自家用車の普及が、まだ進んでいなかったころ、海や山でのレジャーを楽しむ人々の足は国鉄だった。昭和40〜50年代の時刻表を見ると、海水浴場やスキー場に向かう臨時列車が数多く掲載されていた。そして、そのネーミングは個性的なものだった。

当時、7月から8月にかけて全国各地を走っていたのが海水浴列車。関西から日本海側へ向かう臨時急行は「但馬ビーチ」「丹後ビーチ」「はしだてビーチ」など、ビーチという言葉をつけて雰囲気を出していた。名古屋から若狭方面へは急行「エメラルド」とハイカラな感じ。関東の房総半島を走る外房線、内房線ではJR移行直後までの毎夏、海水浴客をさばくために「夏ダイヤ」が導入され、「白い砂」「青い海」というおしゃれな愛称の臨時快速が設定されていた。

そんな中、異彩を放つネーミングの列車が東北に存在した。泳ぎが得意とされる「かっぱ」だ。「国鉄監修 交通公社の時刻表1974年7月号」の羽越本線のページを開いてみよう。あちこちに「かっぱ」が走っている。

山形と日本海側の象潟(きさかた=秋田)を結んだのは臨時急行「きさかたかっぱ」。山形を早朝の5時25分に出発し、奥羽線、陸羽西線、羽越線を経由して象潟には9時9分に着く。帰りは象潟発17時10分で山形には20時56分。早起きして、日帰りで海を楽しんだ子供たちはクタクタになって列車に乗っていたことだろう。

同じ日本海側の鼠ケ関(ねずがせき=山形)発着の臨時急行は「ねずがせきかっぱ」。ほかにも「かっぱ」と名付けられた米沢(山形)発の普通列車もある。さらに五能線を見ると、東能代と岩館(ともに秋田)を結ぶ「快速かっぱ」、弘前から深浦(ともに青森)へ向かう普通列車「かっぱ」も存在。もう東北の夏列車はかっぱだらけである。かっぱといえば、民俗学者、柳田國男の「遠野物語」で知られる遠野(岩手)が有名。東北の人たちはかっぱに親しみがあるのだろうか。

次にスキー列車はどうだったのか見てみよう。「国鉄監修 交通公社の時刻表1976年2月号」を開くと、愛称はスキー、もしくは銀嶺という言葉を使ったものが多い。関西から山陰方面の臨時急行は「だいせん銀嶺」「但馬銀嶺」など。上野発は「草津スキー」「志賀スキー」「石打スキー」などのほか、冬にしか走らない臨時特急、上野発石打(新潟)行きの「新雪」も走っている。

木次(きすき)線のページを開くと「三井野原(みいのはら)銀嶺」という列車を確認できる。広島や福山(広島)の人々を島根県南部にある三井野原スキー場まで運んだ。同線の三井野原駅を降りれば、すぐにスキー場という立地の良さが売りだった。

この列車で行くスキーは強行軍だ。広島発で見ると、土曜日の深夜に出発し、三井野原に着くのは日曜日の早朝。半日ほどの滞在の後、夕方に帰りの列車に乗ると、広島着は21時41分。まだ週休2日制が一般的ではなかった時代、月曜日が仕事や学校と考えると、昭和の人たちは覚悟を持って遊びに出かけていたことがわかる。

娯楽、レジャーの多様化や鉄道以外の交通機関の充実もあり、海水浴、スキーの臨時列車は現在、数を大きく減らしている。現在の三井野原駅。駅舎は新しく建て替えられ、JR西日本の駅で最も高い標高(727メートル)にあり、トロッコ列車「奥出雲おろち号」の停車駅で知られている。周辺のスキー場は健在だが、アクセスは国道314号が主になり、今は走っていない「三井野原銀嶺」から続々と若者たちが降りてきた光景はイメージできない。

2020.8.29
https://news.yahoo.co.jp/articles/f344f9a5543842e95482539dddcee297313720e3