【大仁田厚】「三沢選手と戦ったことはいい思い出だね」 [臼羅昆布★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2020年06月13日 15時54分
https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1904046/
元参院議員でボランティアレスラーの大仁田厚(62)が13日、自身のツイッターを更新。
2009年6月13日に試合中の事故で亡くなった三沢光晴さん(享年46)の思い出を語った。
三沢さんより5歳上で、全日本プロレス入門も8年早かった大仁田は「#今日は三沢選手の命日」
のハッシュタグを添えて「お互い全日本プロレスの出身 若手ころはよく前座で戦った
入門してまだ月日が経ってないのに いろんな技を繰り出していた」と振り返った。
続けて「プロレスリング・ノアを旗揚げ 自分が頑張ればという気持ちがリングから伝わるプロレス」
とつづると「三沢選手と戦ったことはいい思い出だね ありがとう三沢選手」と感謝の言葉で締めくくった。 >>2
こういうゴキブリのせいでプロレスが衰退したのかもな 明日のアベマ楽しみ!
来年の13回忌は必ずイベントやってほしいなぁ。 大仁田も膝やるまでは
前途有望なレスラーだったからな 大仁田がチャボゲレロにトロフィーでズタズタに血みどろにされたやつ子供のころ観て未だにトラウマ
あれ殺人と変わらないだろ 大仁田も三沢も、ちっちゃ過ぎ。二人共いわゆるジュニアだよ >>14
二人ともジュニアだったよ
全日は105kg以下はジュニアだから
新日は100kg エルボーってずるくね?
格闘技でも凄惨になるから禁止なのに >>18
サポーター付けてたから
パカっと切れるような事は無かったけどね >>18
相手によって入射角を変えてた
格下には柔らかい二の腕を当てるとか、ハンセンには喉元へ殺しに掛かるとかね
これがプロレスなんだけど、判らない人には八百長に見えるらしい >>12
マジレスすると大仁田が自分でナイフで切って流血してるだけだからな ルスラーの脂肪はダメージを軽減するためとかの例に三沢の名前出てた記憶 三沢と大仁田が全日マットで戦う機会があったのはごく僅かな期間だよね。
1981年三沢デビュー
1982年大仁田インターJr.奪取
1984年2代目タイガーデビュー
1985年大仁田一回目の引退
この間にお互いに海外遠征や怪我の期間があるから、試合したのは数度しかないはず。シングルはやったのかな? 三沢が試合中に
人差し指と中指でおでこの汗をピッピッとやる動作が今でも忘れられない
大仁田は試合よりも、試合後の真鍋アナとのやり取りの方が記憶に残ってる ジュニアヘビー時代の大仁田厚は華麗な動きをしてて好きな選手だったよ
いつの間にか全日本で見なくなって、なんか電流爆破やってたという記憶
三沢さんとの優劣はちょっとわかんないけど、スター選手になる素質はあったと思う
ルックスは悪くないからね 三沢は大仁田嫌ってたよな
川田も「嘘つきと関わっちゃだめだ」って言ってた
自分は馬場全日に上がれないからハヤブサの口利きはしてやってた >>9
全日ジュニア時代の大仁田は輝いてたわ
飛び技豊富だし 全日若手三羽烏と言われていた大仁田、渕、薗田といて若手(越中、三沢、川田、後藤、冬木ら)から
慕われていたのは、飛行機事故で亡くなった薗田で渕と大仁田の良い評判は聞かないよね。 新日で使われてたNWAインタージュニアはチャボ・ゲレロが
全日に移ってから全日で使われるようになって
大仁田、マイティ井上、二代目タイガー(三沢)とかが王者になってたな >>33
大仁田が全日で1回目の引退式を行った日は
ジャパンプロレスの長州が天龍と
初対決(天龍、大熊VS長州、浜口)した日だった >>42
んで後にタイガーに勝った小林にテレビマッチで食ってかかって、「これは大仁田厚ですかぁ!?」って実況にまで言わせたのに、アングルとして進めてもらえなかったな。 三沢曰く全日時代の大仁田は「上手いんだか下手なんだかよく分からない人」だったらしい。 手元の資料によるとシングルは1度だけ実現
グランドチャンピオンカーニバル
1983年3月25日後楽園ホール30分1本勝負
大仁田厚(片エビ固め10分15秒)三沢光晴
http://imepic.jp/20200613/748290
タッグでは4度対戦、1度だけタッグを組んだこともある
その資料に>>45と同じコメントが記載されている なんだよ、「ボランティアレスラー」って笑
大仁田は「プロ」ではないってこと?
大仁田がどんだけカネに汚いか知ってるのか? 三沢と戦ってた相手は嫌だったと思うよ
エルボーをガチで効かせにくるんだもん
エルボーって本来なら一発KO技なんだよ
ヒジうち一発で試合が終わったら試合が成り立たないから、
威力を弱めた打ち方を決めてるんだけど三沢はそれを「必殺技」としてガチでやりにくんの それまではエルボーと言えばドリーファンクJrさんのエルボーがエルボーと思って見てた
ブッチャーさんの毒針エルボーもあったけど タイガーマスク時代は全然パッとしないから
マスク脱いでよかったな三沢 >>50
長州にフォール取られるタイガーなんて誰が見るの?だがらぁ 佐山みたいな超天才の二番煎じで(笑)だったからな。
三沢ですら。 >>49
柔らかい上の部分を当てるやつだったけどねw
コンパクトにスイングして反動で膝をつくアクションがかっこよくて
真似してたなあ〜w 子供の頃読んだプロレス大百科に
「鋭角的な肘打ちは反則」って載ってたような記憶が・・・
要するに肘の角の一番固いところで打っちゃダメよって事だよな 鶴田に全く歯が立たないから生まれたのが三沢のエルボー え?そこまで全日でも関わってたか?
ネタ探すの必死だな。大仁田。
引き出しの中、メッチャクチャやろ? >>9
>>36
そうだろうか。膝を壊さないままだったら平々凡々な中堅レスラーとして
馬場や元子にかわいがられ、そこそこのトシまで現役やってたんだろう
そう考えると、日本のプロレス界は死ぬほどつまらなかったかも
何かを失うことで、その人の原点的な良さが却って際立ってくる場合というのはあるのではないか
大仁田がヤケクソみたいなインディースタイルのデスマッチプロレスを展開することがなかったら世の中つまらなかったろうな 三沢はタイガーを捨てた後と前では別人だし大仁田もFMWの前と後では別人だから戦ったと言われてもな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています