【歌手】エルビス・プレスリーの夢はプロレスラーだった [爆笑ゴリラ★]
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8/10(月) 8:00
日刊スポーツ
エルビス・プレスリーの夢はプロレスラーだった
2014年に来日したダニー・ホッジ氏(左)とトシ倉森氏(トシ倉森氏提供)
エルビス・プレスリーの夢はプロレスラーになることだった−。伝説のロックスターはプロレスを愛し、死ぬ間際までプロレス映画を作ろうとしていた。元週刊プロレス、週刊ゴング外国人レスラー番のスポーツライター、トシ倉森氏(65)が生前のプレスリーを知るレスラーの証言をもとに、秘話を語ってくれた。【取材・構成=高場泉穂】
没後43年目の夏、エルビス・プレスリーの名前がニュースを賑わせた。プレスリーの孫、ベンジャミン・キーオさんが27歳の若さで亡くなったからだ。ベンジャミンさんはプレスリーの娘、リサ・マリーの長男で俳優兼ミュージシャン。プレスリーによく似た顔立ちと雰囲気を持っていた。7月13日、彼の訃報が報じられると、その話題は瞬く間に世界中に広がった。ビートルズ、ボブ・ディランにも影響を与えた伝説のロックスター、プレスリー。その偉大な功績は今もあせることはない。
プレスリーは実は大のプロレス好きだった。長く米マット界を取材してきた倉森氏は生前、プレスリーと交流があったレスラーからさまざまなエピソードを聞いてきた。「空手が好きで、高段者なのは知られていますが、プロレスが好きなことは今もあまり知られていないんです」。
1935年にミシシッピ州テュペロの貧しい家庭に生まれたプレスリーは、少年時代にテネシー州メンフィスへと移った。高校卒業後は電気工事のトラック運転手を務めながら、エリス・オーディトリアムなどのプロレス会場に出入りし、レスラーのかばん持ちをしていた。「エルビスはレスラーになりたかったんです。プロモーターには『お前は、やせっぽちだからだめだよ』とかけ合ってもらえず、チャンスはつかめませんでした」。
同時に音楽活動を続けていたプレスリーは、ラジオやコンサートで評判を得て1956年に出した曲「ハートブレークホテル」で大ブレーク。スター街道を歩んでいった。歌手として大成功した後も、プロレスへの愛は変わらなかった。ミッドサウス・コロシアムなど地元メンフィスのプロレス会場にはお忍びで頻繁に観戦。2階席の1番後ろや、ステージのカーテンの隙間から見たりしていた。また、マット界のスーパースター、ハーリー・レイスを自身のラスベガスのショーに招待したり、自宅のグレースランド内にリングを作り、私的なプロレス大会を開催したりしていた。58年に陸軍に入隊し、西ドイツに行く前まで付き合っていた彼女はペニー・バーナーという美しい女子プロレスラーだった。
1977年の春、プレスリーはマネジャーを通し、憧れのプロレスラーへ連絡を取った。相手はNWA世界ジュニアヘビー級王座に長年君臨したダニー・ホッジ氏だった。1956年メルボルン五輪レスリング・フリースタイルミドル級銀メダリストでありながら、58年にはアマチュアボクシング全米最大の大会、ゴールデングローブのヘビー級王者も戴冠。日本の国際プロレス、日本プロレスにも参戦し、ジャイアント馬場、アントニオ猪木とも熱戦を繰り広げた。「レスリングのメダリストとボクシングの全米王者になったのはホッジさんだけです。今でも歴代最強のレスラーの1人。エルビスは彼の大ファンだったんです」。
プレスリーはプロレスの映画を作ろうとしていた。その中でレスラー役を演じるためにホッジ氏にトレーニング役を頼んだ。倉森氏はホッジ氏本人とマネジャーから後に、この話を聞いた。「エルビスはプロレスラーになりたかった夢を映画の中でかなえようとした。でも話はそこで止まってしまいます」。その約半年後の8月16日、プレスリーは自宅のバスルームで倒れて息を引き取った。42歳だった。
プレスリーの歌う、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の曲「見果てぬ夢」は名カバーとして知られる。“いかに望みが薄く、いかに遠くにあろうとも、あの星の後を追う”。歌手として大成功したエルビスも、プロレスラーになるという一番の夢は最後までかなえられなかった。
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200810-28030165-nksports-000-3-view.jpg
続きはソースで読んでね
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ec27a4e0fbd3cc8a99a0b251283e565faa1bd27 プロレスなんて八百長じゃん
あんなのになりたいなんてよっぽどバカだったんだろうね
ロックで脳みそいかれちゃったのかな ダニー・ホッジはレスリング五輪銀メダリスト、ボクンシングゴールデングローブ王者
になった後、プロボクサーになって8勝2敗だったがプロボクシングはそんなに
稼げなかったのでプロレスラーになったんだな。
同じオクラホマ州出身の後輩ジャック・ブリスコはホッジにはかなわんと言ってたそうだ。
オクラホマはディック・ハットン(大学がオクラホマ)、ダニー・ホッジ、ジャック・ブリスコ
とかレスリングの強豪が出てくるんだな ルーテーズが私は彼と喧嘩するほど愚かではないと言っていたダニーホッジか ルーテーズ曰くダニーホッジとシュートするほどバカじゃない
エキサイトすると仕掛けてしまうんで興奮を抑えるために試合前にはオナニーしてた、って話は本当か?w プレスリーって年齢がブルーノ・サンマルチノと一緒で
二人ともイタリア系だからつながりありそう 一流のプロレスラーはフィジカルエリートしかなれんからな
プレスリーの頃のプロレスラーはまさしく最強といっていい時代のレスラー >>7 いたいたそんなレスラー WWF で活躍してたな アメリカ遠征中の鶴田と天龍がドリーファンクJr.にチケットを取って貰ってプレスリーのコンサートに行ったエピソードがあるけど、
プレスリーがプロレスファンだと知っていたら違ったエピソードになったかもね。
60年代馬場が全米で有名なプロレスラーだったし、猪木もテネシーで試合をしていたことがあったから
プレスリーは馬場や猪木のことを知っていただろうね。 >>9
スティーブウィリアムスもオクラホマ大学のレスリングの強豪だったね。 まあ、子供の頃、プレスリーはプロレスラーだったと思っていたけどねw 当時は格闘技の才能がある人間はプロレスラーになるしか飯を食うことができなかった
だから優秀な人材がプロレス界に集まった
日本だと大相撲という受け皿もあった 俺だって猪木がヒーローだった
こどもはみんなそうだろ >>25
ウィリアムスをスカウトしたビル・ワットもオクラホマだね
ただしビル・ワットのバックボーンはアメフトか
ビル・ワットは先輩のダニー・ホッジにプロレスラーにならんか
と言われてプロレスラーになったんだな >>30
オクラホマスタンピートはビルワットからウィリアムスに引き継がれたね。
ホッジのオクラホマヘイライドは継承者いないね。ダニーホッジの現役時代は知らないけどね。 エルビスギミックみたいなレスラーアメリカには多かったな >>22
俺がWWF(当時)のレンタルビデオで初めて観たアルティメット・ウォリアーの試合がホンキートンクマン戦だったわ…日本のプロレスを観なれた身にとってあれは衝撃だった ホーガンは逆にロックバンド組んで歌手目指してたんだっけ >>31
私もダニー・ホッジが現役のときはプロレスを見てなかったが
昔、パーフェクTVにあった無料チャンネルCS日テレで
昔の全日本プロレスをやっててホッジVS鶴田を見たな。
リアルタイムでホッジを見たのは新日のIWGP&WWFチャンピオンシリーズで
ホーガンVS藤波のWWFヘビー戦とかレフェリーをやった時だった。 ゼロワン時代の橋本真也は外人レスラーたちからFAT ELVISと呼ばれていた >>35
最近、ホッジの決め技のオクラホマヘイライドという技がどんな技か気になってYouTubeで探したら全日に来日していた試合があって見たらローリングクレイドルだったw
リアルタイムのホッジはUインターでテーズとロビンソンと揃い踏んだ時かな。
テーズ、ゴッチの次に来る伝説のレスラーがダニーホッジだよね。 >>38
昔、猪木ももみあげ伸ばしていたけどプレスリーの真似で流行っていたのかな。 ダニー・ホッジ、日プロ時代はウィルバー・スナイダーとタッグを組んで
馬場・猪木の持つインタータッグ選手権に挑戦していたな
BI砲より脚が長くてカッコいい体形なのが、子供心にもわかった
ホッジは強い握力をアピールするために、リンゴを握りつぶしてジュースにするのを見せ物にしていたっけ ダニー・ホッジってガチで強かったプロレスラーでよく出てくるな
MMAに対応出来そうなキャリアの持ち主だからか エルヴィス・プロレスラー
確かに言葉の響きは似てるな うそつけ!
あまたのエルヴィス本、(影のように一緒にくらしていたボディガードの暴露本にも)
そんなこたあ、1ミリものってないし、聞いたこともない!
空手に夢中だったことは、有名で、どの本にも出てくる。 エルヴィスがあまりにも有名で、もみあげ、ジャンプスーツの
そっくりさんが、世界中にごまんと、出現、その宣伝力を利用しただけじゃんか(笑) 用心棒が空手使い手で影響うけたのは有名だよな
オレはハートブレイクホテル迄が好きだった ビルロビンソンっていう昔のレスラーとエルヴィスプレスリーの外見がそっくり。どっちかが真似したのかも ペニーバナーってホントに若い頃は美女レスラーだったんだな
一つ勉強になったわ 人前で平気でmasturbationをするダニーホッジ WWEにいた元インターコンチネンタル王者のホンキー・トンク・マンはプレスリーの生まれ変わりか?w プレスリーは、契約に縛られていやいや映画に出続けた。
契約が切れたとたんに、死ぬまでライブやレコーディングやり続けたのだから、
プロレスの映画など作ろうとするわけないだろ 彼の伝記本は、先のボディガードの本 (What happend?)
彼の奥さんだった プリシラの本
離婚後のプリシラの同棲相手だった奴の本(Pricilla & me)
無名の頃のガールフレンドの本
サンレコード時代の研究家の本 (Mistery Train)
彼の私生活と音楽を研究した本(Elvis)
*他に無数の出版物があるが、どの本にもプロレスの記述まったくなし プレスリー伝に書いてなかったが
アメリカじゃこの話は有名なのか? >>65
よく分からんが、全く必要のないエピソードだからでは? プレスリーくらいの大物になるとイメージも契約のうちだから好きな物が何かも言えないだろ
もっと年を取って一線から退けばそうでもないだろうけど 命日が近くなると、この類のわけのわからん根拠のないエピソードが出てくるなw 少なくとも映画の話は嘘だろう。
その頃はブクブク太ってた。
カルホーンの役でもやりたかったのか。 エルビスの地元テネシー州は全米一のどケチプロモーター、ニック・グラスが安いギャラしか払わないから
二流、三流レスラーしか居つかないアメリカマット界の墓場だった
地元ローカルヒーローのジャッキー・ファーゴもその弟子のジェリー・ローラー、ローラーの宿敵ビル・ダンディも
しょっぱい三流塩レスラー >>68
空手とプロレスを、とっちがえた感あり!
空手には、それこそ夢中で、歌いながらの所作でも、空手をとりいれている。
プリシラ婦人との離婚の一因も、空手道場に通い詰めのエルビスの
空手教師(マイク ストーン)と、彼女が仲良くなったため。
なぜ、エルビスが、空手に夢中になったかは、ドイツに兵役で滞在中に
軍隊で、かじったため、と言われている。 おまえらも子供の頃に新日や全日の試合をテレビで見てただろ
その程度の話だろたぶん >>72
テネシーはプロレスが殴る蹴るスタイルでスープレックスとかあまりやらなかった。プロレス技をやらずにプロレスにするからある意味上手いんじゃないか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています