【ボクシング】辰吉丈一郎“不屈の原点”振り返る アンチが8割「あの頃があったから今がある」 [砂漠のマスカレード★]
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1990年代、日本ボクシング界は一人の男が中心だった。WBC世界バンタム級王座に3度就いた辰吉丈一郎だ。国内最速(当時)の8戦目で世界奪取、
度重なる眼疾、世界戦3連敗からの返り咲きなど強烈なインパクトを与え続け、試合から遠ざかった今も現役を名乗る。5月15日で50歳を迎えた“浪速のジョー”が独占インタビューに答えた。
時代の寵児(ちょうじ)として生きた辰吉にも「アンチが8割」という時代があった。「あの頃があったから今がある」と言う、不屈の原点を振り返る。
◇ ◇
50歳の辰吉は現役だ。ただ金はボクシングで稼ぐと決めており、副業も資産運用もせず、今は自分の拳で稼いだ糧で暮らしている。
「お金って人が作ったもんやん。それでみんな仕事したり物を買ったりするけど、お金に惑わされてないかな。世の中は金やと言う人もいるけど、俺は世の中はここ(心)やと思うねん。
お金はすごく大事やし魅力的なもんよ。でも、それで(すべてを)測るのは違うと思うんやけど」
かつて世界戦ではガウンやトランクスにスポンサーをつけず、家族の名前だけを入れた。CM出演依頼もほとんど受けなかった。ぜいたくに関心を示さないのは今も同じだ。
「家は賃貸でもう30年近く住んでる。(服は)ずっとジャージーよ。ジムにはコンビニ袋。驚異的に長く破れない。あれでラスベガスに行った時はびっくりされたけどな」
価値観の原点は、父粂二さんとの貧しかった暮らしだ。「父ちゃんに楽をさせたい」と五輪候補を蹴ってプロになった。稼いでその価値を知った。だからこそとらわれない。今根底にあるのは「はい上がってやる」の思い。その不屈の精神が芽生えた瞬間がある。
「当時は日本人は世界戦で弱いと言われてた。(4戦目で)日本王座を獲って、見とけ、ワシがおる!ってよう言うてたんよ」
当時国内最速8戦目。世界王者不在の空白を埋めた超新星に、日本中が沸いた。
「そうしたらファンレターがすごかった。いや、ファンちゃうな。『死ね』とか『お前なんて負けたらええねん』とか『負ける姿を楽しみにしとくわ』とか、最初はアンチが8割。生意気言うたんは俺やから、そらそうやなと思ったよ」
眼疾でリングを離れてから“炎上”はさらに強まった。
「入院して部屋から一歩も出られないからファンレターを見る。でも『頑張って』なんて一切ない。『ほら見たことか』『バチが当たったんじゃ』って。俺が負けてグチャッてなってる絵をすごいリアルに描いて送ってくる人もいて、そらすごかった」
さすがに心が折れた。しかし、その罵詈(ばり)雑言こそが、後の人生をつくったと言う。
「父ちゃんとるみ(妻)に言われた。注目されてる人間は、何かを手にすると悪く言われるもんやって。デビューした時から散々えらそうに言うとった。それは自分がまいた種や。悔しかったらはい上がってみいって。
父ちゃんはチャンピオンになってやめさせたがってたからカムバックせいとは絶対に言わん。でも、やれるもんならはい上がってみいとは言うた。誰も何も言わんようになるって。それでカムバックを決めた」
93年、網膜乖離の手術からの退院会見は、当時のルール上「引退会見」となるはずだった。しかし、何のメドもない中で辰吉は「僕はボクシングがやりたい」と再起を宣言した。あれから27年。
「あの頃の気持ちと変わりがないと言えばうそになるけど、あの時代があったから、今もぶれてない、狂ってない。まだ、今の自分にできることがある。だから幸せやで」
◆辰吉丈一郎(たつよし・じょういちろう)1970年5月15日、岡山県倉敷市出身。中学卒業後に故郷を離れ、大阪帝拳に入門。アマで全日本社会人選手権優勝などを経て、89年プロデビュー。
4戦目で日本バンタム級王座、8戦目でWBC世界同級王座を獲得。3度の戴冠、2度の王座奪回を果たす。プロ通算28戦20勝(14KO)7敗1分け。家族は妻のるみさん。
2人の息子は結婚して孫が1人。プロボクサーの次男・寿以輝(23)=大阪帝拳=は日本スーパーバンタム級8位。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200516-00000014-dal-fight
5/16(土) 7:30配信 >>1
辰吉のアンチなんていたか?薬師寺保栄のアンチならいっぱいいたけど。 原田に散々ガードが低い言われたけどやっぱり正しかったな! レクサス出始めにLS600新車を魔改造して
くそ贅沢してたやん アンチが八割とか絶対嘘
薬師寺戦の時なんか日本の9割が辰吉応援してたわ 今じゃアンチもゼロだろうな…
(もう誰もこいつに関心無い) >>13
世間は辰吉一色、マスコミも得意のエコ贔屓で辰吉応援
あの空気で勝った薬師寺スゲーと思ったわ 2ちゃんなかった時代だったけど
辰吉の悪口は聞いた事ないな
アンチなんかいなかっただろ しいていえばデビュー前から注目されていた中
「1度でも負けたら引退する」って何回も言ってた
亀田2の切腹発言よりインパクトがあった >>10
辰吉の唯一の趣味は車だけ
だがコロコロと何台も乗り換えたりはしない
10年どころか20年近く同じ車にのり続けるし1台だけ
そもそもタニマチからの
プレゼントだからなw 優しいヤンキーみたいな感じ
ガチンコファイトクラブで、ただ一人本当にガチンコだと思ってたという逸話は忘れない 薬師寺戦、割れるような試合じゃなかったよな。はっきりと薬師寺の勝ち。試合
が終わった後も自分が勝ったと思わせる
雰囲気なかったもん。 >しかし、何のメドもない中で辰吉は「僕はボクシングがやりたい」と再起を宣言した。あれから27年
27年て…。ジムやればよかっただろ… >>24
分かるわ
強くて堂々としてるんだけど威圧的じゃなく優しい
理想の親父だよな >>16
アンチなんて昔から陰に隠れて馬鹿やらかすもんだろ >>1
まだギリギリ40代で孫いてるおじいちゃん。 >>1
若い時から滑舌悪いと何度言っても、毎回飽きずに
パンチドランカーガー連呼アホ >>32
馬鹿やらかしてた気配もない
目に入らないアンチなんていないのと同じ >>6
日本ランカー戦か日本タイトル戦かおもいだせないけど深夜のボクシング番組があって
なにわのジョーを初めてみたときの彼の印象はかなり悪かった 単なる生意気で観てて
負ければ良いのにと感じた 少なくとの8割以上の人がそう感じるであろう立ち居振る
舞いだったとおもう 俺は彼が世界で勝った時とても嬉しかったが反面、彼を嫌ってい
た自分を清算しなければならなかったけど ”エンタテイメントしてるんだ”って気づい
たというよりも気づかされたんだが...その辺がファンとアンチの分かれ目な気がし
てならないんだよね >>37
まぁキャラ考えたら、初見でファンになったり好きになる方が2割ってのがせいぜいだからなw よく網膜剥離さえなければという人がいるが
俺はヤス戦直前の骨折さえなければ、だと思う
てか今考えたら延期せずにあのままやらせた帝拳はアホちゃうか
辰吉は訴えていいレベル いつも試合後顔がボコボコだったよな
全盛期でも井上とやったら1Rもたんやろな 俺、辰吉が贅沢したの知ってるよ。
バーチャファイター2が好きで筐体で買ってたろ…と思ったけどアレももしかしたらタニマチのプレゼントかも。 何か自分のマークみたいのがあって、ぶっとい金のネックレスのトップや当時の現行セルシオのエンブレムの部分とかがそのマークだった記憶がある
奥さんも今でも素敵だけど当時は若くてとびきり綺麗だったな 何と言われようがボクシングをあんなに見たいと思ったのはあの頃の辰吉がダントツだな。強いとか弱いとかアスリートとしての優秀さとか、そういうのは違うよくわからん感情でムネアツだったわ。 でも辰吉見てボクシング始めた奴むちゃくちゃ多かったからな
実際そっからチャンピオンいっぱい生まれとるし、おらんかったら日本のボクシング界ぜんぜん違ったで
亀田んときはそういう現象ほとんど無かったからなあ 薬師寺戦とベルト戴冠は無理だと思われてた97年シリモンコンの試合は異常な盛り上がり
ボクオタじゃないけど、その試合だけは知ってる ガチンコファイトクラブに黒のセルシオで乗り付けて現れて
ホイールのセンターキャップに「Joe」の刻印があったことだけ覚えてる。 >>48
>最初はアンチが8割。生意気言うたんは俺やから、そらそうやなと思ったよ
↑これが辰吉
一方亀田はお父ちゃんが出てきてなんで20歳そこらの子供にそんなこと言うんや!て怒鳴った
そら憧れられんは 若い頃の写真が亀田にそっくりで部落って顔のパターン少ないんだなって思った 自分は他人の悪口を言って許してもらってたのに、
言われたら吐いたつばはのまんとけで許さない狭量なんだよなあ。
畑山が竹原を通して謝ったのに許さないんだから。 早く井上とやって欲しい
かすっただけで倒れるだろうけど 俺2割だったのかw
確かに言動はアレだったけど、同い年だし応援してたわ 辰吉、赤井は人気があったな。
それに比べてあの3兄弟は。
親父のユーチューブ人気は本当に意味がわからん、不快感しかない。 ガンガン撃ち合うボクサーは日本人には人気あるだろ? 辰吉が天才、最強と呼ばれたのは
社会人(15、6歳でアマチュア王者)
になり、プロボクシングで世界王座
を獲ったときまで。その後は網膜剥離
で流血試合をしドランカーになってしまった。
社会人のころに騒がれた。 >>10
そのレクサス見たことあるわ
交差点の横断歩道に被せるように止めてたw ヘッドギア有で、全勝全KOは
衝撃的だった。プロ入り前に鳴り物
入りで騒がれたスターの一人だった。
網膜剥離は本来強制引退だが、JBC
の辰吉特例の現役続行は問題になった。 知能的に遅れてるんではと、父親や本人を見ると感じてしまう >>67
シャイで口下手なだけ
馬鹿はボクシングのチャンプにはなれない 確かに最初は辰吉に対してモヤモヤした反感みたいなものがあったはずなのに
いつの間にかファンに >>59
>竹原を通して
笑笑
それが本当ならこの時点でもうあり得んだろう普通に考えてw
普通の人間なら許すわけないし
ただ単に畑山のヘタレさと不誠実さが浮き彫りになるだけ >>73
畑山は辰吉の試合見てプロボクサーになった。その辰吉の言うこととやることが
違ってきてて、そこに憤った。辰吉も痛いところ突かれたと思ってるだろう。
当たってるだけに、だからこそ許せないと。まぁ直接会って頭下げたら
許してくれるんじゃない?w >>67
知識と知恵は別物
生きていくのに大事なのは知恵 だいぶ盛ってるな。ファンレターが大半で、一部そういう心無い手紙が混じってた
ってだけでしょう。だから鮮明に記憶に残ってるわけで。 >>29
俺はちょっと怖かった、ちゃんとガチンコワールドやってくれんのかな?って
ちょっと君、ボクシングなめてる?みたいな不穏な空気を感じてヒヤヒヤしてた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています