【横浜DeNA】多村仁志、大逆転の横浜劇場を演出 中畑監督「ぶち込め、ぶち込め」1342試合 .281 195本 643打点 43盗塁 [砂漠のマスカレード★]
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70年超の球団史に刻まれた個人記録を伝える「Bレコード」。偉大なタイトルを獲得してきた往年の名プレーヤーを紹介する。
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ど派手な花火が待っているから、横浜劇場は終演が見通せない。2013年5月10日、この夜も熱かった。
巨人を敵役に、最大7点差をひっくり返した大逆転劇。主演は2発のアーチで筋書きを変えた多村仁志だ。
登場したのは3─10の七回無死一塁。敗色濃厚な展開での代打だった。
追撃ののろしを上げる左翼席上段への2ランはしかし、序章に過ぎない。
1点差に迫った九回1死一、二塁。舞台は整っていた。
「ぶち込め、ぶち込め」。監督・中畑清のげきを背に、西村健太朗の151キロを振り抜く。「勝ちたい。それだけ。つないでくれたので何とかしたかった」。右翼席への一打は、野球人生で初のサヨナラ弾だった。
横浜高から1995年に入団も、98年の日本一は下積み時代。頭角を現したのは21世紀に入ってからだ。2004年に3割5厘、40本、100打点。06年にはWBC日本代表にも名を連ね、その打棒はベテランの域に入っても健在だった。
ソフトバンクを経て7季ぶりに復帰した13年に12本塁打をマーク。ただ、横浜での最後の3年間は若手が台頭しつつある変革期とあって、舞台袖で見守る時間も長かった。
22年間で通算195本のアーチを架け、肩や足でも魅せたマルチプレーヤーは、16年に中日で引退。ベイスターズが初めてクライマックス・シリーズに進出したのは、その年のことだった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3af5d0fcb41180102a1426e5018234cf1c7c7b14
5/30(土) 5:00配信
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200530-00000012-kana-000-1-view.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=SeZis_tSaBQ
多村 仁志 プロ入り初サヨナラHR 9回裏 2/2 2013.5.10 横浜DeNAベイスターズ vs 読売ジャイアン
https://www.youtube.com/watch?v=Ida-V7vg85M
多村仁5号同点HR 2004.04.22
https://www.youtube.com/watch?v=RcMmRcrtxkM
【ОP戦】横浜DeNAベイスターズ 多村仁志満塁ホームラン
https://livedoor.blogimg.jp/baseballstats/imgs/3/8/383e1a97.jpg
http://npb.jp/bis/players/41743880.html
成績 https://www.youtube.com/watch?v=o8jebfN4898
多村仁志 ホームラン&二塁打2本で3安打2打点 20160518 中日ドラゴンズ 二軍 【2004】
2/27 ポスター撮影中にジャンプする→当然の如く右足関節捻挫。
4/30 試合中、突然カゼをひいて退場→診療所で点滴。
5/3 キャッチボールでぎっくり腰、登録抹消。キャッチボールができないプロの誕生に野球板民も震撼。
6/5 フェンスに激突した際には「自身の肘打ちを自分で喰らう」という見事な自爆で途中交代。
6/24 試合で空振りした際に何故か肩をケガ。スイングができないプロの誕生に(ry*5
8/11 試合前に念入りに練習に打ち込むも、当然の如く腰を痛めてスタメン落ち。
8/28 ファインプレーで投手を援護するも束の間、当然の如く膝を強打して途中交代。
9/19 ファンへの握手のし過ぎで左手をケガしてスタメン落ち。握手ができないプロの(ry 通算43盗塁しかしてないのか
足も速いイメージだったが >>1 野球ねぇ…懐かしいな。そんな時代もありましたね。 三冠王ペースだったのに横浜横須賀道路でポルシェで自爆して離脱もあったな 2000年代中盤の2chでは西岡、多田野に並ぶ人気者だったな カレンダー撮影でジャンブして怪我したんだっけ?
身体能力が高いってのは何を意味するんだろうなって考えさせられる選手だったな >>14
打席の左右も違うし、なにより実績が大きく違うのに? Wikipediaみても、怪我のことがあまり詳しく書いてないので、おもしろくない やはり2005年が秀逸
・1/ 1 寒川神社に初詣に行き家族の健康などを祈願するが、自分がインフルエンザに罹患
・2/11 沖縄で野球教室を開き、肩に野球バックを掛けたまま何百人にサインした結果、左肩が内出血。
・3/30 全試合出場を目標に掲げていたが、開幕直前にインフルエンザに罹り緊急入院。開幕三連戦の出場を断念。
・4/24 サードゴロを打ちヘッドスライディング敢行するもアウト。右肩負傷で途中交代。
・5/6〜7 GW中からの発熱を押して出場するも無理がたたり気管支炎に悪化し、欠場。
・5/20 センターからバックホームの際、右肘を痛める。
・6/4〜5 痛めた右肘の影響か、DHとして出場。
・6/14 自打球を右足甲に当て途中交代。
・6/21〜 疲労をおして出場を続けるも、靴紐を結ぼうとした際にぎっくり腰を発症し、自宅休養。翌日登録抹消。
・6/29 横須賀の練習場へ向かう途中、愛車が雨でスリップし、側壁に衝突。エアバッグの衝撃で左顔面と左肩を打撲。
自分で119番し、検査のため緊急入院。自身初の新聞一面に後に語る
「スリップしたとき死んだと思ってハンドルから手を離したが家族の顔が浮かんでまたハンドルを握った」
・8/28 健康診断で飲んだ造影剤で気持ちが悪くなり、試合を欠場 3割40本100打点達成してんのか
スペランカーでなければ通算でも一流の成績残してたかもな シーズン40本打ったことがあるバッターが22年もやって195本は少ないな >>33
ソフトバンク行かなきゃ軽く300本は打ててたよ 咳で骨折ってなかったかな?
なんかそういうエピソードで埋まってるんだろうな >>35
ソフバン移籍1年目は規定に達したけどホームランが激減したね。球場が広すぎたか 何だかんだ22年も現役生活送ってたんだな
活躍の割に出場数が少ないのもご愛嬌 >>35
怪我ばかりなのに、100本も水増しは難しそう >>28
ああ忘れていたわw
てか、ノリさんは殿堂 横浜高校で同級生で同じクラスだったけど
正直スペ、スペ言われてるのが辛いw
めっちゃ良い奴なんだよ多村 >98年の日本一は下積み時代。頭角を現したのは21世紀に入ってからだ。
まあレギュラーじゃなかったけどさ 負けるなヒトシ、飛び込んでライナーをキャッチしろ
↓
フェンスに激突しケガしたため応援歌差し替え WBCでペトコパークのフェンス激突で無傷だったのは超常現象でしょうか 中畑監督の時もしょっちゅうあちこち痛いと言っていたらしい。
田尾が解説の時にコメントしていた。
最終的に中畑に嫌われたのはその辺だろう 多村・村田・古木・内川・吉村が揃って主力として定着すれば、きっと、とんでもないチームになるとワクワクしてたんだがなあ。。。 この時の横浜高校は凄かったな。
3番4番5番とエースがプロ入りしてるのに甲子園では1勝のみ。
プロでも多村しか戦力にならんかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています