【野球】ドラ1候補なのに指名拒否。杉浦正則と 志村亮が会社員の道を選んだ理由 [征夷大将軍★]
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ひとりは、慶應義塾大学野球部で通算31勝をマークした志村亮だ。
桐蔭学園(神奈川)で2度甲子園を経験し、大学進学後は1年時から勝利を積み重ねていく。5試合連続完封、53イニング連続無失点といった輝かしい記録を達成するなど、複数球団が獲得を狙う選手になった。
しかし1988年秋のリーグ戦を締めくくる慶早戦で投球を終えたあと、当時4年生の志村は試合後のキャッチボールをしなかった。「もうこの左腕を使うことはない」と決めていたからだ。
プロ野球のチームからの誘いは、4年生の春の時点で断っている。そして志村は、野球部がない三井不動産への就職を選んだ。
『通用するかしないかわからないけど、自分の力を試したい』と言って入る世界ではないと思っていました。プロ野球は本当に厳しい世界で、体を壊したり、実力が足りないと判断されたりするとすぐに戦力外通告を受けますから。それでもいいから、一生を捧げるつもりで入るかと考えたら、そうではなかった」
ユニフォームを脱いだドラフト1位候補は、スーツ姿で通勤電車に揺られるサラリーマンになった。
「いろいろな業種の中から三井不動産という会社を選んだのは、不動産の仕事と、三井不動産が好きだったから。それならば頑張れるはずだし結果も出せるはずだと、前向きなプレッシャーを自分にかけました」
【プロ野球よりもオリンピックを選んだ男】
もうひとりは、バルセロナ大会からシドニー大会まで、3大会連続でオリンピックに出場した杉浦正則。橋本高校(和歌山)時代は甲子園に出場できなかったものの、名門・同志社大学のエースとして関西学生野球リーグで通算23勝。1990年秋の明治神宮大会では日本一に輝いた。
大学卒業後は社会人野球の名門・日本生命に進み、チームのエースとして、そして全日本のエースとして投げ続けた。オリンピックに出場する全日本メンバーが完全にアマチュア選手(大学、社会人)で構成されていたのは1996年のアトランタ大会までだが、杉浦はプロ野球の選手が参加するようになった2000年のシドニー五輪で主将を務めた。
オリンピックかプロ野球か――。第一線で活躍している間、ずっとその去就が注目されたピッチャーだった。それでも「プロでも確実にふたケタは勝てる」と評価された男は、一度もプロのマウンドに立つことなくユニフォームを脱いだ。"ミスターアマチュア野球"と言われたままで。
「どうしてプロ野球に行かなかったんですか?」杉浦は、何回この質問を受けただろうか。
「タイミングとか縁とか、そういうものもあってプロに行かなかった。僕がプロ野球に行かなかったのは、オリンピックにはアマチュア選手しか出られなかったというのが大きな理由です。もともと『プロ野球選手がオリンピックに行ける』というルールだったなら、また違った選択をした可能性もあります」
プロアマ合同チームで臨んだシドニー五輪では、準決勝でキューバに0−3で敗れ、3位決定戦でも韓国に1−3で競り負けた。杉浦は自身最後のオリンピックでメダルを獲得することができなかった。
もし杉浦のプロ入りに適したタイミングがあったとするならば、1992年のバルセロナ五輪を終えたあとの、24歳の時だったかしれない。
「その時はヒジを痛めていて、痛み止めを打ちながら投げていました。結果は銅メダルに終わったので、『金メダルを獲りたい』と思い、アトランタにかけました」
【プロ野球を選ばなかった人生、それぞれの結論】
あの決断に後悔はないのか?――ふたりに同じ質問をぶつけた。
今も三井不動産に勤務する志村は言う。「自分が不動産の仕事に合っていたのかどうか、他の仕事をしたことがないので比較はできません。でも、向いてないと思ったことは一度もありません。野球を続けなかったことを後悔したこともありません」
オリンピック3大会に出場して、銀メダルと銅メダルを獲得した杉浦は、20000年シーズンを最後に32歳で現役を引退。その後は日本生命で投手コーチ、監督を務めるなどしてチームを支え、現在は日本生命の営業部長を務めている。
「最後と決めたオリンピックが終わって、自分の中に目標がなくなってしまいました。後悔は誰にもあるものだと思いますが、僕は後悔のない決断をさせてもらいました」
彼らがプレーした1980年代、1990年代とは、プロとアマチュアの関係性は大きく変わった。プロ経験者が高校や大学、社会人の指導者になることも増えた。だが、志村が言ったように、「覚悟のない選手が足を踏み入れちゃいけない世界」であることに変わりはない。
長文の為一部削除 2020.10.26 Sportiva https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/10/26/___split_198/ 志村はよく覚えてる
今出世したみたいだからね
泣かず飛ばずだったら大卒で一流企業入ったほうがいいんだよな ドラフト1位で契約金1億円貰ってから1年目、2年目で引退して就職でも良かっただろ
良い大学出てるし卒業2年目3年目で元プロ野球ドラ1の肩書きもあれば就職できそうだし >>1
17980年後でも投げてる杉浦w
間違ってるのは年齢 プロ野球はJリーグと違って本当に狭き門だし
チーム数少いからクビになったらダラダラと現役続けられないからね 六大学の野球部なんて
プロ入った方がいいのかわからんような
高級取りのエリートの道が約束されてんだから
別に驚くべき選択でもないわな 結局たらればだからな
プロに入ってメジャー行って巨額な年俸もらう奴もいれば
鳴かず飛ばずでひっそり引退する人もいるし
拒否した人がどれだけ活躍するかなんて誰にもわからないからな ( ・ω・)( ・ω・)( ・ω・)
懐かしいな志村
三田の大学の図書館のトイレの洗面台でばったり出くわしたなあ
あの時代なバブル真っ盛りだったもんな
野球よりも不動産に就職
そりゃそうだって思ったなあ 慶応に落ちた高橋も保険を掛けたかったんだろ。
兄貴が高校大学と慶応野球部で鳴かず飛ばずだったのに、大手に就職してるのを見てるからな。 野球だけやって営業部長というのもなぁ。
客相手に仕事したこと無いだろうに。 20000年
20002年
最近、過去を振り返る記事だとこういう感じの表記が新聞でよく見るな
ヴァカが記事書いてるのか 斎藤や清宮の例もあるから
案外正解かもね
当時、豊田泰光が悔しがってたけど >>17
日生は野球部閥が強いんだろう。
野球部OBで役員とかいるんじゃね?
この先安泰とも思えないけど。
広島名古屋と廃部を決めた三菱重工なんか、会社がヤバくてもう野球どころじゃないもんな。 今なら、チャレンジしたと思う
志村は正解だった
球自体は速くはなかったし、何よりプロの年俸がひどかった
パなんて客がおらんし >>17
阪神にいた盗塁王 赤星とかJRに就職してたから
車掌として電車に乗っていたというのに
企業側から正社員としてオファーして就職してるぐらいだぞ
ただ近年は契約社員として採用だと1年更新で斬られる どっちも今や一流企業の幹部だからな。後悔はせんだろ。 >>4
ドラ1が1〜2年で辞めるなんて球団が許さないだろ >>4
そんな守銭奴批判されない訳ないだろ
そんなヤツが営業に来て誰が話聞くかよ >いろいろな業種の中から三井不動産という会社を選んだのは、不動産の仕事と、三井不動産が好きだったから。
こんな幼稚園児みたいな理由で天下の三井に入れるのか
体育会ぱねえ >>27
ロッテドラ2の京大くんは2年が3年で辞めてるな。
本社の社員として紹介しようした球団の誘いを振り切って、4年時に内定もらってた三井物産に新卒扱いで入社した。
たぶんプロ入りで内定を辞退する時にもし野球がダメならウチで面倒見る、みたいな話をしてたんだろうと思う。 当時は中途入社なんて白い目で見られていた時代だからな >>28
一昨年の時点だと三井不動産リアルティ ソリューション
事業本部部長だったかな エリートはいいよな俺なんてキチガイクレーマー担当だぞしかもずーっと >>35
当時は独立リーグはないし、プロになればアマチュアに戻るのはハードルが高かった >>36
リハウス事業の会社に出向か。
流石に花形部署じゃなさそうだな。 志村がプロ入り拒否した昭和63年のプロ野球界は
日本人の1億円プレーヤーは落合一人だけという状況w >>17
この人と仕事をしたがる客がたくさんいるよ 不動産はイヤだわ
完全に給料目的で夢がない
あの時代NTTとか
パソコンメーカーに行けば
凄い事になったのに プロに進んでも、その寿命はどんなに長くても30代までだからね。
そこから第二の人生と考えたら、会社員を選ぶのは悪い選択じゃないと思うねえ。 この人達の時代って球場ガラガラで流しそうめんしてた頃か? >>44
早慶卒なら選手としてダメでも居場所作ってもらえるけどね。
巨人ドラ1の大森とか、西武ドラ1の高木大成とか。 >>47
なんだかんだ学歴って大事なんだよな
取締役とか同じ大学だとかわいがってもらえるし 杉浦は今みたいにプロを引退してアマに復帰できれば、プロ入りしてたかもという話はしてたと思うけど。 >>4
プロで5年も通用しなかったクズを誰が雇うんだよ
大企業は慈善団体じゃ無いんだぞ? 中日の阿部が26歳でドラフト5位指名されたときの記事
↓
https://toyokeizai.net/articles/-/95085?page=4
26歳でホンダを辞めプロ野球に挑む男の真実
安定は捨てられても、「夢」は捨てられない
>「一般サラリーマンの生涯賃金を3億円としよう。もしプロで同じ額を稼ごうと思っても、
10年間続けて3000万。税金で半分取られることも計算したら6000万ないと負け。
プロの平均在籍年数は9年、引退年齢は29歳、平均年俸は3800万。1億円プレーヤーに
なっているのはほんのひと握りだよ。それでもプロに行きたいか?」
>夢を追うか、現実に生きるか。しかし、長谷川監督がいくらプロ球界の厳しさを説明しても、
ほとんどの部員は「夢」を取るという。それはまた、阿部も同じだった。
「リスクを回避してばかりいた僕でも、子供の頃から『プロになりたい』という一本の芯が
ずっとありました。ほかの芯は折れてもいいから、この芯だけはリスクを考えずに追いたい。
大卒4年目の僕を評価してくれる球団があるということ自体、ありがたいことです。
人生は1度きりなので、プロに行かないで後悔するより、行って後悔したいんです」 >>23
逆だと思う
志村の時代はプロ野球人気の全盛期
あの時代ならスーパースターになれた
しかし志村が引退を迎える頃にはプロ野球人気に陰りが出始め、引退後は斜陽産業のOBみたいな扱いになっているのが現在
今の時代ならプロ野球より現実的な選択をした方がいい プロ志望にしておいて拒否したってことなの杉浦さん? ドラ1なら最初の5年間でサラリーマンの生涯賃金の倍は確実に貰えるのに 今みたいにに平均年俸高けりゃそら後悔もするだろうけど当時のプロの年俸じゃあ将来不安しかない
サラリーマン選んで大正解 >>30
バブルによる就職売り手市場の1年目とされるのがこの1988年 >>56
もらえねえよバカw
多額の税金も持ってかれるのにどんだけ成績残さなきゃ到達しないか分かってる? >>55
当時はプロ志望届けはないので、入る気がなくても指名されることがあるから 阿部の年俸まだ3000万
今年活躍しても
たぶん6000万行くか行かないかくらいだろう
まあでも阿部はプロ行ってよかったってなりそうだけど 志村は巨人が狙ってたんだよね
よく振り切ってリーマンになったわ
感心する >>42
>>45
釣り馬鹿のハマちゃんみたいだな 志村は慶応というのも大きかったかもしれないな
慶応はたぶん日本の大学の中で、良い会社に入るのを良しとする風潮が一番強い
周りの学生がどの会社に入りたいかを話題にして、その話題に混じってるうちに影響を受けてしまったのかもしれん >>54
小林繁は8年連続で2桁勝った年の給料が年俸3400万円だぞ
菅野とか今年俸6億もらってるだろ
今6億円もらえる仕事なのに当時は3400万円しかもらえていなかった
だから、今の選手はダラダラ1年も長くと現役長く続けようとする >>68
慶応でちゃんと授業に出て卒業まで漕ぎ着けてる時点で、野球バカとは違うメンタルなんだろう。
地道にコツコツと積み重ねるリーマン人生の方が、良くも悪くも波乱万丈の人生になりやすいプロ野球選手よりも、自分の性に合ってたんじゃね? >>70
松坂なんて最後に2桁勝ったのが28歳のシーズンだもんな。
江川が32歳で引退したシーズンの成績が13勝5敗とかだったはず。
平成の30年間でプロ野球選手の待遇がメチャクチャ底上げされてる。 でもドラ1なら、素行不良や球団ともめなければさ
活躍できなくても、球団職員やスカウトで引退後も面倒みてくれる球団が多いけどね 五輪のやきうなんてゴミ競技なのになんでこの人はキャリア捧げちゃったんだろ? >>26
さんぷの部長なら1000万楽々いくだろうしな 当時子供だった俺でも志村とロッテを拒否った小池は憶えてる 桐蔭から慶應なら高橋由伸と同じだな
まあたぶん普通に成績優秀なんだろうな >>75
今の状況見てみろよ、解説の仕事もなくフロントに入れるのもほんの一握り。球団が面倒見る?コロナ禍の今どうなった? それより巨人ドラ1断って愛知学院だかの先生なった人だせよ 三井不動産と住友生命ならそりゃ安定を求めるのも分かるよ 俺なら、プロを目指してしまうな。
結局、今もフリーランスだし
どっちが正解かわからんけど、断った勇気は凄いな >>86
杉浦は日本生命だけど、サラリーマンの方が性に合ってそうなキャラだしね。
以前自宅で取材受けてたけど、どこにでもある建売住宅に地味な奥さんと娘2人だったかな?と住んでたし。
五輪云々は建前で、やっぱりプロで活躍した日本代表のチームメイトとは才能の差を感じてたんだと思うわ。 まぁプロになるのは夢だったろうし
その後どんなに落ちぶれても元プロ野球選手って肩書はつくからな
難しい選択だな 大人になれば一流企業選ぶ人も多いだろうがガキだと
プロ野球憧れちゃうやろな 当時のスポーツ紙で都市対抗やらオリンピックの
記事で「杉浦正則(日本生命)」が会社のイメージ
アップとなり先輩社員に連れられて回る営業に効
果があっただろうな
お客さんにスポーツ紙愛読者多そうな時代だったし
これも社員としての実績 >>17
ヤクルトの杉浦だって引退後に江東区の営業部長から支店長だぞ ドラフト上位のほとんどが消えてるプロ野球だからな
プライド高くほざいてるけど
本音では自分がプロで通用しないことが自分でわかるから選ばなかっただけだ
アホくさ >>89
ほんとのところは肘の故障で自信もなかったというインタビューが昔あったと思う
バルセロナの後に手術してるからなー >>2
俺もよく覚えてる。投げてるボールよりも守備、牽制などのセンスが凄く良かった
桑田、マエケンの系譜 志村は1988。
契約金もまだ安くて年俸も低かった。
3年でクビになってたら何の実績価値もなく、会社員としても詰む
そして就職も余裕。
選択としては間違ってない
数年後なら話が違うだろうけどな。 ドラ1指名された選手で契約金を除く年俸だけで
生涯3億円以上稼いだのって全体の1割に満たないのでは? ヤクルトで活躍した杉浦さんは引退後、ヤクルト本社の営業部長やってたっけな ドラフト上位で見込まれて入ったのに
1度も1軍になれないまま辞めるってどういうこと?って思う
育て方が悪いの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています