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■そして時は現代、岡村隆史のオールナイトニッポンに戻る…

 こうした難癖、言いがかりは近世世界に特有のものではない。発言者の言を切り取り、恣意的で扇情的な見出しを作って格好の攻撃目標とする。そんな姿勢は、時代が400年を経た現在でも変わらないようだ。

 4月23日のニッポン放送の『岡村隆史のオールナイトニッポン』での、岡村氏の発言(以下岡村発言)が物議をかもした。番組終盤、リスナーからのメールに応える形で、「コロナ明けたら、ナカナカの可愛い人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。(略)コロナ明けた時に、われわれ風俗野郎Aチームみたいなもんは、この3カ月、3カ月を目安に頑張りましょう」という内容であった。私はこの番組をカーラジオでBGM代わりにしていたので、当該部分は聞き逃していた。

■岡村発言を直接聞かずに批判する、藤田孝典氏の言いがかり

 岡村発言がにわかに問題化するのは、番組終了後数日たって、FLASH電子版がこの発言を文章化して報道したことだ。このFLASH電子版の報道を引用する形で、すぐさま批判記事を書いたのが社会福祉士でNPO法人ほっとプラス理事である藤田孝典氏であった。藤田氏の記事中では、ラジオの生放送や後日ネットで聴取できるradikoでの一次音声からの出典は一切無く、あくまでFLASHからの二次引用の形に終始していた。ところが藤田氏は5月になってこの記事を訂正し、「知人から教えてもらってradikoの音源を聴いた(要旨)」としているが、記事のタイトルは“岡村隆史「お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ」異常な発言で撤回すべき”であった。

 岡村氏は「楽しみ」などとは一言も言っていない。通常、記事のタイトルは編集者がつけるものである。記事中の内容には登場しない単語が記事のタイトルに冠されるのは、編集作業の慣行からいって常識の範囲内ともいえるが、藤田氏の記事は藤田氏自身がタイトルをつけているので、極めて恣意的で扇情的な見出しと言える。通常、見出しに記される括弧「」は引用を示すので、それ以外のところが趣旨の要約であっても、括弧「」内は発言事実に正確でなければならないのである。仮に私がタイトルをつけるとすれば「いわゆる『岡村発言』は女性軽視で撤回すべきだ」くらいであろう。

■藤田氏が妄想で記事化し、署名活動という私刑に発展

 この藤田氏の「〜楽しみ」という見出しが強烈なインパクトとなり、SNSで拡散されることになって、岡村発言はますます批判の矢面に立たされることとなった。ネット上では岡村氏が出演するNHKの番組からの降板署名運動まで勃発し、岡村氏は4月30日の同番組で自身の発言を謝罪した。

 この署名運動は、ネットを使った私刑の呼びかけに等しい。署名運動者は、NHKは公共放送であり、受信料を払っているのだから当該番組への出演者に対し「ものを述べる権利」がある、などと言うがそもそも岡村氏を番組に使う・使わないの判断はNHKの編成権に属する。編成権にネットを使った署名運動で圧力をかけるのは、いわば「正義感に基づいた介入」であり放送の中立性や編成権の独立を委縮させる行為である。こういった「自分が不道徳だと感じた相手に対してネットを使った圧力をかける」という行為は極めて「道徳自警団」的である。私は数年前、人々が不倫などを行った著名人を「不道徳である」と決めつけ、電話やメールで徹底的に叩き制裁する風潮を「道徳自警団」と名付けた。道徳自警団のバッシング根拠は常に法的根拠に基づかない「不道徳だ」という大合唱であり、それを元にしたあらゆる圧力や介入はあまりにもやりすぎである。

 断わっておくが私は、岡村発言全てを改めて聴いても、やはりある種の気持ち悪さを感じる。岡村氏の発想は不況下で美人風俗嬢の入店を期待する女衒(ぜげん・売春あっせん業者)のような価値観で、決して褒められたものでは無く、批判され謝罪する展開になることは道理である。

■記事の方向性は正しい。が、作り方は下品である

 しかしながら、岡村発言の批判拡大の嚆矢(こうし)が、前記藤田氏の恣意的で扇情的な記事の見出しのインパクトであることは疑いようもなく、すでに述べた通り、そういった本人が「言っていない」ことをさも述べたかのように見出しで「二次加工」するのは、いささか記事の作り方としては下品である。

古谷 経衡(ふるや・つねひら)文筆家
 
◼抜粋、以下全文
https://news.yahoo.co.jp/articles/4871c5cba5a635ee2916b91a6c4a82991528870a?page=1
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