執念で理事うなずかせ、関大にリンク建設

きっかけは04年11月、高橋らが練習した同市内の「O2スケートリンク」の閉鎖
だった。55年創部のアイススケート部、48年創部のアイスホッケー部の学生は
近隣のリンクの使用。だが、それらのリンクは飽和状態で、夜中にしか練習で
きないこともあった。織田の母としても知られる憲子コーチら関係者は
「リンクをつくってください」と理事長室のドアを何度もたたいた。

当時の森本靖一郎理事長(85)にも同情の思いがあった。ある日、後に関大に
進む京都外大西高の沢田亜紀が大阪のリンクから、終電で京都に帰る様子をテ
レビで目にした。「若いのにね、電車の中で寝とってね」。

「スケート界は伸びてきた。でも、リンクがない。リンクがないか
ら指導者が食べていけない。指導者が安心して指導に専念するためにも、その
場を与えてやらなアカン」

大阪)「五輪メダリストを出したい」 織田信成さん

育成方針は「常にほめる」。

 JR高槻駅から車で約20分。山あいにある関大高槻キャンパスに、アイ
スアリーナはある。アイススケート部は男子15人、女子38人の総勢53人。

織田信成氏「リンクを見ると動悸が…」関大・浜田コーチに1100万円の
損害賠償求める、一問一答

「僕自身プロスケーターで地元が(関西大学のリンクのある)高槻なので、
自分の練習はみんなが来ない時間にやっている。リンクを見るとまだ動悸は
出ます」

 ―またリンクに戻りたい気持ちはあるのか

「関西大学に戻るか戻らないかというのは、
戻らない可能性の方が大きいと思います」