【サッカー】酒好きで破天荒な久保竜彦が、日本代表への扉を開いた“変化のきっかけ”【広島|番記者回顧録】 [砂漠のマスカレード★]
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若い頃はそれこそ、記憶がなくなるまで酒を飲んでいた
例えば1950〜60年代のプロ野球には、酒豪伝説がてんこもりだった。「青バット」で知られ、戦後の日本プロ野球が生んだスター第1号とも言われる名スラッガー・大下弘は徹夜で浴びるように酒を飲み、二日酔いでボールが何重にも見えたなかで7打数7安打という日本記録を作ったという。もっともこれは、のちの作り話だったという説もあるが、大下が酒好きで飲み歩いていたことは事実だった。
サッカー選手も昔はよく酒を飲んでいたという話を聞くが、今の選手たちはほとんど、シーズン中は節制している。例えば佐藤寿人はワイン好きだが、楽しむのはシーズンが終わってからだとかつて話してくれた。現役時代の森ア和幸も森ア浩司も、シーズン中はほとんど酒をたしなまなかった。そもそもアルコールが好きではないという若手選手たちも増えている。世の流れである。
さて、久保竜彦の話である。先日、彼にZOOMでインタビュー(スマートフォンも持っていない彼がZOOMを使えるとは驚きなのだが、どうやら娘さんのおかげらしい)したのだが、20時からのインタビューだったのに17時から晩酌をやってビールも飲んでいた
ただ、そのせいか、非常に口調は滑らか。現役時代の超絶無口ぶりから彼も成長し、今は素面でもしっかりと話してくれるのだが、酒が入ると昔も今も、よく喋ってくれる。適量であれば、アルコールも悪くはない。
だが久保の場合、若い頃はそれこそ、記憶がなくなるまで飲んでいた。流川という広島の繁華街で何度も杯を傾け、仲良くなった友だちと飲み続け、寮の近くにあった寿司屋の2階で酔い潰れて、そのまま二日酔いで練習場に直行したこともあったという。
実はこのお寿司屋の親父さんは、福岡の高校を卒業して広島にやってきた久保にとって父親代わりのような存在。寮から自転車で通える距離にあり、安くて美味しい魚料理が食べられるこの店は久保にとっては生活に欠かせない場所となっていた。
「タツはワシにとって3番目の息子」
そう言って可愛がっていた店の親父さんがあまりに無軌道な久保の姿を見かねて、「ええかげんにせえっ」と若者に愛の鞭を振るったこともあるという。それでも、久保の破天荒ぶりは直らなかった。
「日本の宝になる」大器を大成させたい。動いたのは――
ただ面白いもので、無軌道極まりない生活を送っていたこの時期、彼はトップチームで活躍をし始めた。MFからFWに転向したことで、まるでアフリカの原野で育ったかのような身体能力が発揮されるようになり、2年目(96年)のナビスコカップで9試合4得点と足がかりを掴む。
ヤンセン監督(当時)から期待された彼はリーグ戦でも常時ベンチ入りを果たし、C大阪戦ではプロ初得点を含む2ゴールでチームを勝利に導いた。誰が見ても分かる凄い素質。柏・ニカノール監督(当時)が「日本の宝になる」と称した大器をなんとしてでも大成させたい。
動いたのは、今西和男総監督(当時)。Jリーグにおけるゼネラルマネジャーの先駆者とも言える指導者は、久保を成長させるには私生活の安定しかないと考え、彼にあることを勧めた。
5/29(金) 18:05 Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200529-00073934-sdigestw-socc 結婚である。
実は久保には、高校時代から交際していた同級生の恋人の佳奈子さんがいた。彼自身、彼女との結婚も考えていたこともあり、総監督は「これだ」と考えた。当時、久保の両親も彼女の母親も「まだ早過ぎる」と結婚には反対していた。無理もない。
ふたりともまだ20歳。久保はプロ3年目で、レギュラーポジションをようやく掴んだばかりの時だ。「もう少し、待った方がいい」。そう考えても無理はない。
今西総監督は久保の両親に会い、「彼の素質は素晴らしい。結婚によって私生活が安定すれば、日本を代表する選手になれる」と説得した。この言葉が両親を動かし、流れは結婚へと傾いた。
一方、佳奈子さんの母親に対しては、若いふたりが熱意を込めて説得。試合が終わってそこから佳奈子さんが住む福岡に戻り、「結婚させてください。お願いします」と毎週のように久保は願いを母に伝えた。その回数は10回を超え、ついに承諾を勝ち取った。
98年7月20日、親戚とごく少数の友だちが集まっただけの小さな結婚式をあげ、ふたりは結婚した。その時を境に、まるで破滅に向かっているかのような酒に浸る日々は、なくなった。
酒そのものを止めたわけではないが、ある程度は節度を保てるようになり、体調管理に気を使ってクーラーを控えるようにもなった。試合中にイライラして投げやりになることもなくなり、サッカーのビデオを食い入るように見て研究する姿を新妻は何度も目撃した。
彼が初めて日本代表に選出されたのは、その年の10月。久保竜彦という若者の扉が未来に向けて大きく開き、その後の伝説を築いたのは、間違いなく「結婚」がきっかけだったのだ >>1
「破天荒」は「直す」ようなもんじゃないだろ
辞書見てから記事書けよ ま、結局大成せんかったけどな
ポーランド戦の1点はよかったよ
当時世界ランク9位くらいだったポーランドに1−0で勝利 遠征試合だけど 世代問わず代表ではアジア以外でガチの試合を経験したことがない 街宣車の横に立ってそうな
独特の雰囲気があった人だな なんでアル中な事を自慢してるバカが多いの?
バカですって自己紹介したいの? おまえは体にいいものを食え
オレはうまいものを食う だからこそ
リミッターが外れて
全身を鞭のように振り切れたのです DQNって野球ばかり言われるけど
松田直樹とかオラついてて好きだったな
昔は今のように痛いアピールしなかった 広島が天皇杯で大学かなんかとやった時、相手DFが
久保のゴール後に笑ってしまってたな
横っ飛びみたいな動きでクロスをミートしてた これ見ちゃうとなぁ
こんなFWいつ出てくるんだろう
久保しか見たことが無い
ドラゴン久保しかいない
唯一無二の存在
でも出てきてほしい
https://youtu.be/2iPPYP01PzM つまり、二十歳の頃にはアル中だったと
未成年飲酒ダメ!絶対! >>27
ムバッペみたい
日本人でも
こんな動きできるんやね >>22
これ凄く好き。
自分が自由でも、嫁には身体を気遣う。
で、自分だけ好きなもん食うとかw
>>6
世界ランク3位のチェコ戦では? 走るのが面倒だから超ロングシュート
トラップが面倒だからジャンピングボレー
日本じゃ空前絶後のストライカー適性だった >>15
日本のサッカーの歴史は東京と広島で形成されたと言っても過言ではないのに
どうして広島=野球のイメージが定着してしまったんだろうな?
やっぱり本拠地スタジアムが郊外の山の上にあるからかな? 広島時代の
駒野「クロスミスしました」
久保「最高のクロスでした」
ありえない高さからのヘディングで決めたゴールが好き ワールドカップ観るだけで久保も1、2回しか見てない一般人だが、今回代表に入れてないのは一体どうなってる?と思った記憶はあるな。 日本サッカー三大過大評価
小野伸二
久保竜彦
セルジオ越後 >>30
あらためて見ても日本人離れしてるね
アフリカ人のような瞬発力としなやかさ
未だに久保を超える身体能力を持ったFWが出てこない >>40
腰痛持ちでW杯本大会は呼ばれなかったね
ジーコ時代は欧州遠征とかで大活躍して
1番点とったんだけどキャバクラに行って外された >>44
ジーコは最後まで久保を選べなかったことを悔やんでたようだけど、怪我完治してなくても選んじゃえば良かったのにと思う
W杯までは多少時間あったわけだし 宇佐美が叩かれて小馬鹿にされて
こいつが史上最高のストライカーとか持て囃される風潮は本当悪だわ
コミュ障と意識の低さで高いポテンシャルを台無しにしたって点において
絶対的に反面教師にすべき存在なのに >>10
あれ、めっちゃよかったね。人見知りの久保の感情を引き出したよい記事だった。 >>38
東京?それはない
静岡・広島・埼玉が日本3大サッカーどころ ロナウドなんかもそうだが
どんなに素質に恵まれててもケガが多くて稼働期間が短ければ所詮2流の選手
自分の体の限界も分からないおバカさんということ
「いい選手はケガしないのよ」とルミ子先生も言っている >>48
西澤はまぐれボレーがたまーに決まる程度だろ もっと得点したFWやチームを勝たせたプレイヤーはいるけど、
久保のゴールはありえない身体の動きや弾道が多くてつい
「あの大会に久保が出てれば」のタラレバを語りたくなるところがある 代表戦で、鈴木隆行師匠と一度だけツートップ組んだ時があったんやで 極端な人見知りでサンフレッチェではチームメイトの理解もあったけど代表ではほとんど誰とも喋らず孤立していたらしいね
その久保がなぜか非常に懐いていたのが奥だったらしいが >>24
松田はオラついてても構ってちゃんだった
2004アジアカップでサブに回されて試合に出れないなら日本に帰りたいと藤田に愚痴ってじゃ帰ればと返されて黙っちゃったとか
ベテランサブ枠の藤田なら慰めてくれると思ったんだろうけど世の中そんなに甘くなかったと
離婚したけど胡桃ちゃんだっけ娘さん高校生くらいにはなってるはず 手薄になったPA付近単騎で勝負出来るFWって
歴代通して久保だけじゃね?ほか誰かいる? >>1
酒タバコのせいでピーク短かったな
30前でもうダメ
衰えて焦ってから酒煙草やめたけど手遅れだった
JFLでも活躍出来なかった
中澤なんかは節制で長持ち
酒煙草もジャンクフードも無し
毎日22時就寝 >>56
それがトルシエジャパンは大嫌いだったけどジーコジャパンではジーコも大好きだし小笠原や中田浩二と仲良かったから楽しかったらしいぞ
例のキャバクラ事件もめっちゃ楽しかったと言ってるくらいだしな
引退後にやったトークショーで仲良い選手にも小笠原と中田浩二の名前挙げて今も仲良くしてると言ってた https://www.soccer-king.jp/sk_column/article/90404.html
レッジーナにいた中村( 俊輔)も強く印象に残っている。彼のテクニックは一級品だったね。
当時に記者にヒダについて聞かれて
ヒダより中村でしょ!って言ってたんやぞww >>57
ゴールまでの間に浦和の選手がGK含め9人横浜の選手が6人いてシュートを選択するのすこ 凄い好きだったけど活躍したのは親善ばっかなんだよなあ
ガチ試合だとオマーンとインドだけ
親善なら柳沢すらイタリア相手にスーパーボレー決めてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています