デビュー当時ゴダイゴ。浅野孝已さん(中央)とミッキー吉野(左)の絆はずっと続いた

 【YFM 夕刊フジmusic】

 日本のロック界を支えてきたゴダイゴのギタリスト、浅野孝已さんが先週12日、虚血性心不全のため68歳で急逝した。76年に結成してからともにゴダイゴをつくり上げてきた同い年のミッキー吉野が、今週と来週の2回に渡って、盟友・浅野さんとの思い出を語り尽くす。

 浅野と初めて出会ったのは、1967〜68年くらい。僕はザ・ゴールデン・カップス、浅野はThe Mにいて、Mは音楽を追究していた数少ないバンドでした。お互いの仕事が終わったあとに赤坂でジャムセッションをして楽しんだり、そのころはロック・フェスも盛んで、一緒になったときには、Mにはキーボードがいなかったから勝手にお邪魔したり。50年以上も前から一緒に音楽をやってきました。

 71年に僕はバークリー音楽大学に留学して、それから日本でバンドを作ろうと帰ってきたのが74年。そこでミッキー吉野グループを結成するわけですが、実はそのとき浅野にも声をかけているんです。でも、「(在籍していたチャコとヘルス・エンジェルの)今の環境に満足しているから」と断られてしまって…。

 それでも僕は「いつでも待っているから」と伝えて、正式なギタリストは入れませんでした。ギターレスの3人で、ギタリストに参加してもらうときはサポート。それで1年もするうちに、浅野から「僕の席、まだ空いてる?」って連絡がきました。チャコとヘルス・エンジェルが解散するらしくて、だから僕は「うん、空いてるよ」って。

 そのころ僕はデビューしたてのタケカワユキヒデの音楽監督を務めていて、バックはミッキー吉野グループ。浅野にはタケのNHKのオーディションにまず参加してもらい、そのあと渋谷公会堂でコンサートがあったんですが、「30曲を1日で全部覚えられる?」とリクエストしたら、見事にクリアしてくれて。それもリハーサルは1回。そういう男なんです。

 4人になったミッキー吉野グループがタケのセカンドアルバムをサポートすることになりましたが、タケもブレークまでひと息。そこで“一緒にしてムーヴメントを起こしちゃおうか”と、76年に5人で結成したのがゴダイゴです。タケのアルバムは、ゴダイゴのファースト「新創世紀」に移行。ベースは今も同じスティーヴ・フォックス、ドラムは浅野の弟の良治(77年にトミー・スナイダーに交代)でした。

 僕のアメリカにいたころからの夢だった日本で“新しい”バンドを作ることができ、中国初のロックコンサート(80年)をかなえられたのも、僕の夢に乗ってくれた浅野がいてくれたからこそ。浅野も僕がゴダイゴに誘ったことを感謝してくれていました。

5/22(金) 16:56配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea88fa34e7020663b38ae69e581a0cad0f302eef
https://i.imgur.com/gSjtqmz.jpg