【音楽】岡林信康、8年ぶりの新曲「復活の朝」公開 [湛然★]
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岡林信康、8年ぶりの新曲「復活の朝」公開
2020/06/19 13:34掲載
http://amass.jp/135876/
●岡林信康 復活の朝
https://www.youtube.com/watch?v=NrSaqNfsK8U
岡林信康、8年ぶりとなる新曲「復活の朝」をYouTube先行配信
■「復活の朝」
作詞作曲:岡林信康
歌・ギター:岡林信康
キーボード:加藤実
「さよならひとつ」以来8年ぶりとなる新曲「復活の朝」がYouTube先行配信。
新型コロナウイルスの影響で、コンサート活動が休止となっている今、日々流れてくる様々なニュースや、暮らしの中から浮かびあがった、岡林信康の新しい世界。
(おわり) >>4
隠れてない名曲だよ
君に捧げるラブソングもご一緒に ラジオ深夜便で何とかのアップリケって曲を初めて聴いた時びっくりしたわ
昔なら絶対流せないでしょうに >>12
フォークの神様は岡林信康
フォーク界のプリンスは、よしだたくろう(平仮名表記の頃)と呼ばれていた フォークの神様 岡林
フォークの貴公子 拓郎
フォークの仙人 高田渡
フォークの長老 小室等 >>25
岡林はどちらかというとスライダーが生命線のピッチャーだったからなあ 岡林や中川五郎は、まだ歌っているな
早川義夫や西岡たかしはもう歌っていない 大学神学部の学生だったのが、山谷を見て突然、歌い出したらしい
天性の作曲センスに聖書等の教養を背景とした詩が相まって、当時の洋楽志向のミュージシャンが誰一人太刀打ち出来ない歌を作っていた
俺も一応、はっぴいエンドとの共演盤までは揃えたが、それ以後は引かれるものがないな サヨの流行歌は沢山あるのにウヨの流行歌はそんなにない時点で
日本のウヨはサヨのカウンターカルチャーだとはっきり分かるんだよね >>1
おじいちゃん のんとかいう地下アイドルのスレ立てるなよ 岡林は神様 信者から上手く離脱した
尾崎は離脱できなくて自滅した >>12
フォークの神様はもちろん岡林で
拓郎が貶めたんだよな
それで拓郎の時代になった 【悲報】パパ活女さん「もうパパ活辞める。女性を消費されたくない。こんな思い辛い思いをしたくない」
http://kioo.stirni.li/85n8v3/v13ato4nrz5.html
【悲報】小6女子さん学校行事で裸にさせられるwwwwwwwwwww
http://kioo.stirni.li/2h6t5308co7/gnid7syi767. 45t few 後から出た吉田拓郎の方が岡林より二、三歳年上なんだよな? 後追いの知ったかが持ち上げてるはっぴいえんどはこのジジイの無名のバックバンドでしかなかった。 >>1
素直に心に沁みた
いい歌、いい詞だね
自分が聴いた音楽の世代の人じゃないと少し離れて眺めていた人だったが
凄い人だね 「私たちの望むものは」とか好きだしエンヤトットとかそういう着目も嫌いじゃない
でも辿り着いたのが>>1の中学生みたいな文明破壊の人間のいない世界がパラダイスとする夢想は苦笑するしかない
それって社会の歪みを糾弾したあげく何も変わらないと白旗を上げついには自分の消滅を予感しながら
一緒に文明も滅びることを夢見るような情けない終末に見える
こういう人たちは最後まで許す/受け入れるってことができないままなのかな 今日の仕事は辛かった
あとはチョーシューを
あおるだけ♪ 今日の仕事は辛かった
あとはチャーシューを
かじるだけ♪ >>36 岡林が注目されて
拓郎が一般化させたってとこかな
まあ拓郎はフォークにこだわりなく
ただ単に売れてモテたかっただけなので
結果フォークというジャンル毎衰退し
骨を抜かれたニューミュージック(シティポップw) に変化していくわけだ 拓ちゃんはロックをやりたかったけど
バックを事務所がつけてくれなかったから
仕方なく生ギターでフォークをやってたと言ってたような
ただし和製フォークは大嫌いだったとも
言ってたかな >>12
フォークは岡林やろ
そもそも石井琢朗がピッチャーやっとったんは2年間だけやで
神様なわけないがな 声も枯れてるし歌詞も凡庸で終わっとるね この人も拓郎も >>61
そら人間年取りますがな
ボブ・ディラン、ブルーススプリングステイーン、ジャクソンブラウン…みんな年取ったわ
顔は崩れ声はかすれ作る曲も凡庸に
それでも岡林を含めてみんなかっこいいんですわ
モノが違うと言うのかな
岡林はこの新曲はボブ・ディランへのオマージュやね 岡林の全盛期は69-71年あたりの3年だけ 74年にSONYに移籍したけど売れなかった。
拓郎は72年 ソニーに移籍してブレイク 74年まで3年間が全盛期 4枚のアルバムは売れた。
フォーライフ設立 楽曲提供でなんとか生き延びたがそれでも80年代にはもう消えてた。 岡林とボブ・ディランは自分が興味がある事しかやらなかった
拓郎とか泉谷は常に売れ線狙いでフォークが流行っている頃はフォークでバンドブームの頃には俺元々ロックだからw
高田渡はバンドブームの頃に仕事が無くなって築地市場でバイトをしていた ああディランももともとロックかぶれだよ プレスリーのコピーバンドやってたくらいだから 60年代初頭 フォークが流行りでエレキを捨てて弾き語りをはじめたのがディラン
ビートルズなんかのビートバンドがまた盛り返してきたころエレキに持ち替えたのもディラン
流行りに敏感なんだよ 昭和21年生まれ
岡林信康
吉田拓郎
鈴木ヒロミツ
堺正章
町田義人
萩田光雄
千家和也 岡林はディランのものまね止めるのに10年くらいかかったんじゃないの
たくろうは74年ころまでステージでサングラス掛けたりしてまねてたけど
フォーライフ以降はディランを捨てた。 部落に生まれたその事の
どこが悪い、何が違う。
この詩に感動した解放同盟は岡林を完全バックアップして、フォークの神様と言われるようになった。 岡林信康 手紙より。 「私たちの望むものは」と岡林が歌ったが
私たちなんてことはとても歌えないと言って「私は今日まで生きてみました」と歌ったのが拓郎 60年代は左翼の社会主義者とキリスト教関係者が反体制フォークを持ち上げてた
中津川フォークジャンボリーも労音関連の主催 労音=共産党
キリスト教もハルマゲドンみたいな終末思想でいまの汚れた資本主義が終わって次に新しい人民の時代が来るとか
いう社会主義者に呼応してた。69年の東大紛争玉砕でもう全共闘は事実上終わったのだけど何年かその残党が
音楽でなんとか世界を変えようとかあほなこといっててその神輿に担がれたのがこのおっさん >>76
私小説フォークのはしりは’71年 遠藤賢司のカレーライスなんだけども意外に評価は低いね >>31
メディアがサヨだからサヨの曲ばっかり推してるんだよ >1
毒にも薬にもならない詰まらない歌だな
URC で今でも尖っているのは中川五郎くらいか >>64
不器用なURC の岡林信康と高田渡
世渡り上手なエレックのよしだたくろうと泉谷しげる >>87
音楽的才能ないだろあの人
スター性もエンターテナーの才能もない
真面目なだけ >>89
中川五郎が作詞した受験生ブルースや主婦のブルースは当時はウケた
真面目?と言うか頑固で時代の変化に適合する事が出来なかった >>88
不器用ではないと思う 才能が2-3年で枯れただけ エンヤトットだっけ
ソウルフラワーユニオンの中川とか若干岡林入ってるよな
お父ちゃんはもう 靴トントンたたいてはる 中村とうようが生涯で一回だけ10点付けたという
岡林の80年ぐらいのアルバムがどんな凄いんだろうと思って聞いてみたら
だたの情けない系のフォークだった
反体制とかじゃなくてセンチメンタルなやつ
だいすけ君とみよこちゃん
かわいいけどいずれ大人になると思うと悲しくなる、みたいな歌詞のやつ ラブソングスな
あれはMr.Oのバラッドってのがいい
あれがわからんやつは多分何聴いてもわからんだろう 何聴いてもわからんやつは本当に何聴いてもダメだからなあw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています