【サッカー】無名で来日→まさかのブレイク。 Jリーグから大出世した助っ人たち [砂漠のマスカレード★]
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Jリーグの歴史を紐解けば、外国籍選手の存在を抜きには語れない。規格外のパフォーマンスで今季のJ1を席巻する柏レイソルのオルンガのように、いつの時代も強烈な"助っ人たち"がチームの浮沈を左右する影響力を放っている。
とはいえ一方で、来日時には無名であっても、Jリーグで下積み生活を送り、のちに世界に羽ばたいていった選手も存在する。今回はその中から、Jリーグで研磨を積み、母国の代表にまで上り詰めた選手たちを紹介していこう。
その筆頭は、リーグ黎明期にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に在籍したアモローゾだろう。
1992年7月にブラジルのグアラニからの期限付き移籍で加入した19歳のストライカーは、サテライトリーグで結果を出しながらも、当時最強を誇ったV川崎の分厚い選手層に阻まれた。外国籍選手枠の影響も受け、ついにJリーグの舞台に立つことがないまま、帰国の途についている。
その意味ではJリーグの経験がのちの成長を促したとは言い難いが、日本一のタレント軍団のなかに身を置いた日常が、伸び盛りのティーンエイジャーのポテンシャルを開花させたことは想像に難くない。
グアラニに復帰した1994年、アモローゾはブラジル全国選手権で得点王となると、ついには欧州移籍を実現。イタリアではウディネーゼで、ドイツではドルトムントでそれぞれ得点王に輝いている。
け警告を受けることも多く、試合後に「Jリーグ、ムリ」とカメラに向かって不満を爆発させることもあった。
その振る舞いから悪童のイメージがついたものの、フッキが欧州に渡ったあとに東京Vは大きく低迷し、1年でJ2に降格したことからも、その影響力は絶大だった。
Jリーグの枠に収まり切らなかった男は欧州でもその力を見せつけ、2009年にブラジル代表に選出。母国で開かれた2014年のワールドカップにも出場している。
このふたりとも劣らないシンデレラストーリーを歩んだのは、京都パープルサンガでプレーしたパク・チソンだろう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201024-00909310-sportiva-socc
10/24(土) 6:50
https://i.imgur.com/GxyqGVO.jpg
https://i.imgur.com/vGCNGSx.jpg >>167
初年度前期にいたハンセンはオランダリーグで主将をつとめ、リーグ戦も数百試合出てたつわものだったが
ハンセン退団後にペレイラと組んでたロッサムはそんなにオランダリーグでは出てなくて、来日前はイングランドの2部にいた選手だった
>>195
朴智星の後任として高宗秀を獲得したが、韓国版の礒貝みたいな選手だったなw
98年W杯に20歳手前の若さで3試合とも出場し、日本の中田英寿に対抗するファンタジスタとされていたが故障とサボり癖で劣化
02年W杯は代表落ちし、サンガでもまともに戦力にならず
途中就任のピム監督がオランダから息子が生まれたばかりのウインガーのレジリオ・シモンズを連れてきて高はクビ
レジはまあまあ頑張ってたがチームは不振で降格
その息子が今PSGで神童と呼ばれているシャビ・シモンズ マッサーロはケガが不運だったよね
国立での鹿島との首位決戦、秋田の反則タックルで潰されて半年以上も松葉杖で歩行してたから
平塚(湘南)戦でのハットトリックは一階ゴール裏で観戦してたけど
まじで凄かった鳥肌たったよ >>215
ポーランドリーグ得点王4回
06年W杯予選では9得点をあげ、本大会出場に大きく貢献したが故障で本大会には不出場
実は名古屋加入前にいたのはヴェンゲルの故郷ストラスブールで既にポーランドから一度出てた
>>228
デュリックスが退団して、リカルジーニョも持ち過ぎかつ守備意識が低く中盤がガタガタ
それを一気に立て直したのがバウドだったな
当初はケイロスのツテでハンガリー代表でポルトにいたリプチャイに声をかけたが失敗し
代わってベンフィカにいたバウドを獲得した
本当に33歳なのかと驚くくらい運動量があってキックも正確、特にFKはストイコビッチより正確だったかも >>40 パリの 主力選手 日本に来た
地味すぎて知らないだろうが
ブラジル代表 Wカップ も出てる 99年の川崎でトゥットとコンビ組んでたティンガは
後に代表デビューとドルトムントに移籍してる エムボマはJリーグはあんな凄かったのに
W杯では普通の選手だったな マリノスはビスコンティもいい選手だったな
アルゼンチン代表で10番つけたこともある ポルト時代のフッキは正にモンスターだったな
とんでもないパワーでゴール決めまくってた >>242
バルボはバランサーだったな
GKイスラス
守備陣はRBセンシーニ(ディアス)、CBカセレス、ルジェリ、LBチャモ
レドンドとシメオネが引き気味に位置して前がマラドーナ、バティストゥータ、カニージャでバランサーがバルボ
あるいは3ボランチでバルボは頻繁に前にって感じとも
中盤でサイドハーフタイプが誰も居ないのよな
なおマラドーナが薬物反応で出場停止となった第3戦ブルガリア戦ではレオ・ロドリゲスが代役(後半途中で当時マリノスにいたメディナベージョ)
カニージャが25分で故障してオルテガに代わってる
決勝Tのルーマニア戦ではバスアルドとオルテガが中盤前でバティとバルボが2トップに入っていた >>398
ビスコンティすごいよねー
ピクシー、アルシンド、ビスマルク、ジーニョとかと同じくらいレジェンドというか >>256
角刈りのいかついCBでフィジカルがかなり強かった
左利きの岩政みたいな感じだったかな
ややスピードに欠けてたのと、左利きで右足のフィードに問題があったような
>>285
トリビソンノは代表歴すらない >>396
W杯ではボランチできる奴がいないという理由でボランチやらされてたからな
カメルーンだから仕方ない >>306
佐々木博和は松下→ヴェルディ→セレッソで
代表に選ばれたこともありペレもその技術を讃えたというドリブラーだった
松下電器サッカー部創設時に入部し、91年元日の天皇杯で松下初優勝の試合でも途中出場
元々MFだがヴェルディではSBの控えでちょっと出てた
セレッソのジュニアユース監督時代にフットサル日本代表にも選ばれており技術は健在だった
現在もフットサルの指導やってる >>164
というかブラジルはペレ時代のニウトンサントスやジーコ時代のジュニオールとかロベカルみたいな攻撃的サイドバックは昔からいたしロベカル以後もマルセロがいるようにもう伝統なんだよね >>396
カメルーン代表でもキャプテンマークつけたことあるし
結局カメルーンのメンツでも1番体格がよかったからね。凄くないってことはないよ。
ストライカーをやらせてもらえなかっただけで。 >>203
あの当時のユーゴ代表ってただ上手いだけの選手とかいくらでもいたからなあ >>347
90W杯チェコスロヴァキア代表の主将で8強
外国リーグに出てて、フランスのストラスブールから広島にやって来た
ちなみに同大会のチェコスロヴァキア代表監督がのちに市原監督のベングロシュで、その後任の市原監督が同大会ユーゴスラヴィア代表監督だったオシム これ磐田のロドリゲスも入りそうだな
モルドバリーグ→磐田から→ディナモキエフでCL出てレギュラーだし パクチソンと松井はなんでこんなとこにって贅沢なコンビだったな >>403>>408
カメルーンが攻めは強いが、中盤から前がボンクラばかりというか猪武者ばかりだったので
クレバーなエムボマがバランサーに回ってた >>261
ドゥドゥって確かボランチなのにワールドユース得点王とかの実績だろ >>393
発足から2000年まで川崎フロンターレはグレミオと提携し、グレミオからレンタルで選手を獲得してたな
ユニフォームもグレミオと同じ水色&黒をベースにしており、提携解消後もなお現在に至るまで変わっていない
ティンガの2年前にいたCBのシャイデも帰国後にセレソンに選ばれセルティックにも在籍した
そういえばペッサリなるやばい名前の選手もいた アモローゾの話を読んでたらフッキになっていた
これがポルナレフ状態か アルシンドは初年度のMVPじゃないのがおかしい位ずば抜けてた >>412
黒部も入れてやれよ
トライアングルで売ってたんだから 今まで知られてなかった新人がブレイクするよりJに来ても評価上がった選手のがスゴイと思う >>395
マスロバルはめちゃくちゃ上手かったがもっさりし過ぎで運動量もなく
デカい割にフィジカルも弱い
若い頃の中村俊輔のデカいバージョンみたいな選手
レジェンド感はないな >>406
横山ジャパンの時に代表に呼ばれてたな
352システムのWBやらされてたはず 確かに生ダラで佐々木初めて見た時は衝撃だったな
最強ヴェルディにまだこんな選手がいたのかと
しかもこんだけ上手くてサテライトとかどうなってんだと パクチソンが京都にいたのがウケる
韓国代表ってほとんどJ育ちだな >>416
ピクシーは無名ではないな
紛争がなければ鮎と納豆が好物になる事もなかったろう >>426
キムボギョン、パクチュホ、キムジンスなんかもJからキャリアスタートして欧州行ってるからな 無名だったけど鬼滅のお陰で有名になった歌姫みたいな感じか >>427
無名どころか超大物
日本人が知らなかったってだけ これ誰かわかる?
アヤックス→バルセロナ→ボルドー→アヤックス→ ADO'20→Jクラブ 何気にフリューゲルスのエドゥーも1991のコパアメリカでは ブラジル代表の10番付けてる。 >>433
ビチュヘね。ジェフにいたラデも退団後アトレチコマドリーに入団してちょっと活躍してすぐ消えた。でも馬力とかは欧州でも普通に通用しそうだった。 >>435
正解!
ラデと違ってビチュヘは晩年だったからね。
なんで大分って思った記憶がある。 元柏
クレーベル、柏の後サントス経由でアトレティコマドリード、マヨルカで活躍、ブラジル戻ってシャペコエンセの悲劇で死去
ジュシエ、柏の後ランス、ボルドーで活躍 エムボマもそこまで有名ではなかった。
レオナルドはちょっと期待外れだな。まぁ得点は取ってるんだが興梠超えもしてない。
10代くらいの原石を取れた時代は終わりつつあるが、ブラジルならまだいるから
探す価値はあるな。
有名で失敗ならリネカーフォルランを超えるのは出ないだろうけどw ブラジル人といえば兎に角テクニシャンというイメージだったが今じゃ一部を除けば
フィジカルのブラジル人、ゲームコントロール、テクは日本人という感じになってきたもんなぁ。 >>190
高えな、おい
クリロナ級じゃん
こんなのJにいたっけ? >>443
ジーコ「お前のハゲ頭が日本じゃ金になるんだなwww」
結構鬼畜 Jリーグあんまり知らないけどビスマルクとかシジマールとかアルシンドだろ >>80
そいつらはJにいた時でも充分欧州トップクラブでやれそうだったな
てかまずやれた グランパスにいたケネディは来日当時無名だったけど
2年連続得点王を獲得してオーストラリア代表に選ばれてついにW杯にも出たからな ビチュヘいたなあ
日本に来ると知ってちょっとびびったわ
パラグアイのアルセも何気に大物だったけど日本じゃ大して騒がれなかったな >>451
いや日本に来る前からブンデスでやってて代表に選ばれてたし >>86
「守備をしろ」と言われてやる気なくしたのかw
それでもここで名前が上がるほどにはひどくなかったと思うが 得点王取ったのにオッツェの名前がほとんど出て来ないな >>268
レオナルドはサンパウロの10番でTOYOTA Cupに来てるからな。
ワールドカップの活躍なしでも、今時ならあり得ない案件。 レオナルドは枠外として、最大のブレイクはやっぱりフッキだろうと >>455
好きだったな、オルデネビッツ
だだ、別に無名でなかったし >>15
サテライトリーグ初代得点王でもあるからなアモローゾは
そんなアモローゾを差し置いてトップで出てたのが武田修宏という男よ
そして監督が松木安太郎初代Jリーグ優勝監督
日本サッカーの歴史恐るべし! 無名はとらないのが神戸だな。
何で神戸はビッグネームの監督を連れてこないのかね。
しかも三浦なんかにやらせてもうボロボロ
アギーレがフリーというのに間抜けだよなぁ >>29
移籍金60億いってセレソンレギュラーなったんだから
Jリーグきたやつの中ではかなりすごいやろあほか >>451
ドイツワールドカップのメンバーにいただろw >>462
ケルンのレギュラーだから無名でもないけど西ドイツ代表キャップ2たからね 2008年とか2009年頃のリベルタドーレスが元Jリーガー勢だらけで面白かったな
磐田のアジウソンがエンリケ、マルパラ、ファブリシオをそのままクルゼイロに持ってきて決勝まで行ったり
フルミネンセでワシントンとチアゴネーヴィスの2トップで準優勝したり
ボルジェスとかドゥトラも活躍してた >>423
横山ジャパンは当時世界の先端となっていた3-5-2を導入
両サイド(WB)にドリブラーと俊足をコンバートするのが定番だったな
本田(→全日空→ジェフ市原)の佐々木雅尚や三菱の福田正博あたりはFWから俊足を生かしてコンバート
横山は浦和監督になったときも、東芝→浦和の堀と大商大から加入の新人杉山のアタッカー2人をWBで起用した >>473
日産の平川や長谷川健太もWBにコンバートだっけ?
確か吉田光範が左のWBやってた記憶 >>473
横山って代表でもレッズでも暗黒時代じゃねぇか・・・ >>472
その時のフルミネンセは他に元大分のドド、元神戸のホージェルもいた。 >>439
レオナルドが期待外れとかアホかよ
Jで公式戦通算61試合38得点だぞ
MFとしては異常な得点力だし
期間も短いのに興梠と比べるとか頭悪すぎる >>451
ケネディは全然無名じゃない
2006の日本戦に出てきて高さで印象に残ってるし >>62
人気あるはずなのにいつまでたっても税金でケツ拭いてもらわなきゃ試合する場所すらねえのは税リーグが出来て何十年と過ぎても変わらないなサカチョン >>480
話の流れ的に明らかに鹿島のレオナルドっぽいが
今いる浦和のレオナルドもめちゃ活躍してるし
エムボマ、リネカー、フォルランの話題の中に今のレオナルドも流れ的におかしいし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています