0001征夷大将軍 ★
2020/11/06(金) 08:31:26.51ID:CAP_USER9スーパースターと全く同じ名前でさぞ苦労の多い野球人生だったのかと思いきや、もうひとりの坂本勇人はうれしそうにはにかんだ。「名前が一緒ということで覚えてもらえることが一番、得したかなと思います」。そして「坂本勇人選手に負けないように。自分の活力にもなりますし、これから頑張っていければと思います」と背筋を伸ばした。
2002年生まれの坂本捕手。当時の野球界で注目を集めていたのが、宮崎・日南学園高からダイエー(現ソフトバンク)入りした剛腕ルーキー・寺原隼人だった。父・光三さん(49)が「『はやと』っていいな」と気に入り、画数を考慮し、曽祖父の「勇(いさむ)」さんから1文字もらって「勇人」と命名された。
06年のドラフトで坂本勇人が巨人から指名されると、唐津の坂本一家も大盛り上がりだった。坂本少年が巨人の背番号6を認識したのは「小学校6年生くらい」。2012年に最多安打を獲得した翌年で、スターダムを駆け上がり始めた頃だ。同じように小さな坂本勇人もメキメキと力をつけ、佐賀の野球界に名をとどろかせた。そして2020年。2人の野球人生は、ついに交錯することとなった。
登録名について、武田チーフスカウトは「会社と相談しながら。本人の意向もあるでしょうから。今後の楽しみとしてお待ちください」。さらに、チーム内で2人をどう呼び分けるかも大きな懸案事項だ。唐津商野球部でも最大6〜7人の「坂本」が同時に所属していたことがあるというが、「はやと」であっさり解決。
もちろん、2人が同じ舞台に立ってこそ生じる問題だ。「一日でも早く支配下登録されるように。阿部2軍監督のように、打てる捕手を目指してやっていきたいです」。高校通算16発で、肩にも自信あり。ダブル坂本勇人のそろい踏みを、誰もが待っている。
スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20201105-OHT1T50333.html