#飯島真理 「マクロスのオーディションに行かなかったら…頑なにまとわりつくイメージとの戦いもなかった」「苦しみ続いてる」 #はと ★3 [れいおφ★]
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ビクターと契約してすぐ
マクロスのオーディションに
行くように言われ、数ヶ月すると
私は世間の皆様から
声優と呼ばれるようになりました。
いや、声優ではないのです、
と取材で言えば叩かれました。
前の日までピアニストの卵だったのに、
目が覚めたら、
全然違う方向に
自分の名前が歩き出してしまった。
そしてその苦しみのようなものは
現在まで、38年に渡って続いているのです。
今はほとんど割り切っています。
でも、でもあの時ドイツへ行っていたら、
あの時、オーディションに行かなかったら、
私は、紛れもなく音楽の道一本で
進んでいたでしょう。
そして、頑なにまとわりつく
イメージとの戦いもなかった事でしょう。
ただ、
あの頃の私の鈴なりの声が
世界の人の心の癒しになったのなら
それはそれで良かったですよね。
でも、声優でちょっと成功したから
歌手になったんだろう、とか
そういう事を言われ続けた事に関しての
苦しみは、言葉では例えようがないものでした。
(一部抜粋。全文はこちら)
https://ameblo.jp/mari-iijima/entry-12624301481.html
前スレ ★1=2020/09/12(土) 10:44:01.66
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1599883072/ この人基本的に頭悪いしピアノも下手なのになんか自信だけはあるんかな >>5
40年近く前の初代マクロスでミンメイ役の声をやってたマリちゃん(57) 誰でも過去についてこう言う事を思うのはあるだろ。あの時、違った選択をしていたらって話。それを個人のブログに書いただけなんだから、まぁそう言う話もあるよね位の話だと思うがなぁ コンサートで愛覚えていますか?を最後まで歌わなかったら思いっきりブーイングされた逸話好き いや声優になってなかったら全く無名のままだっただろう普通に考えて 覚えていますか?パンパンの顔を
めっちゃ臭いケツの穴オバサン キモオタ大嫌い
でも媚びなきゃ売れない
キィィィィィィィィ スプーンおばさんのイメージもあるだろ?
胸を張れよ >>9
ブーイングというか、今日はマクロスの歌はうたいませーん!って言ったら
客の大半が途中退場しちゃったんだと >>1
今の自分はマクロスのせいって見えるんだけどマクロスのせいでピアノできないわけでもないし38年何してたんだ つか・・・たかだか「劇中歌」なのにそこまで印象付けられたってのは
普通に自慢していいことだぞ 歯科医師の長女として生まれる。兄がいる。音楽好きな両親の影響で3歳からピアノを弾き、小学5年生から作曲を始めた。
中学時代から高校時代にクラシックのピアニストになるためドイツへ音楽留学する予定だったが、恩師の助言でシンガーソングライターの道を目指す。
同時にアメリカのTOTOのファンで影響を受けていた。原宿の全寮制高校を卒業後、国立音楽大学音楽学部ピアノ科に入学する。
子供の頃からピアノをやり、大学のピアノ科に入学する位だから、突然声優となったのに戸惑っても何もおかしくは無いよ。あの頃、声優って仕事自体がマイナーだったし、本人からしたら何が何やら分からなかったままって感じだろうから。 この人、生活に困って古着や下着売ってたからな
今年は、年に一度の白寿ホールでのコンサートも出来ないし収入もない 沢田研二やゴダイゴの頃はオタクなどという言葉もなく、むしろテレビまんががアニメという新しい名称を得、新しいサブカルチャー的が誕生したという好意的な雰囲気もあった時代。
そこから数年たち「うる星やつら」や「マクロス」の時代になると、オタクという言葉は一般化してないもののアニメ好き=不潔で社会性がない人というイメージは割りと共有されていた。
従って飯島真理がアニメのイメージが着くのを嫌がっていたのも仕方がない。 前スレ1070までいっちゃったな
どんだけ業が深いんだよw
多分死ぬまで振り返り続けるんだろうな >>14
その前のコンサートでマクロスの歌しか聴いてないヲタ集団がいたからやめたみたいだけどね >>22
ズレてないか?普通に1000で終わったぞ マクロスでなかったら誰の記憶にも残らないB級アイドルどまり >>21
マクロス関連でめちゃくちゃ売ったから売れたと言っていいんでない? ピアニストの仕事なんてそうそうないやろ
なれたらなれたで愚痴ってただろうな 本当に上手いやつは
他人に何を言われるまでもなくピアノを天職にしている >>15
1987年にはラジオ番組での共演をきっかけに山下達郎から誘いを受け、山下のMoon Records(ムーンレーベル、現在のワーナーミュージックジャパン)に移籍した。移籍第一弾アルバム『Coquettish Blue』は山下プロデュースとなる予定だったが、飯島の意向でセルフプロデュース作として発表し、オリコントップ10入りを果たす。
1988年にムーンレーベル移籍後の2作目となるアルバム『Miss Lemon』を発表。1989年にリリースした『MY HEART IN RED』には、彼女がファンだったTOTOのメンバーであるジョセフ・ウィリアムズやジェフ・ポーカロが参加し、アルバムの1曲「Send Love To Me」ではジョセフ・ウィリアムズとデュエットしている。
同年にはヴァン・ダイク・パークスのアルバム『東京ローズ』の収録曲「Calypso」にフィーチャーリング・ヴォーカリストとして参加する。その後、『Miss Lemon』から制作をともにする音楽プロデューサーのジェームス・ステューダーと結婚し、アメリカ・ロサンゼルスに移住。以後はロサンゼルスを拠点にステューダーとの共同制作で作品を発表し、プライベートでは双子の男児をもうける。
1999年にステューダーと離婚(以後も一部作品で制作に協力)。レコード会社との契約終了によりインディーズアーティストとしての活動を始める。初の自主制作CD『No Limit』で全曲英語詞に挑戦。以降のアルバムは英語詞中心に日本語詞を混ぜる構成となる。また、女優活動も開始し、アメリカのテレビドラマやCM、日本の短編映画に出演する。
2001年にリリースした『Right Now』では、ロベン・フォードおよび、TOTOのスティーヴ・ルカサー、サイモン・フィリップス、マイク・ポーカロが参加している。
2006年、アルバム『Wonderful People』の収録曲「Unspoken Love」が、アメリカ最大のインディー音楽賞とされるJust Plain Folks Music Awardsのベスト・アジアンソング賞を受賞[2]。2008年にはアルバム『Uncompromising Innocence』の収録曲「Swim」を第50回グラミー賞ベストポップ女性アーティスト賞とアレンジ賞に自らエントリーした。 とりあえず、実力はあった
アニオタ以外の人気もあったし
ミュージシャンからの支持もあった
これらは間違いない
いまは実力も人気も落ちたし
支持するミュージシャンもいないけど
過去を捏造して叩くのは卑怯すぎるし
そりゃアニオタが叩かれ続ける理由にもなる
まぁアニオタのなりすましも大勢いるんだろうけどな 藝大桐朋でこういう事を言ってるなら分かるけど
当時からクニタチは歌が看板というか声楽専攻が威張ってて
ピアノなんかは扱いも適当、歌の伴奏くらいにしか思われていない感じ
競合するのは他の音大ではなく学芸大とかの教育系
まあ、いい学校だとは思うけどね(他がひどいw) 青二の分裂騒動から1970年代の後半から
声優がマルチに出始める流れになって
1980年代初期はまだやっぱりこういう役者とか
歌手とか声優としてのプライドの狭間で
苦悩する人結構いたわけよ。
今の若手の声優さん志望みたいに最初からマルチで
ライブ活動で黒字収益目指す前提の今の業界の風潮と
同じ目線でね
この年代のアニメ業界携わった人を同じ声優って
ひと括りでみちゃだめよ。
役者として歌手としてのプライドで
アニメ業界に関わった人達への敬意ってのは
あって然るべきよ。
わかったか萌え豚共 >>34
これなら恨み節言う必要ないだろ何が不満なんだ?日本での知名度か? 声優として以外も、好きだったTOTOのメンバーとデュエットしたり、アルバムを一緒に作ってるな マクロスに出ていなかったら、歌手にはなれていなかった 流石にしつこいな森口博子みたく仕事と思って割り切れば良かったのに >>40
単にドイツに留学してたら、どうなってただろうって話じゃね。 マクロスは見たことないから知らないけど声もいいしセンスも実力もあった
しかしこんな人だったとは残念だ... せいぜいピアノの先生くらいになって終わってただろ
あるいは昔音楽家を志した主婦とか 握手会が嫌だった、水着撮影が嫌だった
こういうこと言う奴で大成したのを見たことない >>21
ビクターの秘蔵っ子ではあったんだよ
デビューアルバムのプロデュース坂本龍一をはじめ
レコーディングミュージシャンも名前の通った一流どころ
その後もプロデュース吉田美奈子に清水信之だし
でもねぇ… EDMはいいぞー
ピアノから離れてダンスミュージックでも試しに作ってみろ この人は自分が音楽で認められないのをマクロスのせいにしてるけど
アメリカに移住してから女優になるってオーディション受けまくって
端役でいくつか出演しただけで「私は女優」って吹聴してたからね
今だってバレエにご執心で全然音楽一筋じゃないよこの人 ゼロジーラブを今でもソラで歌えてしまうが、
>あの頃の私の鈴なりの声が
>世界の人の心の癒しになったのなら
自分で言っちゃうんだw >>51
いつも人や客を馬鹿にしてりゃ誰からも相手されなくなる 「ピアノを弾くお嬢さん」という世間のイメージ通りの学校かな<クニタチ
ここより上位大学はガチ過ぎて冗談も通じないorガテン系
下位へ行くと何だか分からない水商売みたいだし 分からんけど、仕事を仕事で割りきれない人は他の道でも大成出来ないとは思うわ
プロ精神が無いやん まぁあの時こうしとけばって分からんこともないけどわざわざ書かんでも >>29
83年にrose出てるからデビュー決まってたんじゃないのか 別にマクロス利用してそれだけじゃ無い事見せて行けば良いだろうに時代に取り残されるとこうなっちゃうのかね 割り切っていないよね
マクロス終わってからでも
ピアニストになれば良かったのに。 >2008年にはアルバム『Uncompromising Innocence』の収録曲「Swim」を第50回グラミー賞ベストポップ女性アーティスト賞とアレンジ賞に自らエントリーした。
これを本人はグラミー賞にノミネートされた…ような感じに言っていたな
自らエントリーしただけだからな
アメリカでデパートの屋上みたいなとこでコンサートやったら観客は僅か3人だった >>51
いまでもネチネチ言ってるし、人間性に問題がありなのかな うーん
どちらかといえば成功者なのだけど
年を取ってまだピアノを続けていればとか思うもんなんだな
それだけ優れたピアニストの卵だったのかね
そこの評価がわからんと、この話は見えてこない 森口はアニメ人気が一般化して
商機と見て手のひらを返しただけだろう
この人も上手く乗っかったら再ブレイクあったのに
まぁもう原キーじゃ当時の歌唄えないか >クラシックのピアニストになるためドイツへ音楽留学する予定だったが、
>恩師の助言でシンガーソングライターの道を目指す。
これがすべてを物語ってんじゃないの?
音楽留学したって才能ないし無駄になるだけだから、日本でポップスの歌手になったら?
って恩師の慧眼がこのアドバイスになったんでしょ? >>45
そうだな
40年近く残るしこりを作らない人生があったかもって話だな 当時からアニメにネガティブな発言が多かったが、今もまだ言ってるのかよw 何になりたかったのかようわからん
定期的にこういうこと言ってるよねどうしたいんかね もう2020年なのに
また30数年前のことを…
ピアニストやアーティストとしての成功の道を
マクロスに潰された
って本気で思ってるくせぇな 元結婚相手に「リンミンメイの声でやってよ」とかいわれたからアニメを恨んでるのか? >>78
チョンがなんでも日本のせいにしたがるのと同じ >>45
過去の選択を今でも悩んでいるのかね
マクロスで大きな結果が出たんだから喜ぶべきだと思うけどね まあ、40、50になっても高校のころに親にいわれたこととかで恨んでるとかいうヤツもいるしなw >>56
同じこと思った
アメリカンジョークなのかも まあそんなに責めてやるなよ
皆にも有るやろ?
あの時ああしてればとかしなければみたいなのが >>91
そりゃあるだろ
でも他人や、まして客のせいにしないのが普通だろ 藤子Fもドラえもんに対し複雑な心境だったらしいし、そういうのはある 首都圏で3-4歳からやってて
大学が・・・というのはどうなんだろう
諦めるかどうかの瀬戸際くらいの感じだと思うよ。 これがマクロスじゃなくてサザンクロスだったらまた違った人生を歩んでいただろう >>91
でもね、自分の作った楽曲がアレンジャーによってぐちゃぐちゃにされたって言ってるんだ
本当はもっと素敵な曲達だったのにってさ
思考回路が少しおかしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています