【野球】反骨の165勝右腕、37歳のテスト生での再出発【西本聖・最後の1年】 [砂漠のマスカレード★]
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◆『男たちの挽歌』第18幕:西本聖
「歳はとるものじゃない。“食う”もの。つまり“食べちゃう”んだ」
【画像】西本聖の主要成績一覧
現役晩年の長嶋茂雄はそう言ったが、そのミスターに育てられたある投手も野球に対するハングリーさでは誰にも負けていなかった。まだこんなもんじゃない、まだ終わらない。わずか4勝に終わった32歳のベテランが、翌年に移籍先で20勝投手に。かつて、トレードをきっかけにそんな劇的な復活を遂げた男がいた。1989年(平成元年)の西本聖である。
巨人では通算126勝を挙げ、81年には18勝で沢村賞と日本シリーズMVPにも輝いた右腕は、88年オフに中尾孝義、加茂川重治との交換トレードで星野仙一監督率いる中日へ移籍する。
当時の西本は80年から交互に開幕投手を務めていたライバル江川卓の引退、皆川睦雄投手コーチとの確執(球団批判で罰金200万円が科せられた)、さらに桑田真澄、槙原寛己、斎藤雅樹ら20代前半から中盤の若く勢いのある投手の台頭もあり、巨人に居場所はなくなりつつあった。王貞治監督が退任後、復帰した藤田元司監督はチームの世代交代を押し進めようとしていたのである。
◆ ストロング・スタイルの申し子
西本は74年の第一次長嶋政権発足時に松山商からドラフト外で巨人入り。大学で内野手に転向して再出発と思っていたら、まさかのジャイアンツからの誘いだった。
左足を頭より高く上げる星飛雄馬ばりのダイナミックな投球フォームで、同期のドラ1定岡正二を強烈にライバル視。自分は契約金800万円に背番号58、サダ坊は契約金3000万円にエース級の背番号20だ。ちきしょう、いつか必ず追いついてやるぞと反骨の男・西本はガムシャラに成り上がる。
3年目には一軍で8勝を挙げ定岡の先をいき、今度は“空白の1日”騒動で入団してきた怪物・江川に追いつき追い越せと野球人生を送ることになる。当時、巨人のチーム全体が背番号30に対して微妙な距離感を取っていた。定岡や西本も同世代の怪物投手をなんて呼ぶのかを話し合ったという。
年齢は江川がひとつ上だが、プロでは自分達が先輩。結果、落としどころは「スグルちゃん」。西本は江川のキャッチボール相手まで務めることになるが、しばらくはスグルちゃんを追いかける一方的な片思いだった。どんなに「打たれろ、負けろ」と念じても、涼しい顔で瞬く間にエースの座に登り詰めた天才投手・江川卓に勝つには猛練習しかない。
少しでも長い距離を走ろうとランニングでは常にコースの外側を走り、内野手のノックが下半身強化に良さそうだと思えばコーチに自分にもやってくれと願い出る。グアムキャンプではひとり浜辺でダッシュする姿が激写されたこともある。貪欲だが、それを目立ちたがり屋だと煙たがる同僚もいた。
記者投票で江川が敬遠され転がり込んだ沢村賞には、チーム内から祝福の声はほとんどなかったという。皆川コーチと衝突した際は、ゴルフでの和解劇も空振りに終わり、周囲から「ニシ、もっと大人になれよ」と諭されたこともある。
そう、ストロング・スタイルの申し子・西本はガチンコだった。
『ベースボールマガジン』2017年6月号の定岡との対談では、最近の球界について「仲良し軍団になったよね。WBCでみんなで日の丸背負った影響もあるけど、普段の試合で、ツーベースを打った選手がセカンドを守っている選手に「ナイスバッティング」と言われて笑ってる。ああいうのは、お金を出して真剣勝負を見に来ているファンの方に失礼じゃないかな」と苦言を呈している。
5/14(木) 11:00 Yahoo!ニュース
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https://i.imgur.com/ZUmyjV1.jpg 西本は沢村賞の時でも3勝したら2敗するやつだったから 西本に関しては是非、海老沢泰久の「ヴェテラン」を一読してほしい 江川とふたりで当時を振り返る対談では「卓ちゃん」って読んでたね >>1
最終年ポンコツなのにお情けで獲ってもらいながら、引退後阪神コーチ時代に
「俺を見捨てた巨人を見返す」
江本江夏加藤哲みたいなマスゴミの創作なのかも知らんが、恩知らず グラウンドは戦場だ。気迫を前面に押し出し、内角を抉るシュートで打者と対峙する。中日へ移籍したばかりの三冠王男・落合博満に対しても、臆することなく開幕戦で全球シュート勝負を挑み3本の内野ゴロに抑えた。
そんな愚直な男のプレースタイルを高く評価したのが闘将・星野仙一である。86年に6年連続二ケタ勝利が途切れて以降は、度々トレード候補として名前が挙がり、西本はもう終わったという声すらあった。しかし、星野監督は88年わずか4勝の32歳右腕を、元MVP捕手の中尾をライバル球団に出してまでトレード獲得したのである。
◆ 雑草男の矜持
西本は藤田監督の元を訪ね、一度は残留を訴えたほどYGマークに愛着があったが、放出されるならパ・リーグかと思ったら古巣と戦えるセ球団への移籍だ。「よし、だったら巨人を見返してやるぞ」なんて雑草男のハートに火がつく。やはりこの男は巨大な敵に立ち向かってこそ真価を発揮する。
当時の“ケンカ野球”と言われた星野中日のチームカラーも西本には合い、89年に巨人から5勝を挙げ、20勝投手に。キャリア初の最多勝と最高勝率のタイトルを手にした。まさに前年の4勝から劇的な復活である(今の球界で言えば、87年6月生まれで今年33歳になる巨人の野上亮磨が唐突に最多勝争いをするようなサプライズだ)。
交換相手の中尾も新天地では強気のリードで若い巨人投手陣を引っぱり日本一に貢献、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。両球団にとってwin-winのトレードとなり、両者にはカムバック賞が贈られている。
移籍2年目の90年に11勝を挙げた西本は、3年目も春先から好調だったが、椎間板ヘルニアを患いロサンゼルスで手術を受ける。翌92年は1勝11敗に終わり、中日を自由契約後、オリックスへ。年俸8000万円から5000万円ダウンの3000万円での再スタートを切ったが、まだイチローになる前の無名の鈴木一朗が1番センターでスタメン出場した試合で、西本が先発マウンドへ上がる昭和と平成を代表する選手の運命が交錯するシーンも見られた。
この年、5勝を挙げるも出来高払いを巡り球団側と衝突し自ら自由契約を申し出る。数日後に電話を掛けたのは、前年93年から巨人監督に復帰していた長嶋茂雄の元だ。そして、西本はテスト生として「最後の1年」に臨むことになる。 YGマークでの最後は…
94年巨人春季キャンプ、背番号のないユニフォームを着る37歳のテスト生がいた。2度のテスト登板に、1試合の追試。西本の著書『長嶋監督 20発の往復ビンタ』(小学館文庫)によると(それにしても「20発の往復ビンタ」って本のタイトルからして内角ギリギリを抉ってる)、急遽追加された3試合目は「西本さんが投げるんだったら、僕が守ります」と慢性的なアキレス腱痛に悩まされていた原辰徳が三塁守備に就いたという。80年代にともに巨人を支えた盟友からの気遣い。
なんとか合格を勝ち取った西本は、往年の背番号26ではなく、自身の新人時代に長嶋監督がつけていた90番でプロ20年目をスタートさせる。しかし、だ。当時の堀内恒夫投手コーチが東京スポーツで「オレが西本を使わない全理由」をぶちまけ騒動になる。自著によると、年末に西本は堀内を訪ね、「入団してきたら俺はおまえを起用する」と言われたはずが、「あいつにテストを受けるなと言った」に変わっている。いったいなぜ?
ともかく直属の上司にここまで嫌われてしまったら、もうチャンスはない。二軍ではハタチそこそこの若手から「西本さん、よくプッツンしないでやれますね」なんて心配されたこともあったという。何の仕事も、年下の後輩から同情されると惨めだ。
窓際の38歳は、結局一軍で1試合も投げることなく、あの中日と戦った130試合目の同率優勝決定戦も西本はテレビで観た。そして、優勝決定の翌日に長嶋監督に電話を掛け、10月13日に引退会見を開くことを伝えるのだ。
翌95年1月21日、多摩川のグラウンドでささやかな引退試合が行われる。有志主催の手作り感溢れる雰囲気だったが、過去のチームメイトたちに加え、なんとミスターもサプライズで登場。始球式だけでなく代打で打席にも立ち、西本からボテボテの三塁内野安打を放ち盛り上げた。
巨人で126勝、移籍後に39勝を積み重ねた反骨の男。なお通算165勝はドラフト外入団投手では史上最多だ。
さて、その西本が若手時代から尊敬し憧れ、80年11月の引退ゲームでファーストミットを記念に貰った選手がいる。世界のホームラン王、王貞治である。
(次回、王貞治編へ続く) 1981年の沢村賞は江川憎しより西本への人情選考。 堀内に嫌われてたおかげで全く使われることなく引退したのは覚えてる >>23
監督は長嶋茂雄なんだから堀内恒夫が反対しようが
独断で上げられる
それでも上げなかったということは長嶋もお情けで
拾ったということでしかないんだろう 雑草魂の代表選手だな。栄光の巨人軍ドラ1入団の上原は雑草なんかじゃない。 最終年は10・8の年。
引退試合をシーズン終盤にやるはずが、チームが独走→失速で余裕無くなった。
カッコつけてチーム主導じゃなく、多摩川グラウンドでやるも震災と重なって空気嫁。
ツイてない。 >>32
もう上原ネタ飽きた。ドラ1なるまでが雑草。 江川は常に余裕がありそうだったし首捻りが多いが顔に出ない
原はニヤニヤしてたし
子供の頃は一番ガッツがありそうで好きだったな 巨人最後の年に、西本が打たれたボールがレフト方向に飛び、明らかに観客がグラブでスタンド前で取ったのにホームランになった。
その時ベンチから抗議が無かったときに、出されると感じたよ 中日1年目の89年21勝目をかけたシーズン最終登板で大事なとこで一茂に打たれて勝ち星逃がして
「もし勝って21勝だったなら沢村賞とれてたかも」と言っていたが
仮に21勝しててもあの年は斎藤雅で決まりだろう >>39
イニング数が1回2/3上回ってるのを除くと全部
負けてるからね
この年は防御率1点台が3人(斎藤・槙原・大野)
そりゃあ初回からバントもするよ
先制中押しダメ押しで計3点獲ったら勝ちだもん 最後巨人で終われば、引退後に「元巨人」の肩書きが付くからな。
(╯⊙ ω ⊙╰ ) 斎藤雅(読) 30登板(30先発) 21完投 245.0投球回 防御率1.62 20勝(*7敗) 勝率.741 182奪三振
西本…(中) 30登板(30先発) 15完投 246.2投球回 防御率2.44 20勝(*6敗) 勝率.769 *96奪三振
桑田…(読) 30登板(30先発) 20完投 249.0投球回 防御率2.60 17勝(*9敗) 勝率.654 155奪三振
阿波野(近) 29登板(28先発) 21完投 235.2投球回 防御率2.71 19勝(*8敗) 勝率.704 183奪三振
西崎…(日) 27登板(27先発) 17完投 208.0投球回 防御率3.55 16勝(*9敗) 勝率.640 164奪三振
渡辺久(西) 29登板(28先発) 17完投 226.2投球回 防御率3.41 15勝(11敗) 勝率.577 174奪三振
すごいのが何人もいた89年の沢村賞選考
斎藤が両リーグ唯一の選考基準オールクリアで勝ち星20勝台・防御率1点台の大台とくれば仕方ない
西本もちゃんとした沢村賞が欲しかっただろうけどな ちゃんとした沢村賞
星野仙一「せやな」
松岡弘「せやせや」
1974年の星野は15勝だが先発勝利は1桁
ソースはベーマガ >>28
平松とかトンビのはカミソリだけど、西本のはシンカーっぽくない? >>23
堀内が何か以上に嫌いだった記憶あんだけど、
そうだこの西本開幕のやつで嫌いになったんだ
何であんな事になったの?本当は長嶋ご嫌ってたのに、代わりに無理矢理泥かぶったの? >>47
89年から両リーグが選考対象
平成になったからなのかもしれんがなぜこの年からなのかはわからん
もっと早くからやってればたとえば88年は西崎が受賞だったろうし
87年は桑田か工藤かで意見割れてたろうな 西本と言えば日本シリーズに尽きるだろう
シリーズでは常に巨人を背負い輝いていた
あの西武とのシリーズで勝てば、巨人軍の歴史の中で伝説になっていただろうな シュートを投げるピッチャーっていなくなった気がするが、やっばり肘に負担がかかるのかな >>51
上手投げだと手首もひねるから肘に来るからなぁ。 >>50
対西武戦の時の日本シリーズでは江川より頼りになってた。 兄もプロ野球にいたな
日本人なのになぜか在日にされてて韓国移籍もうわさされたことがある 結果として、沢村賞を取れなかったことで江川は許された。 >>56
>>53
千鳥の大悟みたいな小さい島育ちで親戚全部わかってる家系で
チョンなんか全然無関係なのに
チョンどもの側から勝手に妄想の同胞同一視してるケース 江川事件で江川と巨人フロントのゴタゴタのせいで全然無関係なのに、流れ弾の巻き添えで阪神に飛ばされた人いたよな。 >>1
まずこれはニュースでも何でもないし、
書いた者が取材した記事でもない。
違和感があって調べたら単なるブロガーが過去の情報を切り貼りしてるだけ。 >>58
20勝もすごいが33歳で246.2イニングや15完投もすごい >>64
芸スポとニュー速+なんか、TVで観た・ラジオで聞いた・記事で読んだとか
そんなのばっかりだろ、あほ。何を今さら 家が火事で奥さんが大やけどをしたんだよね
良くなったんだろうか 13被安打完封勝利とか訳の分からない長試合演出。
評論家としてはこの人のコラムはかなり良いイメージ。 そんな西本を上手いこと操縦してた藤田元司は偉かった。
中日の大活躍も、元投手の星野仙一だったのがデカイ。 >>43
130試合制で先発30登板、今は143試合制でチームのエースが26前後の登板
20勝できないのは本人の実力ではなく、登板数が少ないためのハードルの高さよ 子供の頃に見てたときは頭の薄い投手だったが、そんな俺も禿になるとは・・・ >(今の球界で言えば、87年6月生まれで今年33歳になる巨人の野上亮磨が唐突に最多勝争いをするようなサプライズだ)
野上へのナチュラルなdisに笑った >>71
先発登板数に登板間隔は関係あるがチームの年間試合数は関係ない
全試合消化する日数自体は130試合制のころも今もほとんど変わってないから
130試合が143試合だろうと数日に一度の出番の先発投手の登板数には影響しない
(試合数が増えた分全試合消化に半月ほど多く日数がかかるようになったってのなら話は別だが) >>70
藤田さんは糸井重里との対談読むと人柄がわかる
任せてくれて万一の責任はきちんと取る昭和平成初期の面倒見のいい頼りがいのある理想の上司 >>30
そうとも言い切れない
野手監督の場合、投手コーチの機嫌損ねたら面倒な事になる
仰木と権藤とか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています