【競輪】アトランタ銅・十文字貴信さん 5.4億円超稼いだ競輪界からラーメン店の主に転身 [砂漠のマスカレード★]
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【あの五輪メダリストは今】
十文字貴信さん(96年アトランタ五輪・自転車1キロタイムトライアル銅)
◇ ◇ ◇
その店主の筋骨隆々な姿からは、到底44歳とは思えない。1996年アトランタ五輪でプロ競輪選手として日本史上初の銅メダルを持ち帰ってから24年。
十文字氏は今、地元で評判のラーメン店「白河屋」の厨房にいる。19歳で競輪デビューし、わずか1年で五輪を経験。その後20年余りを競輪最高位のS級でレースを戦い、
稼いだ獲得賞金総額は5億4000万円を超える。競輪のトップ選手からラーメン屋の主に――。第二の人生選択の裏には何があったのか。
■選手時代は4軒ハシゴ
十文字氏が初めて白河ラーメンに出合ったのは幼少の頃。祖母の家がある福島県に遊びに行くたびに「白河屋」というラーメン屋に連れていってもらった。
「それが本当においしくて。私はラーメンマニアではなく“白河ラーメンマニア”です。日本全国、競輪の開催地であらゆる種類のラーメンを食べましたが、やっぱり断トツで白河ラーメンが大好きです。
水分を多く含んだ麺の独特なモチモチ感、醤油のカエシ、香りやうま味が生きたスープもたまりません。20代の頃は時間があれば競輪仲間たちと福島県まで行って、4軒くらいハシゴしていました」
十文字氏の転機となったのは、30歳の時に腰部脊柱管狭窄症の手術での入院生活だった。競輪選手は一生続けることは出来ない。セカンドキャリアを考えたとき、古い記憶がよみがえった。
「小中学生の頃の夢は1番が競輪選手、その次が料理人でした。そんなこともあり、大好きなものを自分の手で作りたいという思いが生まれました」
退院後は選手として再びS級で活躍する傍ら、インターネットや料理本を見てレシピの研究を始めた。
そうして仲間や家族に自作した白河ラーメンを振る舞ううちに、自分の店を出すためにはと考えた結果、独学ではなくプロの技術を学ぼうと決心した。
37歳のことだった。
「まず祖母と通ったお店を訪ねましたが、店主がお年を召していたことと、震災の影響で閉店していたんです。
代わりに、そこで修業してのれん分けされた方がやっている『白河屋』を紹介していただき、仕込みの作業を見せてもらいながら学びました。
家に帰って実践しても、これがうまくいかない。見学、試行錯誤、見学、と半年に1回くらいお店に通い、これが4年くらい続きました」
朝が来るのが待ち遠しい
2019年1月15日に競輪を引退し、現在は千葉県柏市で「白河屋」を経営している。
自分の原点となったお店と同じ名前、そして、一目で白河ラーメンと分かるシンプルさから許可を得て、屋号をこの名に決めた。
ラーメン作りには自身のこだわりの強い性格が非常に合ってるという。
「選手時代は引退までずっと自転車の調整に熱中していました。1ミリ以下の単位でメンテナンスして、自分の体に合わせていく。
朝6時から始めて気が付くとお昼を回っていることもザラでした。わずかな変化が結果に大きく影響する。これは麺作りも一緒です。
白河ラーメンは、例えば4リットルの水を使うとして、おちょこ1杯の水量の差で出来栄えが全く変わってしまう。
気温と湿度の変化でその日に合った水量を探らなければいけません。これが非常に難しい。でも、本当に楽しいです。
毎晩布団に入ると明日の仕込みを考えているので、朝が来るのが待ち遠しいほど。自転車の調整は20年近くやっても答えは出ませんでした。
きっと白河ラーメンも100点の正解にたどり着けないかもしれない。だからこそ夢中になれます」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d44003905fa90ad7fc4b7c170553ec0d682f5b9b
6/2(火) 9:26配信
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200602-00000005-nkgendai-001-1-view.jpg
https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/gendainet/gendainet_638431_0.jpg
https://freednote.com/wp-content/uploads/2020/01/juumonjitakanobu_9-421x500.jpg
https://marucure-picks.com/wp-content/uploads/2020/01/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88-2020-01-16-17.49.35.png 店は夫婦で切り盛りしているため十文字氏の朝は早い。10時半の開店時間に間に合わせるべく朝4時すぎから準備を始め、仕込み作業を1人で行う。
10時前に奥さんが合流し、2人で味の最終チェックを済ます。平日は14時までの営業だが、土曜日は行列ができ、売り切れることも珍しくない。
コロナ禍の影響で4月25日から店を閉めているが、1日から営業を再開する。今や食べログの評価は3・51(5月末現在)の人気店だ。
「初めて来た人には、やっぱりオーソドックスな『中華そば』に『煮卵』のトッピングがオススメです。研究を重ねた結果、煮卵は4日間漬けています。
お客さんから『これ注射器で中に味付けしているの?』と聞かれるほど、中心まで味が染み込んでいます。使っている卵はLサイズ、そしてトロトロ半熟です!」
十文字氏の白河ラーメン研究は続く。
▽じゅうもんじ・たかのぶ 1975年11月10日生まれ。現在の千葉県野田市出身。
95年に競輪デビューし、96年アトランタ五輪で銅メダル獲得。以後20年以上S級で活躍。2019年に引退し、現在、千葉県柏市で「白河屋」を経営している。 手取りはいくらなんだろ
サラリーマンの生涯賃金と大差無さそう 十文字が田村亮子と手つなぎデートしてるの見て
「ええっ…こんな女で欲情するんかよ」
と呆れた中2の夏。 競馬の騎手は歳とったり上手でなくて食えなくなっても調教師や調教助手って道があるけど
歳とった競輪選手の第二の人生って何があるんだろう
中野浩一くらい有名だったら専属CMタレントとして生きのこることもできるんだろうけど S級20年でもこんなもんか
神山と高校時代並び称された、何とかという選手も今は長崎で
高校教諭だったかな 自分の趣味に嫁を巻き込むなよ…
と思ったが仕込みはひとりでやるのか。なら仕方ない ラーメンとか脂肪と塩分の塊
若い時にこんなの頻繁に食ってたら
中年になってすげえ後悔するよ 今まで深く考えたこと無かったけどのり100円ていい商売だよな 中野浩一が初めて日本のスポーツ選手として一億円を稼ぎ出したとき、
NPBでは一千万円プレーヤーが今の一億円プレーヤーと同等の扱いだった
最晩年の王貞治8000万は別格で次点がセ・リーグMVPの山本浩二で四千万、
他の各球団の年俸一位はそれぞれ三千万程度
中野浩一がいかに凄かったか解る 電波少年で松本明子がこいつに直撃しにいって
「どこがいいの?だって顔がさあ、あの顔だよ!」
って露骨に言ってたな >>22
競輪選手は力があれば普通に五十代までやれる。
名前が知られててて若くしてリタイヤするのは、こいつみたいに他にやりたいことができたか怪我ぐらいのもん。引退しても全国各地の競輪場での解説バイトとかいろいろ仕事はある。 >>29
それだけ下衆い商売なんだろ
飲食店経営してる奴にはクズが多いが、なかでも居酒屋とラーメン屋はクズ率が極めて高い 引退したからラーメン屋でもやるかってお手軽な感じではないんだな。
大したもんだ。
_ノ乙(、ン、)_趣味のお店って感じ? オーソドックスで美味しそうね。
前腕は競輪選手らしさを感じさせる太さね。 チャーシュー麺950の大盛1100とかボリ過ぎだろwwww ラーメンの値段って柏あたりならこんなもんでしょ
ド田舎とか町中華なら一杯500円のラーメンとかあるけどさ 懐かしい名前
おれが競輪に嵌ったほんのわずかな期間なんだけど、
その時の新星ヒーローだった
アトランタラインとかライバル太田とか覚えてるわ 億稼ぐ銅メダリストと結婚したと思ったら
田舎でラーメン屋か 千葉なら国会議員にもなれたろう
クイズ小西に負けるわけがない あ、思い出した。A級からS級に上がるレース見たような記憶
西武競輪場だた。先行逃げ切りで後続にありえないほど差をつけてw
同期辺りのライバルは太田のほかに小嶋ってのがいたなあ >>30
ずいぶん昔に潰れたよ。
元木がぼやいてた、
店に出てると文句いわれるし、店に出てなくても文句いわれる、どうすりゃいいのさって >毎晩布団に入ると明日の仕込みを考えているので、朝が来るのが待ち遠しいほど。
打ちこんでることに充実感と明るい未来を感じられてるって素晴らしいね
店の雰囲気良さそう >>40
巨人の若きセットアッパーは今はうどん屋
半分は税金かな
だと実働20年で2.7億か
意外と少ない 豪邸建てて「勉強がしてないけど政治に物申すwww!」なSNS番長とかしてるより
自分の好きなことに打ち込んでるなら充実した人生なんじゃない
>>47
ある程度有名なやきう選手はなまじ知ってるやつが多い分そういうの難しいのかもね
店のレビュー見たら競輪選手とか知らんそうな人のが多いっぽいし スポーツ選手は引退しても左団扇で暮らせる人は一部だけで
大半の人は全く違う仕事に転身するよね。 >>16
麺屋も多いけど警備業も多いらしいよ
足腰がしっかりしてる割に、意外にも現場作業員(土方)は少ない >>31
筋力は年取っても結構衰えないとは言うけど
持久力はそんなわけないのに50代までやれるとか
やっぱりラインのおかげか アトランタラインで機関車をやって神山に美味しいところを持っていかれてたな
蛇行しながらの先行が小狡い感じであまり好きではなかったがちょっと可哀想だった 有名人がこだわりをもってラーメン屋を始めると大抵うまくいかないよな 十文字って聞くと巣鴨の十文字学園が頭に浮かぶ。
巣鴨に一文字不動産があってニ文字、三文字などあるのか?と疑問は膨らむ。 谷亮子と付き合ってたってだけで
スゴい善人に思えてくる カーレーサーの星野一義さんが引退後の将来をいろいろ考えて
ラーメン屋をやろうと思って本気で研究して 自分でも年単位で研究してラーメンを作りまくって
出た結論が これは儲からないから駄目だ・・・だったそうなw >>64
スポンサーの金で飯食ってた人にできる仕事ではないな、飲食は。 >>14
>>63
人質とか取られてたんじゃないの? S級の一線でやってたのに引退したからな。茨城の若手も湧き出るように出てきてまだまだやれそうだった。
行ってみたいけど柏の僻地それも市場の中だから行きづらい すでに4億稼いだら、もう稼ぐ必要ないじゃん。
大手企業に一生勤められたとしても3億稼げるかどうかなのに。
まあ、年金の問題もあるけど、個人事業やるなんてリスク高過ぎだろ。 競艇と競馬は普段から摂生が必要だけど
競輪選手だけは好きなだけ食えるんだよなw
自分の脚だけで戦う分トレーニングは一番きついがw 半年に1回くらいお店に通い、これが4年くらい続きました
たった8回じゃね? >>27
中野浩一は自転車スプリントで10年連続世界チャンピオンだもんな
今でもヨーロッパとかだと神様扱いされてるんでしょ? >>27
その頃は手取り発表だよ
年俸8000万円でも手取りならほんの僅かになる
所得税だけで7割8割あったからね
税込みだと王が年俸数億円のようだ
落合「昔の人は手取りだった。税金は球団が払った。」
https://hochi.news/articles/20180506-OHT1T50082.html >>75
自分の目の届く範囲の小さい事業を楽しみながら出来れば幸せじゃない >>75
税金知らないのか?
税金でかなり取られるし将来性も大企業と比較したら不安定 武田豊樹が消えた天才に出てきた時に競輪のマイナーさを思い知ったね
清水より稼いでるのに セブンの冷凍ラーメンにチャーチュー乗っけただけに見える まあ、ラーメン屋は失敗するだろうから金は残しておけ。
ラーメン屋は思ったほど、と言うより。
きつい割に儲けない。
趣味でする仕事。 俵、俵と言うな!
競輪界にも俵信之というタイトルホルダーがいたんだぞ。紛らわしいじゃねーか >>79
俺が近所の店に一ヶ月で行ってる回数と変わらん ボートはよくやるんだけど競輪はどこが面白いのかわからん >>80
当時はプロの方がアマよりレベル低かったという事情を差し引いても ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています