【芸能】コンサバ系アイドルだった中山美穂がバブルを席巻した名曲の数々 [砂漠のマスカレード★]
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松本=筒美=船山のゴールデントリオが中山美穂で結実した、ダンス・ビート歌謡最高峰の三部作
J-POPの礎を築いたといわれる偉大なヒットメーカー、筒美京平。わたくしサリー久保田が毎回ひとりの
’80年代アイドルを取り上げ、そんな京平サウンドの魅力について筆をとらせていただております。第2回は中山美穂です。
筒美京平は中山美穂に、デビュー曲「C」(1985年)から「派手!!!」(1987年)まで、6枚のシングル曲を提供しています。中でも作詞・松本隆、編曲・船山基紀で臨んだ「ツイてるねノッてるね」(1986年/大村雅朗と共同アレンジ)
「WAKU WAKUさせて」(1986年)、「派手!!!」(1987年)の三部作は中山美穂アイドル時代の最重要曲であり、
同時に京平ダンス・ビート歌謡の集大成といわれています。これらの名曲はどうやって完成したのか!? 今回はそのルーツも辿りながらお話ししますね。
すべては作詞家・松本隆の“ミポリン推し”から始まった
京平ダンス・ビート歌謡の最高峰「WAKUWAKUさせて」。裏面には「ニューアルバム●12月18日発売」の記載。これは松本=筒美=船山トリオで作りあげたコンセプトアルバムの名盤『エキゾティック』のこと
中山美穂は1985年、ドラマ『毎度おさわがせします』で女優としてデビュー。ドラマではツッパリ少女役、同年の映画『ビー・バップ・ハイスクール』でもヤンキーたちのマドンナを好演するなど、女優と歌手を兼業しながら、それまでのぶりっ子アイドルとは違う魅力を発揮していきます。同期はおニャン子クラブ、南野陽子、本田美奈子、斉藤由貴など。
タヌキ顔が多い女性アイドルの中で、中山美穂はキリッとした目元が印象的なキツネ系美人。また、ファッション雑誌『ViVi』のカバーガールの常連だったこともあって、コンサバ系のお姉さんたちにも一目置かれる存在となります。
そんな彼女の魅力にいち早く注目したのが、作詞家の松本隆でした。TVを観て中山美穂を気に入った松本隆は自ら作詞を志願。一説によると本田美奈子のレコーディングでスタジオ入りしていた筒美京平を訪ね、曲を書いてほしいと直談判したらしいです。
デビュー曲「C」のツッパリ、ちょいワルで早熟だけど、実は繊細な女の子≠ニいう詞の世界観と中山の拙い歌声がみごとにマッチし、歌手としても好スタートを切りました。京平ダンス・ビート歌謡の最高峰が生まれたきっかけは、実は松本隆のミポリン推しにあったんですね。
◆ワンレンボディコンお立ち台。バブル絶頂期の「ツイてるねノッてるね」で初のトップ3入り
ダンス・ビート三部作が生まれた頃の日本は、まさにバブル絶頂期。元祖お立ち台のマハラジャを筆頭にディスコ人気(第二次ディスコブーム)が高まり、女の子たちはみんな平野ノラみたいな(ちょっと古いか?)ワンレンボディコン。歌謡界でも荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」(1985年)、森川由加里の「SHOW ME」(1987年)といった洋楽カバー曲が大ヒットしました。そんな時代に登場したのが中山美穂7枚目のシングル「ツイてるねノッてるね」(1986年)です。
正確には、編曲は大村・船山の共同アレンジですが、ここから至極の三部作が始まります。小泉今日子やC-C-Bなどで培った成功と実績が、中山美穂で大爆発します。
筒美京平は受注が来て曲を書く職業作家なので、とにかく売れることがマストの使命。自分の書いた曲がオリコンのベスト10内に入らなかったら意味がないという意識を常に持ち続けていました。当時の洋楽シーンはカイリー・ミノーグやバナナラマといったユーロビートが全盛。そんな洋楽のエッセンスを取り入れつつ、どこか懐かしいメロディーに最先端の音を組み合わせるのは、筒美京平が得意とするところでした。
サビのコードはBm→Em→A7→Dとスムーズに流れる5度進行で、♪ツイてるね、ノッてるね≠ヘメロも歌詞もシンプルなのにとってもキャッチー。グッと来ますもんね。時代の後押しもあり、この曲は中山美穂初のチャート3位となります。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f222fb71cf25781001c7e17698980c85ba22e0f3
5/24(日) 11:02配信
https://www.youtube.com/watch?v=RnaiiQHHPIE
ただ泣きたくなるの 中山美穂
https://www.youtube.com/watch?v=oRyiV0i-o5k
JINGI愛してもらいます 中山美穂 ちょっとだけええかっこC
からの
ナンノこれしきっ! あぶない恋はいつもいつもルーレツイてるね、ノッてるね バブル当時、カラオケパブやキャバで嬢が唄う十八番は大抵Rosaだったなぁ ミポリンどの歌も好きだわ
小室のJINGIも50/50もいいし
一番好きなのはただ泣きたくなるのだけど You're My Only Shinin'Starは元々アルバム曲で、後に一部楽器を差し替え、ボーカルも入れ直して
シングルカットしてヒットしたけど、ボーカルがまるで別人みたいに変わってるんだよな 角松敏生がよかったけどなあ
その前は全然洗練されてなくてあんまり好きじゃない コンサバティブ=保守系
意味が解っていて使っているのか?
当時の中山はコンサバとは対極 >>16
ちょっとどうしたーのー
なーにーどうしたーのー >>5
世界中の〜の裏話聞くと絶対嫌いになるけどなw それにしても南野さんは楽曲に恵まれてた節が窺えないのに良く戦ってたな・・・ 人気があったころのフジの月9とTBSの金9の主役をどっちもやりつづけたアイドル >>1
どっちかというと歌は下手だったな
蓄膿だったのかね 中山美穂は毎度おさわがせしますのシャワーシーンを越えるインパクトはない 横乳出してたHな姉ちゃんがコンサバなの?
むしろ両乳のニプレスが見えていたような? ホワイトブレンドとか歌ってた頃の衣装めちゃかわいくて好きだったー
途中からバブリーな威圧的な感じの服で大人っぽさ出し始めてから自然と離れたな >>34
南野陽子は「話しかけたかった」が好きだったわ 中山美穂は二十歳過ぎから27〜才くらいまでが良かったな
ファッションもヘアメイクも好きだったわ 何本ものドラマの主演もして、主題歌もヒットさせるとかこの人しかいないもんな 若者には「この椿鬼奴に似た人が本当にアイドルだったの?」としか認識されていない。 第27回(1985年)日本レコード大賞 新人賞
小林明子/恋におちて -Fall in love-
オリコン1位 売上95.4万(85年 54.7万/ 86年 40.6万)
○中山美穂/「C」
オリコン12位 売上17.0万
松本典子/さよならと言われて
オリコン17位 売上5.6万
本田美奈子/Temptation(誘惑)
オリコン10位 売上18.4万
芳本美代子/雨のハイスクール
オリコン15位 売上4.5万
その他の1985年度('84.10.1〜'85.9.30)新人歌手
セイントフォー、セブンティーン・クラブ、宮里久美、斉藤由貴、大西結花、橋本美加子、
佐野量子、志村香、岡本舞子、渡辺美里、浅香唯、村田恵里、南野陽子、おニャン子クラブ、森川美穂、河合その子、
石野陽子、奥田圭子、ツインキー、森田まゆみ、井森美幸、中村繁之、他多数 みぽりんといえばマーメイドだな
あの曲が流行ってた夏休みに新島で民宿のバイトしてめちゃ楽しかった
渡辺美里のセンチメンタルカンガルーとか光GENJIとかも流行ってたな 男性だけじゃなく、女性からも好感度が高かったからな。
アイドル女優として
ドラマも視聴率良かったし。
女版キムタクのポジだったよね。 辻仁成が毎日ブログ更新して息子のこととか書いてるんだけど、母親である彼女は子供残してきたことに何も感じないんだろうか? Rosaは好き
生意気は当時ディスコで流行ってた曲をうまくパクったよね マラぎりぎり伸ばした〜い
マラぎりぎり伸ばした〜い 松任谷由実「リフレインが叫んでる」が街中に鳴り響き、
夜24時の埠頭には男女が集って抱き合い、
大学生の財布には何故か10万円があり、
若い男はソアラやプレリュードを買い求め、
1袋1000円のカップラーメンが飛ぶように売れ、
伊藤忠商事の売上高は30兆円に迫り、
クリスマスプレゼントはカルチェの三連かエルメスのスカーフで、
近所の竹やぶには何故か1億円の札束が何個も捨てられている、
という、
頭のおかしい時代であった。 中山美穂と言えばvirgin eyes、遠い街のどこかで 初のオリコン1位は「CATCH ME」
作曲は角松敏生 もうアイドル末期だったけど「Sea Paradise-OLの反乱」はなかなかの名曲っす >>75
「ただ泣きたくなるの」の次にリリースした曲だったな you're only my shinin'starが一番好きだな
いい曲なのにそこまで評価されてない you're only my shinin'starが一番好きだな
いい曲なのにそこまで評価されてないよな >>75
テレビでOL風なタイトニミ姿で歌ってたのを覚えてる 夏体験物語のOPのリズミックカンフーって一体何だったんだろうね(´・ω・`) >>65
それはさすがにキムタクに失礼
こいつは剛力並みのゴリ押し女 >>85
キムタクと共演したドラマ見た時似たもの同士だと思ったけどなあ
時代の波に乗ったもの同士 >>72
1袋1000円のカップラーメンが飛ぶように売れ、
?
見たことも聞いた事も無い w
>>1 工藤静香は歌手でも売れてたけど
中山美穂は売れてたか?
ドラマの曲とかになればその都度売れはしてたけど >>20
You're My Only Shinin'Starをめっちゃ上手い人に歌って欲しいわなぁ ナンノファンだったけどナンノは88年がピークでその後は人気が落ち
ミポリンは安定して売れ続けるんだろうなと中学生でもわかったわ
ナンノは男ファンが多く女には人気がなく
全盛期からの人気凋落も含めてアイドルらしいアイドルだったと思う >>90
工藤静香はすぐあの人は今ポジションだったけど、中山美穂はずっと現役アイドル女優だった記憶 コンサバってコンサバティブの略だとは分かってるんだけど、具体的にどんな服系なのか分からないので教えてほしい。
無難って感じ?いまだとINGNIあたり? コンサバってなんとなくOLが職場で着る服みたいなのを言うのかと思ってた。女性誌の影響かな 中山美穂はまだ見られる
工藤静香はどうして、ああなった? OLの歌みたいなのなかった?
8才上の姉がよく聞いてたような気がする >>92
ベストテンで最初に1位を取ったのはナンノだったからな
でも同期で最初に1位を取るのは本田美奈子と思っていたよ
1986年のマリリンがいきなり2位になったし勢いを感じた 歌もやりながら連ドラもやるみたいなのは中山美穂と南野陽子から始まったんだよ
上戸とかガッキーもその流れ汲んでる >>94
ナンノ女性ファンいっぱいいたが
変なの?で離れていった感じ
演技力もなかった ナンノは演技力いまいちだしな
しかしナンノのが結局芸能界で生き残ってるな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています