【プロレス 】ジャンボ鶴田さん没後20年の命日に“最強説”出版…元週刊ゴング編集長・小佐野景浩さん「永遠の最強王者―」 [砂漠のマスカレード★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
初代三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田さん(享年49)が2000年5月13日に亡くなって今年で20年になる。全日本プロレスでは毎年、5月の東京・後楽園ホール大会でジャンボ鶴田メモリアルマッチを行ってきたが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止に。鶴田さんの命日の13日に「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」(ワニブックス、1800円+税)を出版する元「週刊ゴング」編集長の小佐野景浩さん(58)に今でも根強い「鶴田最強説」について聞いた。
ジャンボ鶴田さんが亡くなって20年になる。本来ならばこの鶴田本も没後20年メモリアルマッチの会場で売られるはずだったが、ファンは自宅で読んで追悼するしかない。CS「全日本プロレス中継」の解説を務めている筆者の小佐野さんは「現在は無観客のテレビマッチ限定になってますが、放送席で見ていて、選手のモチベーションはむしろ上がってますよ」と言い、同じ中大出身の現三冠王者・諏訪魔(43)らが、鶴田さんから受け継がれた全日本のリングを守っている。
「鶴田さんは、天才だとか無尽蔵のスタミナだとか、“日本人レスラー最強説”が根強いんですが、なぜ日本マット界のナンバーワンになれなかったのか。それを誰も解き明かしてこなかったんです」。80年に記者として出会ってからの20年に及ぶ取材の蓄積、資料の検証、そして新たに兄・恒良さん(70)、レスリング関係者、天龍源一郎(70)、長州力(68)らプロレスラーへの取材を重ね、3年かけて592ページの分厚い一冊に仕上げた。
まずは、本人が自伝などで語ってきたサクセスストーリーの検証。誇張されがちなプロレスラーの伝説を否定しかねないところまで踏み込んでいるのは、鶴田さんとの信頼関係があってこそだろう。レスリング時代の実力について「すごかったところだとか、ウィークポイントだとか、長州さんたちレスリング関係者が語ってくれたのは収穫でした」。昨年に完全引退した長州は、ツイッターなどであけすけなキャラを出し始めているが、そんな今だからこそ鶴田論を引き出せた。取材者としての嗅覚はさすがだ。
「確かに礼賛ばかりになってないかもしれません。クーデター未遂事件やジャイアント馬場さんとの関係のことも書かせていただいた」と裏面史をしっかり押さえている。“熱血プロレスティーチャー”との異名を持つ小佐野さんは「馬場は天龍、三沢(光晴)にはピンフォールを許したが、鶴田にはついに一度も負けなかった」という事実も紹介している。
「鶴田さんは、プライドが高かったんですよ。熱くなるのはカッコ悪い、努力したというのはカッコ悪い。『銀座で酒を飲んでるのが偉いわけじゃない』なんて言ってましたから。天龍さんは『今を生きる』人だったけど、鶴田さんは引退後の『明日のために』生きていた。誤算だったのはまさか49歳で亡くなってしまったことなんです」。この本のサブタイトルは「普通の人でいたかった怪物」。そこに“最強説”が集約されているような気がした。(酒井 隆之)
◆小佐野 景浩(おさの・かげひろ)1961年9月5日、横浜市生まれ。58歳。中大時代に日本スポーツ出版社「月刊ゴング」「別冊ゴング」の編集スタッフになり、83年に入社。94年に「週刊ゴング」編集長に就任。同社出版担当執行役員を経て04年に退社し、フリーに。著書は同社時代に「SWSの幻想と実像」(99年)、「昭和プロレス維新」(00年)、「天龍同盟十五年闘争」(02年)の3部作、17年に「プロレス秘史1972―1999」(徳間書店)を出版。 プロレス専門誌「Gスピリッツ」(辰巳出版)の主力ライター。
◆ジャンボ鶴田 本名・鶴田友美(つるた・ともみ)。1951年3月25日、山梨県生まれ。日川高バスケットボール部から、中大でレスリングに転向し、72年ミュンヘン五輪出場。同年10月に全日本プロレス入団。84年2月にニック・ボックウィンクルを破り、日本人初のAWA世界ヘビー級王座奪取。89年4月、インターナショナル、UN、PWFの三冠ヘビー級王座を統一。95年に筑波大大学院体育研究科合格。慶大、中大などで非常勤講師、米ポートランド大で教授を務めた。肝臓を患い、2000年5月13日、フィリピンの病院で移植手術中に亡くなった。享年49。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200513-05090200-sph-fight
5/13(水) 8:00
https://youtu.be/ue4h3mGtPaU
入場曲
https://i.imgur.com/uO9tPXb.jpg
https://i.imgur.com/moWG3OY.jpg
https://i.imgur.com/5iaFdHO.jpg ◆小佐野 景浩(おさの・かげひろ)1961年9月5日、横浜市生まれ。58歳。中大時代に日本スポーツ出版社「月刊ゴング」「別冊ゴング」の編集スタッフになり、83年に入社。94年に「週刊ゴング」編集長に就任。同社出版担当執行役員を経て04年に退社し、フリーに。著書は同社時代に「SWSの幻想と実像」(99年)、「昭和プロレス維新」(00年)、「天龍同盟十五年闘争」(02年)の3部作、17年に「プロレス秘史1972―1999」(徳間書店)を出版。 プロレス専門誌「Gスピリッツ」(辰巳出版)の主力ライター。 ジャンボ鶴田ってバスケでオリンピック出られるまで行けないからレスリング転向して3年でオリンピック候補ってすげーのか
それとも、当時のレベルの低いバスケット代表にも入れない程度と思えばいいのかわからんな 鶴田が死んでそんなに経つんだな
じっくり読んでみるか 「ドリーさんは血のしたたるようなステーキと極上ワインだったが
ぼくにはスパゲティとコーラだった」 >>5
バスケはそもそもオリンピックに出られないかもと考えて
自分1人でオリンピックに出られるレスリングに転向した
結果的にはバスケも鶴田もオリンピック出られたけど
確実性を考えるなら個人種目だわな カブキ「鶴田最強説?わかってねーな(笑)長州の方が全然つえーよ。あの人はとてもスマートな人間だから鶴田を立てたんだよ」 >>9
なあツルタ、あのときオレは犬になりてえとつくづく思ったぜ… 存命だったら脳ベルShow出てTKJPやってたかな
つか、没後20年だと・・・そんなに経つのか ジャンボの勇姿を思い出せ!
と言われたとき
キチンシンクとショルダースルー(自爆)しか頭に浮かばない 超世代ファンも、鶴田の「オー!」には一緒に拳を突き上げていたな
ナチュラルにでかい選手って本当にいなくなった キチンシンクで悶絶する菊池の姿しか浮かばない
長州やハンセンもだが、ここぞというときに見せるドロップキックとか好きだった 鶴田が総合格闘技の試合をやったら、曙のように倒れそう 晩年は女の子のおっぱいみたいな胸になってて見ているこっちが辛かった 最強とか方向性の違う全日にいながらこう言われるのって
要するにプロレスの上手さとかでは語れることはないって事だよ 最後の鶴田×天龍の時の鶴田入場前に
ハンセン乱入して天龍にラリアットとかで襲撃したのってどういうアングル?
出ていく天龍への制裁? そりゃジャイアント馬場の顔面にドロップキックとか
そりゃ身体能力高いもん >>5
鶴田の階級は国内にはあまりやってる人がいなかったんじゃなかったかな あと、鶴田が生前
「オレが負けた試合ってなぜか高く評価されるんだよな」
そりゃ強いと思われてるわな 鶴田が死んだ時は次は小橋だろうかと思ったけど
橋本や三沢はまさかのショックだったな >>10
だな。
失神バックドロップはヤバイ。
キレて本気だしたら相手のレスラー
再起不能だったし。
当時本人も手加減しないと試合がすぐ終わる
と言ってた。
三沢とか川田とかあんな化け物レスラー
と闘ってたと思うわ。 川田に蹴られまくったあと
ボコボコに返り討ちしてたのは恐怖だった >>32
通常なら前回武道館で喧嘩別れしたハンセンを乱入させる事で鶴龍砲復活とさせるんだろうね。それなら天龍寝かせるにしても角が立たない。 >>1
去年あたりに思ったんだが、いつの間にか橋本の歳を超え、
三沢の歳を超え、ジャンボの歳も超えてしまった・・・ 飯田橋にあったカブキさんの店で、客に話ししてくれる本人から何度か聞かせてもらったけど
凱旋帰国した時、馬場さんにCMとか儲け話を潰された話と「ジャンボ鶴田最強説」の否定はセットだったからな 谷津嘉章日本大学卒、長州力専修大学卒、ジャンボ鶴田中央大学卒、
天龍は・・・天龍は・・・元気ですね・・・ 倉持アナの本当にあった実況w 天龍、長州、藤波と違って、表情に乏しく顔に締まりがなかったな >>33
鶴田祐士 自称 映像作家
ツイッターアカウント
@YujiTsuruta >>23
バックドロップ以外でもそれとかジャンピングニーとか単純な技でも迫力あったよね。
子供の頃テレビを見てて馬場のチョップは自分でも余裕で受けれると思ってたけど鶴田の技は受けたら死ぬと思ってた。
小学生の頃の感想だからもちろん異論は認めます♪ >>5
グレコローマンの100kg以上級とか当時も今もそうめっちゃ薄いからね
そういうエピソードなら小川直哉の高校から柔道始めて
史上最年少19歳で世界王者になったって方がずっと凄いと思う オー わざとらしい痙攣 ショルダースルー失敗しか思い出せん ルーテーズから伝授されたバックドロップは破壊力がハンパないもんな
フォームがきれい いくら強くても
お客呼べなきゃプロとしてはダメなんだよ・・・ 鶴田天竜 VS ロードウォーリアーズ をまた見てみたい >>11
そもそも当時のバスケ五輪候補のどこにも鶴田の名前はない 小佐野ってまだ還暦迎えてないのかよ…
金沢とか永島もまだ元気なのか? そもそも40代で死んだのに
強いとかとおかしいだろ >>14
大学で教鞭とってたんじゃないかな。大学院でスポーツ科学勉強してなかったっけ? >>23
何気に菊地みたいな小柄な選手にボストンクラブをかけて幼い俺は菊地死ぬ!と真剣に思ったよ 鶴田自身は「山梨でぶどう園やってる兄貴の方が強い」と言ってた 善戦マン
たしかに鶴田のバックドロップはスゲーキレイだよな
しかし、プロレス村は未だにこんな内容の本で商売してるのか… 強さは見ててもわかったけど、あんまり好きなレスラーじゃなかった
なんというか全てがもっさりしてる感じなんだよね >>66
そう
これでひねりも入れる時があるからね うぉー!やってるときに後ろからラリアット食らってた事と
ジャンピングニーに合わせて相手も飛んでた記憶しか無いんだなぁ〜 >>52
1985.2.1 札幌大会 インタータッグ 長州谷津×鶴田天龍
の時の実況を元にしたネタだけどね
実際は
「まず谷津嘉章、日大出身、ポスト長州の一番手谷津
専修大学出身、常にアマチュア精神で全力ファイト、人気者長州力
狙いは長州一人です天龍、厳しい顔です天龍
中央大学出身、レスリングの天才ジャンボ鶴田」 鶴田って投げるだけじゃなくてちゃんとしたブリッジのジャーマンスープレックスホールドってできたっけ? 鶴田がファンとの交流会でのファンのトレーニングはどれ位している?の
質問の答えに「スクワット300回腕立て100回」と答えたのを知って
アマチュアプロレスしている奴らに俺らでももっとしていると言われたの
にはワロタ
最近の天龍の鶴田が何故強かったの答えに練習しなかったからが真実に
思えてくる 鶴田(41)対三沢(27)
これで鶴田が圧倒したからな 相手によってバックドロップの角度変えてたな
受け身上手いやつは、急角度で決めてた 強かったんだろけど・・・
全然感情移入できないプロレスラーだった
なんだか嫌々この仕事やってますってのが見えちゃってなあ
そりゃ天龍の方が人気があったわけだよ ジャンピングニーを食らった菊池の顎が外れたのでもう一度ジャンピングニーをして顎を戻した 売りがないから「最強」を売りにしただけのつまんないレスラーだよ
プロレス内での格付けなんてキャラが全てだからね
藤田なんて総合で活躍するまでは前座のしょーもないレスラーだったからね
強さは格とは関係ない ハンセン・ブロディ派のワイは鶴龍嫌いやった
けど、鶴田は強かったな 弱い相手には、BD落とす角度変えてたからなぁ
垂直に落とすと、受身取れずに逝ってしまう オーバーリアクションが好きになれなかったな
鈴木奈々くらい大袈裟だった 鶴田軍って他は田上、渕、小川
これじゃ超世代軍応援するってな 馬場鶴田×ハンセンブロディで生きてんのハンセンだけかよ、と思ったら20年も前からかよ キックで外れた菊地毅のアゴがその後のラリアットで元に戻ったと言う
正真正銘の最強レスラー 長州が参戦してた頃、余裕あって嫌だったが
天龍同盟後、かなりマジになって狂暴になったり
超世代の時は全員吹っ飛ばして楽しかったわ
外人とも力負けはしてなかった もう20年たったっていうのがびっくり
鶴田は常に余裕があった ジャンボのドロップキックがなぜか評価されない
おそらく、当時の世界最高峰 ジャンボの身体能力は若いころ使ってたフロントスープレックス見ればわかる
日本人レスラーでスーパーヘビー級の相手を真後ろに投げられるのは鶴田だけだった 三沢が早死したの、
鶴田のバックドロップ受けまくったからと思ってるんだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています