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2020/07/18(土) 14:20:37.18ID:0ingJJ0p9今回の阪神の取り組みに対しては、「よいアイディアだ」「私も欲しい」と好意的な意見が大半だが、一部では、「土は甲子園に出場したことの証であって、土だけもらっても喜べない人もいるのでは」という声もある。2ちゃんねるの創設者であるひろゆき(43)は先月、TBSの情報番組「グッとラック!」に出演した際、「そんな土もらってうれしいのかな?」と疑問を投げかけていた。
甲子園の名物として定着している「土拾い」。そのルーツとされる1人が、「打撃の神様」と呼ばれ読売ジャイアンツで活躍した川上哲治だ。1937年夏の甲子園に熊本工の選手として出場し、土を持ち帰ったとされる。これが最初の土拾いではないか(諸説あり)と言われている。
それだけ土拾いには長い歴史があるわけだが、球児たちはどのように土を持ち帰り、その後どうしているのだろうか。
2009年夏の甲子園に横浜隼人(神奈川県)の中堅手として出場した與那覇(よなは)明さん(28)は「お世話になった方々に配りました」と話す。
「甲子園で敗れたあと、学校に帰ってから全員が拾った土を一つにまとめました。それを3年生全員に均等に振り分けて、500ミリリットルのペットボトル1本分の土をもらいました。親戚やお世話になった方々に感謝の気持ちとして配り、自分の手元に残っているのはごくわずか。母校の中学では、私の土を飾ってくれています」
今回の取材では十数人の甲子園出場経験者に話を聞いた。與那覇さんと同じように、周囲に土を配るというのが、最も多いケースだった。
そして與那覇さんはこうも話した。
「1,2年生は土をもらえていませんでした。『まだ来年以降にチャンスがあるのだから、自分たちで取りに行け』ということでしょう」
與那覇さんが言うように、3年生以外が甲子園で土を拾うことを禁じたり、拾いづらい雰囲気があるという学校は多い。下級生が土を拾うということは、「もう一度甲子園に来るつもりがない」と捉えられてしまうからだ。
しかし、甲子園に出場することが容易ではないことは言うまでもない。地方予選は一発勝負のトーナメントであり、甲子園常連校であっても、翌年に再び甲子園に出場できる保証などないのである。
そのため、土を拾うチャンスを逃すまいと、涙ぐましい努力をする人もいる。柏陵(千葉県)の二塁手として1999年夏の甲子園の舞台に2年生で立った三上宏太さん(37)は、「仲の良い先輩に、あらかじめ土を多めに拾ってもらうように根回しをしました」と打ち明けてくれた。
「やっぱり、もらえるときにもらっておきたいというのが正直なところでした。しかし、当時の監督はとにかく厳しい人で、土を拾えば『お前、来年にリベンジする気がないのか』と言われることがわかっていた。そのため前もって先輩に『多めに土を拾っておいてください』とお願いしました。ベンチ入りしていた他の2年生は自分で土を拾っていたのですが、予想通り監督にひどく怒られていましたね(笑)」
大会後、夏休みが明けてから、三上さんは先輩から土を譲り受けた。その土はいまも実家で保管しているという。
つづく
7/18(土) 10:00 AERA
https://news.yahoo.co.jp/articles/d91660ab68269f880354175702c0a5fd58a41aa3
写真 部屋に飾られた甲子園の土(写真:森田裕貴さん提供)
https://amd.c.yimg.jp/im_siggtkBBelZtAPbIgxc4xshH.A---x640-y480-q90-exp3h-pril/amd/20200717-00000041-sasahi-000-1-view.jpg