【サッカー】城彰二がスペインで残した大事な足跡。 監督&仲間も実力を賞賛していた [砂漠のマスカレード★]
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リーガに挑んだ日本人(2)
1990年末、ヨーロッパにおける日本人サッカー選手の価値は急騰していた。
1998−99シーズン、セリエAの開幕戦で、ペルージャの中田英寿が王者ユベントスから2得点する活躍を見せ、世界中のサッカーファンのど肝を抜いている。中田はシーズンを通して二けた得点も達成。守備の堅さに定評のあるイタリアにおいて、その攻撃センスは燦然と輝いて見えた。
1999−2000シーズンの半ばに、中田は約18億円という移籍金で名門ローマに移籍する。"王子"フランチェスコ・トッティとポジションを争いながら、2000−01シーズンには、栄えあるスクデット(セリエA優勝)を勝ち取っている。これによって、その価値はさらに高騰し、2001年にはパルマに32億円で移籍することになったのだ。
「スポンサーを連れてきてくれるだけでなく、高い移籍金で売れる。こんな"商品"はない」
日本人サッカー選手の熱波は、必然的にスペイン、リーガ・エスパニョーラにも上陸した。
2000年1月、日本代表FW城彰二はスペイン1部リーグ、バジャドリードに移籍している。1998年フランスワールドカップには中田とともに出場。Jリーグでも過去2シーズンは25得点、18得点とゴールを量産、実績は十分だった。
「ストライカーとして基本的なスキルが高く、スペインでも通用する力を持っている」
横浜F・マリノス時代に城を指導したことがあったスペイン人監督ハビエル・アスカルゴルタはそう言って、太鼓判を押していた。
バジャドリードのほかにも、城はラージョ・バジェカーノなどから熱烈なオファーを受けた。引く手あまただったが、マーケティングの色も濃かった。たとえば当時のラージョは、財政難で国際移籍交渉が凍結されていたが、城の獲得でジャパンマネーを期待していた。「金になる」という色気は見え見えだった。しかし、どのような理由であっても、日本人選手に門戸が開かれたのだ。
そして、城はリーガで遜色のないプレーを見せている。オビエド戦では殊勲の2得点。1点目はスルーパスに抜け出し、飛び込んできたディフェンダーをかわした後、左足でファーサイドに巻くようなゴールを決めた。得意としていた宙返りのゴールパフォーマンスも見せている。2点目は、右サイドから上がったボールをエリア内で待ち受け、マークを外し、豪快にヘディングで叩き込んだ。
5/19(火) 6:30
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200519-00894170-sportiva-socc シーズンの得点はこれだけに終わったが、リーグ後半戦は、レギュラーと言える活躍だった。
「城はゴールゲッターとしての生来的な才能を持っている」
当時の監督であるグレゴリオ・マンサーノは、そう証言していた。それは絶賛に近かった。スペインではストライカーは育てるのではなく、「生まれるもの」という考え方があるが、そのセンスに恵まれていることを認めたのだ。
「城は、自らがゴールするだけではない。ポストプレーに優れ、ゴールに背を向けたプレーにも長ける。巧みにボールを受け、体を使ってボールをキープし、起点となって、味方に好機をお膳立てできる。決してエゴイストではない。守備もできる選手で、チームに必要とされる選手だ」
当時のチームメイトで、バルセロナでもプレーしたこともあったMFエウセビオにも、城は「テクニックの高いチームプレーヤー」と、協調性を賞賛されている。1年目としては及第点。レアル・マドリード戦、バルセロナ戦にもスタメンで出場した。当時、24歳だった城は旬を迎えるはずだったのだ。
だがシーズン終盤、不穏な空気が流れ出した。10代の時にひざを痛め、そのままでプレーしていたことがメディカルチェックで判明。それは契約更新の障害になった。2部のクラブへのレンタル移籍なども模索されたものの、やはりひざがネックとなって、交渉はまとまっていない(当時はまだマーケティング優先の移籍が多く、Jクラブに在籍していたほうが年俸自体は高いなど、ひずみもあった)。
しかし、城がひとりのサッカー選手としてスペインで示した功績は小さくない。15試合出場、2得点。それは輝かしい数字ではないが、大事な第一歩と言える。もし、彼がろくに試合に出られなかったら――。リーガの門は再び閉ざされていたはずだ。
2000年12月には、セレッソ大阪から日本代表FW西澤明訓がリーガ1部、エスパニョールに移籍してくることになる。(つづく) 2トップ組んでた選手はそこそこステップアップしてたよな 当時よく見ていたけど通用してたぞ
ハードワークしてチャンスメイクをしていたが >>1
当時は海外サッカーといえばイタリアが一番。
「城が挑む世界最高のリーグ、観てね!」
と、リーガの権利をゲットしたNHKBSが必死に推していた。
今思えば想像もつかない。 中継先に肥えまくった城彰二が映った瞬間さんまが「ふぁーw」って引き笑いしたのが全盛期 急速に衰えて誰も気にしなくなったな。
賞味期間短過ぎのカスだった。
2002年のときには、もう誰も代表なんて声もないし
落ちても誰も気にしなかった。
わずか3年の代表期間w 俺もガム齧りながらニヤニヤしてプレイしてたのは忘れないよ 城が胴上げをスペインに伝えた説は本当なのかどうか検証を頼む フィーゴに妻の経営する日本料理屋に招かれて、「率直な感想を聞かせてくれ」と言われて「まずいね」と返してガッカリさせたのは凄いと思った >>12
フザケンナヨ!
ワールドカップ ハ センソー ナンダヨ! だいたいの試合見た気がするが思ってた以上にやれてた
点はたいして決められなかったが・・・ 活躍できたのは実質1試合だけ。
コイツは全然点取れないくせにいいところで替えられたとか
監督のせいにしてた。 リーガでレギュラーだったんだから大したもんよそれもCFで 城彰二上手かったよな
引退直前も中心選手で体張ってキープできてた印象あるんでびっくりした
引退するならカズだろうなと思ってた >>1
スペインでもFWとしての実力は評価されている(通算2得点)
ジワるね そこそこやれてたから契約延長の話もあった
膝の怪我がばれて流れたがw まあ通用はしてた
15試合中スタメン12試合
途中出場は慣らし運転だった最初の2試合と代表での怪我から復帰した試合のときだけ
完全移籍の予定だったが中国戦で怪我して靭帯無いのがバレて破談になった マンサーノザックの時の代表監督候補だったな
中国いっちゃったけど >>1
外れるのは城の人、海外でめっちゃ散歩したの 城は当時NHK で見てたが充分活躍してたぞ 向こうでは
Joホーとか呼ばれてたが、西澤は全然だめだったけど 中田が凄すぎただけや
城もよくやった
西澤は城よりレベルの高いチーム、あと寡黙なタイプだから浮いてたな リーガでもポストプレーやれてたからな
だから得点の少なさは目を瞑ってもらえてた
今の代表にいたら普通に大迫とスタメン争うだろ 西澤は初出場張り切りすぎて普段とは違う
走りまくりのハッスルプレイしてて笑えた >>32
でもスペイン語だとJOは「ホ」って発音すっからみんなから「ホ」「ホ」って呼ばれてたとか だらしなく前髪伸ばして丸顔だから「女の子みたいだから髪切れ」って言われてた リーガでも普通に通用してたよな
岡田武史の選手を見る目は確か ジョホールバルでのイラン相手に決めたヘディングはかっこよかった 髪伸ばしてたからホモかオネェだと思われてチームメイト、サポから避けられてた
ラジオで公式に否定してからは練習場にサポが見にくる様になったと言ってた >>32
スペインのじいさんが「ホーはいい選手だね」とほめていた A乾、久保
B大久保
C城
D家長、柴崎
E中村、清武、西澤、ハーフナー のらりくらり掴みどころの無い選手って珍しいからな
それで結構ヘディングが強いからDFはやりにくいし
センスのみで点とってたイメージ 当時のリーガは今で言ったらブンデスぐらいの感じだよ 城は垂直飛び105〜110p飛べる選手だったらしいのう
惜しい男を亡くしたもんじゃ 普通に通用はしてたが活躍はしてなかったという微妙なライン
外人枠があるとこういう選手は弾かれる
それでもセリエAのカズよりはずっと良かったのは間違いない
しっかり守備してポストもこなしてと
監督的には重宝してただろう >>50
城はなんでも出来たからのう
日韓ワールドカップでリベンジしたかったろうに ゴールキーパーと一対一状態で迷わず横パスしてパス貰った選手も驚いてたな。 素人の俺に教えて欲しいんだが、靭帯無くてもそこそこプレーしてんなら、そのまま続ければ良くね?
普通にプレー出来てる奴が、バレたから契約破談の意味が分からない。 >>54
実際その後に物凄い勢いで転げ落ちて行ったから完全移籍見送りは正解だったと言える
既に膝がボロボロだった でも強豪にはまるで通用しなかったな
国内じゃ無双できるんだが
柳沢、大久保タイプ
中山、本田、中田、みたいな持ってるタイプではないようだ ジョンとホーはJでプレーしていた方が良かったかもなあ 日本のメディカルチェックの緩さや認識のなさが浮き彫りになった事件だったな
バルサで活躍していたクライファートも次にプレミア行ったけど膝で終わっていった
プレミアよりリーガの方がメディカルチェックが緩かったことになるね >>54
嘘つきや信用できない奴とは契約できないだろw
億の金が動くのに 膝ガタガタでも転売視野に入ってないならそのままやれてたかもな
転売考慮に入れたら例え活躍できても次が無い >>56
強豪相手なら鈴木隆行だろ
日韓ワールドカップベルギー戦で値千金のゴール決めたし、コンフェデ杯でカメルーン相手に2点入れたし >>66
そうだったのか。
あともう1人覚えてるのが
強いシュートを打つ奴。名もなき選手かもしれないが。
NHK BS-1でスペインリーグ放送してたコロナ。
エンディングの歌がカッコよくてCD買ったわ。
Kula shakerのhey dudeて曲。
https://youtu.be/KDHd-vxcMDo ラコルーニャが優勝した頃だな。
ジャウミーニャの曲者感がかっこよかったわ。 セルタはモストボイとFWでキャラが強いのがいたな。東欧の選手だったと思うが。 城は結構上昇しかけた中で代表しかも国内の糞どうでもいいチャレンジマッチで相手はこれまたどうでも良い中国
そんな試合で怪我してそこから転落
あれ以来どうでも良い糞試合に立場築こうとしてる選手は呼ぶなと思ったね >>75
たぶんそいつ。
無理目な体勢からでもシュート打ってくるんだよ。 アキレス腱が切れてたけど周りを筋肉で固めてプレーしてたって
山田玲司のインタビュー漫画に描いてあったけど
未だに何を言ってるのかよくわからない こいつ程度で称賛されるなら小野が行ってたら神様扱いだったな
まあ当時のスペインのレベルでってことだが ベティスはヤルニとフィニディが爆走するのが楽しみだった。 西沢とか大久保はBSで見てたけど城は全然印象ないな >>79
スペインはタフで激しいリーグ
バレンシアやマジョルカ、エスパニョールもソリッドなカウンターのチームだったし小野はオランダの上位が最適 >>71 このときはマドリーやバルサはそんなに強くなくアトレチコは2部に落ちた時代、巧みな戦力補強とイルレタマジックで優勝したのがデポルであった。 アホ臭
国から仕事もらって偉そうに
自衛隊に納品する業者とかカスしかいねーから
あんなカスらが納税しても意味ないんだよ
国からもらって国に納税
倍以上納税して当たり前 >>46
大久保はデビュー戦でいきなりゴールとアシストして「これかなり行けるんじゃね?」と期待したんだがな
バルサやレアル相手でもドリブルはそこそこ通用してたし
なんで失速したんだろう マスコミの言う称賛ってのは、このレベルの事だなとしか >>74
国内フレンドリーは基本ウザいのは同意するが
あの時はトルシエの首がヤバくなり始めてて中国戦は一種の留任テストみたいなもんだった
それで0−0で次の韓国戦で追試でそこでも負けて解任不可避の状況になった
その後に揉めに揉めてハッサン2世〜キリン杯で最終評価する事になって解任回避したが >>93
マラドーナが足をへし折られたスタジアム? キレやポジショニングで勝負すりゃよかったのなポスト要求されて筋肉つきすぎて終わったよね >>4
その2得点は1試合で取ったから残りの14試合はゴール無しって事だもんな 今になって思うとあれが最後の上昇時やったんやなと思うわ >>46
代表で微妙なやつばかりだよな
久保君が例外になるかもしれんが >>56
大久保は中田や本田レベルの肝っ玉のでかさあったのにな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています