【野球】島袋洋奨、母校・興南で新たな人生。自分の経験を子供たちのヒントに。 [砂漠のマスカレード★]
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「自分の中では野球をやりきった。だからスッキリ辞められました」
甲子園を熱狂させた沖縄のヒーローは、静かにユニホームを脱いだ。昨年の10月1日、福岡ソフトバンクホークスは育成契約中の島袋洋奨に戦力外通告を言い渡した。
興南高校時代は独特のトルネード投法から投じる150キロ近い速球で打者をねじ伏せ、春夏連覇の偉業を達成している。甲子園での勝利数は松坂大輔に並ぶ「11」。完投も「10」を数えるなど、ほぼひとりで大会を投げ抜いた。通算防御率1.63、奪った三振は130にも上る。記憶だけでなく、記録の上でも甲子園の申し子と呼ぶに相応しい活躍をみせ、沖縄に初の深紅の大優勝旗を持ち帰った。
プロ志望届を出さずに進学した中央大学では、故障に悩まされた。イップスも発症し、思うような投球ができない日々が続く。2014年にホークスから指名を受けるも、一軍での登板数はわずかに2。甲子園を沸かせた琉球トルネードは、プロで花開くことはなかった。
「プロで思うような投球が出来なかったことは事実です。自分の頭のイメージと体の動きがリンクしなくて、常にもどかしさもあった。ただ、ホークスの投手陣はレベルも意識も高く、単純に自分の実力が足りなかった面もある。本当は2018年シーズン終了後にクビかと思っていましたが、去年もホークスでやれた。球団には感謝しかないです。あの競争率が高い環境で野球をできたことは、この先の人生でも必ず活きてくると思っています」
この春、母校に復帰。将来は教員に。
4月1日。島袋が第二の人生で選んだのは、母校・興南高校へ戻るという道だった。現在の肩書きは入試広報部の事務職員。教員免許取得を目指し通信教育を受けつつも、学生野球資格回復後は、興南で指導者として歩み始めることも視野に入れている。
「新型コロナウイルスの影響で、戻ってきても生徒に会う機会がなかったんですね。学校が再開してからは学生時代を思い返すこともあり、懐かしさをしみじみ感じています。今でも、あの夏の試合を動画などで観る機会があるんですが、めちゃくちゃ打ってるな、と(笑)。甲子園で春夏連覇できたのは、僕の力というよりはチームに助けられた面が大きいですから」
沖縄勢初の夏の日本一への道程――。島袋にあの夏の記憶を辿ってもらった。
6/5(金) 19:01
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200605-00843748-number-base 攻撃されればやる
依頼を受ければやる
事件事故天災が起こればやる 2年の春夏で経験した1回戦負け。
島袋が甲子園の土を初めて踏んだのは、2年時の春の選抜だ。幼少期からの憧れだったマウンドに立っても、不思議と緊張はなかった。
「甲子園球場の壁はこんな風に高いんだな」
大観衆の声援がこだまする聖地で、島袋はそんなことを考えていたという。
初戦で19三振を奪う快投で強烈なインパクトを残すも、延長戦で力尽きた。続く夏も、ホークスでチームメイトとなる今宮健太率いる明豊に逆転負けを喫している。
「2年生の春、夏の1回戦負けがすべてのキッカケでした。終盤に僕が打たれての力負け。
同じ失敗を繰り返してしまい悔いが残る結果となった。
新チームではこの2つの負けを経験したメンバーが多く残り、『あんな思いはもうしたくない。甲子園で勝てるチームづくりをしよう』
と最初のミーティングで何が必要か徹底的に議論したんです。
そこから元々キツかった練習が更にキツくなった。僕自身はスタミナ不足が課題だったこともあり、1人で投げ抜くために走り込みの量を圧倒的に増やしたんです」
新チームでは慶田城開、真栄平大輝、我如古盛次、山川大輔、国吉大陸ら夏の1回戦負けを知る3年生達が中心となった。
後にオリックス・バファローズに入団する2年生の大城滉二がショートを守り、他のスタメンは3年生が占めた。翌年の選抜に出場した興南は別のチームのように見違えていた。
完封負けと抑え込まれた打線は、前年の鬱憤を晴らすかのように爆発する。
日大三高は「体がデカくて驚いた」
「とにかく先制点を与えないことだけを意識していた。点は取ってくれるという安心感がありました」
島袋がこう回顧するように、興南打線は5試合連続2桁安打と当たりに当たった。
智辯和歌山、帝京らの強力打線を打ち負かす姿に、沖縄県民は歓喜した。準決勝でも大垣日大を打ち崩し、15安打を浴びせ快勝する。
決勝の相手は日大三高。強打が売り物の相手打線を島袋がどう抑えるかが鍵だった。
「僕はほとんど緊張しないタイプで。智弁和歌山や帝京といった名門との試合前のチームも、『あの名門校に勝てたら俺たちすごくね! 』
みたいなノリだったんです。ただ、決勝の日大三高は、同じ高校生と思えないほど体がデカくて正直驚きましたね」
試合は日大三高が3回までに3点を奪うなど、主導権を握った。興南も自慢の打線が奮起し、お互い一歩も引かぬシーソーゲームとなる。延長12回までもつれた熱戦のなか、島袋は198球を投げ完投。打
っても試合を決定づけるタイムリーを放ち、投打で殊勲の活躍をみせた。
興南はこれまで春は3度の出場を果たしていたが、いずれも1回戦負けを繰り返してきた歴史があった。1勝になかなか届かない時代が続いたからこそ、新チーム始動時に掲げた目標は“甲子園での1勝”だった。
そんなチームが勢いにも乗り、周囲の予想を覆しトントン拍子で頂点まで駆け上っていった。 選抜後も変わらない挑戦者の精神。
凱旋時の熱狂ぶりはすさまじいものだった。優勝の原動力となった島袋だが、喜びに浸る時間は長く続かなかったという。
「沖縄に戻ると、空港に1500人以上の方が迎えてくれてビックリして。大会前は自分たちがここまでやれるとは思ってなかったし、沖縄に優勝旗を、というようなことも恐れ多くてみじんも考えていなかったんです。
そういう無欲さが良い方向に向かった上での結果でした。
ただ、沖縄を勝ち抜くだけでも大変なので夏はこうはいかないだろうな、と次のことも考えていました。
我喜屋(優)監督からも気の緩みを指摘され、意識的に切り替えは早くしました」
マイペース、と自身を表現する島袋は、雑音に惑わされることなく淡々と夏へむけた調整をはじめていた。
日増しに「春夏連覇」を期待する声が大きくなるが、そういった期待がプレッシャーになることもなかったという。
島袋の話を聞くと、当時の興南は春を制覇した後も、意識的に挑戦者としての精神を持ち続けていたことを理解できる。
全国の強豪校に対しても怖気づくことなく、むしろそういった名門に挑むことをモチベーションとした。この年の興南の勝負所での逆転劇は、挑戦者であることを選んだゆえの産物だったのかもしれない。
格上の強豪はもっと練習をしている――。
夏に向けての練習は緩むどころか、一層厳しさを増した。沖縄予選を危なげなく制し、甲子園への出場を決めている。
初めて負けを意識した報徳学園戦。
島袋にとっての4度目の聖地でも、興南旋風は続く。春と同じく打線の援護を受け、島袋の投球も冴え渡った。
「アドレナリンが全開に出ていて、連投でも疲れを感じなかった。甲子園は、時に実力以上のパフォーマンスを出せる場所でもある。
あの夏の自分がまさにそうでしたね」
1回戦で鳴門高校に勝利し勢いづくと、明徳義塾、仙台育英、聖光学院といった名門をことごとく打ち破っていく。
そして、最も印象的だったという準決勝の報徳学園戦へと駒を進めた。
試合は2回までに報徳打線から集中打を浴び、5点を先行される苦しい展開となる。
連投の疲れもあってか、島袋も制球に苦しんだ。
「甲子園に来ても、負けたら終わりという感覚がなかったんです。
ただ、報徳戦で序盤に打たれ、『これは負けるかも』と初めて負けを意識した。あそこまでボコボコにされたのも始めての経験でしたから」 興南の開き直りが生んだ逆転劇。
2回終了時点でのスコアは5対0。チームにも諦めムードが漂った。この時ベンチ内では、主将の我如古がこんなことを切り出していた。
「ベスト4まできて、相手は報徳(学園)。しょうがないよね」
島袋や他のナインもこの時、「俺たちもここまで良くやった」と同調したという。だが、この半ば諦めともとれる開き直りが逆転劇を生む。
興南は徐々にペースを引き戻し5回に3点を返すと、7回にはこの試合初のリードを奪う。
「最初はしょうがない、と思っていたんですが、気がつけば途中から『打ってくれ』とベンチに戻る度に感情が変わっていった。
あのチームは良い意味でいい加減な部分があった。
だから追い詰められても思い詰めすぎず、そういう姿勢だからこそ逆転できたのかもしれません」
島袋も3回以降は得点を許さず、投球内容も一変した。終盤の三者三振を含む12奪三振の力投で、接戦をものにした。
奇跡の逆転劇を経て、決勝の前にはいくばくかの心の余裕も生まれたという。
チーム発足から最もまとまりをみせ、神経も研ぎ澄まされていた。
夏の優勝旗は、指導者への道に。
決勝の東海大相模戦では中盤に大量点を奪い、13対1の大差で史上6校目の春夏連覇を果たした。それは同時に、沖縄に悲願の夏初優勝をもたらした瞬間でもあった。 「自分たちのやってきたことに自信はあった。
それでも夏も沖縄に優勝旗を、という意識を持つ余裕は全くなかった。
空港には4500人の方が迎えてくれて、報告会も規制で人が入れないくらいのお祭り騒ぎ。
改めて沖縄の野球熱を知り、県民が優勝を待ち望んでいたんだな、と実感しました。
俺たちとんでもないことやっちゃったな、と(笑)。
あの時の光景はずっと忘れないでしょうし、日常で意識してなくてもずっと心の片隅に残っていたのかもしれません。
あの夏の優勝は人生の分岐点であり、漠然と考えていた指導者への道にも繋がった」
甲子園は理想、でも全てではない。
あれから10年――。興南高校は3度の甲子園出場を果たし、全国的な知名度も高まった。
改めて指導者として甲子園の舞台に戻りたいかと島袋に尋ねると、首を横にふる。
「もちろん母校で甲子園を目指せたら理想的だとは思いますが、
高校野球はそれが全てではないので。僕が我喜屋監督に教わったのも、『野球を通して人生をいかに生きるか』ということでした。
僕は高校野球、大学、プロでも良いことも悪いことも経験してきた。その経験から、子供達に人生のヒントとなるようなことを伝えたい。沖縄に恩返しをという思いはありますが、是が非でも甲子園に、とは正直今の段階では考えていないんです」 早ければ来年頭にも学生野球の指導者資格が回復する見込みで、再び母校のユニホームに袖を通す可能性もある。
「社会人としてはペーペーで、デスクワークひとつとっても学びの連続で新鮮です」
甲子園連覇に導いた左腕はどこまでも謙虚で、新たな人生に対しても前向きだ。うまくいかない時にどう人生と向き合うか――。
島袋が発するからこそ重みを持つ言葉は、興南の財産として次世代へと継承されていく。
(「甲子園の風」栗田シメイ = 文) >>1
低身長の実践派タイプは大学で燃え尽きる運命かね >>2
俺もDVD見た
コロナで中止って字幕が踊ってた 夏の甲子園での球数上位10人
948球 斎藤佑樹
881球 吉田輝星
820球 川口知哉
783球 島袋洋奨←
773球 大野倫
767球 松坂大輔
766球 吉永健太朗
742球 福岡真一郎
713球 古岡基紀
708球 正田樹 卒業後は選手達はあまり伸びず一番活躍してる選手は後輩の大城という状況だけど
典型的な高校野球の強いチームっていうのもあっていいんじゃないかな 大学でも1年の時から活躍したが無理がたたって故障
そのまんまプロ行ってたらってのはあるな
この当時の沖縄は学年違いだけど東浜や宮國なんかも居たんだよな 広島野村とか高橋こうなも
意外と球数投げてないのね こいつが潰した
元中央大監督「島袋本人も悔いはないと思う。私も彼を指導できたことに悔いはないです」
http://baseballlog.blog.jp/archives/22377855.html
秋田新監督のもと、迎えた2年春のシーズン。
開幕戦で延長15回、226球を投げ劇的な完投勝利を挙げた島袋だが、ほどなくして左ヒジを故障。
そこから少しずつ歯車が狂い始める。
制球が定まらず、徐々に四球や暴投が目立つようになっていった。
「イップスみたいな感じでね。心なのか技術的なものなのか、原因がわかったら苦労はしない。それでも、監督をやった5年間で一番印象に残っているのがあの初戦。
ウイニングボールは今でも持ってます。あれだけ投げられるわけですから、いつか戻ってくれるだろうといろいろなことをやりました」
ときにリリーフとして起用、3年秋には主将にも任命した。
4年春には開幕カードで5連続四球と状態が戻ることはなかったが、秋には本人の意思でプロ志望届を提出。
ソフトバンクに5位指名されると、人目をはばからず涙を流した。その光景を、秋田氏は複雑な思いで見つめていた。 あの夏の、興南-報告学園の試合
DVDに焼いていまでもたまに観てる
何回観ても痺れます 田口と大差ないのに活躍出来なかったな
つうか東浜が唐川侑己よりショボくなるとは思わなかった
東都リーグ駄目だな あの年の興南は難敵を集中打であっさり逆転しちゃう感じだった >>42
調べたら当たってたわ
決勝でボコボコにされた人ね こいつとかハンカチの失敗があるから
大学行かず高卒ドラ1で入る奴が増えた気がする 春夏連覇なのにプロでだめだったんか
打力で優勝できたチームだったの? 投手→高校
内野手、捕手→大学
外野手→実業団ないし独立
でおk? >>48
ドラ1で選ばれるようなやつは絶対高卒でプロになるべきだわ
金だけ考えても契約金1億が4年後には1000万になるかもしれないからな あの年の甲子園の試合結果見るだけで面白いな
柿田の夏
成田の中川ここに参上
白根勝ったはずなのに落球
糸原サヨナラ打がファインプレー
早稲田実が前年優勝中京大中京をメタメタに
歳内が激戦ブロックを制す >>22
早大に行った吉永もいまだにプロになってへん
決勝で対戦した光星の2年生の、田村も北条もプロや 強くてしたたかでいいチームだったなあ
野球選手として活躍を残せなかったのは残念だけど地元民で歓迎しない人はいないと思うわ
沖縄県民にとって甲子園って特別だからな 夏の甲子園での球数上位10人
948球 斎藤佑樹→大卒プロ
881球 吉田輝星→高卒プロ
820球 川口知哉→高卒プロ
783球 島袋洋奨→大卒プロ
773球 大野倫→高卒プロ?
767球 松坂大輔→高卒プロ
766球 吉永健太朗→大卒
742球 福岡真一郎→福岡田村
713球 古岡基紀→京都成章
708球 正田樹→高卒プロ 六大学野球なんかクソみたいな注目度のくせに当事者だけ勘違いして絶対勝たなきゃと勝利最優先の大酷使野球だもんな 大学を経由したのがつくづく勿体なかった
高卒即プロなら・・・と今でも思う選手の筆頭だわ >>63
実際大学王者は六大学所属チームが多いしプロ輩出実績でも飛び抜けている 4 国吉
8 慶田城
5 我如古
3 眞榮平
9 銘苅
2 山川
7 伊礼
1 島袋
6 大城 高卒でプロ入りだと
ドラフトでハンカチ斉藤とかと競合するから
大学行ったんだろ >>61
プロで活躍したの松坂しかいないんだな
正田は一応新人王で、吉田はまだ2年目だけど あー一個下に歳内とか言う奴いたよな
広陵対聖光の試合はマジ記憶に残ってるわ 高卒で入ってればなぁ
投手の大学進学はマイナスでしかない 東浜巨
山川穂高
島袋洋奨
この年代の沖縄は甲子園や後にプロで活躍する名選手を輩出してる
三国志の荊州みたいだな >>57
吉永はホント勿体なかったな
彼こそ高卒で即プロ入りするべきだった 日大3はpに高卒プロ行かせないのは監督の方針だろ
んで早大のトップアスリート推薦
高卒ならドラ1だったのにもったいなす >>68
大城 オリックス
国吉 公認会計士
山川 沖縄電力
勝ち組の3人 この人からプロ志望は回り道しない方が良いみたいな流れになったな >>74
聖光の歳内は高二がピーク
球速に固執して筋トレしたらキレがなくなった 島袋の同級生
※投手
千賀滉大(ソフトバンク)
山崎康晃(DeNA)
有原航平(日本ハム)
中崎翔太(広島)
※野手
甲斐拓也(ソフトバンク)
山田哲人(ヤクルト)
源田壮亮(西武)
野間峻祥(広島)
糸原健斗(阪神)
中村奨吾(ロッテ)
牧原大成(ソフトバンク) >>82
千賀は母校が無名だった分、よくぞ此処までポテンシャルを伸ばしたと絶句する。
糸原は一昨日の負傷交代が心配過ぎる。 >>82
一年上が菊池雄星 今村 大瀬良 堂林 今宮 庄司 とかだな
新型インフルエンザ騒動の甲子園 >>64
しかも中大で教員免許とる目標も達成してないから、
今から通信制大学の二度手間だしな >>37
大学1年時の監督は元プロ高橋良昌
島袋は春秋開幕投手だったけど
連投0 完投1試合
キチガイが監督になって\(^o^)/
開幕前月 3.11震災1年後
沖縄で震災復興祈願試合 中大対亜細亜
島袋と東浜が強制予告先発
中3日で東京 阪神二軍対中大 島袋先発 中央大学の体育系でシマブー並の知名度だと
普通に就職した方が良かっただろうな
野球の監督とか50代でセミリタイアしてからでも出来るし
もったいなかった >>89
横浜高校で松坂とバッテリー組んでた
小山は練習きつい亜細亜大学行ったのに
在学中教員免許取ってた
社会人→中日 >>37
自分のせいだから罪滅ぼしのためにリリーフをキャプテンにしたんだろうか >>91
かもな
ドラ1ならまだしもドラ4だっけ?
まぁこんだけ有名だと一生食いっぱぐれはないだろうけど アメリカが何でもいいわけじゃないが
向こうの才能ある選手は大学生はもちろん
早ければ高校1年で代理人と契約するから
理不尽な登板、しごき、いじめは回避出来る >>22
プロで活躍できたのは松坂だけか
酷使のツケはやはり大きいんだな >>89
東浜が教育実習行ってきますって監督に連絡したら叱られたらしい
大学も頭おかしい奴ばっかし 最近の日大三は直接プロ入りする選手が増えてきたね
坂倉(広島)
櫻井(DeNA)
井上(西武) >>22
島袋は凄かったけど
斎藤と吉田が凄いな
松坂は強力チームに守られただけだな あのイケイケの興南に1年生ながら立ち向かった報徳の田村も西武で俺達にすらなれないとかやっぱりプロは難しいな >>104
それで不幸になる子が減るならその進路指導はあり 2010興南は史上最強の高校チームだと思ってる
松坂いた時の横浜高校の監督も認めてたしな 島袋は甲子園でも日大三の平岩と育英の三瓶にホームラン打たれてたからなぁ 島袋自身もイケメンだけど同郷の奥さんが凄い美人だという噂 シューズメーカーの店員やってなかった?
ほんの一瞬やけど 引退したのか
八百長でもいいから活躍させれば野球界盛り上がっただろうに >>63
六大学が大酷使なら入替戦のある東都はその10倍は酷使しとるわ
特に選手層の薄い中央あたりは
ブランド私大のプライドなのか、東都所属のくせに六大学かぶれするところがあり、選手層が薄い
(推薦の人数も少ない)
二部低迷している時期も結構多い >>115
島袋目当てで全国の中大野球部OBが
関わってる
少年野球団に呼ばれまくってたし
六大学だと地方で親善試合やる時
試合前日少年野球対象野球教室やっても
主力クラスはまず参加しなくていい シミケンは今でも見るのに
島袋は全く見なくなったな
なんかやらかしたんか? >>110
順調に育てば巨人が1位でとったろうけどな 東浜巨の方が巨人似合ってたんじゃね?ん
まぁ宮国が巨人行っちゃったけど
東浜も大学行かんで直接プロ行ってたらなってのもある
東浜も故障あった肩か肘を大学で更に悪化させたんだよな 高校の段階でもそれほど評価は高くなかった記憶
でも高く売れる時に売るのが鉄則やと思うわ >>121
野球選手にしては背が低いからな
背が低い選手はプロでは通用しにくい >>118
たとえ大して活躍してなかったとしても契約金だけでもドラ5とは違ったよな… 興南側としては中大とのパイプは残しておきたいだろうな
中大はブランド私大特有の「スポーツ特待生個人に金をつぎ込まない」傾向が強いから金のない沖縄県民にとっては敷居が高いけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています