プロ野球の南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王を獲得し、南海やヤクルト、阪神などで監督を務め、2月11日に84歳で
亡くなった野村克也さんの遺品などが、総合商業施設、なんばパークス(大阪市浪速区)にある「南海ホークスメモリアルギャラリー」に
展示されることが28日、分かった。同ギャラリーには現在、野村さんに関する展示はなく、南海時代にバッテリーを組んだ江本孟紀氏(74)
=サンケイスポーツ専属評論家=が発起人となってプロジェクトを推進。ギャラリーのリニューアル費用はクラウドファンディングで募る。
なんばパークスは、野村さんが現役時代に本拠地とした大阪球場の跡地に整備された。南海へ昭和29年にテスト生として入団し、
努力を重ね、パ・リーグを代表する捕手へと成長していった地に「野村克也」の4文字が刻まれ、在りし日の写真や記念品が
「里帰り」することが正式に決まった。

今回の「おかえり! ノムさん大阪球場に。」プロジェクト発起人の江本氏は「以前から、野村さんの名前がないことは知っていました。
古いファンからも『なんでノムさんがいないんや』と聞かれたものです」と説明する。

さらに「ヤクルトなどで監督として実績を残されたけれども、私に言わせればあれは仮の姿。長嶋茂雄、王貞治(ともに元巨人)という
大打者に匹敵する『選手・野村』こそが本当の姿。一番実績を残し、一番輝いたのが南海ホークス時代」と力説する。生前の野村さんとの
会話の中でも、言葉にこそ出なかったが「帰りたい」という思いを感じ取っていたという。「南海の野村」に再び光を照らす今回のプロジェクトを
「あの世で喜んでいるでしょう」と代弁した。

常に世間の脚光を浴び続ける長嶋、王に対して「王、長嶋はヒマワリ。俺は日陰にひっそり咲く月見草」とした名言が生まれたのも
南海時代だった。だが、決して「ひっそり」ではないことは、今回、なんばの地に戻り、功績が展示されることで十分に示されるはずだ。

52年に南海の監督を解任されて以降、さまざまな事情が絡み合い、エアポケットになっていたホークスの歴史が、野村さんの遺族の了解、
南海電鉄の協力でよみがえる。ギャラリーのリニューアル費用を募るクラウドファンディングの概要は11月4日に発表される。実に43年ぶりの
「おかえりなさい、ノムさん!」へプロジェクトが動き出す。

https://www.sankei.com/sports/news/201029/spo2010290003-n1.html