【野球】現役生活29年、工藤公康が味わった若き日の不覚/プロ野球20世紀・不屈の物語【1989〜91年】 [砂漠のマスカレード★]
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歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。
順風満帆の若手時代だったが
2015年からソフトバンクを監督として率いている工藤公康。20世紀を知らなくとも、横浜の自称「ハマのおじさん」時代や、プロのキャリアをスタートさせた西武でのラストイヤーをリアルタイムで見た若いファンも多いだろう。29年という長きにわたる現役生活を過ごした左の鉄腕だ。
西武へ入団したのは1982年。ドラフト6位という下位での指名ながら、やはり就任1年目の広岡達朗監督に抜擢され、高卒1年目にしてオープン戦の後半には一軍に上がって、ペナントレースでも27試合に登板して、チームが西武となっての初優勝に貢献している。何かと辛口な広岡監督からは厳しい練習を課される一方で「坊や」と呼ばれてかわいがられ、84年の秋にはアメリカの教育リーグへ野球留学。翌85年には防御率2.76で初の最優秀防御率に輝いて、一躍、黄金時代のエース左腕に成長した。
その翌86年には初の2ケタ11勝。広島との日本シリーズでは1勝2セーブ、第5戦で放った起死回生のサヨナラ打もあってMVPに選ばれている。15勝を挙げた87年には防御率2.41で2度目の最優秀防御率に。リーグ最多の23完投も光る。巨人との日本シリーズでは2勝1セーブで2年連続MVP、胴上げでセンターのカメラに向かってジャンプして話題を集めた。
新しい価値観をもって行動する“新人類”が流行語になった時代。工藤もエース右腕の渡辺久信らと“新人類”のアイコン的な存在となった。のちに工藤も「野球界で最初にジーンズを履いたのも僕らだったと思います」と振り返っている。巨人の長嶋茂雄や王貞治、同じ時代なら江川卓や原辰徳らスター選手とは一線を画したスター像も“新人類”たる所以だろうか。チームも自身も絶好調。1年目から新人王に選ばれたりこそなかったものの、順風満帆と評して差し支えはないだろう。
「当時は、よく遊びましたね。朝まで飲んで、次の日、投げたら勝った、というときもあります」(工藤)
老いというものは、じわじわと体に忍び寄り、ゆるやかなスロープを下るように体は衰えていくのだが、どういうわけか、まるで断崖絶壁を転がり落ちるかのように、ガクッと体力の衰えを覚えることがある。老いは、常に同じ傾斜の坂を下っていくわけではないのだ。若手時代の工藤を知るベテランの(?)ファンなら、多少の個人差こそあれ、似た経験をしているのではないだろうか。25歳を過ぎた工藤も、同様だったかもしれない。
急失速から長いキャリアへ
工藤は88年に10勝と成績を下げ、89年から急失速。以降2年連続で規定投球回にも届かなかった。90年は長い西武の黄金時代でも絶頂期といえるシーズンだ。チームは絶好調だったが、自身の調子が芳しくない。原因は肩やヒジの故障ではなく、肝機能障害だった。つまり、暴飲暴食。医師からは「このままでは死にますよ」と告げられたという。選手生命の終わり、という意味ではない。正真正銘の、人間としての命の危機だったのだ。
だが、工藤は91年に自己最多の16勝を挙げてチームのリーグ連覇に大きく貢献する。どん底の工藤を支え、二人三脚で復活への道を歩んだのが夫人だったという。その一方で、リハビリで出会った筑波大の白木仁氏には「40歳まで現役を続けるために、これから10年間、一生懸命トレーニングに励むのなら協力します。1、2年のつもりなら見ません」と突き放されている。そこから、体のメカニズムを調べるようになり、最先端のトレーニングにも取り組んだ。
93年には防御率2.06で3度目の最優秀防御率、初のシーズンMVP。95年にはFAで低迷を続けていたダイエーへ移籍して、99年には初優勝、日本一の立役者となって、防御率2.38で4度目の最優秀防御率、2度目のMVPに。かつての“新人類”は、経験豊富な“優勝請負人”に変貌していた。
歴史のifになるが、大きなピンチがないまま順風満帆に投げ続けていたら、29年の現役生活を送る鉄腕になっていたかどうか。ピンチをチャンスに変える、ということが最近よく耳にするが、ピンチにこそチャンスあり、なのかもしれない。
5/19(火) 11:05
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200519-00000005-baseballo-base
https://i.imgur.com/SDYrUPL.jpg
https://i.imgur.com/aKhtNnf.jpg
https://i.imgur.com/iLuHMPh.jpg
http://npb.jp/bis/players/51553865.html
成績 貴重な規定投球回に達したことのある高卒左腕の一人
古谷をなんとかしてほしい 「現代の女子高生と同じ姿」と話題の1932年の少女たち、どの程度のレアケースだったのか?
http://address.bnene.com/mnewsplus/1588676320 >現役生活29年
西武時代って、隔年でしか投げてなかったろw 昔の西武はドラフト外やプリンスホテル経由などの裏技で有望な選手集めまくってたよね
工藤も社会人志望なのを強引に獲ったんじゃなかったっけ >>9
デーブが引退した頃に話してたんだが
随分前に話通してドラフトで指名するから活躍するなって言われるらしい ドラフト6位が意外
甲子園でカーブ見てすごいと思ったのはコイツが初めてだった >>5
間抜け
ググったら一軍定着した1985年〜1994年のうち、1990年以外はガッツリ投げとる >>15
ばーか! 低能に間抜けと言われるとは思わなかったわ。
投げていても手を抜いて投げて,延命計ってるわ。
隔年投手,工藤は有名だけどな。
ググるなら,隔年工藤でもググれや,カス! ダイエーが球団を手放した十数年前、
福岡の市民球団 になろうとしていたホークスを奪い取った 憎き在日朝鮮人。
七社会による 共同出資の協議が進んでいたところに横槍を入れてきたのがコイツだ。 巨人時代に引退しててもおかしく無いだろ
松坂もソフバン時代に引退しててもおかしくないもんな >>16
よう間抜け
根拠がただの妄想、本当に間抜けだ わら 最後横浜にお世話になったのに、監督を要請されても断って喜んでソフバンに行った屑 高校時代の工藤のカーブを見た時の衝撃は凄かった、Y高の三浦より落差が凄かった >>21
もっと世話になったのがホークス。
最後に世話なったのは西武。
人的補償の横浜に何の義理も無えよ、バカ >>14
もともとドラ1レベルだけど根本が社会人入りを公言させたから、この順位でとれたんや そら、日本一なってんだから偉いに決まってる。
「あの戦力なら」とかいくら妬んでも勝負の世界は勝者が正義 >>17
知ってるか?朝鮮人にこんなくっきり二重はおらん。 >>14
熊谷組いき決まっていたから
他球団指名しなかったが、西武が6位で突然指名
甲子園でノーヒットノーランやっていて
プロ入り表明していたらドラフト1位だわ
その年のアサヒグラフ甲子園特集で
報徳の金村押しのけ表紙だったわ工藤 1989年工藤は4勝8敗4.96 書かれているように
ボロボロでブライアント4連発の試合で2戦目敗戦処理
それでも西武は1位近鉄に0.5ゲーム差で3位
しかし工藤は普通の年だったらおそらく優勝
西武は1989年開幕戦から4月終わりまで伊東欠場で仲田スタメン
開幕スタメンショートが田辺や清家じゃなく藤野
西武が相当ドジしてもギリギリ優勝逃すぐらいで他球団と西武の
戦力差はやっぱりかなりあった。 1大会だけのインパクトなら
江川、松坂には及ばないが
桑田、藤浪、ハンカチより上だった カーブなら中西清起もよかった
熊谷組に西武が工事発注したんだっけw
当時の堤の金に根本の寝技は鬼にサブマシンガンくらい凶悪w >>30
この年初めてリーグ首位になったのは、獅子だけど百獣(110)ならぬ109試合目。
ネタ元はいわみせいじ
「やっぱり今年も西武か」の空気だった。 ダイエーが球団を手放した十数年前、
福岡の市民球団 になろうとしていたホークスを奪い取った 憎き在日朝鮮人。
七社会による 共同出資の協議が進んでいたところに横槍を入れてきたのがコイツだ。 >>32
そりゃまあ
西武と言やぁピストル堤
東急と言やぁ強盗慶太だからw >>24
横浜の最終年、戦力外通告された直後も中継ぎで連投されてたのが不思議だった 晩年は酷かったな
ストライクさえ取れないレベルだったのに国内外からのオファー待ちしたり >>29
工藤は同郷で同期の槇原(巨人1位指名)と同等の評価と言われてたくらいらしいな
実際プロ1年目から1軍で起用されてるしな
本当に6位評価の高卒投手ならまずありえん そう考えると掛布雅之の「テスト生同然のドラフト6位」も
阪神に裏技が使えるとは思えんが、眉唾。
新人で1軍定着、2年目にはレギュラー。 87年は森監督がのちの巨人藤田監督みたいに
完投できる投手ははなるべく完投させる方針を打ち出したために工藤ひとりで23完投もしてる
翌年翌々年と成績落としてるが不摂生に加えてこの酷使でダメージたまったんだろうか
ちなみに87年の工藤は今は至難の業と言われる沢村賞選考基準オールクリアを達成しているが
残念ながらこのころはまだ選考対象にパが入ってなかったために選考外だった その代わり正力松太郎賞。
「勝利、決まったろう」と喜ぶ工藤
は、やくみつるのネタ >>1
まーたソフトバンクかよ。
おい、このCM、本当にいい加減にしろよな
在日朝鮮人の帰国事業を進めようとした白洲次郎が白犬に、犬の子が黒人、その妹は日本人…
この白戸家の設定にはあらゆる箇所に悪意があり、「 ケセッキ」という朝鮮語に行き着く
白戸家…ソフトバンクCMに登場する架空の家族
http://rekisi.amjt.net/?p=5025
. 日本シリーズで巨人が全く打てなかったんだよな
当時の巨人は工藤以外も大野、川口、近藤真一ら左投手が苦手だった トータルだとすごい数字だけど単年で見ると上の中くらいの成績しか上げてないんだな 工藤、江川、今中、岸
カーブが得意球の投手は投げるスタイルが美しい投手が多い >>32
根本の寝業で疑問だったのは森山だな
中央球界では全くの無名でドラ1で指名したとき
誰も知らなかった。別に1位でなくても余裕で採れたのに
あえて1位で指名したのは箔付けのためだろうか? >>39単純に体が小さすぎただけ。高卒の時点では170に届いていなかったそうだ。 >>39
掛布の父と安藤統夫が知り合いなんだよね。 >>49
お前さん水野雄仁とかも好きな投球フォームだろ >>45
旦那が奥さんが選んだダサい服喜んで着る家は割りと幸せ >>43
独身の頃は登板日でもコンビニでサンドイッチ買って
それで済ませてたほど食生活がいい加減だったと
いうのを聞いたことがある。 >>47
工藤と槙原は最多勝獲ってないのが意外だよな >>50
ドラフト直前に広島が森山の存在に気づいたから >>58
落合が解説者?の時に「この人は隔年だから今年は働きませんよ」
みたいなことを言ったら西本幸雄が激怒して文句言った、
とかいう書き込みを昔見たんだけど、本当かな?
落合はテレ朝で西本さんはフジテレビ系列だから解説で同席することないよな。 >>57
200勝には届いてないけど
最多勝5回防御率3回奪三振1回勝率3回の斎藤雅樹なんかと比べると
濃度が薄いというか・・・
どっちが幸せなんだろうな? >>30
このシーズンは抑えもいなかったからなあ
山根、西本、石井丈あたりでやりくりしていたけど
最後は完全に破綻していたなあ 工藤がドラ6なのは
プロ入り拒否して西武と密約してたんだろ
普通に巨人のドラ1槇原や近鉄の金村よりも
評価高かった
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