【野球】ライオンズ通算勝利トップ10。松坂は果たして何位? [砂漠のマスカレード★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
プロ野球が2リーグ分立となった1950年、西鉄クリッパースはパ・リーグへ参入。
当初は西鉄と西日本新聞でチームを共同運営することになっていたが、西日本新聞は単独チームの西日本パイレーツを結成してセ・リーグに参入した。
だが、人口規模の小さかった福岡で2球団が並び立つのは困難で、西日本は1年で西鉄と合併して消滅。
このとき、西日本新聞の公募で決まったチーム名がライオンズだった。
つまり、ライオンズと名付けられたのは51年。
西鉄はのちに太平洋クラブ、クラウンライター、西武と経たが、その愛称は受け継がれ、今季はライオンズ70周年と節目のシーズンとなる。
西武黄金時代の最強投手は郭泰源?
さて、その間、数々の投手がマウンドを彩ったが、ライオンズでの通算勝利トップ10を見ていくと以下になる。
1位 稲尾和久 276勝(14年)
2位 東尾修 251勝(20年)
3位 西口文也 182勝(21年)
4位 渡辺久信 124勝(14年)
5位 郭泰源 117勝(13年)
6位 工藤公康 113勝(13年)
7位 松沼博久 112勝(12年)
8位 松坂大輔 108勝(8年)
9位 池永正明 103勝(6年)
9位 岸孝之 103勝(10年)
( )は在籍年数
トップに立つのは言わずと知れた“神様・仏様・稲尾様”の稲尾和久だ。
西鉄で1956年からの3年連続日本一の立役者となり、61年にはシーズン最多タイの42勝をマーク。
2012年には背番号24が永久欠番となっているレジェンドだ。
2位の東尾修は69年ドラフト1位で入団。
“黒い霧事件”により、主力が去った西鉄で若くしてチャンスをつかんだ。
負けが込んでもマウンドに上がり続け、その結果、247敗もライオンズ史上1位。2位は稲尾の137敗だから、その突出ぶりがよく分かる。
西武・西口文也
3位の西口文也は西武ひと筋21年、投げ続けた右腕。
95年ドラフト3位で入団し、96年に16勝をマーク。
97、98年には最多勝に輝き、連覇にも貢献した。
182勝は西武のみでは歴代最多だ。
4位の渡辺久信は84年ドラフト1位で入団。
2年目に8勝11セーブで西武初優勝に貢献すると86、88、90年と3度、最多勝を獲得するなど124勝をマーク。
96年にはノーヒットノーランも達成している。
5位の郭泰源は“オリエンタル・エクスプレス”と称された快速球を武器に13年間で2ケタ勝利を6度達成。
117勝は2リーグ制後の外国人投手として歴代最多となる。
6位の工藤公康は現ソフトバンク監督だ。82年ドラフト6位で入団。
快速球と大きなカーブを武器に1年目から一軍に定着。
天性の明るさと若さで躍動し、黄金時代の左腕エースとして3度の最優秀防御率、93年にはMVPにも輝いた
7位は松沼博久。
東京ガスから西武初年度の79年ドラフト外で入団し、下手から繰り出される力強い投球でいきなり16勝を挙げて新人王を獲得した。
同年、チームは開幕から2引き分けを含む12連敗。4月24日の南海戦(西武)、松沼のプロ初勝利が西武球団初勝利にもなった。
8位は今季、14年ぶりにチームに復帰した松坂大輔だ。
甲子園春夏連覇を遂げ、“平成の怪物”とうたわれ、99年ドラフト1位で入団。1年目から3年連続最多勝を獲得するなど、輝かしい成績を残した。
9位には池永正明と岸孝之が103勝で並ぶ。
池永は65年、西鉄に入団すると1年目から20勝。2年目からも15勝、23勝、23勝、18勝を挙げてチームの大黒柱となったが70年、“黒い霧事件”に巻き込まれ、球界を去ることになってしまった。岸は2017年、FAで楽天へ移籍。楽天3年間で22勝を積み上げている。
現在も現役でライオンズのユニフォームを着ているのは松坂のみ。今季、4勝を挙げれば松沼、5勝を挙げれば工藤に追い付くことになる。松坂がライオンズ通算勝利でどこまで順位を上げるか楽しみだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/328d14c3200dc62deeaea7f9025c875dbfae740d
6/8(月) 11:03配信 西武に移ってまだ生え抜きの200勝投手っていないのね
分業、登板間隔が確立してるとはいえ黄金時代含め何人かいそうな気がした ライオンズ自体が歴史の浅い球団ではあるが、飛び抜けてすげー投手が
量産されてるわけじゃないのだなー。個々の能力が融合してあの強さか。 生え抜き200勝なんてもう出ないだろ
メジャーかFAでよそ行くし
山本昌で終わり >>6
そりゃ1シーズンで25敗なんて今じゃ無理だからなw 高卒入団で108勝置き土産に50億とかそりゃ松坂の最後は面倒みるよな >>1
松坂はメジャーに行かず日本でまじめにしてれば
今頃250勝3000奪三振くらいしてたのにな この記者は池永が投げ続けていれば稲尾も抜いたと言いたいのか? 稲尾さんの名前見る度にいつも思うんだが
日本シリーズ4連投4連敗した人っているんだろうか? >>12
3敗した投手(別所・村山・山田)はいるけど
4敗はいない 200勝したければ若い時に中5日でたくさん登板しろ
稲尾は42勝したとき14敗した
20勝しても10敗できる余裕が必要 クリッパーズ懐かしいなあ
小学校の時にクリッパーズの野球帽かぶってたよ 松坂もう136しか出なくなってる
同じ歳にMLBに行って159出した斎藤隆は化け物 斉藤隆はスライダーも切れまくってたしな
よほどアメリカのボールや気候が合ってたんだな >>16
ありがとう
さすがに4連勝同様に4連敗は敷居が高いかw >>21
硬くて傾斜があるマウンドが好きだって言ってた 日米通算ありでも200は田中マーフンくらいだろ
他はどうかな >>14
ジャイアンツがトレードで欲しがっていたが、池永が稲尾や中西に義理立てて拒否したため、冤罪ではあったがナベツネ、務台、読売新聞社が筆頭になって永久追放にした。 >>4
生え抜きどころか国内での200勝は当分出ない >>29
まあ期待できた藤浪はあんななったし現役最多勝の石川カツオは今季の試合数減少で絶望的になった >>15
正直難しいだろうね、20勝投手も出てないんだから。
最多勝が15勝とかじゃ200勝なんてとてもとても。 >>29
石川40歳171勝
涌井34歳133勝
菅野30歳087勝
則本29歳080勝
石川が45まで投げるとか涌井が大復活するとかがないとムリか。下2人も怪しいし 江川がクラウン入ったら7年で100勝してその後数年リハビラーで結局135勝ぐらいかな
埼玉時代はユニフォームを着てるだけのあれ?なんでこいついるの?扱いで引退かな >>1
まーた ソフトバンクかよ。
おい、このCM、本当にいい加減にしろよな。
在日朝鮮人の帰国事業を進めようとした白洲次郎が白犬に、犬の子が黒人、その妹は日本人…
この白戸家の設定にはあらゆる箇所に悪意があり、「 ケセッキ」という朝鮮語に行き着く
白戸家…ソフトバンクCMに登場する 架空の家族
http://rekisi.amjt.net/?p=5025
. >>1
西鉄は戦後プロ野球に復帰しようとしたが「お前んとこ
は戦時中に解散してたから駄目」と拒まれた
中日は許されたのに汚い
2リーグ制導入の際に読売新聞の手引で西日本新聞
は西日本パイレーツとして単独で参入する
しかし翌年読売を非難する声明を出し西鉄クリッパーズ
と合併して消滅した 東尾修は晩年の勝率が異常で梶本隆夫以来となる負け越し
200勝以上になるかと言われていたが最終的に勝ち越して
しまった >>28
先発→休み→救援→救援→休み→先発とかメチャクチャな
起用法されてたから
当時はどこのチームのエースも権藤権藤雨権藤だったよ >>34
「空白の一日」の時点で西武ライオンズだぞ 稲尾さんすげーよな
最後の6年で42勝しかしてないのに 西口はトンビの松坂へのえこひいきがなければ200勝は行っていた
東京ドームで投げさせるわ、ローテーション的に西口なのに松坂を中3日登板させたりしたしね >>37
知らないのはお前。
V9時代のジャイアンツは勝つために、今以上にえげつなくパリーグの投打の主力選手をトレードでかき集めていたんだぞ。
そして2、3年でポイ捨てと酷いもんだった。 >>44
今以上にえげつなくかき集めたパリーグの投打の主力選手って具体的に誰? 西口は今の西武打線がバックだったら200は余裕だったな >>44
話逸らしてんじゃん
関係ないだろそれは
アホかお前 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています