【野球】天国から20年ぶりの着信 炎の中継ぎエース・藤井将雄さんが死去直前に残した言葉 [砂漠のマスカレード★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
プロ野球はいまだに開幕が見えない。4年連続日本一を目指すソフトバンクの生の戦いをファンに伝えられない中、弱小軍団と呼ばれた時代からひたすらホークスを追い続けてきた西日本スポーツならではのコラム「鷹番は見た」を企画した。歴代担当記者があの日、あの試合、あの出来事を振り返る
着信履歴に「ふじいまさお」
今から20年前の2000年10月13日。列島が「ON対決」で沸いた日本シリーズの開幕直前、福岡ダイエー(現福岡ソフトバンク)の「炎の中継ぎエース」こと、藤井将雄さんが肺がんのため、31歳でこの世を去った。現在の投打の主力でもある千賀は7歳、柳田は12歳の少年だった。ダイエー初優勝時の主戦だった現ソフトバンクの工藤公康監督、主将の秋山幸二さん(本紙評論家)ら先輩からかわいがられ、後輩から慕われた熱血漢。私は藤井さんの携帯番号を消さないままにしている。先日、着信履歴があった。「ふじいまさお」と表示されていた。
本名が「政夫」で登録名が「将雄」だった藤井さんの番号を、私はどういうわけか平仮名で入力していた。不思議なこともあるんだな、と感じたところで、ふと一軒の焼き肉屋を思い出した。「ひょっとしたら、たまにはお店に顔を出せよ、と言っているのかも」。そう解釈し、千葉・浦安の「大同苑」に久方ぶりに電話を入れた。藤井さんと同い年の私が初めて連れられていった店。「今は出歩けないでしょうが、(コロナが)落ち着いたら、また食べに来てくださいね」。藤井さんのことを知る従業員も懐かしがってくれた。
私が藤井さんと一緒に訪れたのが1999年8月、ダイエーの千葉遠征で「肉でも食ってスタミナを付けようや」と誘われた。人と煙と活気に満ちた店内の雰囲気は藤井さんの人柄とダブっていた。初優勝を目指していた当時のダイエーは首位を死守しながらも西武の追い上げを受けていた。店で藤井さんと何を話したのか、あまり覚えていない。記憶にあるのは先輩の工藤投手のこと。優勝の経験者が数えるほどのチームで、若手に「もっとやれ」「もっとできるはずだ」と声を大にしていた工藤投手は嫌われ役を買って出た。その思いとは裏腹に、一部でブーイングも起きていた。
「工藤さんが言ってること、俺は間違ってないと思うよ。」
「工藤さんが言ってること、俺は間違ってないと思うよ。誰だって嫌われたくないやん。それに人に嫌なことを言うのって、すごいエネルギーがいることやし。言われて悔しかったら『負けてたまるか!』って見返したらいいやん」
威勢のいい口調の一方で藤井さんは盛んに口に手を当てていた。それが気になった。「最近、せきが止まらんのよ。ちょっと風邪をひいたかもしれん」。風邪どころではなかった。肺が病魔に侵されていた。気力で投げていたのだろう。4番手で登板した8月15日のロッテ戦。藤井さんは3回1/3を無失点に抑え、その年の「鬼門」だった敵地千葉でのチーム初勝利をもたらし、自身も勝利投手になった。プロ通算13勝目。翌年亡くなる藤井さんにとって現役最後の白星となった。
「勝利の方程式」の一角としてだけでなく、マウンドを離れても工藤投手らベテランと若手の“つなぎ役”だった。入退院を繰り返した2000年も2軍戦6試合に登板。「負けてたまるか!」を貫き、福岡ドーム(現ペイペイドーム)が見える病室から仲間を励まし、最後は10月7日のダイエーのリーグ連覇を見届けるようにして旅立った。息を引き取る直前、私は「ふじいまさお」から携帯電話に連絡をもらった。声の主は本人ではなく、看病で付き添っていた方からだった。家族に代筆してもらった日記をファンとチームメートへのメッセージ「皆様へ」として文章にしてほしいという、病床の藤井さんから私への依頼でもあった。
5/13(水) 11:07 Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200513-00010003-nishispo-base 「俺は幸せな人生だった」「王(貞治)監督やチームメートの心遣いが心からうれしかった」「病気になってよかった」−。日記には病を恨むことなく、愚痴一つこぼさず、感謝の気持ちだけが記された。藤井さんは覚悟を決めたのだろう。9月26日には「そろそろ引退を表明したい」と口を開き、家族にこう伝えたという。「これからは違うマウンドに立つよ。ボールじゃなくて、お世話になった人に真心を投げ返していきたい」−。私は一つ一つの言葉を確認するために、電話口から付き添いの方へ向かって読み上げた。途中から声にならなかった。こみ上げるものを我慢するだけの根性は私にはなかった。
あれから20年の月日がたった。今年のプロ野球は3月20日の開幕が延期となり、ウイルスの猛威にさらされながら、既にいくつかの季節が過ぎ去った。桜は散り、薫風が吹き、梅雨を前に、ようやく球音が近づいてきた。20年ぶりにかかってきた“電話”が誰からだったのか結局分からない。かけ直してもいない。それでも、私は信じたい。天国のマウンドでプレーボールを待ちわびる背番号15。きっと誰かに喜びの声を伝えたかったのだろう。 (西口憲一) 藤井の闘病のニュース聞いたとき
徳光が藤井が生死に関わる病気に
なってるって
これで巨人が勝てると満悦の笑みで嬉しそうに
いった記憶があるけど誰か覚えてる? これは記事にもエッセイにもならんな
内容と文章力どちらも不足している >>3
違うぞ。
そいつは移籍したやつ
ググれば出てくる 藤井が死んだ年の日本シリーズはダイエー対巨人
ダイエーは藤井の遺志を受け、巨人は選手の不祥事を隠そうと必死で正の力対負の力の争いになったんだけど
不祥事から挽回しようとする巨人の負の力が勝って巨人が優勝したんだよな >>17
あの時は確か福岡ドームが
医者の学会か何かのせいで
日本シリーズの予定通りに使えなかったんだよな… >>20
学会のせいではなく、そういう予約を受け付けた福岡ドームと、それをチェックしていなかった球団側が悪い
学会側は可能な範囲で譲歩して球団側に便宜を図った >>7
津田は書籍化にドラマ化に、果ては殿堂入りまでいってる >>9
全然知らん。
けど、選手としては最大限の評価を下してもらったことになるかも 知り合いだった若田部の娘が番組で泣いてたけど絶対覚えていないだろ いや、なんでスルーしてんのよ
不思議なこともあるもんだで済ますなw
折り返して確認しろや 同じ番号の携帯契約した別人がたまたま間違い電話かけてきた
ただの偶然よね 「分かる人にはわかるヤバいやつ」NHKでパチンコ店の様子が報道されるも“写っちゃいけない写真“が放送されていた
http://mozizi.portalinc.org/yd?q8uu7/ewx4gd24l7b.html
居酒屋が出していたテイクアウトのお弁当で『うに丼1枚まるまる弁当』が1000円で売られていたので気になって注文してみたらとんでもないものが来てしまった
http://mozizi.portalinc.org/lr?hty13ebxbi/1a7hcjc5acc.html >>1
まーた ソフトバンクかよ
おい、このCM、本当にいい加減にしろよな。
在日朝鮮人の帰国事業を進めようとした白洲次郎が白犬に、犬の子が黒人、その妹は日本人…
この白戸家の設定には あらゆる箇所に悪意があり、「ケセッキ」という朝鮮語に行き着く
白戸家…ソフトバンクCMに登場する架空の家族
http://rekisi.amjt.net/?p=5025
. >>9
そのネタってなんでこの
ご時世で証拠が出てこないんだろうね
テレビ放送で発言したなら裏取れる筈だけど 20年ぶりにかかってきた“電話”が誰からだったのか結局分からない。
いたずら電話だったかもってこと?
よく分からない文章だな 命と引き換えの優勝といえば 牧野茂さんですね
津田とか藤井なんて雑魚だよ 同じ番号の人からたまたまかかってきたのか
自分も死んだお袋や高校時代の同級生の電話番号まだ電話帳に入れてるわ
いつかかかってくるかもなって 全く読んでないんだけど、いつもの美談?
そんなことより朝日大野球部のホームレス老人なぶり殺し事件はどうなったの?
犯罪史に残るレベルの凶悪快楽殺人なんだから、しっかり事の経緯報道してほしい もう藤井を知ってるってだけでオッサンだよな。今の学生で知ってる奴はよほどレトロ野球フリークじゃない限り知る訳ない >>45
ペイペイドームになって以降は知らんが
ヤフオクドームの15番ゲートを利用した事があれば
今でもある程度の事はわかると思うけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています