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【サッカー】<あのブラジル人J戦士のいま【第1回】ビスマルク>「これからも大好きな日本との縁を大切にしたい」 [Egg★]
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0001Egg ★垢版2020/07/13(月) 09:29:59.53ID:aDOPENBl9
フットボール王国のエリートコースを歩んだ
https://amd.c.yimg.jp/im_siggMsW7PVt_kNMxRUU3kVTUwQ---x640-y514-q90-exp3h-pril/amd/20200713-00076186-sdigestw-000-4-view.jpg


93年の第2ステージからヴェルディに加入したビスマルク。黄金時代を築き上げた。(C)SOCCER DIGEST

 Jリーグ創成記に眩いばかりの輝きを放った超大物ブラジル人選手。もしビスマルクが日本へ来ていなければ、Jリーグの最初の9年間の歴史は違っていたかもしれない。

 精巧なテクニックの持ち主で、ほとんどミスをしない。派手さはないが、状況判断が素晴らしく、常に最適のプレーをやってのけた。勝負強さも群を抜いていた。

 カリオカ(リオっ子)だが、ブラジル人の一般的なイメージとは正反対で、生真面目で物静か。

 敬虔なクリスチャンで、得点後、跪いて眉の間を右手でつまんで神に祈りを捧げるポーズが一世を風靡した(本人は、「点を取ったことにではなく、神様に日本という素晴らしい国でプレーする機会を与えてもらえたことへの感謝だった」と打ち明ける)。

 8歳の時、リオの名門ヴァスコ・ダ・ガマの下部組織に入り、16歳にしてトップチームからデビュー。あのロマリオとも一緒にプレーした。1989年のワールドユースでMVPに選ばれ、1990年ワールドカップに20歳で招集される、というフットボール王国のエリートコースを歩んだ。

 ヴァスコで5年間プレーした後、新たな挑戦をしたいと考え、Jリーグが開幕した1993年、23歳の若さでヴェルディ川崎へ。三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏らと創造性豊かな攻撃陣を構成し、、二年連続でJリーグとナビスコ杯の二冠を達成。黄金時代を築いた。
 
 1997年に“宿敵”鹿島アントラーズへ移籍すると、今度は小笠原満男、本山雅志、中田浩二らと共に5シーズンで3度、J王者に輝く。2000年には、Jリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の三冠達成という初の偉業を成し遂げた。

 2003年、ヴィッセル神戸を最後に引退すると、ブラジル有数の敏腕代理人と共同で代理人事務所を設立。リオとポルトアレグレにオフィスがあり、約60人の選手を日本、中国、欧州各国など約10カ国に送り込んで、忙しい日々を過ごしている。

 日本には、2005年にFWアレックス・ミネイロを古巣の鹿島へ、2019年に右SBマギーニョを川崎フロンターレ(今季から横浜FC)へ送った。

 引退後、代理人になることは現役時代から考えていたという。

「指導者になることは考えなかった。数十人の選手を管理し、クラブ関係者、メディア、サポーターらと良い関係を築かなければならないし、常に勝利を求められることは大変なプレッシャーだからね。

 選手時代、僕は代理人がいなくて苦労したので、かつての自分のような選手を助けてあげたいと考えた。代理人には色々なタイプがいるが、自分はあくまでも誠実に仕事をするのがモットー。誰に対しても決して嘘をつかず、約束は必ず守る。これは僕の父親の教えでもある」

つづく

サッカーダイジェスト
https://news.yahoo.co.jp/articles/5e7c16cae5f2e05f5a1b797b07f87c228c6aefc0
0002名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 09:30:48.41ID:aDOPENBl0
「これからも大好きな日本との縁を大切にしたい」
https://amd.c.yimg.jp/im_sigghvdazUuJtd8XIxki2no4ew---x640-y427-q90-exp3h-pril/amd/20200713-00076186-sdigestw-001-4-view.jpg

この仕事の醍醐味については、「才能がある選手を発掘し、その成長を助けて、成功に導くところ。選手が活躍したら、クラブとサポーターにも感謝してもらえるのも大きな喜びだ」と説明する。

 そして、選手が外国で成功するための条件として、「技術、フィジカル能力、戦術的な柔軟性はもちろんだけど、その国の人々、文化、フットボールのスタイルを尊重し、チームと監督にとって役に立つ選手になること」を挙げる。

「これまで、主にブラジル人選手を外国のクラブへ移籍させてきた。今後は、日本人選手を欧州クラブへ送り込む手助けもしたい。

 また、近年、ブラジルの大学などで、『世界のフットボール』などをテーマに講演を行なっている。今後、日本の大学や高校などでも同様の話をして、日本の若者たちに世界と世界のフットボールへの目を開かせてあげたい」

 毎年、何度か日本を訪れているそうで、「これからも大好きな日本との縁を大切にしたい」と語る。  

 選手時代はほっそりして精悍な顔つきだったが、現在はかなりふくよかな風貌に変わった。しかし、フットボールへの情熱は若い頃も50歳になった今も全く変わっていない。
0003名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 09:31:12.53ID:SRmlHHwS0
鹿島なのに緑?
0004名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 09:33:32.13ID:dE2vdFMs0
現役セレソンだったよな
0007名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 09:35:35.65ID:XmEzihYA0
鹿嶋時代、チャンピオンシップだか天皇杯だかで負傷退場する時に悔し泣きしてたよね
0011名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 09:49:57.05ID:cNrb4kHJ0
ゴール後の神に祈るようなポーズも印象にあるし本当に良い選手のイメージしかない
0012名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 09:52:51.20ID:dA31EExX0
すごい女癖が悪いらしい。
神様がどうこう言ってるけどイメージと全然違うって。
0015名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 09:58:27.23ID:tAmLkdwA0
Jリーグ初期は一流選手も日本に来てたな。
レオナルド、ジョルジーニョ、ジーニョ、サンパウロ、ドゥンガとか、セレソンの実力派が揃ってたし
0017名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:05:41.71ID:sdZyx+Gd0
よくわからないのが20才でワールドカップに招集されるようなレベルの選手が
何故出来て間もないリーグに来たの、有名ロートル選手が年金稼ぎにくるのは理由が
分かるけど、若いのに何故欧州に行かなかったのだろう。
0018名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:12:14.55ID:FeZ8PGSI0
>>17
宇佐美みたいなキャリア
将来嘱望されてたけど、20歳手前くらいで代表判入れるか入れないかって微妙な立ち位置になったから
金で日本に来た
当時はボスマン前だから欧州の絶対性はまだない
0021名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:22:03.65ID:+QzVFvbh0
考える人ビスマルク
0022名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:27:52.03ID:eOu/3SrJ0
>>15
サンパウロ?
サンパイオじゃなくて?
0023名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:29:07.07ID:vjYSyVG50
>>17
1990年代のヨーロッパサッカーの状況は今とは全く違う
当時セリエ1人勝ちだったが年棒やスポンサー収入は今よりずっと低い
逆にJリーグはレベルは低いのに年棒は高くスポンサー収入なども見込めた
ドゥンガ、リッティ、リネカー、ピクシー・・・創成期はとくに凄い
0024名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:32:18.60ID:FXR25URF0
Jリーグ創成期の年俸っていかほど?
0025名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:34:23.42ID:SUrHH5Zz0
歴代でゴールパフォ(と言っていいのかはわからんけど)が一番かっこいい選手
0026名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:36:43.29ID:CR+E/NZ80
>>17
この25年間で欧州1部でのサッカー選手の給料は十倍に跳ね上がった。
その頃の日本ではサッカーバブルでヴェルディなんかは微妙な選手も1億円を平気で払ってた

日本は逆に給料が全く上がらなかった

長年に渡るクラブの象徴でMVP獲得してる代名詞
看板選手のヤットやら憲剛やらでも1億円台

欧州がすごい勢いで豊かになったのが、そして日本が貧しくなったのが全て悪い
0027名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:38:36.77ID:xprDLe8t0
そんなビスマルクからFK奪った満男は凄い
更に権力ももぎ取ったからな
最初はビスマルクが走らないからその分走り回ったらしいな
0028名無しさん@恐縮です垢版2020/07/13(月) 10:39:06.49ID:CR+E/NZ80
>>19
常識だぞそれ
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