吉田ヒロはダウンタウンの深夜番組で披露したギャグ100連発で大阪では大人気
松本も野沢雅子と一緒に「ちちくりマンボでキュー!」を東京でやりまくってた
相方の雄大とともに、ボブキャッツは可愛がられてたしヒロも評価されていた
「夕焼けの松ちゃん浜ちゃん」にもヒロは出てたし、とにかく人気があった
後に、ヒロがごっつをクビになって、大阪の番組で松本に茶化されてめちゃめちゃ悔しがってた
ヒロはその後新喜劇の座長になり、今は新喜劇の重鎮 ダウンタウンや今田や東野のマネージャーをやった岡本が吉本で上に上がって行くのは当然だろう。
任天堂で言ったらスーパーマリオとゼルダの伝説の開発の中心メンバーみたいなもんなんだから。 東野幸治:やっぱりピンの方がさ、自分の責任で結果出るから。そっちの方が性格的に好きやねん。
三谷三四郎:合ってるんですね。
東野幸治:合ってんのよ。
三谷三四郎:逆に、「今田さんと組めよ」みたいなの、周りから言われたことなかったんですか?
東野幸治:いや、なんかあったんかな?あったかも分からんけど、お互いピンでエエんちゃうかって。
三谷三四郎:うん。
東野幸治:今田さんはほんこんさんと組んでたりとかしてたし。
三谷三四郎:ああ。
東野幸治:稽古も行けへんし。
三谷三四郎:あ、そうなんですか。今田さん、練習とかしないタイプなんですか?
東野幸治:せぇへん。
三谷三四郎:協調性ない?
東野幸治:協調性ないし。「ネタ考えよう」って。「明日、喫茶店で詰めるとして、今日一応家帰って、それぞれネタ、アイデアみたいなん、なんか形だけでもエエから考えとこか」みたいなん言うて。
三谷三四郎:はい。
東野幸治:「あ、分かりました」って。先輩やし。
三谷三四郎:はい。
東野幸治:2人とも何も考えてけぇへん。
三谷三四郎:あ、2人ともなんですね(笑)
東野幸治:うん。
三谷三四郎:そこは2人ともなんですね(笑)
東野幸治:せやねん(笑) 三谷三四郎:『ごっつ』っていうのは楽しいんですか?それともお笑いのストイックさで苦しさとかあったりするんですか?
東野幸治:青春お笑い学校みたいなところやねん。
三谷三四郎:はぁ。
東野幸治:『ごっつええ感じ』終わって、色んな番組に行き出して。タレント活動をしていくっていう感じやから。
三谷三四郎:うん。
東野幸治:『ごっつええ感じ』はだから、今思えば、「青春お笑い学校」よ。
三谷三四郎:へぇ。先輩がいて、みたいな?
東野幸治:そう、そう。で、ダウンタウンさん凄いな、今田さん面白いなぁ、とか。130Rさん面白いなぁ、とか。
三谷三四郎:へぇ。で、終わってくじゃないですか、『ごっつ』が。でも、『ごっつ』終わってからもずっと売れてるじゃないですか。
東野幸治:いや、そんなことないよ。次、『いいとも』やりだして。何年か『いいとも』やってたのよ。
三谷三四郎:はい。
東野幸治:で、『いいとも』の後、『行列』かな。代表的な番組みたいなんで言うと。
三谷三四郎:ずっと売れてるじゃないですか。
東野幸治:それは事務所が大きいんちゃう?吉本興業、色々やってくれたりもするやろうし。
三谷三四郎:へぇ。
東野幸治:あとは人との巡り会わせみたいな、タイミングとかもあるし。 大崎会長、ナイナイ岡村に「新喜劇入ってくれたら…」スカウトした過去
大崎氏は自身の立場は“サラリーマン”としたうえで、「今田(耕司)、東野(幸治)とか、キム兄(木村祐一)とか、あの辺以降は、
わざとというか極力会ったり話したりせんとこって思って。サラリーマンとしてあまりやったらいかんちゃうかなって」と考えを明かした。
そして「ナイナイの岡村くんとやべっち(矢部浩之)とも1回食べただけや」と語った。
続けて、岡村とのエピソードを紹介。大崎氏は「大阪時代に、花月の舞台の袖にあの子が立ってて。『ナイナイの岡村くんとかいう子や』
って気がついて、寄っていって。その頃は漫才してたんやけども、『漫才やめて吉本新喜劇入ってくれたら、ルーキー新一という新喜劇
の超スーパースターがおったんやけど、ルーキー新一みたいになれるから、新喜劇入ってくれたらうれしいんやけどな。そんなん無理やろうな』
って急にぼそぼそ言って。岡村くんはたぶん『なに言うてるねん、コイツ。急に』って思って、会話もなしに終わったんやけど、思い出はそれだけ」と振り返った。
これに対して、ゲスト出演したロンドンブーツ1号2号の田村亮が「だけど、岡村さんがいまだに言うのは、『吉本新喜劇には、俺はまだ籍置いてる』って。
練習生みたいに何カ月かいたんでしょう。ときどき、言ってますね」と言うと、大崎氏は「ああ、そう…」と驚きつつ、
「もちろん今の岡村くんの方が売れたし、お金持ちにもなったし、あれやけど。新喜劇やってたら、新喜劇が変わったなっていまだに思うけども」と話していた。 ≪メールの内容≫
「大崎氏は昔、『舞台袖にあの子(※岡村)が立っていて、“漫才をやめて、新喜劇に入ってくれたらスーパースターになれるから嬉しいねんけどな。
それは無理だろうな”とボソボソと言ったが、岡村くんにたぶん、“急に何を言っているのか”と思われて、会話も無しに終わった。思い出はそれだけ』と振り返っていました」
そんなメールをきっかけに、岡村は吉本新喜劇に加入した経緯を語った。
「新喜劇に関して、大崎会長とお話したことは全然覚えてないんですけど、新喜劇にいた時代はあります。
たぶんね、新宿シアタートップスとかいう劇場みたいなのがあって、そこで初めて、天然素材のメンバーがコントをやったり、
ダンスしたり、お芝居をやったりしたんですよ。
その時に、木村常務が……その時は部長だったかな? 見に来てくださって、その人が『あの小さいのは新喜劇や』と言われて。
それで、すぐに天然素材を担当していた方から、『岡村くん、新喜劇に行って』と言われて、『え!?』ってなって。
それで僕が入った時は、ちょうど今田さん、東野さん、ほんこんさんらが座長になっていたんですけど、その人たちが東京に行くと。
(新喜劇を)抜けるから、次の新しいメンバーとして、僕らとか新しい人たちが入っていくんですけど。
ABCのお笑い新人グランプリを取ってすぐくらいだったんで、ネタをやっていきたい時期に、コンビで頑張っていかないとアカンって
思ってる時に僕が一人だけ、新喜劇に入ったんですけど。
新喜劇に入れてもらって、(池乃)めだかさんと絡んだときに、“ドーン”という笑いが。それは、めだかさんがイジってくれて笑いになっているだけでしたけど。
『また、面白い奴が入ってきたな〜』みたいな。小さい2人がケンカするコントみたいなのを作ってくれて、それをやったら、ダーッとウケて。
NGK(なんばグランド花月)の2階席から笑いが降ってくるみたいな。『こんなにウケるんや』と思って。(NGKでは漫才で)2週間、ダダスベリしたからね。
2〜3ヵ月っていう、短い間しかいなかったけど、めだかさんから『岡村くん、こんなのどう?』って言われて。ケンカする時のやつ(ミニコント)があるけど、
『おい!』って僕が胸ぐらをつかまれて、そのつかまれた胸ぐらをグーっと返していったら、めだかさんがクルっと持っていかれて、
『おい! お前、どないすんねん!?』、『お前が、どないすんねん!』っていうのが1つ生まれたんですよ。それだけでもめっちゃウケて。
エエ勉強させてもらえたな、って思っています。
裏では、大崎会長がもしかしたら、『新喜劇に入れたらいいんじゃないか?』って言ってくれたのかもしれないですね。喋ったこと自体は覚えてないんですけど」 東野幸治:『4時ですよーだ』っていうダウンダウンさんの月-金の夕方の帯番組が始まって、2年ぐらいで。関西でもうダウンタウンブームになって。
次、東京に行かなアカン、『4時ですよーだ』終わる、で、東京でウンナンさんと清水ミチコさん、野沢直子さんでフジテレビで『夢で逢えたら』っていうコント番組が深夜で始まる。
で、大崎さんはダウンタウンさんの担当外れて、次上司に言われて、「吉本新喜劇やめよっかなキャンペーン」の担当になるんですよ。
で、ある日、今田さんや俺や、130Rさんね、ほんこんさん・板尾さんや、木村祐一や、ボブキャッツのヒロやみんな呼ばれて。「次から吉本新喜劇やれ、お前ら」って言われて。
「え?」ってなって。別に新喜劇嫌いなわけじゃないけど、さんまさんとか紳助さんに憧れてこの世界入ってきたから、「いや、別に新喜劇はやりたくないです」って。
今田さんとかほんこんさんに、「それやったら辞めますわ」「辞めてどないすんねん」「いや、東京行きますわ」って、若かりし僕は言って、偉そうに。
で、大崎さんに言いに行って、「辞めます、別に新喜劇やりたくて入ったん違うんです」って言ったんです。ほんなら、大崎さんが「そんなこと言うな。
とりあえずやめよっかなキャンペーンを成功させて、その後、大阪でテレビ出たり、東京でテレビ出たり、ダウンタウンと一緒に番組やったりとかしてったらエエやないか」って。
「大丈夫、大丈夫。お前は売れる、売れる。売れるから心配するな」って言われたんですよ。「じゃあ、分かりました」って帰ってきて、
今田さんとかみんなに「これこれ、こういうふうに言われました。ホンマですか?そんな売れますかね」って。 池乃めだか―やがて「やめよッカナ?」キャンペーンが来ます。
お客さんが新喜劇始まったら、帰ってしまう。会社としては、これではいかん、なんとかしないと、ということになったんでしょうね。
その前に肩たたきがあったんですよ。
今、自主的にやめられる方がいたら申し出てください、その方は給料の(当時は給料制)3か月分を渡します、と。
手を挙げた人は2人か3人。だからやめた人は少ないですよ。
その後、新生・新喜劇をなんばグランド花月(NGK)でやる時(1989年)に、10月に「真田十勇士」を1か月やったんですが、
その時に大ア(洋・現吉本興業社長)さんが、稽古が始まる前に、「今ここに出てもらっている人たちが、これからの新喜劇のメンバーだと思ってもらって差し支えございません」
と言われた。
そこから今田耕司とか東野幸治とか、木村祐一、ほんこん、板尾創路、石田靖、そこに吉田ヒロとか島田珠代とか若い子らと合体して新しい新喜劇が始まったんです。
その時に残っていたのは、桑原和男さん、井上竜夫さん、原哲男さんくらい。中山美保さん、末成由美さんも出てなかったね。
とりあえず大アさんが「今までのギャグは封印してください」と言うて、「真田十勇士」を1か月間やったんですけどね、どないしようもない感じで…。
11月はうめだ花月に出て、12月にNGKで「チュウチュウ忠臣蔵」が1か月あったんですよ。
その時また大アさんが稽古が始まる前に、
「ギャグは封印を解きますから、どんどんやってください。めだかさんもカニバサミやってください。」
となって、現在の新喜劇にだんだん戻ってきたんですけどね。
若い子の中には「新喜劇をやるためにNSC入ったのと違う」と言ってる、というのを聞いたこともあるけど、会社から言われたからしょうがない、という子もいた。
でも芝居の面白さに目覚めてくれた子も居る。今田君もそうやし、板尾君もいま、俳優っぽいでしょ。
でもまあ最初、半年くらいはやっぱり、ギクシャクしとったね。ただ僕らも吸収するものがあったからね。
そんなことしたらアカンということも多々あったけど、こういう形もあるのか、それもアリかみたいなことも。
向こうは向こうでおっさんらがやってる古いのを見て、こうしたら大きい笑いが取れるとかを覚えたり。
互いに吸収しあいつつ、エエ感じになってきたな〜と思ったら、みんな東京へ持って行かれたんですよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています