【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】

 布施明は1975年、『シクラメンのかほり』が大ヒット。大きく売れるとそのイメージが強くなり、その後の方向性が難しい。77年、布施の担当になった僕は、松本隆さんの都会的な詞の世界とドッキングした作品を作りたいと思った。

 松本さんの仕事場に行くと、本棚に本がいっぱい並んでいた。松本さんはバンド、はっぴいえんどのドラマーというミュージシャンのイメージが強かったが、実際に会うと、文学青年の香りが全身に漂い、物静かな居ずまいの人だった。

 そして、優しい語り口で「最近ね、島尾敏雄や小川国夫なんかを読んでるの」と言われた。ともに自然と神と人間の関わりを描いた作品が多い。なんとなくこれがヒントだよと感じた。あらかじめ詞の構想をめぐらせていたのかもしれない。打ちあわせは雑談ばかりで細かい話にならなかったからだ。

 “都会のあなたに送る葉はくれないに恋の彩りでしょう”…。そうしてできあがったのが、万葉集の文庫本を手に、奈良の斑鳩を旅し、都会にいる恋人を思う『旅愁〜斑鳩にて〜』だった。

 松本さんは作詞以外に小説『微熱少年』を書かれている。東京のバンド少年の夢と淡い恋が描かれた青春物語。映画化もされたが、自信作には程遠いものだったそうだ。

 作詞を始めたのは、いつも本を持っていたので細野晴臣さんから詞を書いてみろといわれたのがきっかけ。歌謡界に躍り出たのは75年、太田裕美の『木綿のハンカチーフ』のヒットからだ。

 80年代に入ると、松田聖子の6枚目のシングル『白いパラソル』から手がけており、25曲あるオリコン1位のなかで17曲が松本さんだった。寺尾聰の『ルビーの指環』では第23回レコード大賞を受賞した。

 作曲家の筒美京平さんとの東京生まれコンビで、多くのヒット作を生んでいる。都会で生まれ育ち、青山を中心に麻布、六本木、乃木坂、渋谷界隈(かいわい)を知り尽くしているからこそ、「都会の絵の具に染まらないで帰って」と地方の若者も都会育ちの若者も分かち合える心象風景を見事に描けるのだ。

 女性は、詞の世界を男性より敏感に感じ取る傾向が強いことは脳科学的にいえるという。若い女性歌手に人気があるのもそのあたりだろう。

11/6(金) 16:56配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/517ef41a74a8ed56008c8aad7ae09df63e287e75
https://i.imgur.com/2P0QhBc.jpg