【音楽】「日本語フォーク/ロックの源流」知っておくべき名曲15選 はっぴいえんど、遠藤賢司、早川義夫、金延幸子… [muffin★]
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2020/09/19
はっぴいえんども在籍した1969年設立の先駆的レーベル「URCレコード」のカタログから、日本のポピュラー音楽史を振り返るうえで知っておくべき15曲を紹介する。
フォーク・シンガーのみならず、はっぴいえんどや休みの国などロック勢も所属したURCの作品群は、近年海外で俄かに注目を集めている。その契機となったのが、2017年に米Light In The Atticから発売されたコンピレーション『Even A Tree Can Shed Tears: Japanese Folk & Rock 1969-1973』。はっぴいえんど、西岡たかし、加川良などURC勢の楽曲を多数収めたこのアルバムに続き、同レーベルは2019年に金延幸子の『み空』をリイシュー。海外メディアで金延の存在がクローズアップされるようになった。
レーベル発足から50年を過ぎた今年、新たに『URC 50thベスト・青春の遺産』、『URC RAREシングルズ』と、2枚の編集盤が登場。続いて、元所属アーティストたちのインタビューを中心とした書籍『URCレコード読本』も今夏発売されたところだ。ここでは『URCレコード読本』の冒頭を飾る「後世に残したいURCの50曲」企画から、代表的な15曲をピックアップしてプレイリスト化。多彩なアーティストたちが巣立った“日本語のフォークとロック”の源流、URCの入門編として活用して欲しい。
五つの赤い風船「血まみれの鳩」(1969年)
中川五郎「腰まで泥まみれ」(1969年)
休みの国「追放の歌」(1969年)
岡林信康「今日をこえて」(1969年)
高田渡「鉱夫の祈り」(1969年)
早川義夫「サルビアの花」(1969年)
斉藤哲夫「悩み多き者よ」(1970年)
遠藤賢司「雨あがりのビル街(僕は待ちすぎてとても疲れてしまった)」(1970年)
加川良「教訓1」(1971年)
ザ・ディランU「プカプカ(みなみの不演不唱)」(1971年)
はっぴいえんど「夏なんです」(1971年)
金延幸子「時にまかせて」(1972年)
友部正人「一本道」(1973年)
なぎらけんいち「昭和の銀次」(1973年)
三上寛「赤い馬」(1974年)
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全文はソースをご覧ください >>11
あっちの2ちゃんねらーみたいなオタク達が定期的に海外の音楽を漁るんだよ
それでvaporwaveやfuture funkっていうジャンルの元ネタに日本のシティポップが大量に使われた
今はdoomer musicムーブで旧ソ連の音楽が漁られてるから日本の音楽は下火になってる はっびいえんどの「夏なんです」40年経っても良さが解らない。いつか良いところを発見できるかと40年待ったが解る気がしない。でも最近そう悪くもないなとは思う 「夏なんです」はいい曲だと思うが、はっぴいえんどならもっと
いい曲がたくさんあるのに、とは思う >>21
「風街ろまん」はあんまり名昨と祀り上げられるアルバムではない
むしろそういう姿勢から背を向けた作品だろ なぎらっちURCにいたのか
エレックのイメージが強いが >>9
皮肉をこめた反戦歌だが、自衛隊がPRソングとして
採用を依頼してきたという。 1972年まで入れるなら、チューリップの魔法の黄色い靴も入れろよ。ビートルズ後期を日本語化した、ある意味日本語ロックの先駆けだろ。 加川良のURCアルバム持ってるわ
思想は嫌いだけど フォークルの「何のために」を過労死しそうなお父さんに聞かせたいよ >>26
URC縛り
あれは東芝のエキスプレスレーベルだろ
メジャーもええとこ 木綿のハンカチーフを男がカバーしてるのを今日有線で聴いたんだが今すぐなかったことにしろと思った
あれは太田裕美以外には歌えない
マジ今すぐなかったことにしろ 渋谷陽一に騙されて早川義夫のソロ買ったなw
二〜三曲聴いてギブアップした >>31
木綿は太田裕美の声を念頭に筒美京平が作曲したし、太田裕美の声って独特で代わりがないから他の人が歌っても超えられない
一方、太田裕美が男性サイドで歌うと良かったりする、君と歩いた青春とか 早川義夫はダウンタウン浜田の「人気者でいこう」って番組でライブやったことあったな
動いてるの見たのはたぶんその時だけだわ >>20
今おれは民謡
民謡は良いよ
色々と面白いのがある
脳天を突き抜いて来るような歌声が良いな 下田逸郎の200万再生YouTube動画が英語のコメントしかない >>25
昭和末期から平成全般に漂っていた左翼に利用され続けてきた"頑張っている人を茶化す空気、頑張っている人を嘲る空気"
その発生源ってこういうところからなんだよな>>9 >>16
去年、カワサキチネチッタでライブあったよね この中だとズドーンとくるのは一本道だな
シンガーとしてもすごい人だと思う >>45
マジで言ってる?
軍隊は頑張ると人を殺すんだよ
必要悪だからこそ礼賛するばかりで無く皮肉や茶化しで相対化する必要があるだろ
この歌は敗戦から20年程度しか経ってない頃だしな
頑張る人を嘲笑う空気と軍隊への嫌悪感は別物だよ >>43
アシッド・フォークって言葉使っていい
数少ない日本人グループだよね >>45
皮肉の矛先は現場の兵卒ではなく自衛隊という組織に向いてると思うぞ レコード・コレクターズ増刊
日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100 1960-1989
成海璃子 私のベスト10
・INU/メシ喰うな!
・遠藤賢司/満足できるかな
・加川良/教訓
・ザ・スターリン/虫
・友川かずき/肉声
・西岡恭蔵/ディランにて
・はっぴえんど/風街ろまん
・THE BLUE HEARTS/THE BLUE HEARTS
・村八分/ライブ
・ルースターズ/ルースターズ 「待ちすぎてた僕はとても疲れてしまった」
ベース弾いてるのは細野。
遠藤賢司の中ではポップな部類に入る >>54
ディランにては、地味だけど好きだわ〜
なんか染みる 何年か前、僕、啞になっちゃった
って曲を女性がカバーしてるのを聴いて
震えが止まらなかった キャンディーズの「あぶない土曜日」はめっちゃロック >>1
一曲も知らん。。音楽好きなんだけど、こうもかすりもしない分野があったとは >>31
椎名林檎・松崎ナオのカバーはどう?
エンディングの 恋人よ〜 いいえ のフレーズがいい
https://youtu.be/7iPiEP4j2P8 全共闘世代じゃないとリアルな響きが伝わらんだろうな 高田渡はこの動画を初めて聴いたとき衝撃的だった
ttps://youtu.be/XcUhACXKx7g 風船は遠い世界にかこれが僕らの道なのか
中川五郎は主婦のブルース
岡林は山谷ブルースか手紙
高田渡は自衛隊に入ろう
斉藤哲夫はされど私の人生
遠藤賢司はカレーライス
はっぴいえんどは12月の雨か風をあつめて
なぎら健壱は葛飾にバッタを見た
三上寛は夢は夜ひらくの替え歌
でいいだろ、中途半端に捻るなよ 「日本語ロックは俺達が作った」 これを自分で言わなけりゃいいグループなんだが >>1
日本のロックは1950年代に始まっている!
1970年前後じゃない 早川義夫のアルバムかっこういいこと〜は振り切っている
その後20年以上音楽活動を止めて本屋をやっていたのも凄い URC縛りで選ぶとこんなもんかも知れないが
わざわざ聴く必要のない曲ばかり
あ、エンケンの曲だけは好き、はっぴいえんどもカヴァーしてる また吉田拓郎の信者がこのスレに降臨してあらゆる先駆は拓郎と宣う悪寒がするw 青春を生きた時代だが知らない曲が多いなあ
オープンテープに録った「イムジン河」を大事に聴いてたよ ビンボくさいフォークとかアングラみたいな昭和の時代だね 岡林辺りが札幌にライブしに来てた時
バイトで楽屋でお茶濾ししてたのが 後の中島みゆきである 小学生の頃岡林信康のくそくらえ節とがいこつの唄に衝撃を受けた 早川義夫は復帰してからの曲が好きすぎる
この人のおかげで今があると言っても過言ではないくらいの良い影響を頂いた
もう一度ライブ行ってみたいな 五つの赤い風船なら「時々それは」だなあ
アルバム片面全部23分の大作 ああ、中央線よ空を飛んであの娘の胸に突きさされ。
冷静に考えると意味が分からんが、凄く伝わってくる。 早川義夫はあの掠れた感じの声か良いんだよな
個人的には荒木一郎が至高 暗いやつしか聴かないからギャルとHするのはあきらめろん この手の音楽聴いとけってのを真にうけて昔聴いたけど凡作じゃない?
そりゃ吉田拓郎のほうが売れるよ。 だよな演ってる側も聴いてる側も
独りよがりのオナニーでしかない
後から出てきたプロ意識の高い連中に
駆逐されたのは当然 >>98
大学に通ってけっこう裕福な家庭の子息が不幸に憧れるみたいな違和感ってのを
どっかで読んだな 西の空に陽が落ちて 友部正人
ひや酒飲みながらこんなのを聞けるような
頭おかしいやつじゃなきゃロックなど到底理解出来んわ 生きる化石が化石発掘してるのか?
音楽や歌なんて間もなく絶滅するんだよ
スマホゲームとテレビゲームだけ知ってりゃいいんだよ プカプカは、西岡大塚共演で、風来坊から始まって、大塚のサックス風スキャットも入ったバージョンってどれかライブ盤に入っていないのかな。YouTubeのテレビ映像でなく。 人間椅子 - 21世紀の精神異常者 (King Crimson)
https://youtu.be/zaq6fbYYzXI URCのバックカタログはいい加減リリース元が安定してくれ
と思ったら権利自体はシンコーミュージックが買い取って
ここ10年くらいはポニーキャニオンで安定してるんだな
リイシューは今の音楽ビジネスでは非常に大きな収益源だから
各社とも最大限に活かしてほしい スパイダース「フリフリ」
寺内タケシとブルージーンズ「ユア・ベイビー」
植木等「遺憾に存じます」
加山雄三「夜空の星」
ジャッキー吉川とブルーコメッツ「青い瞳」
ザ・ワイルドワンズ「青空のある限り」
ドゥーディ・ランブラーズ「真っ赤なリボンとおさげのあの娘」
ザ・フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」
はしだのりひことシューベルツ「風」
この辺も忘れちゃいけないだろ そういえば青葉市子は現代に蘇ったネオフォークみたいな感じでもあるな
思想性が全くないからすごく素直に聞ける ディランUはプカプカがあまりに有名だけど
君の窓から、子供達の朝ってのが良い サルビアの花は
本当はもとまろのカバーがすごくいい。
クロスビートあたりの連中ではまったくわからないだろうが エンケンは過大評価すぎる
夜汽車のブルースは名曲だけどアルバムは3割引 >>31
この曲がボブディランのスパニッシュレザーブーツのパクリと
知らない無知だらけの日本に落ちぶれたな 高田渡の鉱夫の祈りとかすげえつまんないよw
こういうのははっきりつまらんと言ったほうがいい あ、プカプカ
風をあつめてじゃなくて夏なんですなんだな それはCBSソニーだからなあ
斉藤哲夫はURCでは1枚しかない 溶け出したガラス箱入れて2枚 >>121
オフコースがヤマハの作曲コンクールで歌ったことあるらしい URCじゃないけど五輪真弓が初見いちばんの衝撃だったわ イントロ聴いてキャロルキングのパクリじゃんと思ったらキャロル本人が弾いてたやつ しかもタペストリーの後で あれはチェレスタの音がいい うろ覚えだから
知らんけどね そもそも源流云々クソどうでもいい
要は脳に心地よいかどうかである
音楽ってのはそういうものである たまとブルハが出てきたときもURCの再評価の機運があったの覚えてる? なんだかんだいってもやっぱり岡林の「私たちの望むものは」
だと思うよURCを代表する曲は >>22
退屈だしロックでもないし
ただ雰囲気だけはあるという曲 休みの日は聴き込みたいやん
そういうわけで正直寝るのは二の次ですわ
人間椅子 - 見知らぬ世界 (2002, VHS)
・見知らぬ世界
・幽霊列車
・青森県田舎館村ライブ
https://youtu.be/Hxrt79lrAfI 浅川マキ金子マリ、カルメン・マキがカバーしたそれはスポットライトではない URC は1969年設立、学生運動の盛んな時代でメッセージソングや反戦歌が当時の若者に受け入れられた
1972年が潮目となった年かな岡林は担ぎ上げられるのが嫌で田舎に逃げて
風船はメンバー内の対立で解散(フー子ちゃんは藤原紡績の社長令嬢だったりした)
メッセージソングも色褪せて代わりに拓郎や陽水の歌謡フォークが主流となる >>55
この曲のハッぴいえんどバージョンのライブを
ユーチューブで聴いたことあるけど、
鈴木のギターがとてもよかった。 過去を振り返るなんて無駄でしかない
筆者は【 3776 】を聴け、今を知ることが大切
現代のフォーク
フォークの新しい形
【 3776 】
https://youtu.be/4mcqng_C6n0
https://youtu.be/DalZPri3mOk 21世紀フォークの世界最高傑作
【 3776 】「歳時記」
https://youtu.be/lxdYQvLeBKk
昭和に源流を辿った音楽
令和に源流を辿った音楽
それは異なる道になる
【 3776 】「歳時記」を聴いてない音楽ライターは軽蔑するね
音楽ライターなら【 3776 】「歳時記」は必ず聴いてなければならい >>1
知っている曲が1曲もないな。
グループ・歌手は半分ぐらいだけわかる。
でも、なぎらは悲惨な戦いの人としか分からんし、斉藤哲夫はピカピカに光っての人としか認識してないわ。 Lil NAS X を聴く世代に
ウディガスリーを聴けなんて言うのはナンセンスで
ウディガスリーを聴いた世代が
Lil NAS Xを聴き若い継承者の台頭に目を細める
それが過去から今を見てきた世代の正しい姿
【 3776 】を聴け
https://youtu.be/ibzDlPFU-Tw
https://youtu.be/0J9TLYDNMhA 全共闘の皆さん、おはよう御座います
此方はジェネレーションX。応答願います 岡林信康の山谷ブルースを吉幾三がカバーしたのを聴いたが凄かった
吉幾三の声いいわ 取り敢えず 「はっぴーえんど」 は、お腹いっぱい。
ミカバンドがない時点でクソだわ。 60年代くらいの昔のフォークを聞くと心に沁みるものが多い
四畳半フォークは嫌いだけど 子供の頃住んでいた家の並びが
金延幸子の実家だった。夫と息子と里帰りを
されていたが、外国人とハーフの子を見たのは
その時が初めて。ケンタくんはもう立派な大人
皆さんお元気かな。後年、アルバム「み空」を
買ったが、地味ながらも心に残る1枚。
今もたまに聴く。 「URCレコード」のカタログからだつってるのに
関係ないミュージシャン挙げるバカ多すぎ >>1
これあらためてみたらひどいな
六文銭入ってないじゃん
中川五郎なんかいらないのに >>162
かぐや姫は好きじゃないな、「嫌い」だと強すぎだから苦手程度の感じか。
ジメッとしたラブソングじゃなくて拓郎の「結婚しようよ」のようにメジャー
な曲調ならまだいいけど。 >>161
六文銭かURC に残した楽曲はLP の片面とシングル1枚
この中で代表曲みたなのがあるか? 先駆者とまで言わんけど、拓郎が全て変えてしまったよな。
政治的な歌なんてほとんどないもんな。 本当に当時凄まじい影響力があったのは
まず岡林信康で
こういうオムニバスには2曲ぐらい入れるべきね 遠藤賢治や高田渡も知る人は知るみたいな感じのまま死んじゃったな
やっぱりヒット曲はあったほうがいいな よしだたくろうは敷かれたレールを後から乗って来ただけ
歌謡フォークのヒット曲なら「結婚しようよ」以前にフォークル関連で「白い色は恋人の色」「あの素晴らしい愛をもう一度」「花嫁」等がある
松山千春は開拓者の加藤和彦や岡林信長の話をする時には敬語を使うが吉田拓郎や小田和正の話をする時にはタメ口
年上だが敷かれたレールを後から乗った者だから自分と同列の位置付けをしている 松山千春は五木ひろしは五木呼ばわりだし森進一も森呼ばわりだぞ
才能も無い癖に人に対する敬意が欠けてて気分が悪い 岡林は「私たちの望むものは」と歌って
吉田拓郎のそもそもの出発点が「私たちとは歌えない。俺は私の歌を歌う」だからな
♪私は今日まで生きてみました〜
恋妻家宮本って映画はよかったよ こんなん誰が知ってるねん
サルビアの花は知っとるけど高木麻早 岡林は嘘っぱちだらけの歌をやめた後の
例えば「26番目の秋」とかああいうののほうがいいよ
プロテストソングなんて所詮嘘なんだから、あんなもんは >>141
2月の浅川マキの追悼コンサートでカルメンマキや渡辺えりが歌ってくれた 加藤和彦とかはっぴいえんど人脈とは絡みがないイメージなんだけど仲悪かったのかな >>178
第一回のポプコンではオフコースが歌ってたらしい >>125
それは「赤いハイヒール」
おまえこそ情けない >>178
そうだっけ
遠い昔、コッキーポップの定番やった >>171
そもそもフォーク系ってなんかみんな馴れ馴れしく上から目線で話すような感じがあるわ
オマエ呼ばわりする奴が多い
友部正人とかは違うけどね 今でも政治的主張する芸能人とかアーティストとか浅い知識で話してて周りが白けてたりするじゃん。
当時の学生もこんなのファッションだと途中で気づいたんじゃないの。
それなら私たちのこと歌ってる連中より俺の歌のほうがリアルに感じられたんだろ。 >>176
霧のハイウェイとかカッコ良かったな
こんな歌歌えるんだって思った >>184
1964年 ボブ・ディラン スペイン革のブーツ
僕は海に出た 出航したのは朝のこと
海の向こうから君に送るれるものはあるだろうか
僕が上陸する土地から
あなたから私に送れるものはなにもありません
何もほしいものはないのです ただあなたに戻ってきてほしい
寂しい大海を越えて
でも何か高級なものがあるといいんじゃないだろうか
金や銀でできたものはどうだろう マドリッドの山で取れるものや バルセロナの海岸で手に入るものではなくて
もしも暗夜の星や深海のダイヤモンドが手にはいるとしても
そんなものよりあなたの甘いキスを選ぶでしょう
それだけが私のほしいものです
僕は長い間離れていることになる それだけが君に許してほしいことだ
僕のことを思い出せるように 何か送れるものはないだろうか
君が悩まず日々をおくれるようにするために
私に何を頼みたいんですって?
それは私が悲しむだけです
私は今日望んだものを 明日も望むでしょう
寂しい日々を送っていると手紙が届きました
それは航海中の彼からでした。
「いつもどるか決めてない。戻りたくなったら戻る」
あなたはそんな風に考えているのでしょう
心はどこかを彷徨っているのでしょうね
あなたの心にもう私はなく
あなたが向かっている国ばかり思っているのでしょう
それなら、西の風には用心してください
嵐には用心を
そうそう、私に送ってもらえるものがありました
スペインの革を使ったスペインのブーツです はっぴいえんどのライブアルバムに西岡恭蔵さんの街行き村行きとかいう曲が入っててよく聴いたな >>189
訳がおかしい
ディランの曲は木綿とは男と女の立場が逆
女が出て行くんや >>1
本当に暗い歌多いなぁ。。。
今の時代のがいいなぁ・・・ v6の井ノ原君がここらへんのマニアってのは知ってる 金延幸子は細野晴臣のプロデュースで和製ジョニ・ミッチエルに仕立て上げられた
因みに和製キャロル・キングは五輪真弓
和製ローラー・ニーロは吉田美奈子と言われていた。 なんかはっぴいえんどとか定期的に日本語なんちゃらの源流って記事が出るけど、虚しくならないのかな はっぴいえんどは和製モビー・グレープ
アレンジ丸パクリw なんかそのへんに書いてあるような説明ばっかだな
全然実際の音を聴いてないだろ
だから薄い味噌汁みたいなレスしか書けない はっぴいえんど入れたら売れるっていう判断なんだろうけど
そろそろ神通力落ちてきたよね
ホントの当時のスターバリューは岡林信康がダントツ
次いで遠藤賢司、加川良、五つの赤い風船、高田渡 >>196
おっさんから見たらあいみょんと池田エライザが同じ顔に見える >>181
鈴木細野辺りはアルバムにレコーディング参加している
細野の中華街ライブを安井かずみと見たりしてるし
松本隆もあのねのね『人間は何て悲しいんだろう』を共作
大瀧詠一とは絡みほとんどなかったな わたしの好きなみつるさんが
お爺さんからお店をもらい >>188
ストームとかミッドナイトトレインとかね >>199
バッファロー・スプリングフィールドじゃないの? もういいよそんな話
そんなつまみ食いみたいな知識いらんから 加藤和彦は松任谷正隆を吉田拓郎のレコードでデビューさせた
ティンパンはユーミンとも当然繋がりが深い
ミカバンドでは高中、高橋幸宏。
竹内まりあをヒットさせたり、
シュガーベイブはナイアガラ系なので大瀧ともそういう意味では無縁ではない。
細野とは雑誌対談とかは見た記憶がある >>197
和製ジョニ・ミッチェルはボニーピンクだと思うんだよね >>187
『いちご白書』をもう一度の歌詞が浮かんだよ
就職が決まって髪を切ったなんていう歌詞でユーミンが当時を語ったような
あれ75年だからニューミュージックへの入れ替え時期になっていったのかな >>208
中学生くらいの時にNHK-FMで聴いた
プカプカ聴くの初めての上に原田芳雄も良く知らなかったが素晴らしくカッコ良かった >>206
YouTubeでモビー・グレープを聴けば解る 当時 ほんとうに人気のあったのはURCではなく
エレックレコードのケメとかよしだたくろう
ふたりとも故人ですが 若い頃、かとういづみのオールナイトニッポンを聴いてて、4時台になると
音楽ライターの田家秀樹さんと彼女のプロデューサーの高橋研さんが毎週一組のフォーク・ニューミュージックの人達を取り上げて
当時の世相や音楽界などを解説し、その後、代表曲を一曲披露するコーナーで初めてディランUの「プカプカ」を知った。
西岡恭象でなくディランUで。
当時でも20〜25年前のアンティーク・メロディーってコーナー名だったけど
もう、50年前の曲になるんだよな。 斉藤哲夫の悩み多き者よは名曲。なんと16歳の時に作ったそうだ >>31
ケンコババージョンおすすめ。ようつべに有るよ 四天王は
加藤和彦、早川義夫、岡林信康、西岡たかし はっぴいえんどとか学生の頃によく聞いたな
私の青春ですよ >>209
吉田拓郎も泉谷しげるも代表曲は加藤プロデュースなんだよな
結婚しようよのメロディは加藤曲のパクり
春夏秋冬は泉谷ががなるように歌ってたのを
ささやくように歌えとアドバイス
泉谷は加藤の印象を長身で足が長くて鼻が高い
外国人かと思ったって >>224
加藤は女性に曲を作った時、何故か真価を発揮する
・白い色は恋人の色
・タイムマシンにおねがい
・不思議なピーチパイ
・Do you remember me
・だいじょうぶマイフレンド ニューミュージックと聞くと
チューリップ、オフコース、松任谷由実
そんなイメージ。
シンセサイザーの電子音を多用するイメージ。 1975あたりからの自作自演歌手の楽曲を
そう呼び始めたのがニューミュージック フォークでもなく歌謡曲でもないという意味でニュー
実際はアレンジでなんとでもなるから曲調に関してではなく
それまでの職業作曲家による歌謡曲に対抗して呼ばれた
しかしながら吉田拓郎やユーミンなどが職業歌手やアイドルに曲を提供しそれがヒットするようになると明確な区別もなくなり後にj-popsと一括りにされていった。 シンセというと1975のオフコース 眠れぬ夜 ミニムーグ
イントロ 同時期
ユーミンはボサノバであの日に帰りたい
ニューミュージックというのもアレンジの多様さで
フォーク全盛期よりうるさくなった。 ロックの分野 バンドサウンドで1972からブレイクして流行ってたのは財津の
チューリップだったのだがなぜかロックの源流とは言われない
はっぴいえんどは今で言うと地下バンドみたいなもの
岡林のバックで食いつないでたような無名バンドだった。 はっぴいえんど至上主義みたいなのもうおなかいっぱいなので
別の視点から構築した日本ポップス史作ってください 泉谷しげるの黒いカバン
森田童子の僕たちの失敗
なぎら健壱 悲惨な戦い >>189
へー、こんな歌あったんだ、
でもこれじゃパクリ呼ばわりされるべきは筒美京平じゃなくて、作詞した松本隆じゃないの? >>31
エレカシ宮本が歌ってたのを聴いたが。
これじゃない感がするな。 結局、痴呆爺さんの昔話エンドレスリピートスレか
痴呆を痴呆と認知できないボケ老人
さっさと死ねばいいのにな エンケン ミルクティ
はっぴいえんど かくれんぼ
めんたんぴん 川が海へ注ぐあたり
シュガーベイブ 過ぎ去りし日々
渋すぎるかW >>215
たくろうが全てだなんて言いませんよ
だけどたくろうもやっぱり人間でしたよ
死んでやっと僕の胸を熱くさせてくれましたよ >>230
この辺のフォークの連中が
豪華なアレンジをするようになったらニューミュージック
要は会社の言う事聞く人 >>235
チューリップはビートルズみたいな曲だったよね フォークなら
神田川
なごり雪
だな
あの素晴らしい愛をもう一度みたいな明るいメロディーは嫌い
情緒がある曲のほうがいいな 財津和夫、小田和正、松任谷由実等のグループ
大滝詠一、細野晴臣、高橋幸宏、松本隆、加藤和彦、山下達郎などのグループ
吉田拓郎、伊勢正三、南こうせつ、さだまさし等のグループ
そんな感じで何となく親しいグループがあり、大滝詠一あたりのグループが特に崇められてるイメージ。 マジレスすると
はっぴいえんど勢が無駄に崇められるポイントは
フォークからニューミュージック時代にはそこまで名前を売らずに
関わりながらも微妙な距離感を保てた部分にある。
例えば小田和正なんて誰よりもすごいかもしれんが
いちアーティストとして
その時代ごとのミーハー層にまで消費され尽くされているから
特に後追い組にとっての崇め度は下がる。 >>66
高田渡は日本のフォークの最高峰だと思う
生活の柄は最高「値上げ」も大好き 高田さんの詞ではないけど
なぎらけんいちならば「悲惨な戦い」だよな オールトゥゲザーナウのwikiの説明見てるとニューミュージックと言われるものについて、何となく見えてくるものがある気がする。 もうこういうのいいから
ただの押し付けを続けたら歴史を改変できるっていう好例 >>100
うまい具合にうがった評だが
そんなこと言ったらすべての音楽ジャンルが似たり寄ったりなんだよね
また、実際この時代、高田渡なんかはそういう生活をしてきたいきさつもあるし
詞に込められたリアリティーが深かった
「神田川」あたりになると、もうそのリアリティーが薄らいでくる
でも皮肉にも、そういうのが世に受け入れられた URCこそ本物フォークでエレックはミーハーと言われてたことがある。今でもそう言う括りで語る老人も多いが
日本にフォークソングの伝統など皆無なのね
うちでフォークソングを家族で歌うとか踊るとかは
アメリカではあるかも知れないけど。フォークソングと言うと
小学生の時に女の子と手を繋がされてマイムマイムを
踊らされた気恥ずかしい思い出しかないわけで大半の
日本人はそんな感じだろう 日本で流行ってたのはPPM
やらカレッジフォークで当時のエリート大学生の趣味みたいなもんだった。それが貧乏くさい反体制プロテストソングに変貌して行く過程で私小説化して自爆していった感じがある。 >>265
なんでプロテストソングが私小説なの?
プロテストソングが私小説に変貌してビッグビジネスになったんだぞ?
それにアメリカのプロテストソングも十分貧乏臭いんだが 拓郎は松本、鈴木とは一緒に仕事してるけど、
大滝、細野とはやってないんだよね フォークソングは音楽で遊べる金持ち
男が貧乏ぶって歌ってるから
大嫌い 吉田拓郎と大瀧詠一の奇妙な因果関係みたいなサイトがあったが
実際は大瀧が吉田の後を結果的に追っている場合が多い
エレック拓郎退社→大瀧エレック所属
ハブアナイスデイ→三ツ矢サイダー
襟裳岬→冬のリビエラ
細野のことは細野さん、と松本との対談では話していたので仙人のように見ていたかも >>260
悲惨な戦いはコミックソングだろ
王道ではない バントブームの1990年頃はフォークはタモリ等にネクラとバカにされて氷河期
吉田拓郎や泉谷しげるは「俺元々ロックだから」と言い出してロックアレンジにした
高田渡は全く仕事が無くなり築地市場でバイトをしていた >>265
ま、そのとおり
PPMとかキングストントリオとかブラザーズフォーのコピーから始まり
ボブ・ディランやピートシーガーのモノマネをした
これが日本のフォークの源流
つまりアメリカの猿まね
演歌(明治の演説歌→艶歌→戦後演歌)のほうが正統な日本民族文化 80年代に入った時、既に多くのフォーク歌手は
一気にイメージ脱却を図っている
井上陽水→なぜか上海
あがた森魚→ヴァージンVS
そんな中、西岡恭蔵のNEW YORK TO JAMAICAは隠れた名盤だ >>273
イカ天でたまが出てきてから友部正人がクローズアップされたりして
フォークがリバイバルされたの知らないな >>1 これだけ古いのは知らねぇだろう、と言ってるだけ 五つの赤い風船「血まみれの鳩」(1969年)
なんか怖そう タモリがフォーク、ニューミュージックを虚仮にしてたのは80年代な
90年代はフォークリバイバル
WOWOWで24時間のフォーク特番やったり
泉谷しげるがチャリティーで街頭でゲリラライブしたり
あとこの時期に死んだ尾崎豊もフォークに影響受けてたことも多少関係あり、 フォークからニューミュージック、Jpopへ変遷していく過程に置いて
歌詞に関して言えば吉田拓郎の「たえこMy love」が案外大きかった可能性がある
あの拓郎がマイラブ♪と率先して英語で歌ってしまったあたりから
何か堰を切るようにカタカナが日本語の歌を変えていった
それは歌謡曲の土壌にフォークが切り込んだ時点で避けられなかったともいえる >>261
あれラジオでは特番あったけどTVはなかったよな
姉貴が観に行ってたけど >>267 岡林の
我々から私へという転換にことを言ってるのだろうけど
それ以前に玉石混交 ディランはコミックソング化 受験生ブルースされたり ライカでローリングストン フォークル
失恋の歌に流用されたりハッティキャロルの哀しい死を純ちゃんが拓郎に与えた影響にメロディ使われたり
そういう扱いだった。 いわゆるドサまわりってのは大昔からあったんだろうけど、
多くのスタッフ、機材等を抱えて回るコンサートツアーってのは
拓郎が最初だったんだろうね。 はっぴいえんども吉田拓郎も共通するのは
プロテストソングなんてのは嘘っぱちと思っていた点だろう
はっぴいえんどにも「さよならアメリカ さよならニッポン」など
安保を連想させる歌詞はあるが、松本はあくまで俯瞰的に冷めた目で書いていると思う
拓郎の人間なんては、おそらく思想というものを哲学的に
「そこに何があるのか それは誰にも分らない」と結んでいる ジャズ喫茶とか芸能プロダクションの中から出てきたのがGS
フォークは芸能プロダクションの息があまり掛かっていないのが多い もっと踏み込んだ推測をすれば
ディランが「答えは風に舞っている」と歌ったことに対し
風に吹かれて雲はどこかに飛んでいくのである
そこに何があるんだろうか、ということと見ている いろいろ語り合ってるけど
結局はいつでも美空ひばりが最新だしクオリティ高いだし
さらには冒険して実験してアバンギャルドで不良でかっこよかったわけで。 >>287
urcエレックはそうだけど放送禁止対策で通販もやってた。
陽水やフォーク時代のRCサクセションはホリプロだったよ >>279
日本の傑作反戦ソングだよ
おどろおどろしい曲ではない >>290
陽水とRCがホリプロだったのももちろん知ってる >>289
70年前後はスランプで低迷期だった 紅白辞退とかもあったし キリスト教関係のフォーク歌手と革新系の労音が
ブームを作ってた感じだね どちらも次に新しい時代に生まれ変わるという根拠のないハルマゲドン思想があって そのくせやってることは商業主義丸出しの 日本のロックの源流とか言われてるのは
海外のロックの源流を聞くより数百倍は辛い
ロックの源流なだけでロックミュージックからは遠いものが多すぎる
今からそこら辺に入門しようという年齢層で早川義夫の良さなんて理解できる奴はそういない >>273
なぎら健壱自身が80年代半ばからあちこちのテレビに出て馬鹿にしていた シンガーソングライターの源流は荒木一郎や加山雄三あたり なんか面子がいつものメンバー
って当たり前か
90年代後半の再評価で
この流れは確定してたけど
ほんと代わり映えしないな
もっとレアなのが知りたいわけで… >>294
確かにそうね
岡林信康が牧師の息子
高田渡、中川五郎
労音関係は五つの赤い風船、高石友也などなど
なぜはっぴいえんどが
現役時代は全く売れもせず
大学生にコアなファンがいたくらいなのに
今シンボル化されてるかって
みんなお坊ちゃんのノンポリで
政治的色が皆無だったからだわな
政治色があるものは古びる >>277
そんな流れあったんだ
ナゴム関連とかフォーク的な雰囲気だとは思ってたけど
アシッドハウスとか初期渋谷系が出てきてたから
あんまりイケてる感じはしなかったな シュガーベイブは若い子も良い言うね
はっぴいえんどはちょっととか言う子も
山下と大貫は好きなんて言ってた >>302
ブルハのマーシーとかThe BOOMの宮沢和史とかも友部正人へのリスペクトをしてたしね 荒木一郎の「いとしのマックス」は
日本も最も初期のオリジナルロックのヒット曲の一つだわね 荒木一郎は東映のB級ピンク映画しか
再評価されてないよな
紙ジャケのリバイバルも絶版だろ >>264
??
なんで論を否定しようとしている?やめてほしい、こういうの 友部正人は
「詩人」だわね
スタンスが初期から全く変わらない稀有な詩人 友部正人は声変わらないよな
というか若い頃からおっさん声
22歳で「大阪へやってきた」の歌詞書いたのが凄い 友部正人は去年近所のちっちゃいライブハウスに来たから観に行ったけど昔と全く変わらない歌声だった 早川義夫の若い頃の声に痺れて94年の復活ライブ行ったら全然声が変わっててズッコケたな
あれ以来行ってない 友部正人の6月の雨の夜チルチルミチルはとか空が落ちてくるとか、びっこのポー聴くと
詩人でミュージシャンでボーカリストで凄いと思う >>273
真心ブラザーズで一応フォークリバイバルの口火は切ってたよ。
その後江口洋介が長髪でフォークギター持って歌って
斉藤和義、山崎まさよし、
あとはご存知の通り おまえらの友部さん愛はガチだなw
俺も何回もご一緒させてもらったが、本物だよなぁ >>284
少なくとも初期GSは間違いなく日本語ロックの一つの形を確立させてたよ
ベンチャーズが来てビートルズも既に話題になり出していて、
日本ではスパイダースとブルージーンズが歌入りのロックサウンドをやり始めた、
そこにロカビリーブームを牽引したナベプロがいち早くロックの時代を感じ取って
植木等とブルージーンズにタッグ組ませてロックナンバーの「遺憾に存じます」を作ったり
そのブルージーンズを加山雄三とも組ませて「エレキの若大将」と挿入歌の「夜空の星」を送り出した。
「遺憾に存じます」は植木が紅白でもブルージーンズをバックに歌ったほどで
当時はまだNHKにもロックを容認する空気はあった。
ただその後67年ぐらいから各プロダクションがアイドル的売り出しを図ってファンがギャーギャーうるさくなって
その辺からなんじゃないかな、NHKが締め出すようになったのは。結局タイガースのライブの将棋倒し事件がトドメを刺してしまった。 >>297
実はバンドや歌手が自作で曲を歌うというのはその前からあって1950年代には既にダニー飯田とパラダイスキングが実戦してたりする。
ダニーはカバー曲の編曲も全部やってたが実はパラキンとしてのオリジナル曲もダニー飯田作曲が多かったりする。
実はパラキンは音楽グループとして当時ブルージーンズ登場まで音楽グループで人気1位を他に譲ったことがなかったことは今じゃ全然知られてないのよな。
クレージーキャッツよりも人気は上だったみたい。 >>285
URC 設立の1969年頃は高石、岡林、風船などが全国の労音(共産党絡みのホール)でツアーをしていた
1970年頃には日比谷野音で岡林や風船がコンサートをしている
フォークルなんかはその前からツアーしていただろ
よしだたくろうは敷かれたレールの上を後から乗って来ただけ >>323
それは各地の労音が主催したコンサートに呼ばれただけで全く別物 こんな能書き垂れのシーンに出てきたキャロルは鮮烈だったろうな >>258
チューリップとオフコースって曲の雰囲気似てるよね アンドレカンドレ「ビートルズしか知らなかったのに、フォークブームに乗っかってみた」
https://youtu.be/lDrtcWkQsMU >>326
70年代は全然違うよ
チューリップはブリティッシュロック、パワーポップ寄りだったし
オフコースはモダンフォークとソフトロック寄りだった >>49
警官は頑張ると黒人を殺すから、アメリカ民主党は
警察解体するらしいな。 カンドレマンドレ「当時のフォークは大学生のイメージ。高卒はお呼びじゃなかった」
https://youtu.be/p5vsCdyaIII この源流が海にそそぐ頃にはBOOWYになってんのか? >>9
悪い中国をやっつけましょうって歌詞は、当時としては反戦歌のものだったが、いまでは疑いようのない真実 >>176
激しく同意。
26番目の秋、ミッドナイトトレイ辺りが脂が乗り切ってるね。 >>325
おいおいキャロルはファッションも歌詞も曲も50sのロカビリーブームの焼き増しだろ
何か一つ新しい事をやったとすればエレキバンド=不良と言うイメージを定着させた事くらいだろ >>336
でもルーカスの73年の映画アメリカングラフティーと同期してたぜ >>328
ビートルズしか知らなかった?
「傘がない」はグランド・ファンク・レイルロードの「ハート・ブレーカー」の盗作だろ! >>332
遠藤賢司→四人囃子→佐久間正英→BOOWYやGLAY 傘がないはむしろ、ウイングスのワイルドライフであろう
世界の誰も気づいてない、
ビートルズの代表曲の元ネタに気づいた俺が言うんだから間違いない >>275
無知の癖にうざ
https://www.discogs.com/ja/ウイッシュ-ウイッシュのはじめてのえるぴい/release/11231757 ロカビリーブーム→キャロル→横浜銀蝿→氣志團
ベイシティローラーズ→レイジー→チェッカーズ URCはフォーク=民衆の歌的な左翼イデオロギーと切り離せない部分があるからな
今聞いて音楽的な部分だけで評価すると、どうなんだろうとは思う あの時代、
フォークは=言葉派
ロックは=音派
はっぴいえんどは音派の中に松本という言葉派がいたのが科学反応を起こしたサンプル 暗い暗い暗い、あー暗い
それがネアカ上位な80年代におけるフォークの位置付け 尾崎豊は根っこはアリス、さだまさし、因幡晃、岸田智史なのに
なぜかロックンロール!とか叫んでたのがいとをかしw >>349
暗さからの反抗だから
アナーキーとかの影響あるんだろ
浜田省吾でワンクッション置いてからのだろうけど >>48
一本道はヤバイ
阿佐ヶ谷出身の俺には効きすぎる >>72
>「日本語ロックは俺達が作った」 これを自分で言わなけりゃいいグループなんだが
はっぴいえんど?
大滝詠一氏は遠藤賢司が初の日本語のロックだと言ってるけど 日本語をロックに乗せることの難しさを、はっぴいえんどのメンバーは最初から感じていたんだよ
ディック・ミネが昭和初期に、「私の青空」を全部ローマ字に直して歌ったころから、
日本語の課題はミュージシャン共通の課題だった
それでも、山田耕筰の「日本語の抑揚に自然に乗る音程の動きが基本」論で、ずっと日本はやってきたんだよ
そこへのアンチテーゼで取り組み始めたのがはっぴいえんどだった 全然関係ない
ロックの定義ってそんなんじゃないから 日本語をロックに乗せるのが難しいとかいうのは
一種のはしかみたいなもんだな
洋楽にかぶれた大学生あたりがなぜか必死で
日本語コンプレックスの愚痴のように言いたがる
これは世代関係なく90年代以降にもゴロゴロいた はっぴいえんどを後追いで評価した層にとったら
細野の曲がなかったらたいした評価はなかったと思う
細野曲のあの飄々とした歌唱力とかメロディアスとも距離を置いたテイストが
80年代以降にがっつり評価を固定した。
それに比べたら大瀧曲ははっきりいうとダサい。
大瀧メロディーはすでに森進一みたいな演歌界でも大衆に浸透していたから
温故知新なものとしての評価に値しなかった。ロンバケ然り。
ついでにいうとはっぴいえんど時代の松本の歌詞もまだダサい。
お正月に実家に帰れないのです〜〜春よ来いみたいな
まだ洗練されてない70年代過ぎる学生じみた世界観。 読んでないけど四人囃子は選ばれてるの
あとカルメンマキ&oz なんで関係ない話しかできないの?
お前らURCとか全く知らないだろ 岡林の3枚聴いてから語れよ
くっだらない芸能ゴシップみたいな話しかできないのか情けない 加川良のやぁ
ディランセカンドの昨日の思い出に別れを告げるんだもの
林ヒロシのとりわけ10月の風が
風船のニュースカイ、フライト
このぐらいは知ってんだろな? なんで聴きもしないのにわかったようなこと言ってるのかわけがわからない 上で勘違いしてる奴がいるから言っておくが
プロテスト系フォークからニューミュージックの時代へと移ったのは
新左翼の敗北からシラケ世代への時代の移行に沿っているだけであって
音楽アーティスト主導ではないからな。
エンケンみたいに当初からシラケる感性を持っていた者もいたが
シラケ世代はさらに私小説的になり
80年代はさらにシラケ世代の憂鬱みたいなのをクールに洗い流すような流れになった
80年代の若者にとって政治思想なんかに熱くなるのは一番ダサく恥ずかしい事だった
政治思想なんかに関わるぐらいならSFやロリコンやオカルトに熱くなるほうがナウかった
その結果がいろいろな例の事件とかオウムでもある。
松本の作詞の80年代の評価は、松田聖子のようなある意味プラスティックなアイドルの
マーケットにおいてクールな視野を主張した点にある。これはつまりシラケのさらに上位を示したという意味。
このぐらい時代背景を理解して解説できてから、はじめてURCの評価ができる。
つまりこの文面はURCに関係がある。このぐらい語れないとURCの意味も分からない。 いっつも同じ奴が湧いてくるよな
なんなんこいつらは ディランセカンドはのちのオリジナルザディランがレア
まあこれはURCじゃないが 斉藤哲夫のファースト
「悩み多きものよ」拓郎のカバーでも知られる
「されど私の人生」
がやはり出色
あとはボブディランの影響が濃い ディランUは君の窓からってのがボブディランのブロンドオンブロンド
の頃の影響が濃い 休みの国はスカスカなサウンドに流れる木田高介
のプルートあるいはビブラフォンにアシッド感がある 豪華なアレンジがニューミュージックとか言ってる人がいるが間違い
岡林のアルバムはすでに
ストリングスまで入ってるからな 老人の繰り言かよ
URCで今でも聴く価値が一応あるのは
風船、エンケン、はっぴいえんど、友部
あと金延、岡林くらいか
それも興味があったら程度でいい
聴かなきゃダメみたいなものは全然ない 15連続独り言レスわろす
家で相手にしてもらえなくてネットでもうざがられるとは
可哀想 ザ・フォーク・クルセダーズがいないと思ったらURC限定の話かよ
日本語ロックの源流といったら「帰って来たヨッパライ」これだな >>367
70年前後に家電屋オーディオメーカーがハードを売るために
レコード業界に参入してきたそれがSONY パイオニア 東芝 ビクター フォークであろうがアイドルだろうが売れるやつを引っ張ってこいということで拓郎やチューリップ 矢沢の
キャロルなんかメジャーデビュー出来た。ニッポン放送系のキャニオンもできた。宣伝力のないエレックやURCは斜陽
印税くれないのだからアーチストも離れていった。
URCについては元々高石友也の事務所でその人脈からアーチストを集めてた。岡林も後に1973年SONYに移籍 URCは
1969-1971あたりのポスト安保を引きずるあだ花的な
レコード会社&事務所だった。岡林とは後に版権 印税問題で揉めてたような気がする ちなみに安保騒動は1969年夏頃には収束してる
岡林もそれ以降の人 拓郎は1970年万博の年のデビュー
安保全共闘の残党がまだくすぶっててそういうのがフォークを
支持してたために売れると裏切り者扱いされた。
労音が煽ってたのもあるが政治の季節のブームはやがて去り
売れそうな奴らだけがメジャーに引き抜かれていった。 >>359
はっぴいえんどが過大評価されているのは、後になってメンバーの
うち3人が大御所みたいになってしまったため。特に細野と松本の
プロパガンダが巧みなので、はっぴいえんどを評価するのは音楽を
わかっている証拠みたいな雰囲気をつくっていった。はっぴいえん
どの中で細野の曲はもっともパクリがあらわな曲。松本の詞なんか
評価に値しないし、ちゃんとやってたのは大滝の作曲と鈴木のギタ
ー。 >>354
松本隆と鈴木茂の自己評価が高すぎるのよ
大瀧詠一と細野さんはまとも >>363
おいおい沖縄春歌集みたいなLP も持っているのか! はっぴいえんどに関しては
大瀧詠一が自分で客観的に語ってることがすべてよ
ちゃんと等身大に語ってる
あとの祭り上げられた松本隆とかはあんまり信じちゃダメ 大瀧はパクリの天才と言うかよく訴えられなかった運の良い人 四畳半フォーク=ドサ周りしてる人達=拓郎と対極な人達=なぎらが好きな分野
俺の認識 日本語をロックサウンドで歌えば日本語ロック、というならGSで既にやっている
問題はカッコいいかダサいか、この一点なのだ
そういう意味で、例えば最初「春だったね」があって、
「君去りし後」では♪このも〜しから〜ざる〜、というあえておかしな出だしでやりながら
「ペニーレインでバーボン」でついに誰も黙り込んでしまう日本語ロックをかました
これは吉田拓郎の並外れた滑舌の良さと、日本人離れした声帯ゆえのもので、
その後誰も真似出来ていないのである この界隈はかなりサヨク臭いけど
作品群は純粋に素晴らしいから
人生で一度はハマって欲しいわ 松本隆ってセンシティブで気の弱い人なんだろうな
だから他人から祀り上げられると尊大になってしまう
大瀧なんかは狡猾であり客観的な人物
細野は強引な俺様 松本隆はこっそりとアンサーソングを作っていたりする
・木綿のハンカチーフ→水無川/かまやつひろし(吉田拓郎)
・レイン・ステイション/天地真理→レイニー・ステーション/鈴木茂
と自分は見ている はっぴいえんどの再結成 テクノアレンジされた楽曲にはガッカリきた 情報を咀嚼して聴いている人間が多いね
年寄りは今と比べてリリースされる曲、触れられる曲が圧倒的に少なかったから、雑誌等を読み込んで情報を取り入れて武装して聴き込んで来たんだろうな
それには功罪あるね
業界人の関係に無駄に詳しくて可哀想にも思う
自分で色を付けて音楽に接している事に気付けていない
今は圧倒的に曲そのものに触れる機会が多くなって、曲も少人数で作れるし、無駄な情報に振り回される必要も無くなって、ただ良い曲、好きな曲を探して聴ける
時代は変わったね また音楽自体とまったく関係ない話してるやん
お前らURCのアルバムとか本当は全く聴いたことないだろ 坂崎が入った新生フォーククルセイダースはハーモニーが良かったな >>8
思ったわ
山本潤子さん無いとか信じらんない 木綿のハンカチーフのアンサーソングというか男性サイド視点の歌は風信子だったかな >>393
60年代中盤の寺内タケシが関わってた界隈は普通にかっこよかったぞ
ブルージーンズ、加山雄三、寺内と加山の両方に育てられた加瀬邦彦のワイルドワンズ >>403
それただの後追い
リアルタイムで聴くのと体験が違う 音楽好きだけどモノホン志向じゃないからこういうのに興味持てないわ^^; かっこいいことはなんてかっこ惡いんだろうのジャケットは今風やん >>71
高田渡は心凍らせて
なぎらけんいちはいっぽんでもニンジン >>1
URCレコード読本にもあったけど、海外にも金延幸子さんの熱狂的なファンがいる時代なのね
CITY POPブームから遡ってアングラフォークブームになって、アナログ続々出そうで楽しみ >>263
君が思うそのままの事
歌う誰か見つけても
すぐに恋に落ちてはダメさ
「お仕事でやってるだけかもよ?」
と歌ったのは大槻ケンヂか >>417
そういう話ではない
言い方を変えれば今と昔、音楽雑誌の隆盛の違いの事 >>423
そもそも音楽雑誌で音楽評価して聴いてるのは
後追いの方だよ 403の人が勘違いしてるだけ 理論武装などしなくても当時の見たまま聞いたまま語ってるのに本で知識仕入れて受け売りで書いてると思い込んでいる。 URC 初期のLP は名盤だよな
高田渡/五つの風船
六文銭/中川五郎
休みの国/岡林信康リサイタル
その後再発した岡林信康あんぐら音楽祭が一番好きなアルバムだな
二番は風船のゲームは終わり(完全版) >>367
それは後付けの説明じゃね?
例えばチューリップは70年代前期はビートルズ後期のブリティッシュロックだったけど、70年代後期に連れてニューミュージックと言われるものに変化したのは、財津の宇宙思考的な楽曲でシンセサイザーを使用した音楽になったから。そこに思想とかは皆無な気がするが。 >>363
スカイドッグブルースバンドとか
ぼくのしるし わらべうた24 とか持ってる? 一番臭い頃の昭和ブンガク臭がするのがモラトリアム心をくすぐるよね。
俺は嫌い。 >>430
パゴダかアレで安倍と姫野に愛想尽かされて脱退されてしまった 事実上第二期チューリップ解散になったライブアルバム 財津は怪しい占い師の江原とも付き合いがある
オウムや幸福に入らなかっただけまだ守銭奴根性が残ってたといことか >>433
宇宙志向は1980年半ばにはもう飽きたのか無くなったけどねw。 >>424
あーなるほど
失礼しました
リアルタイムで聴いてたのは60才以上かな
あなたが言う後追いはそれ以下で30才くらい迄かな
雑誌隆盛の世代
アバウトな区分けだけど
おれが言う「今」はその下の世代かな
サブスクやYou Tubeが音楽を聴く主流の手段で、音楽雑誌で情報、つまり音楽を言葉で解釈する事が無くなった世代、感性の人たち
でもこのスレでも情報好きな「後追い」の人が多い印象だね
「今」の人は海外の人が日本の昔の曲を「新しい音」として聴くように、情報を通さずに素直に聴いて好きになっているという印象だ
リアルタイムの人はもう体に体験として染み付いているんだろうね >>425
あなたはそうなんだね
でも業界人、ミュージシャンの人間関係、繋がりに凄く興味のある評論家タイプが多いよね
このスレを見ても
昔はライナーノーツをきっちり読んで、ラジオで音楽やトークを聴いて、雑誌を読んで
それは自然な事であるとも思うけど
自分でも知らない内に情報に色付けされた耳で音楽を聴いている人や場合が多かったんじゃないかな
今は良くも悪くも変わったよ >>21
おれは毎年うだるような暑さの中を歩いてこの曲を聴く
ドライブでも
小学生の娘も「良いよねー」と今年言っていた
夏の暑さの中にいる無為な自分というものの空虚な心地良さをこの曲とスチャダラパーの「サマージャム95」は見事に表現していると思う >>138
URC が設立した理由はイムジン河みたいに発禁にされた楽曲を発売したいからだろ
岡林信康なら手紙かな
よしだたくろうが手紙の劣化コピーで日本人になりたいとか言う糞みたいな歌を作ったな >>432
お前みたいなのが80年代は掃いて捨てるほどいたわ
「ブンガク」とカタカナ表記するのがもういかにも もとまろの片割れが、復帰後の早川義夫のライブで「サルビアの花」を聴いて、
「とても自分達にカバーできるような曲じゃなかった」とショックを受けて、早川に謝ったとか。
一方早川のほうは、「おかげで印税が書店開店の足しになった」と喜んでいたとのことw 古い水夫はたくさんの航路を知っている。しかし新しい航路を見つけるのは新しい 水夫である >>384
まあそういう産業に組み込まれていない
自由なDIY感、ひいては反商業主義ぽさが再評価につながってる面もあるわな
80年代でも結局インディーズブームみたいなのもあったし
時代は繰り返される。 >>430
70年代後期ならもうそれは誰でも当たり前だろ
70年代前期から松任谷なんかはアメプロハード的なサウンドだらけだ。
シンセも含めテクノロジー進化として分厚くしたサウンドも
ある意味SF、未来に憧れるのと同じ志向と考えられるし
労組系の新左翼が例えば合理化反対などと叫んでいたような
思想は洗い流された >>438
結局 レコードでは食えなくなって75年ころから音楽舎と社名を変えて
プロモーターに変身 拓郎のコンサートの主催したりしてた。 吉田拓郎の当時の筋の通ってなさを知ってると
いまだにアンチのままでいる層も多いな
エンケンなんてバブル時代にもなって
吉田にフォークを潰された恨みを今から晴らす、とか言ってから歌ってたわ
そんなエンケンも70年あたりは
君の歌詞は性的な事しか歌ってないじゃないか、みたいな批判をぶつけられてる
文献も見た事あるし、今でいうポリコレみたいな面倒さも
当時のフォーク界隈にはあったようだ。 音楽好きなんで日本のフォーク・ロックのルーツも知識として知っておこうと思うけど
このスレ見ても全然わかんね >>45
【テレビ】今田耕司「武士の情けは…」 杉村太蔵、石破氏は「桁違いの人望のなさ」発言に [爆笑ゴリラ★]
52 :名無しさん@恐縮です[sage]:2020/09/19(土) 14:32:42.55 ID:/4/l2Kk20
>>33
石破は失言が多過ぎる
反日朝鮮人がいる電通マスコミ・NHKはスルーして取り上げないけどな >>445
いっぺん書いたけど、フォークは民衆の唄だ的な左翼イデオロギーで語られてた時期があるんだよね
その立場からエンケンとかも批判されてる、個人主義的過ぎると
でも音楽的にはフォークは全然日本の民衆から出てきたもんじゃなくてアメリカからの輸入だから、
なんとか民衆の唄にしようと民謡とか土着的なものとか情念とか入れようともしてた
でもそれはイデオロギー先行だから、結局残らなかったんだけどね
そういうの全部切ったのがニューミュージック、ちょっと乱暴に言えばね >>443
だから、そんな思想関係無くやってる人が殆どなんだから、そう言うのに結び付けるのはミスリードを招くと言ってるんだが。 >>448
イデオロギーってのはすぐ古びてしまうからな
そういうのがないものは時間がたっても長く残っていく >>448
すずききよしや横井久美子とか、うたごえ運動からの流れもあったんだよ
それらは商売にならないから再評価の機会はない
URCやエレック、ベルウッドの再評価も業界側が仕掛ける集金活動だよ >>446
世間的にはおっさんな俺でもここのスレの内容は初めて聞くようなことばかり
2ちゃんに50代後半〜70代が増えてるというのは
ほんとなんだなと感じる… はっぴいえんどは大瀧のボーカルでこそだろ
細野はベースは上手いが作る曲や歌声は好きじゃない フラワートラベリンバンド
カルメン・マキ&OZ
頭脳警察 ジャックスは音源聴く限り課題評価だと思うんだけどなぁ…。 ようは新左翼の連中だけが頭でっかちに、音楽まで巻き込んで考えすぎたって事だよな。
日本の音楽文化なんて特に戦後は、GSの前、日劇ウエスタンの頃、その前のジャズ系から
ずっと輸入と模倣の繰り返しなのにだよ。
吉田拓郎の結婚しようよ聞いて、「やっと救われた」と思った若者が多かったのは
本音はこの曲世界のような軟派な若者ライフを楽しみたかったのに、
新左翼に足引っ張られてて台無しだったのがやっと終わってせーせーした、みたいな話だよな。
揚水の夢の中へは、ハッパを必死で家宅捜索してる警察を観て、
まるでありもしないような理想論を探し求めてた新左翼と同じだな、という皮肉が入っている。
まあこの2つの視点、どっちも岡林やエンケンが先にやってたとは思ってるけどね。 >>438
日本人になりたいって曲が後に
石野真子の狼なんてこわくないに昇華されるんだぞ
作った拓郎本人も気づいてないがあの二曲は似てるんだよ あー、上に書いたのは>>448 だった
>>452
うたごえ運動の創始者の関鑑子のwikiとか読むと
もう戦前からの日共だからなあ…
そもそも日共の歴史のほうが新左翼なんかよりガチガチですごいけどねえ >>9
平和なポジションにいる奴が、自分の立ち位置がどうやってできあがっているか
理解できずに歌っている歌だよね? >>449
クラフトワークがいなかったらYMO は存在しない
モビー・グレープのサウンドどジャックスの歌詞が無ければ、はっぴいえんどは存在しない 例えば拓郎の夏休みって曲をテレ朝は「実は反戦歌だった?」とやった
姉さん先生が戦争でいなくなったから、うんぬん。
即座に拓郎は否定している
報ステで古館が拓郎を呼んだときも、
政治的な話になったら拓郎はそんなことお見通しだとでもいうようにバッサリ。
プロテストソングなんてのは嘘ってのを分かってるからだろう よしだたくろうは反戦歌が流行っていた頃に「基地さ」と言う替え歌を歌っていた。
メッセージソングが流行っている頃はメッセージソング
はしだのりひこの花嫁とか歌謡フォークが流行れば歌謡フォーク
ロックが流行ればロック神田川
それが、よしだたくろう改め吉田拓郎
泉谷しげるも同じ 嘘だと分かってるから音源に残してないんだよ
ただ被爆地出身だから自然な感情はあり、それを歌うのはごく自然なこと
いつも見ていた広島とかね。あれは岡本作詞だったかも知れないが >>49
「ぼく警察官になります」「ぼくは消防士に」
先公「頑張りなさい」
「ぼくは自衛官になろうと」
先公「オマエ!そんなに朝鮮人を殺したいのかバカヤロー!!(往復ビンタ)」 昔、明星とか平凡に「歌本」が付いてたのでマイナーな曲でも歌詞は読んだことがあるのが多い。
「プカプカ」なんかもそうだなあ。
「私は好奇心の強い女」とか、小学生には刺激的なだった。 洋楽の模範を極めたK-POPがビルボード1位だし
結局、日本流のイデオロギー論争ってまったくの無駄だったってことだよね 高田渡の自衛隊に入ろうなんてくだらない曲だよ
反体制しぐさでしかない >>469
当たり前
音楽はイデオロギー以前にある
イデオロギーで良し悪しを語るなんて音楽そのものとは何の関係もない >>470
その辺のレジェンドはガラパゴス日本のサブカル界隈限定で
アイドル路線のK-POPが世界制覇だもんな
結局、サブカル系っていない方が文化が発展するってことよな そのとおり
新左翼イデオロギーは
絵に書いた餅みたいなもんで
実生活と無縁の理想論
今となっては無価値
だから当時の左翼系の歌は
歴史の1ページではあるが
音楽としてはすべて滅びてしまった 俺が言ってんのは反戦歌だから音楽的価値が高い、なんてことは
あるわけがないし反体制だから価値が高い、なんてことはない。
ましてや高田渡なんてのは完全に体制側の人間。 高田渡なんてのは1945年にGHQ(アメリカ)が作った対日戦略である
「戦後民主主義」そのものでありガチガチの体制側の人間
そんなん中学生レベルで気づいてたけどな ロックの定義付けへの肩入れとかも
今となってはすべて無価値だった
音楽にイデオロギーを背負わせたものは
時代性はあったが
すべて古びてしまった 岡林の「私たちの望むものは」が価値があるのはイデオロギーに
なりそうなところを回避して普遍的な歌になってるところ 日本の戦後映画史も音楽史も
韓国に先に頂点を奪われちゃったし
実際のところは無価値よね そういうイデオロギーからきりはなして時代を賑わしたロックンロールも
今は無事死にましたよ…
ジャズと同じく殿堂入りです >>472
72-3年頃だとませた中学生がキャーキャー言ってた
ガロとかもアイドルみたいで
厚底サンダルにベルボトムファッションを中学生がまねしてた
このスレの路線なんか聞いてた人はその頃もっと大人だったのかな
それとももう遺物だったのか だから杏がYouTubeで加川良の教訓をカバーして
左翼のみなさんが組織的に一斉に再生してツイッターで宣伝してたけど
あれが今のマスコミ体制なわけで
1945年以来の。 だから吉田拓郎がノンポリであることがさんざん
(体制側に)批判されていたけど
拓郎はそういうイデオロギーになりそうなところを本格的に回避してたから
価値があるわけ。逆にな。 だからあ
「日本の体制側」っていったいどっちなんだ?って話で
それは高田渡なんかがガチガチの体制側なわけ。 >>349
甲斐バンドとか好んで聴いてたんじゃないかと思ってる 名前知ってるの はっぴいえんど、なぎらけんいち だけ
三上寛ってあの俳優の人? こういう論争の空しいところは
先端の洋楽を模範したK-POPが
アイドル路線で世界制覇しちゃったところ
つまりは日本の音楽界のやってきたことはすべてが間違っていたということ 尾崎豊はここへんの音楽には影響を受けてない
マスコミに反体制と言われていたけど自分で会社も設立し
その点は資本主義の申し子
歌の内容はどんどん内省的に哲学的になっていった
その点が普遍性あるので
URCなんかよりずっと今でも影響力がでかい 独論を言ったあとに結論だと言ってる人も凄いな、どうでもいいけど >>488
日本は
レコード会社やプロデューサーのロックへのこだわりが
ダンスミュージックへの時代シフトを
全く見抜けなかったのよ
それでガラパゴス化した リー・ドリアンはからっぽの世界を聴いた事あるのかな? ここのスレに掲げられている、どフォーク的なの
聴いてみようかと思ったけど、
音楽性の話よりもイデオロギー論争みたいなのが多くて、
げんなりしたから聴くのやめるわ…
実際それ抜きには語れないのも理解した上で、
別に振り返って、今、聴いて楽しむものでもないんだな、と思った >>494
ちゃんと読めば、ここで誰一人イデオロギーの話なんかしてないと思うぞ。
してるつもりの奴がいるなら、そいつはヤバイな。
まあ誰もがイデオロギー的なものを抱えていたと勘違いしあっていた時代の音楽だから
時代背景を知った上のほうがより楽しめる。
まずは第3回フォークジャンボリーのwikiでも読んで、
考えたら各々どうでもいいことで酒も入って暴れて潰れただけの話が、
いかにして伝説のように後に語られているのか、その勘違い要因は何なのか、
そういうのを俯瞰するのも一興だ。 >>439
怒るなよ自称ブンガク青年w
勝手に辛気臭ぇ空気に浸ってろよw >>494
フォークってもともと反戦フォークとかから四畳半でしょ
どうしたって世代間の温度差はあるよね ディランのフォークスタイルを皆真似したんだよ
ディランはウディガスリーを真似てたらしいけど。
日本人が作ると曲調が歌謡曲っぽくなる
ディラン系とppmや
ブラザーズフォー系のカレッジフォークは違ってた。 >>504
拓郎とみゆきはそのディランをモデルにフォークからの脱皮も成功したな >>492
最後の一文でちょっと思う事ある
文化や芸術などはガラパゴス化した方がいいと思う
ローカリズムの方が多様性があって楽しめるから
今でも昔でも日本フォーク、ロックの一ページどして楽しめる >>504
拓郎・坂崎のANNに小田和正が出た時にその話になったな
拓郎はボブディランに憧れたと、それに対し小田はPPMに惹かれたと言ってた 中津川フォークジャンボリーも安保騒動 全共闘敗北後の
1969年夏から1971まで三回開かれて客の方にも
往生際の悪いルサンチマン引きずったようなのが多かった
主催してたのが労音(共産党系の)関係者 だった。
誰かが書いてるけど歌声運動の続きをフォークでやろうという趣旨があったのかもしれない 当時の労音のライブに出演すると必ず反省会をやらされてうざかったと拓郎は発言している。新左翼ではなく非暴力で歌やサークルで大衆を感化させようというのは共産党系の方針 新左翼というのは共産党から別れた連中で暴力革命を標榜してた。 URC=イデオロギー云々もレッテル貼りじゃないか?
労音と秦政明がそうだっただけで高石も岡林もそれに嫌気が差して逃げただろ
支持層も大半はミーハー
秦政明も60年代末は諦めが入って金儲けに走ったと俺は思ってる
戦前戦中派のプロパガンダに若者たちが「かぶれた」という事だろ
ちなみに吉田拓郎もデビュー前そういう時期があったんだよ
上智大全共闘がビートルズのポスターを無許可で売り捌いて大儲けして
キャバレーで豪遊してるのを見て「これは嘘っぱちだ」と悟って縁切ったんだと思う >>509
フォークジャンボリー主催は元中津川労音の笠木透氏だが
労音は高石がラブソングを歌うのを批判し、以後労音は高石のコンサートを行わないと決めた
それに唯一逆らったのが笠木氏
高石のコンサートを地元の若者と主催したのがフォークジャンボリーへ発展する
第三回から主催に音楽舎が関わっておかしくなった
それが>>510に書いた金儲け主義 >>403
80年代半ばから90年代にありがちな人達
氷河期からバブル世代くらいの特徴
良くも悪くもマニュアルカタログ世代
その上の世代は感覚で聴いてる方が多い
最近の若い世代も感覚派が多い印象 >>510
そういうレッテル貼りでしかものを見ようとしなかった音楽評論サロン
(及び聴衆)があったということ。
岡林とかでも普通に人生の歌やラブソングを歌っていたわけだから そういう偏狭な音楽評論サロンや一部の左翼バカ学生連中に
囲われることなく
もっと自由に音楽そのものを語れよって言ってるわけ俺は
それなのにスレに集まってくるのはくだらない奴等ばかり パンタなんかいまだに売国運動やってるだろ
あれはカルト宗教と同じ 富沢さんはさわっちゃいけないのよ
あの人は関係ないから ディランが「♪答えは風に舞っている」と歌い、それが反戦歌と言われた
吉田拓郎は中津川で人間なんてを狂ったように歌った
「♪空に浮かぶ雲はいつかどこかへ飛んでいく そこに何があるんだろうか
それは誰にも分らない」
これ完全に風に吹かれてをディスっているとも言えるんだよ。本人はその後も歌ってるけど。
松本が「♪風をあつめて」とか風街とか、こういうのも結局風に吹かれてから来てるんだろう 第3回フォークジャンボリーのwikiから飛んだリンク先読むと
単に悪天候による会場の不備とか飯もトイレも足りなかった
飢餓状態が騒動の主要原因だったとか書いてあってちょっとワロタ
飢餓状態になるとある意味誰でもあさま山荘みたいに
もはや思想もクソもなく追い詰められ狂暴になる
皆がそれを体験できたようなフェスだったんかなと思うとまたちょっとワロタ 歌詞ではなく音楽的な側面から検証すると
観客が総立ちとなる人間なんても落陽も、リズムがジャングルビートのようになっている
これは意図的なのか偶然なのかわからないが、
このリズムは人をトランス状態に盛り上げる魔力がある
山下達郎ならアトムの子、大瀧詠一ならドラッグレースである >>522
音楽舎がチケットを過剰販売したからそうなった
ただのキャンプ施設に二日で万単位の客を入れた
しかも大雨の後で地面はドロドロ
警備も殆どなく、初日に人造湖で遊んでいた人が溺れて亡くなった
テレビの取材を入れたのも観客の反感を買った
そうした商業主義的が批判の的になった
URC及び音楽舎は既に崩壊していたと言っていい
秦政明は当時事務所に姿を見せる事はほぼ無くなっており競馬に狂い愛人に飲み屋を持たせたりしていた
そんなものがメディアに扱われる際はフォークの殿堂だの何のと美化されている
後追いの音楽好きがそれに「かぶれる」訳だがが調べれば調べるほど有名無実なものだと解る 笠木透氏はその後、地元岐阜でDJなどをしていた
フォークジャンボリーはいまだ日本初の音楽イベントとして語られている
つい最近では早見あかりが主演のローカルドラマであの池が出てきて
ドラマ中であのコンサートが語られる場面があった まぁフォークで一番成功したのは拓郎だろう
売り上げはそりゃ陽水だろうけど 坂崎ってあんなにフォークに造詣が深くて愛情があるのに
アルフィーの音楽はあんなにつまらないのだろうか
NHKでフォーク特集してたけど良かったもんなぁ アルフィーは嫌いでもないけど
シングル連続チャートイン記録とか
心底馬鹿馬鹿しい >>520
はしだのりひことシューベルツの風が抜けてるぞ
1969年に80万枚売ってはしだは家を建てた いや、ずーっと音楽そのものの話をしないで周囲のウンチクや業界情報ばかり
付加価値の話
くだらないよ
フォークムーブメント、パンクムーブメントはそれなりの社会的なインパクトはあったが音楽的なクオリティは低い事の現れだな
その点、20年程前のテクノムーブメントは良かった
音楽そのものをみんな純粋に楽しんでいた
体感していた
アーティスト同士の人間関係の話や下らない業界話を振り返ることも無い >>539
テクノブームなんてなかったよ
小室のしょうむない曲は流行ってたけど >>539
メディアに踊らされてそのつもりになってたという意味で大同小異 こういうジャンルだから仕方ない話だけど
詞ばっかりに関心がいくようになって、メロディーやサウンドが軽んじられるようになっていた感はあったよな
イデオロギー論争とマウントの取り合いでつまらなくなっていったんだよ >>542
知らないだけ
小室は関係ない
>>543
メディアからでは無い
小さな箱から、レコードから、口コミから
知らない人は全く知らないムーブメント >>539
フォークもパンクも音楽的には三流だから相対的に蘊蓄でフォローしたがるんだろな、そのフォロワー達は >>545
それムーブメントじゃないから
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