0001フォーエバー ★
2020/08/22(土) 09:55:50.52ID:CAP_USER9ページをめくるとそこはもう、夢と幻想、母親への愛憎と郷愁に満ちた寺山修司の世界だ。立川直樹による寺山修司との「架空対談」(全日空「翼の王国」1998年1月号より転載)にはこんな言葉がある。
〈高校生の時に買った新書館から出ていた詩集の中で、あなたが“淋しいという字は、木が2本並んでいるのになぜ淋しいんでしょう”と書いていた。僕はそれでもう完全に寺山修司に捕まってしまった……。〉
他ならぬ私自身もそうだ。寺山修司と出会って以来、「さびしい」という字を書く時、「寂」ではなく木が2本並んだ方の「淋」で必ず書いてしまう病になってしまった。今から7年前、寺山修司監督作品『田園に死す』に魅せられた私は1人、無数の風車が強風でグルグルと回り続ける恐山にいた。そこには「シュッシュ」と汽笛の口真似をして通り抜ける白塗りの少年もいなかったし、黒いドレスを突然脱ぎ始める新高恵子もいなかった。私に話しかけてくれたのは、イタコの老婆ではなく、雨の日に一人恐山行きのバスに乗る女子大生を心配してくれた親切なおばあさんだった。私もまた彼の「映画の上を歩」かずにはいられなかった一人だ。他に交通手段がなくタクシーで行った寺山修司記念館の傍には、首を傾げたビクター犬が佇んでいた。
粟津潔のデザインをもとに作られた寺山修司記念館の中は、それこそこの本の副題どおり「きらめく闇の宇宙」だった。「スクリーンとプロジェクターの間にある観客席が必ずしも安全地帯ではないこと」を暴こうとした寺山映画が常に観客に「ただ観る」ことをさせてくれなかったように。1975年30時間市街劇『ノック』がまさしく事件となり当時の新聞の社会面をにぎわせたように。寺山修司記念館は、「観る人」も参加せざるを得なくなる、一風変わった記念館だ。
8/22(土) 9:42配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/af3a4dcc0fba0b82bd7670a19708eb4a8a75e990
https://i.imgur.com/9KiOmT0.jpg