>>972
日本人は懲罰感情が強すぎる。

イタリア憲法を紹介しよう。

同じ敗戦国で1947年に施行されたイタリア憲法第27条は、刑罰を以下のように規定している。
「刑事責任は個人が負う。被告人は刑が確定するまでは有罪として扱われない。
刑罰は、人間の尊厳に反するものであってはならず、
罪を犯した人の更生を目的としたものでなくてはない。死刑はこれを認めない。」

子どもの質問に答える形でイタリア憲法入門を執筆した元裁判官のGherardo Colomboは、
「刑罰の目的が復讐であれば、復讐は復讐を生む。
イタリア憲法は、罪を犯した人を含めて全ての人は尊重されるべきである。」という理念を示しており、
罪を犯した人を手助けして更生してもらうことが社会全体にとって望ましいことであると述べている。

Contucompitiというウェブページには、憲法第27条は次のように解釈すべきだと書かれている。
すなわち、「刑罰が更生を目的としなくてはならないという原則は、
刑罰が報復や同様の罪を犯さないように他の人を抑止するものではないということを意味している。
刑罰の目的は、罪を犯した人が、市民社会で共に生きていくための基本的なルールを身につけながら、
再び社会で生きていくことができるための手段を提供することにある。
その目的を達成するためには、刑罰は罪を犯した人の尊厳を尊重することが不可欠であり、
だから、憲法は人間の尊厳に反する処遇を禁じているのである。」

人間の尊厳に反する刑罰を禁止し、その目的を更生と規定すれば、
被告人が人間である限り、自然と死刑は認められない。だからイタリアには死刑はない。

日本では、刑罰は、報復のため罪を犯した人の重要な利益を奪い苦痛を与えているだけで、何も守れてはいない。
人が罪を犯すときに共通しているのは、自分たちの尊厳が損なわれたと感じたときである。
苦痛を与えるだけの刑罰はそれを助長するだけである。